しおん色の足跡辿り
帰り道はいつもひとり。
ひとりで、寂れたこの家に帰る。
「ただいまー」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
出迎えてくれたのはメイドのメアリー・スアレス。彼女だけが、このマツリ家に残ってくれている。ーーもうこの家でメイドに払える賃金なんて残っていないというのに、私がメアリーにそう言うものなら「こんなご主人様おもいのメイドにそんな言葉を投げかけるのは野暮というものですよ、お嬢様?」なんて冗談めかす。
主人思いというのは言葉の通り本当でーーこうして私の好むアップルティーを、猫舌の私が快適に楽しむことができる温度に、完璧に調整している。
無論熱すぎず冷た過ぎない温度。帰る時刻を特に告げていないのにこうした気遣いをしてくれているのには、最早何か恐怖を覚えるものだが。
「メア、そういえばさ。マツリ家にーー私のお父様に親を助けられたって人に出会ったのよ」
「あのお方ですか。ーー優しい方でしたねぇ」
「メアってさ、いつもお父様を優しいって言うけどさーーもしかして、優しいってことくらいしか覚えてないの?」
「いえーーただあの方はちょっと……優しいの次元が我々と少々違っているお方で……うーん」
「ーー儀式の結果、聞かないの?メア」
「?ああーーそんなもの、ありましたねえ」
と、この様に。
このメイドーーいささか世間と空気感がズレている。
「ーー私、保有可能数は1よ」
「左様ですか。今日の夕飯は何にいたしましょう?」
「じゃあグラタン……」
この通りの平常運転。メアの家系はマツリ家に代々使えているらしいのだがーー使えるにあたって、頭のネジを何本かマツリ家に抜かれてしまったのかもしれない。
自分の主人がこんな有様でこの態度は正気じゃない。
「お嬢様がいかなるスキルを持っていようが、私の大好きなお嬢様であることにはなーんら変わりはないのですよ?」
「私何も言ってないけど………!?」
メア、いつもナチュラルに主人の心を読むのはやめてほしい。メアもユニークスキルを保有しているけれど、その一覧に心を読むスキルなんてのは無かったでしょ……
「愛の究極点です」
ウインクで答えるメア。
眼鏡が良く似合ってる。
ーー世間に問いたい。メイドとは皆こんなものなのだろうか?そしていち貴族のはしくれとして問いたい、この人本当に人間?
***
メアの夕飯を頂いたあと、私は空の部屋に向かった。
「ーーまだお父様の匂いが残ってる」
一ヶ月程前ーー丁度私の誕生日の日に、病気で亡くなった、お父様の部屋。
主人を失い、残ったものは匂いと机のみ。
他に本棚や絵画もあったらしいけれど、家の維持のためにお父様自身で売り払ったと言っていた。
ここでーー貴族としての役目を果たしていたのだ。どれだけ馬鹿に、こけに、笑い物にされようとも、お父様は最期の時まで貴族でそこに在ろうとした。
「立派な方でした。決して誇りを忘れないーー決して不満を漏らさず、口にするのは希望ばかりで。常に前を向いておられて……」
「メアがお父様のことを語るなんて、珍しい」
いや、この人がこの部屋に来ること自体珍しい。何の用事だろうか?
「実は……あのお方に、私は遺言を仰せつかっているのです」
メアは、私に一通の手紙を渡した。
メアが預かっていたという、遺言の手紙を要約すれば。
先ず第一にマツリ家を守れなかったことを筆舌に尽くし難い恥を思うほどに後悔している、けれども運命としてそれは受け入れるべきことなのだろう。この家の栄光、繁栄をお前に伝えられなかった、見せることがついに叶わなかったのは残念でならないがーー滅びゆく運命にあるこの家とお前が、命運を共にするべきではない。だからーー十五の儀でいかなる結果が出ようと、この家の存続に貢献するために、その力を行使することは許さない。
好きに、生きなさい。
ということだった。
私は父の残した黒く大きな机を目を向けた。メアの言う通りに引き出しを開けてフタを外せば、そこにあったのはお父様の隠し財産。煌びやかな宝石にーーもろもろ。
デキるメイドのメアがいつもピカピカに手入れするので、机の光沢は未だ失われていない。
ーー月光がこの場所を照らしていることに今気がついた。机はきらきらと輝いている。
私はこれを、月の葬送だと感じずにはいられなかった。
***
「とりあえず、資金は稼げたね……」
手放すのには惜しい程の美しい宝石達だった。財産というのはそれのことである。二足三文で買い取られない様、お父様は用意周到、店を指定していて実際上手く行った。本当に有り難い。
「これから如何致しましょう?」
「そうね………」
父が亡くなって、私が貴族としてマツリ家を残していた理由。……それは。
無くなることなんて決まっている、けれど、父が目指したもの、父にとっての大切なものを、一日でも長く守っておきたかった、からなのかもしれない。
ーーそれももう実質的に、不可能となってしまったのだけれど。
「………………………」
「よし。引っ越そうか」
私は貴族の称号をようやく、手放すことを決心したのだった。
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