第14話 謀反計画
「全くもってけしからん。これでは伝統あるフランス王国はこの地上から消滅してしまうぞ!」
憤激も露わに怒鳴り散らしている男にフィリップは軽く頷くことで賛意を示した。
しかし内心では辟易していると言っていい。
男の名はラ・ヴォーギュイヨン、ルイ15世のもとで陸軍卿を務めていた男である。
もとはオーギュストの家庭教師でもあった彼は元教え子のあまりの変貌に怒りを募らせていた。
「これだからオーストリア女を王家に入れるのは反対だったのだ!」
表向き国王を正面から非難することのできない貴族は、その変貌の理由をシャルロットに求めるのが通常化している。
この理由を額面どおりに信じている貴族は少なかったが、ラ・ヴォーギュイヨンは婚姻に反対していた経緯から素直にそれを信じているらしかった。
「ことここにいたってはやむを得ない。陛下には退位していただきプロヴァンス伯あたりに王位を継いでいただくのが妥当と思うが………」
「………問題は陛下に気づかれずに兵を集めることができるかですね」
「私はこれでも陸軍卿を務めていたのだぞ?私が一声かければたちまち数個師団は集められる!」
「お忘れですか?今の陛下には近衛という武器があるのですぞ」
以前ならば国王は裸だ、と言ってもよかった。
貴族が協力しなければ兵ひとつまともに動かせないのが国王という偽らざる存在であった。
太陽王と呼ばれたルイ14世ですら貴族をまともに動員できないために、戦費のほとんどを自弁するはめになり王国経済悪化の原因を作ったほどだ。
しかし今のルイ・オーギュストには異なる論理によって動く部下がいる。
労役の廃止や関税の撤廃により今やブルジョワジーの圧倒的な支持を得るテュルゴー。
そして新興の財閥を築きあげたデュポンを初めとする経済人からの支持。
さらには平民と下級貴族によって編成され、陸軍の指揮命令系統から独立した王室近衛兵連隊。
このところ無視することができなくなりつつある貿易相手国としてのオーストリア帝国とトスカーナ大公国。
第一身分への課税による歳入の増加はこの夏の冷害で凶作となった小麦の輸入にあてられてしまったが、国王の影響下にあるブルジョワジーからの献金額もなかなかに馬鹿にできるものではない。
テュルゴーとベリー公領から異動してきた経済官僚の辣腕はわずかながら王国経済を確かに回復傾向へと導いていた。
これほど国民から広範な支持を得ている国王は、もしかするとシャルルマーニュでさえも及ばぬかもしれなかった。
進歩派をもって自認するフィリップにはそれがなんとも歯がゆい。
本来そうした改革を言い出すのは自分でなければならなかった。
そして貴族側からの権利放棄という気高い自己犠牲によって新たな貴族階級の権威を構築するのだ。
人民としての優れた選良たる貴族とブルジョワジーによる自由主義的共和政体。
それこそがフィリップの目指す理想の政治体制にほかならない。
彼とはまったく主義主張の異なるラ・ヴォーギュイヨンのもとに彼が訪れている理由はそれだけオーギュストの施策が脅威であることにほかならなかった。
「平民づれの兵士どもに何が出来る!」
得々として自分の陸軍に対する影響力を誇示するラ・ヴォーギュイヨンの赤ら顔にフィリップは失望を禁じ得ない。
オーギュストを追い落とすために水を向けてはみたものの、あまり期待しないほうがよさそうであった。
「では閣下が首尾よく陛下を退位されたならば我が父ともどもプロヴァンス伯を支持することはお約束する」
「おおっ!感謝するぞシャルトル公殿!」
具体的に何をすると言ったわけでもないのにラ・ヴォーギュイヨンは満面の笑みとともにフィリップの手をおし頂いた。
あるいは家庭教師時代のオーギュストを知るがゆえにシャルロットを過大評価し、オーギュストを過小評価しているのかもしれなかった。
フィリップとしてはその楽天ぶりに忸怩たるものがあるが、速やかに兵力を動員できてオーギュストに逆らう気概のある貴族というとほかに選択肢がないのも事実であった。
愛想笑いを浮かべてラ・ヴォーギュイヨン邸を辞去するとフィリップは深い嘆息とともに天を仰ぐ。
「せめてショワズール卿がこちらについておれば……………」
あまりに楽天が過ぎるラ・ヴォーギュイヨン公に嫌な予感がフィリップの脳裏をよぎっていた。
「どうやらラ・ヴォーギュイヨン公は実力行使する道を選ばれたようですわ」
