第20話 アメリカ独立戦争
「おいおい、オレには武器の湧き出る魔法の壺はないんだぜ?」
ワシントンは呆れたように肩をすくめて盟友ジョン・アダムスをにらみつけた。
大陸会議においてアメリカ植民地軍の総司令官に任命されたワシントンの最初の大仕事は膠着するボストン包囲戦の打開であった。
ところが現場に赴いてみれば民兵の練度は低く規律の保持もままならないばかりか武器弾薬も不足していた。
にもかかわらず独立の熱に浮かされて民兵の士気だけは軒昂なのがまた厄介である。
こうした狂熱は短期戦では大きな力となるが、長期戦においてはむしろ足かせとなることが多い。
やはり総司令官就任を受け入れたのは間違いだったかとワシントンが後悔するのも無理からぬところであった。
「いちおう我が国でも武器の国産化は開始している。しかしもっとも手っ取り早いのは輸入するか敵から奪うか、ということになるだろうな………」
ジョン・アダムスは植民地軍の欠点を正しく洞察している。
ほとんどの民兵は独立によって宗主国イギリスからの重税から解放され、生活が豊かになるという動機から戦争に参加している。
そのため自分の土地を守るためには勇敢だが、遠征して正規戦を戦うには消極的であった。
しかも組織戦闘の知識はなく、損害を許容することのできる限界も低い。
装備の多くは民兵が自弁で持ち寄った小銃で、その小銃ですら弾薬の量は数日分を超えることはなかった。
これで勝利しろというほうがどうかしている。
だがワシントンやアダムスのようには考えない人間もいる。
彼らは民兵が独立の理想を正しく理解し、その理想に殉じる勇気があると本気で信じていた。
現に数字のうえでは植民地軍の参加者はイギリス王国軍を大きく凌駕しており、心配していた国内における対イギリス恭順派ロイヤリストは非常に少数にとどまっていた。
理想主義者である彼らは士気と人数によってアメリカ独立を達成できることを疑っていなかったのである。
「小才子が、………これだからオレはインテリが嫌いなんだ」
「まあ、そういう側面があることは否定しないがね」
ワシントンは決して無学ではない、むしろ当代でも一級の知識を有していたが、その興味は測量を初めとする実学に向けられていた。
なんといっても理想で飯は食えないのだ。
アダムスもまたインテリでありハーバード大学を優秀な成績で卒業した男ではあるが、彼は理想と現実の整合性というものを熟知していた。
だからこそインテリでありながらワシントンの信頼を勝ち得たともいえる。
虚栄心旺盛でプライドが高く喧嘩っぱやい男であるが、そうした人間味が逆にワシントンの気を引いたのかもしれなかった。
「いずれにしろこのままでは戦えないぞ?それともこれはオレを更迭するための罠か?」
「勘弁してくれ。頭でっかちに戦争させたらどうなるかわからない君ではないだろう?」
「ふん、オレはいつうちに帰っても構わないんだがな」
冗談ではなく真実ワシトントンはそう考えていた。
何せ彼は大陸軍の総司令官としてボストンへ向かうまでの一定期間、ボストンで発生した戦術的敗北―――バンカーヒルの戦いについて情報を教えてもらえなかったのだ。
ゲイジ将軍率いるイギリス軍はボストン包囲を突破こそできなかったものの、チャールズタウン半島を占領し自軍に数倍する損害を大陸軍に強要した。
大陸軍の損失は多いところで四割を超え再びイギリス軍が逆撃に出てきた場合、突破を阻止することは困難であると思われた。
もっともこれはイギリス軍も手ひどい損害を受けていたために杞憂にすぎなかったのだが。
やはり正規軍は手ごわい。
正々堂々と戦っていれば最終的な大陸軍の敗北は明らかだ。
しかしワシントンの推奨するゲリラ戦による消耗戦略は上層部で決して正しい評価を得ているとは言いがたかった。
その最先鋒がアダムスの又従兄弟であるサミュエル・アダムスであるというのは運命の皮肉というほかはない。
地方分権支持者である彼はアメリカ合衆国における強い中央政府の現出を警戒していた。
そのため強固な統一軍を組織しようとするワシントンとは何かと衝突することが多かったのである。
軍隊とは上意下達組織であり、水平的な連合組織ではありえない、またあってはならない。
政治家であり理想主義者であるサミュエル・アダムスにはそのあたりのことが理解できないらしかった。
