20 明日


「お、おつー」


 家に帰ると、ソファの上でハルは寝転がっていた。

 出かけた時と何も変わっていないのが恐ろしい。


「ただいま。貴女、本当にずっとそうしているのね」


「そりゃそうじゃん、家にいるんだから」


 いや、まあ……そうなのだろうけど。

 私は学校に行って青崎先輩と話して帰ってきて。

 やるべき事を達成した感覚もあるのだが、同じ時間を過ごしている同居人が何も変わっていない。

 それは不思議な感覚ではあった。


「ずっと居間にいるのね、自分の部屋じゃなくて」


「あー、なんか狭苦しいの苦手なんだよね」


 どうして部屋にいる事が少ないのかと以前から疑問だったが、そういう理由があったのか。


「でも、家にはずっといるのね」


 狭苦しい所が苦手なのであれば、外に出たがるような気もするのだが。

 ハルは家にいる事がほとんどだ。


「こっちに引っ越すまでは結構遊んでたぜ、今はそういう友達いないから家にいるけど」


「……ああ」


 ハルはこちらに引っ越してきて、人間関係を一新している。

 しかも新たな環境に馴染めているかというと、素直に頷けない状況でもある。

 友人がいれば、本当はもっと外出をしているのだろう。


「遊ぶって、どんな事をしていたの?」


 何となくだけれど、ハルはギャルと呼ばれるに近しい見た目をしている。

 そのせいか不思議と夜の匂いを連想させた。

 私はそんな世界を知らないので、具体的な例は出てこないのだが。

 とにかく彼女が夜遊びをしていてもおかしくないなと、そう思ってしまった。


「べっつにー? 普通に買い物とか、カフェとか、カラオケとか?」


「……普通ね」


 思っていたより健全な女子高生像だった。

 若干だが、拍子抜けしてしまう。


「他になにあんだよ」


 ハルはうつ伏せになりながらこちらを上目遣いで、足をパタパタと上下させている。

 その瞳がどこか蠱惑的に見えて、何だか落ち着かない。


「いえ、ハルの事だからもっと夜とかに出掛けているのかと思ったわ」


「あー、非行少女ってやつ?」


「そこまでは言わないけれど……」


「ふつーふつー。みんなと変わんないって」


 白花しらはなハルが普通……。

 学校では異彩を放っている彼女が、自身を普通と称しても違和感しかないけれど。

 それでも話を聞いてみると、確かにクラスメイトのそれと大差はない。


「でも、それだと今の状況は退屈に感じるでしょう?」


「んー。そだね、ヒマだね」


 学校で退屈そうにしている彼女が、家にいる時間も暇を持て余している。

 それはどうしてか、私の心の一部を締め付けていた。

 一人でいるハルが、不憫だと思ってしまったのかもしれない。


「友達と遊ぼうにも遠すぎてねー。まさか女子高生が飛行機で会いに行くって話にもならないでしょ」


「それはそうね……」


 子供の私たちにとって住所を変える事の影響は大きい。

 誰しもがそうだろうとは思うけれど、選択肢の少ない私たちの方がその影響の幅は大きいと思う。

 その変化の渦に、ハルでさえ失ったモノを取り返せずにいるのだ。


「もし、ここに以前の友達がいたら何かしたい事でもあるの?」


「んー。特にこれと言った事はないけど街に出て買い物とかご飯食べたりとかはするんじゃない?」


「そう……そうよね」


 私は学校でつまらなさそうにしているハルと、家の中でソファに寝そべるハルしか知らない。

 それは余りにも断片的すぎて、彼女の欠片にも満たない。

 白花ハルの一部しか知らない自分自身に物足りなさを覚えた。

 そんなの、当たり前のはずなのに。


「え、なに、相手してくれんの?」


「……え?」


「いや、だから街に連れてってくれんのって?」


 ハルが私を指差している。

 そのつもりは一切なかったのだけれど。

 でも、そう思われても仕方ない会話だったかもしれない。


「は、ハルは相手が私でいいの……?」


 きっと以前の学校ではハルに似た派手な子たちが周りにいたのだと思う。

 私の高校は落ち着いている子が多く、そのせいでハルは馴染めずにいる。

 地味な印象しかないと私と、遊びに出掛けるはずがないと思っていた。


「は? なにその質問、意味がかんないんだけど」


「だから私と一緒にいても面白くないでしょって……」


「いや、家にずっといるよりは面白いでしょ」


「あ、ああ、そう……」


 私のニュアンスは全く伝わっていないが、ハルの態度から察するに、遊ぶ相手が私である事に違和感を持っている様子は一切ない。

 私が勝手に気を揉んでいる事はよく分かった。


「え、マジでいいの? じゃあ今から行く?」


「あ、いえ、もう夕方近いし……明日でもいいんじゃないかしら?」


 幸いにして今日は土曜日。

 明日も休みなのだから、もう少し待っても何ら問題はない。


「そか、オッケーそうしよ」


「え、ええ……」


「あ、なんかテンション上がってきたかも」


「そ、そうなの?」


「うん、久しぶりに遊ぶしね」


「よ、良かったわね?」


 ハルは目を見開いて、鼻歌交じりに立ち上がる。

 あ、あれ……。ハルってこんなに分かりやすく感情を表現する子だったろうか。

 それとも、今までがそんなにもつまらなかったのだろうか。


「明日の服でも考えよっかなー」


 そうしてハルは部屋に向かうべく歩き出す。


「楽しみにしてるぜ、みお


 私の隣を通り過ぎながら、そんな事を言う。

 ハルの甘い香りと、彼女の階段を上がる足音が聞こえていた。


「こ、困ったわね……」


 あまりに素直に嬉しそうにしているハルを見て、私の心も弾み始めている。

 さっきまでの生徒会の記憶が薄れ、その感情も消し去るほどに。

 そんな強烈な変化をハルによってもたらされている。 


 口角が自然と上がってしまうのを抑えられないほど、私は浮ついている。

 いまだかつて、こんな自分と出会った事がなかった。

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