第3話:不遇職の現実。




 ――――く、苦しい。


 ハッと目を覚ましたら、胸の上に大きな黒ヒョウの頭があった。


「…………ムスタファ?」

「ガゥ?」


 金色の瞳をくりっと丸めて、首を傾げながら俺を見つめてくる。かわいい。


「おはよう」

「ガウッ!」


 ムスタファに挨拶をしてダイニングに向かうと、母さんはにこにこ、父さんは顔面蒼白だった。

 

「黒ヒョウちゃん、いい子ねぇ」


 俺を起こしに行ってくれてありがとう、と母さんが言っていた。

 どうやら俺が寝ている間に、ムスタファはダイニングに来ていたらしい。

 母さんに撫で撫でされて、ムスタファはご機嫌そうだ。


「はい、ご飯よー」


 大きなボウルに山盛りの炒めたミンチ肉と食パン五枚。

 それを大喜びで食べている。

 生肉とかじゃないんだ?

 パン食べるんだ?


「生のお肉見せたら、プイッてされたのよー」


 母さんがくすくすと笑うその横で父さんはというと、顔面蒼白のままコクコクとうなずいていた。


「もう、パパったら、怖がりさんねぇ」

「ママ、そういう問題じゃないと思うんだよ。こんなデカい獣――――」

「ガウウゥゥゥ!」

「ひぃっ!」


 ムスタファが急に吠えるもんだから、父さんがイスの上で膝を抱えて縮こまってしまった。


「あー、名前で呼んでほしいんだと思うんだ。名前はムスタファになったよ」

「まぁ! ムスタファちゃんね、改めてよろしくね」

「キャウ!」

「ヒッ!」




 顔面蒼白の父さんの横で朝ごはんを食べ終え、ムスタファと講習小屋に向かった。


「おはようございます!」

「よぉ、はよぉさん」


 挨拶の流れでおじさんの名前をきいたら、『ゼスト』だと教えてくれた。

 ゼストさんはビーストテイマーLv.6とのことだった。

 自身のレベルは41。

 あれ? ゼストさんって、かなり強くない?


「いや、この年齢なら普通だな。ビーストテイマーとしてなら、まぁまぁいいとこ行ってた、ってくらいだ」


 それに、と付け加えられた言葉にかなり申し訳ない気持ちになった。

 ゼストさんはブラッディ・スパロウの群れを従魔にしているけれど、ムスタファがいるから呼んでも近付いて来ないのだそうな。


 ブラッディ・スパロウは肉食の雀で、なんというか攻撃は地味なのだけれど、集団で来るとなかなかの痛手を被る感じだ。牧場とかで。


「まあ、基本は好きにさせてるから、別にいいんだがな」


 ――――え、いいんだ?


「流石に餌はやってるぞ!? 牧場とかな……マジで迷惑だよな。あいつら……」


 どうにかしてくれと依頼が出る度にテイムしていたら、三百羽になっていたそうだ。

 数字が大きすぎてびっくりした。


「とりあえず、初心者向けのダンジョンに行くぞ」

「は、はいっ!」




 訓練施設(小屋)からほど近くに常時発生している初心者向けダンジョンにゼストさんと向かった。


「わぁ。ここがダンジョン!」


 今までは絶対に近付けなかったダンジョン。

 ずっと、ずっとこの日を待ち続けていた――――


「「……」」


 ――――んだけど、思っていたのと違った。

 ただただ広くて起伏のない洞窟で、所々にちょっと草が生えてたり、岩があったりするだけの、『広くて簡単な迷路』と言っても過言ではないような場所。


「何もいないんですが……」


 四時間、歩き続けた。

 地下展開型で全五層の初心者向けダンジョン。

 最下層にいるらしいボスのバイコーンさえもいなかった。

 

「ネズミや虫もいないし、ボスさえも出てこないのかよ……」

「昨日の山の中も、こんな感じでした」

 

 ゼストさんと二人、ボスが出るであろう広間でぽかんとなる。

 魔獣が出てこないのなら、何をしようもないのでダンジョンから帰ることになった。




 講習施設(小屋)に戻り、二人とも机に突っ伏した。

 

「おい、明日は乗合馬車で、一番近い中級者向けのダンジョンに行ってみるか?」

「…………はい。お願いします」


 ちらりとムスタファを見ると、我関せずで床でプスプスと寝息を立てていた。

 さっきお弁当を食べさせたので眠くなったのかもしれない。

 