この傾向は第三代大統領に就任するトマス・ジェファーソン周辺の大陸会議多数派においても顕著であり、ワシントンとしては十分に辣腕を奮うことすらできない状態にあったのである。
「まあそう腐るな……それに朗報がないわけじゃない。表だって参戦してくれたわけじゃないがフランスから貴族たちが傭兵と物資を積んで来てくれるらしいぞ」
「フランスのお貴族さま………ね。あちらさんが正規軍を派遣してくれればオレも肩の荷が下りるんだがな」
傭兵の戦闘力はやはり正規軍に及ばない。
練度の低い新兵であればむしろ傭兵のほうが心強いのは確かだが、熟練した正規軍は集団戦闘においては無類の力を発揮する。
これが有能な将軍に率いられるとそれはもう悪夢だ。
フレンチインディアン戦争において当初有利に戦局を進めていたフランス軍を恐怖のどん底にたたき落としたジェームズ・ウルフ将軍をワシントンはいまだ鮮明に覚えていた。
残念ながら現在のアメリカに彼に類するような勇気と識見と勘を兼ね備えた人材は見当たらない。
「そう馬鹿にしたものでもないらしいぞ?一応軍の士官教育は受けているし、若いが勇猛という噂だ」
「おいおい、若いっていくつだよ?」
「………確か18歳だったかな?」
「冗談じゃねえ!まだ毛も生え揃わねえ餓鬼じゃねえか!」
この戦争を子供の遊び場にされては死んでいった兵士たちに顔向けができない。
ワシントンは実利主義者ではあったが、同時に情誼には厚い男でもあった。
英雄を夢見る幼い貴族が権力を振りかざして新大陸で冒険を楽しむなど想像しただけで鳥肌が立つ。
「……………心配はいらん………煮て食おうと焼いて食おうと好きにしろとのお言葉だ」
「……………今何と言った?」
「彼らは捨てられたのだよ、都合のいい生贄として。もっとも彼らは祖国に捨てられてことに気づいてはいないだろうが………」
「ふん、全く結構なことだ………反吐が出る」
おそらくは潜在的な敵対勢力を新大陸ですりつぶそうとしているのだろう。
イギリスとのたび重なる敗戦で疲弊したフランス王国が財政再建のために貴族たちと対立していることぐらいはワシントンも承知していた。
オーギュストの立場を考えれば十分に理解できる施策だ。
だが純真であろう若僧を騙して死地に送り込むのはワシントンの美意識に著しく反する行為であった。
「気に入らねえな」
そんな会話が行われていることも知らずラ・ファイエットは見えてきた海岸線を見て期待に胸を膨らませていた。
「あれが………あれが新大陸………!このオレの戦場か!」
ラ・ファイエットの白い頬が興奮で赤らんでいく。
このきらめく瞳と素直な喜びの表情を見たならばワシントンの懊悩はなお深くなったことだろう。
子供の遊びと言われても仕方のない貴族ならではの虚栄心が透けてみえるようである。
しかし決してそれだけでないものをラ・ファイエットは確かに所有している。
少なくとも勇気と戦意において彼が大陸軍の兵士に勝るとも劣らぬことだけは確かであった。
パリは王太子ルイ・ジョセフ誕生の報に湧いている。
連日市内では振る舞いのワインが配られ、市民は開明君主であるオーギュストの血脈が継続したことに快哉を叫んでいた。
1776年初頭、豊作であった小麦を惜しみなく放出したこの祝典に国民は熱狂したと言ってよい。
「国王陛下万歳!」
「王太子殿下万歳!」
「王妃殿下万歳!」
窓の下に喝采を叫ぶ市民を見下ろしながらジリジリした焦りに身を焦がすものもいる。
「このままオーストリア女の血が王家を継いでしまうというのか………」
瀟洒なサロンに集まった顔ぶれは見るものが見れば驚愕すべきものであった。
王弟であるプロヴァンス伯にアルトワ伯に国土の5%を所有するフランス最大の富豪オルレアン公の長子であるシャルトル公ルイ・フィリップ………いずれも王位継承権の上位に名を連ねる者たちである。
彼らは王太子誕生の祝辞を述べるためという建前でパリに集まり互いに接触を図ろうとしていた。
「今となってはラ・ヴォーギュヨンの暴発が惜しまれるな。あのときもっと手を広げて貴族の支持があれば国王を打倒することは可能だった」
「それでは今は無理だと………?」
二十歳になったばかりのプロヴァンス伯にフィリップは残念そうに首を振ることで答えた。
