学部 記憶 (3)あるいは何かの冗談のように
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は、様々な女子に援けられながら波風ありながらも充実した日々を過ごしてきた。
大学二年の半ばには、高校時代に親しかった留学生のエリーが再留学で現れ、再び彼女中心の日々が始まった。
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誕生日から一か月と少しが経った。
秋も深まり、自然の色が緑から茶色、そしてモノトーンへと変わっていく。六大学野球も漸く終わり、後は幹部交代に向けた催事とその最終練習が残るだけになった。
秋を感じると冬の訪れは早い。練習に忙殺されているうちに、あっという間に日が過ぎて行く。空気が乾燥して、心の潤いも乾き始めた頃、ベーデが再びやって来た。
晩夏の三年半ぶりの再会は、とてもではないが落ちついて話しなど出来る状態ではなく、人も時間も兎に角
* * *
「あ…いや、久し振りだな。」
「そうでもないわ。二か月くらいじゃないの。」
取り立てて皮肉でもなく、彼女としては至極自然という風でさらりと言って除ける。
「そうか、二か月か。」
「なぁに? 柄にもなく緊張しているの?」
相変わらず心の底を見透かされているというか、どう見た目を取り繕ったところで、「私達は一緒」という彼女の前では、僕の心の底の浅さなど多寡が知れている。
「変わらないなぁ。」
「それを言ったら会話が続かないでしょ?」
「じゃあ、どう言えばいいんだよ。」
「…漸く調子が出て来たじゃないの。」
彼女はニヤリと笑ってティーカップを置いた。
「妙齢の彼女が三年半ぶりに眼の前に居るのよ? 少しは褒めたって罰は当たらないわ。」
「なんだ、褒めて欲しいのか。」
「こうして面と向かって居て、それ以外、最初に何を期待するのよ。」
少し首を傾げて、正面から此方を見据えている。
自慢の黒髪、深い翠の瞳、白い肌。硝子卓の上にさりげなくそっと置かれて居る両手は、指の爪先まで一点の隙もなく、まさに最高の具合に磨き上げられている。
「変わらない…なぁ。」
「plus one more phrase, please.」
彼女は昔の様に向こう
「You are just ..wonderfu...」
求められるが儘に、口に出して表現したものの、当の彼女は、少しだけ苦笑いを浮かべてから口を開いた。
「今、ヴンダヴァーって言おうとしたでしょ。」
「否々、違うって…。そう言うなら、最初からSie sind か Du bistって出てるだろ?」
「そうか知ら。形容詞を選んでいる時に、普段使っている単語が出て来そうになったんじゃないの?」
「穿ち過ぎだよ。」
尤もらしい理屈を並べて誤魔化したものの、彼女の指摘は図星だった。
「まあ、良いわ。だからと言って、私もどうこう言える立場でもないし。」
どう返せば良いか判らない表現に、取り戻しかけていた調子がまた少し狂ってしまった。
「今度は、何日くらい居るんだい。」
「一週間くらい。」
「じゃあ、まだもう少し居るのか。」
「いいえ、もう明日には発つわ。」
「あらら、俺は最後の最後まで後回しか。」
「『最後のお楽しみ』よ。」
またもや、どう返せば良いのか判らない表現に戸惑ってしまう。
高校生くらいまでなら、こういう事を言われても深読みなんてことをする頭がなかったからどうということもなかったのだが、少し男女の間に智慧が付いて了った分、何を言われても思考回路が躓いてしまう。まさに、蛇に唆されて禁断の実を囓ってしまったアダムの状態だ。
「次はいつ帰ってくるんだい。」
「帰って来て欲しいの?」
「…。」
「あはは。まだまだ打たれ弱いわね。この三年半の間に、それなりに武者修行も積んだのかと思っていたら、なぁに? 少し智慧が付いただけ?」
何処まで行っても彼女の眼力からは抜け出せない状態のようだ。
「どう言って欲しい?」
「どうとも。私は貴男の希望には左右されないもの。」
「じゃあ、言っても意味がないじゃないか。」
「馬鹿ね。意味が無ければ言わなくても良いくらいなら、男なんか止めちゃいなさいよ。」
「…。」
きつく聞こえるようでも彼女の言葉には棘は無かった。相変わらず『育てられている』感を拭えない自分の立場に、少しは成長したかなと思っていた自信も見事に三年半前に引き摺り戻されてしまった。
「年越しの頃には戻るわ。」
「え? そんな直ぐに?」
「嬉しい?」
ここまでくると、彼女の一言一言がドスドスと鳩尾にぶつかってくるようだ。