 ――――まぁ、かわいいからいいか。


 ゼストさんに中級者向けのダンジョンについて聞いてみた。


「初心者向けのダンジョンは全五階層の地下展開型だったよな?」

「はい」


 一番近い中級者向けのダンジョンは全三十階層の地下展開型。

 そこには、初心者向けのボスだったバイコーンが、浅いところにウヨウヨと出るらしい。

 五階層ごとにボスがいて、時々レアなモンスターが一般の階でも発生する場合があるそうだ。


「ウヨウヨ……?」

「まぁ、今日出なかったからな。中級の方でも出ない気はしてるさ」

「ですよね」


 冒険者は魔物を倒したら、心臓近くにある魔石や、売れる部位を採取し、それをギルドに売ることで金銭を得る。

 そのやり方も教える予定だと言われたけれど、なにせ今日のダンジョン内のシーンとした空気。

 本当に魔獣に遭遇できるのか心配になってきた。


「魔石の大きさや色、属性によって買取価格が変わってくるのは知っているな?」

「はい。細かな値段までは分かっていませんが……」


 火や水などの魔石は生活用や戦闘用などの魔道具に幅広く使われている。

 氷は冷蔵機能のある魔導具に使われたりするので、かなり重宝されているそうだ。


「そこいらはまた明日だな。現物見せつつ説明する」

「はいっ! よろしくお願いします!」

「おぅ」




 今朝も父さんは顔面蒼白だった。

 早く慣れてくれるといいけど。あの様子を見る限り、しばらく無理そう。


「おはようございます」

「おー。よし、行くか」


 市街地の馬車乗場でゼストさんと待ち合わせ。ここから中級者向けダンジョンに出発する。

 ムスタファは馬車と並走。

 馬車に乗り込もうとしてきたけれど慌てて止めた。大きすぎるというのもあるけれど、同乗していた五人の冒険者パーティーさんたちに申し訳なさすぎる。


「グルゥ……」

「だーめ!」

「ガルゥゥ」


 ちょっと不服そう。だけど、ちゃんと馬車と並走してくれた。


 同乗の冒険者さんたちに、ムスタファは外国から輸入してきた調教済みの巨大な『パンサー(黒ヒョウ)』と勘違いされたので、訂正しなかった。

 事前にゼストさんとそう決めていたから。


「金に物を言わせて、背伸びする金持ちのガキっているんだよな」

「いるいる」

「普通、テイマーだったら冒険者辞めねぇか?」

「プッ! しーっ! 可哀想だって。きっと登録して日が浅いのよ。少しくらい夢を見させてあげましょうよ」


 …………聞こえてる。

 すっごく聞こえてる。

 ちらりと隣のゼストさんを見たら、眉間に皺を寄せて、ふぅとゆっくりと息を吐いたあと、ゆっくりと首を振られた。

 たぶん、気にするなとか、関わるなとかの意味かな?

 

 俺もビーストテイマーになるまでは、そういう風に扱われる職業だよなって思ってた。

 流石にこんなふうに口には出さなかったけど。

 今の状況では不遇職と言われるのはどうしょうもないけれど、少しでも認識改善されるよう活動していきたい。




 中級者向けダンジョンに向かう草原や山道では、襲ってくる魔獣が必ずいるんだけど、今回はそれらがいなかった。……らしい。

 魔獣が来たら、馬車に乗っている冒険者たちで倒して、出た魔石は戦闘に参加した冒険者たちで折半するのが慣わしなんだそう。

 御者さんはムスタファのおかげで襲われずに済んだと大喜びしていたけれど、同乗していた冒険者パーティーは、不服そうだった。


 弱そうなガキと、くたびれたおっさん。しかも金持ち道楽のビーストテイマー如きに、得られるはずの収入を阻まれた。

 今日は大きいだけの野生動物にビビって近づかない雑魚しかいなかったんだよ。

 羽虫避けにはなるのかもね?

 荷物運びの役には立ちそうじゃない?


 そんな感じのことを、馬車を降りてからずっと話していた。俺たちに聞こえるように。

 たぶん、わざと。

 

「クリストフ」

「はい?」

「ダンジョンに入る前に少し休憩するぞ」

「はい」


 ゼストさんの指示に従って、ダンジョン入口近くで三十分ほど休憩した。

 

「今日は人が少ないようだし、アイツらは何層か下っただろうよ。そろそろ行くか」

「はい」


 面倒なのには近付かないことが一番だ、とゼストさんが呟いた。

 今の俺の状況だと、『違う』ことを『違う!』と言って得られるのは、トラブルだけ。

 避けることが大切なんだって。




 俺は、ナメていた。

 これで大丈夫だって安心していたんだ。

 わくわく、ドキドキ、そんな気持ちで中級者向けのダンジョン入口に立った。

 今から、ムスタファと魔獣相手に戦って、いっぱい経験を積むんだって。


 ゼストさんの顔が険しいのは、ダンジョンに入るからなんだと思っていたんだ。

 まさか、あんなことになるとは思っていなかった。

 このときまでは――――。



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