本当に男の人ってしょうがないわね、とまるで世間話でもするようにデュ・バリー夫人は告げた。
実際彼女にとってはそれは世間話と変わるところはないのかもしれない。
王国の身分秩序と経済体制をめぐる思想の違いなど彼女の理解の範疇を大きく超えているのは明らかだからである。
「わかりやすい殿方はこれだから好きですわ。夫にしようとは思いませんけど」
そう言ってシャルロットも嫣然と笑う。
もともとラ・ヴォーギュイヨンはデュ・バリー夫人の腰ぎんちゃくである。
権勢を失ったとはいえ、かつて夫人によってショワズールとの権力闘争に勝利した借りは厳然として存在する。
社交界に復帰した夫人はたちまちラ・ヴォーギュイヨンのサロンに招かれることとなった。
オーギュストはそこでデュ・バリー夫人に情報を収集することを求めたが、シャルロットはそれに飽き足らずさらに一歩踏み込む必要を認めていた。
情報を得るのは確かに大事なことかもしれないが、ハプスブルグの誇る女傑としては情報は操ってこそ一級の政治家である。
そうした情報操作の重要さをオーギュストが認識していなかったわけではない。
むしろ現代人であったオーギュストは、情報によるイメージ戦略には一家言あったのだが、それはあくまでも現代の感覚によるものであった。
生き馬の目を抜く政争を勝ち抜いてきたハプスブルグ家の人間からすればやはり甘いと言わざるを得ないのが本音だった。
「陛下の近衛兵は銃の音に驚いて腰を抜かしたというと手を叩いて喜んでいらしたけれど、まさか本気にしたのでしょうか」
「彼がそう思いたいのであれば本気にするでしょうね」
ラ・ヴォーギュイヨンはルイ・オーギュストの即位とともに陸軍卿の地位を追われた。
権勢欲の旺盛な彼としてはなんとかして復権したい。
そこにオーギュストの治世に不満をもった貴族を引き合わせ、さらに国王が反対派貴族に報復を考えていることを伝える。
そうして危機感を煽ったところで王室近衛が張り子の虎にすぎないことを伝えるのだ。
用心深いものであれば信用しないであろうが自尊心が強く、特に宮廷を遠ざかり情報に飢えているものは罠と知らずに食いつく可能性が高かった。
これはデュ・バリー夫人を筆頭にシャルロットは仕掛けてきた数々の政治工作の一つが実っただけにすぎないのだ。
それをおくびにも出さず悪戯が成功した童女のようにクスクスと微笑むシャルロットは正しく怪物であった。
表情にこそ出さないが夫人はそれを肝に銘じて知っていた。
(この人だけは絶対に敵に回すものではないわ…………)
ポンパドゥール夫人もデュ・バリー夫人も権勢を欲しいままにはしたがそれはあくまでも国王の寵愛に全面的に依拠したものであった。
だがシャルロットのそれは彼女たちとは本質的に違う。
まず王妃という確固たる地位。
そしてハプスブルグ家という欧州全土に鳴り響くブランドとそして血族による支援。
加えて本人の傑出した政治能力と人脈から行使される実務能力。
すでに官僚組織にも王妃の権限は及び、国王の反対がない限り王妃の命令は勅令に準じて処理されることになっている。
あの女丈夫として名高いカトリーヌ・ド・メディシスでもここまでの実権を握れたかどうか。
あるいはこのままシャルロットの権力が増大していけばいつかは国王のそれを凌駕するのではないか。
そんな空想さえ可能に思われるほどだ。
「さすがにルイ・フィリップ殿は用心深いわね…………」
ラ・ヴォーギュイヨンとは別に進歩派貴族にもアプローチしているシャルロットであったが、シャルトル公フィリップは沈黙したまま動こうとはしなかった。
慎重ととるべきか臆病ととるべきかは微妙なところである。
しかしいずれオルレアン公の地位を引き継ぐ彼が貴族階級の代表格となることは避けられない。
出来れば早期に排除しておきたい人物ではあったが、その機会は将来に譲ることになりそうであった。
「まあ陸軍の腕力馬鹿を釣れただけでよしとするべきかしら」
オーギュストの即位からすでに半年が過ぎようとしている。
薄氷を踏むような綱渡りの毎日であった。
世界的に冷害で凶作となった小麦の輸入は、比較的冷害の被害が少なかったイタリア沿岸部のトスカーナ大公国の支援抜きには語れない。
救荒作物としてのジャガイモはフランス全土に普及を奨励しているが、都市部、特にパリではやはりなんといってもパン食がメインになることは避けられない。
