17 パートナー


「ふぅー、すずしー」


 最寄りのスーパーに入ると、冷房が利いてるおかげもあって外との気温差を感じた。

 隣にいるハルは、その涼しさを文字通り肌で感じていた。


「ハルってもしかして暑がりなの?」


「もしかしなくてもそうだよ。見りゃ分かるでしょ」


「見た目で、誰かの暑がりが分かった経験はないわ」


「いや、そーじゃなくてあたしの恰好いつも見てんだから分かるでしょって」


 ハルの恰好……?

 制服はともかく、家の恰好は部屋着と言ってもバリエーション豊かで特に統一性も感じていない。

 強いて言うのなら、いつもショートパンツで素肌を露出している……って、ああ、そういう事か。


「暑いからいつも素肌を出しているの?」


「まー、そゆこと」


「その観点はなかったわ」


「いつもエロい目で見てるから気づかないんだろ」


 平然と、公共の場でそんな事を口にする。

 いつもそういう事を言うものだから、私も何となく慣れてきてしまっているのが驚きだ。

 ダメだろ慣れたら。


「私じゃないにしても、そういう目線で見られる事は多いって言ってたわね」


「ああ、さっきすれちがったおっさんも見てたぜ」


 なんか生々しすぎて反応に困る。


「……嫌にならないの? そんな目線で人から見られるって」


 自分で想像してみると、それはかなり不快感がありそうだ。

 知りもしない人に情欲を抱かれるなんて、どう考えても気持ちが良いものではない。

 私がそんな経験をする日が来ないことは、重々承知しているけれど。


「良いも嫌もないな、気付けばそんな奴ばっかりだったから」


「……そういうものかしら」


 それすらも人は慣れてしまうのだろうか。

 だけど、それはどちらかと言うと麻痺に近いような気もする。


「ああ、でもみおからの視線は悪くない。むしろ好きだね」


 またハルは意味が分からない事を言っている。


「私はハルをそんな目で見ていないわ」


「無自覚ってこわいな」


 仮に、仮にだ。

 私がハルをそういう情欲の対象として見ていたとしよう。

 だとして、その先に何がある。

 女性同士で、姉妹同士で。

 超えてはならない壁がそこにはある。

 だから、そんな事は意識すべきではない。

 いや、そもそもしてないのだけど。


「スーパーでするような話じゃないわ」


「家に帰ってじっくりするかい?」


「あんまりしつこいと野菜のみの夕食にするわよ」


「あー、ウソウソ。それだけはムリ」


 ようやく浮わついた話が終わりを迎える。

 ハルはすぐにおかしな方向に話を持っていくから、注意しなければならない。


「何か食べたい物はあるの?」


「肉」


 ……参考にならない。

 献立を考える苦労を考えてくれないだろうか。


「というかハルが料理をしてくれてもいいのよ」


 精肉コーナーに向かいつつ、ハルに問いかける。


「ムリだって、やったことないし、やる気もないし」


「将来どうするつもりよ」


「将来?」


「ほら結婚した時か」


 “女性が料理を作るべき”、なんて時代錯誤な考えはないけれど。

 でも傾向としては、きっとそういう形が多いと思う。

 そんな日が来るとき、ハルはどうするつもりでいるのだろう。


「パートナーに任せる」


 他力本願だった。


「……素敵な旦那さんが見つかるといいわね」


 案外こういう子は社会に出た方が輝くのかもしれない。

 ハルにとって、学校は堅苦しすぎるような気もしている。


「旦那かどうかは分かんないけどねぇ」


「……はい?」


「奥さんかもしれないだろ?」


 常識知らずとは思っていたが、ここまでとは。

 性別すら、この子は理解していないのか。

 いや、さすがにそこまで残念なわけないか……。


「自分が何を言ってるのか分かってる?」


「当たり前だろ、澪の方こそ意味わかってる?」


「……分からないわね」


「じゃあ、説明してあげようか」


「遠慮しておくわ」


「なんだよ、つめた」


 “ちぇっ”とハルは唇を尖らせて、陳列されている精肉コーナーを眺める。

 ハルの発言の意味を理解して、理解した先に、何が待っているのだろう。

 どうすればいいのかよく分からない。

 だから、知ろうともしない。

 私はきっとずるいんだと思う。


「……でも意外ね」


「なにが?」


「ハルと一緒にスーパーで買い物する日が来るとは思わなかったわ」


「夫婦みたいだな?」


 ……やっぱり、無視し続けるのは難しいのかもしれない。


「ハルは夫か妻で言うと、どちらになるのかしら?」


「どっちかで言うとあたしは夫だろ」


「……ちゃんと働きなさいよ」


「あたしのこと馬鹿にしすぎ。そこまでダメ人間じゃねーから」


 お互い軽口を叩いて、少し笑う。

 ハルの会話は軽口で冗談だ。

 本気にするような会話ではない、そう思っていいはずだ。

 きっと私は意識し過ぎなのだ。


「いつも肉肉言ってるけど、何の肉が好きなの?」


 いつも、よく分からず料理を用意していた。


「何でも」


「……本当にハルってテキトーなのね」


「好き嫌いがないって言ってくれ」


「野菜を毛嫌いしてる時点でそれはないわ」


 うん、でもそれはそれで楽だ。

 好きに作ってしまえばいいのだから。


「生姜焼きでいいわね」


「あ、いんじゃねー」


 こだわりがあるのかないのか、ハルはやはりよく分からない。


「キャベツも買っていきましょう」


「それはいらない」


「食べなさい」


 “うげぇ”と舌を出していた。

 せめて言葉を発して欲しい。


「たまには料理を作るの手伝ってみたら?」


 毎回一人で作る大変さをハルも体験すべきだ。


「花嫁修業?」


 お前は夫なのか妻なのか、どっちなんだ。

 いや、ハルの発言なんてテキトーなのは分かっているのだけれど。

 私が真面目に考えてしまった分、肩透かしを食らう。


「まあ、そういう名目でもいいかもしれないわね」


「澪が作ってくれるんだから、それでいいだろ」


 それが現在の関係を意味していると分かっていても。

 さっきの会話のせいで未来の話も含まれているのかと、変な事を考えてしまう。


「……そう、ね」


 私は現在いまだけを肯定する。

 未来の事なんて、とても想像すらつかない。

 だってハルとスーパーに来る未来さえ、数か月前の私は描けなかったのだから。


 

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