小心だが理性的でもあるこの王弟をフィリップは買っている。
操るには都合のよい程度の器量といってもいい。
「たかが一連隊程度の近衛を恐れていては何もできますまい?フィリップ殿だけでも優に二万程度の兵は集められるはず!」
対するアルトワ伯はいささか直情にすぎる。
先年ラ・ヴォーギュイヨンは四万弱の兵を催したのだ。
それが手もなく半個連隊程度の近衛に粉砕された。いや、パリ市民という数十倍の敵によって蹂躙されてしまった。
もし尋常な戦いでパリを落そうとするならば、それこそ十万の兵力があっても決して油断することはできない。
「よろしいかアルトワ伯。現在国王を守る盾は近衛のみにあらず、このパリ全体が国王を守る強力無比な盾なのです。あの市民たちをみなさい。彼らこそがラ・ヴォーギュイヨン公の野望をくじいたのですぞ」
「豚どもめ……!兄上が甘やかすからつけ上がるのだ!」
吐き捨てるように言ってアルトワ伯は眼下の市民の群れを見つめた。
数えるのも億劫になりそうな人の群れがモザイクのように複雑な色彩をパリの街路に描いていた。
「正面から戦おうとすれば敗れるのはこちら…………ならば搦め手を使うほかありますまい」
フィリップは口の端を歪めて嗤った。
思わずプロヴァンス伯とアルトワ伯が背筋に冷たい汗をかくほどの冷たい嗤いであった。
自分より誰よりこのフィリップこそが国王を倒したがっていることを二人は身にしみて体験したのである。
オーギュスト………お前が憎い。
父にも母にも必要とされず取るに足らない存在であったお前が今や国王として国民の称賛を浴びているとは―――。
それは本来お前の物ではなかったはずなのだ!
アンシャンレジームは命数を使い果たそうとしている。
しかし次代の政権を担うべき市民はあまりにもぜい弱な存在だった。
だからこそ知識と経験と資産を兼ね備えた自分こそがフランス王位を継ぎ新たな権威の再構築をすることができると信じた。
第一身分と第二身分への課税と第三身分の権利拡張
産業の育成と国力の増進
王権の強化とそれに伴う強権の行使
第三身分の行政参画とそれに伴う教育の拡充
どれもフィリップが理想とし、いずれ施行しようとしていた政策であった。
市民こそ真の主権者であるという啓蒙思想が現実に運用されるにはまだ早すぎることをフィリップもまた正しく洞察していた。
王権を強化し、市民に力を付けさせゆっくりと社会構造を市民中心に造り変える。
そのための象徴的権威として王位は残し、この国を立憲君主国家に生まれ変わらせるのだ。
もちろんその中心にいるのはこのルイ・フィリップでなければならなかった。
本来自分が実行するはずであった施策
本来自分が浴びるはずであった称賛
本来自分が称えられるはずの歴史的評価
すべてはルイ・オーギュストの名のもとに収奪されフィリップの名はありふれた王族の一人として歴史に埋もれ省みられることはあるまい。
もしもフィリップが真実理想のために行動し、同じ理想を共有するオーギュストと手を取り合ったならばフランスの改革は十年早まったかもしれない。
二人の思い描く将来の国家像はそれほどに酷似したものであった。
だがフィリップはその功績をオーギュストに譲ることに我慢がならなかった。
オーギュストを陥れるためならば理想のほうを踏みにじっても構わない、それが人間フィリップの偽らざる限界というものであった。
「まずは風聞を流しましょう………王太子が王妃の不貞による不義の子であるという噂を…………そして来るべき日に備え同志の結束を固めるのです。国王の政策は必ずどこかで貴族か市民か、それともその双方か、大きな衝突を招かざるをえません。いえ、それ以前にも不安から疑心暗鬼に囚われるものが続出するでしょう………その機会を逃さず…………」
フィリップは顔をあげてプロヴァンス伯とアルトワ伯を見つめた。
今更逃げることは許さない、フィリップの目が無言でそう言っているように二人は感じた。
事実ここまで胸中を明かした以上フィリップは二人を逃すつもりはない、行き先が地獄の果てであろうと付き合わせるだけだ。
「国王ルイ・オーギュストを暗殺しこの国を救うのです」
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