必要最低限の小麦がなければ、やはり都市民の間に不満が高まることは明白であった。
そのためオーギュストは第一身分から得た税金のほとんどを小麦の輸入にあてることを余儀なくされ王国財政の改善は先伸ばしにされることとなった。
しかし工業的には労役と関税に撤廃によってフランス経済は明らかに好景気を迎えつつあった。
イギリス流の産業革命を達成するには輪作や集団農法により余剰労働人口の創出が不可欠であるため、まだまだ先のことになりそうだが、それでもルブランやデュポンによる新興産業は活況の最中にある。
おかげでかろうじて近衛の拡充と再編が可能となった。
ケレルマンを連隊長とする近衛連隊の整備が間に合ったのはまさに僥倖である。
この武力なくして税制改革が成し遂げられたかは微妙だ。
いや、むしろ史実同様貴族たちの反対に潰されていた可能性が高い。
実質的に貴族が軍部の運営権を握っている以上、オーギュストが直接掌握できる武力の整備は急務であった。
現在ケレルマン指揮下の連隊を増設し、師団編成にする計画が進められているがしばらくの間オーギュストを守る兵力は一個連隊を超えることはできなそうなのが実情であった。
「思ったよりラ・ヴォーギュイヨン卿も人望がありませんな。下手をすると反乱軍は二個師団にも達しないかもしれません」
苦笑とともにケレルマンは地図を広げた。
机いっぱいに広げられた精緻な地図にはラ・ヴォーギュイヨン派の陸軍駐屯地が赤い丸で囲まれていた。
いずれもラ・ヴォーギュイヨンの下で甘い汁を吸ってきた無能な指揮官ばかりだ。
数以外に恐れる要素は何もない。
「いずれも通常編成の歩兵部隊ばかりです。若干の貴族将校による騎馬部隊も加わるかもしれませんが市街戦で騎馬はそれほど恐るべき相手ではありません」
「…………迂闊に近衛と敵対するのは愚か者のすることだということを教えてやれ」
オーギュストとしてはここで貴族に恐怖を植え付けることができれば改革の段階をさらに推し進めることができる。
今は反国王派のほうが優勢だが、元陸軍卿が反乱に失敗すればたちまち国王派に鞍替えする貴族が続出するだろう。
何もオーギュストは貴族制度を廃止しようとまでは考えていないのだ。
来るべき国民議会には平民の暴走を抑止するためにも、経済と法律に明るい貴族による貴族院を設けるつもりでいた。
能力と意思さえあれば貴族はその尊厳と地位を未来に繋げることが可能であった。
そうして国王の役に立つかはたまた邪魔者になるか、貴族たちは今その素質を問われているとも言える。
「砲を用いることになりますがよろしいか?」
市街戦で大砲を用いるということは市民にも被害が及ぶということだ。
しかし兵数に劣る側が火力を惜しんで勝てると思うほどオーギュストは夢想家ではなかった。
為政者としては無辜の民の犠牲を許容するなど恥辱の極みだがオーギュストは決然としてケレルマンに命じた。
「………王室が所有する全ての砲を動員しても構わぬ。完膚なきまでに反乱軍を殲滅せよ」
「御意」
「ただし市民への損害は最小限に留める努力を怠るな」
ケレルマンは色気にあふれた見事な敬礼をオーギュストに捧げて執務室を去った。
実に聡明で慈悲深い王だ。我が忠誠を捧げるに相応しい。
しかしこの武力衝突を政治的に最大に利用しようとしているシャルロットはむしろ市民に多数の犠牲者が出ることを望んでいた。
責任のすべてはラ・ヴォーギュイヨンとその一党にかぶらせてしまえばよいのである。
彼らの暴挙による被害が大きければ大きいほど問われる責任は巨大になり、相対的に王権の力は増すはずであった。
一部有力貴族の暴動は市民と貴族の連帯を阻む血塗られた惨劇とならなければないのだ。
ゆるぎない王権があってこそ、初めて市民の安全は保障されるのだということを思い出させる必要がある。
ブルボン家はフランス史上でももっとも国民の支持を得た王朝であった。
かつて貴族が第三身分の保護者であったためしはないのだから。
「国民の擁護者である国王に反抗する輩は国民の敵よね?」
「もちろん、国民もそう認識するでありましょう」
そんな会話をシャルロットとカルノーが交わしていることをオーギュストは知らない。
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