「まあ、話が出来るのは…さ。」
「お話…ねぇ。」
「なんだい。一度戻ると里心が付くのか?」
「いつ帰省しても私の自由でしょう?」
「まあ、ね。」
「ちゃんと勉強してるの? たがが緩むと直ぐにサボるんだから。」
「たがが無くても大学に合格出来たじゃないか?」
「慶應の彼女が居た御蔭なんじゃないの?」
「…。(其の通りで…)」
「反論出来ないってのが情けないわね…。」
「…。(お説ご
確かに、エリーが帰国し、ベーデが海外に渡ってからの半年は服喪期間のように大人しくしていたものの、夏休み明けから
「まあ、私も私だけれど…。」
成長の兆しもない僕の状況に手加減してくれたのか、語尾をあげて多少の余地は残して呉れるものの、これに甘えると手酷く叱られる。
「…。(本当に)」
「随分、大人しいのね。反省している訳?」
「どうしたもんかな、って。」
「知らないわよ。二十一歳も過ぎた
彼女はそう言うと、呆れたような眼差しで小さな包みを目の前に置いた。
「ん?」
「遅くなったけど…誕生日でしょう?」
「あ、覚えていて呉れたんだ、有り難う。」
「貴男は私のそれを覚えていては呉れなかったみたいだけど?」
「…。(アタァ…)」
「貴男ってつくづくエネルギー保存の法則ね?」
「…よく言われる。」
「
「ん~…。」
「まあ良いわ。…開けてみて?」
「ありがと。」
中身は上品なキー・ケースだった。ベーデが好んで使っている鞄のメーカーのものだ。
「これは良い物だね?」
「あら、こういうものも少しは分かるようになったの?」
「まあ、周りに人も多いし。」
「じゃあ、もう好い加減、監獄の牢屋番みたいに金の輪っかに鍵をぶら下げるの、止めなさいよ?」
「有り難う。これ、大切にするよ。」
「そうして。」
早い夕食を済ませて、軽くアルコールを口にしてから外に出た。
「今日は送らなくて良いわ。」
「なんでまた?」
「時間の無駄よ。貴男も忙しいでしょう?」
「俺は
彼女の足がピタリと止まった。
「鈍感ね! 送り度いなら送り度い、そうでないならさりげなく引く、どちらかにして…。こういう日に
「ごめん。送るよ。」
「…。」
彼女は目の前に立ち、僕の本心を見透かすかのように深い緑の瞳で見つめてきた。最初はやや上目使いに、そして数秒のうちに顎が少し上がって下目使いになると流し目で横を向いて先に歩き始めた。
中学校の卒業式以来、初めて、ベーデから「本気」で呆れられたと感じた。
言葉尻や、会話の流れ、そして個性として呆れられたことは数え切れないほどあった。但し、それらには統べて「仕様がないわね…。」という句が必ず最後に付いていた。けれど、今、彼女から感じたのは、そういった包み込むような感覚のものではなく、本気で「好い加減にしたら」と突き放された感覚だった。
彼女は僕を残した
「…どうやら…私の感情はまだ伝わるみたいね。」
見透かされている彼女の前で、僕は立ち
「今日は、此処でお互い帰りましょ? 私の言い度いことは分かったでしょうから。じゃ。」
彼女は再び歩き始めようとするのを思い止まると、もう一度、其の圧倒的な瞳をもって語りかけてきた
「二十歳を超えて、
「…。」
「前にも言ったでしょう? 貴男がどういう選択をしようと勝手だわ。でも、其の瞳の中に私以外の誰かが少しでも居る限り、貴男には私に指一本触れさせないから、承知しておいて頂戴。」
そうピシャリと言い切って挑戦的な微笑みだけを残すと、僕に背中を向けて足早に去って行った。
* * *
大学というのは非常に閉ざされた空間で、其の中に居る限り、俗世界との縁が絶ち切られているかのような錯覚に陥ることがある。
しかし、実際には社会生活や人間関係というのは続いている訳で、僕はベーデから突きつけられた命題に対して何かを考えなければならない《のだろうなぁ》とは感じて居ながら、いつまでも答を先延ばしにしていた。
それを知ってか知らずか、エリーは、留学前に取得して認定された単位数の御蔭で、日本語や日本文化の講義もじっくりと受けられると、実に楽しそうに振る舞っていた。
「お隣、良いデスカ?」
一緒の講義のときは
「
「後ろだから聴く気になるんだよ。」
「何で?」
「若干聞こえ難いから、集中するだろう?」
「Ah、 それで
「後ろの方にそういう学生が居ると、先生もやる気が出るんだって。」
「アハハ…そうかも知れマセンね。」
僕の持論はあながち嘘ではなくて、応援部の活動で出席出来ない講義は決して少なくなかったのだが、出席している限りは至極真面目に聴講していた。
ノートも真面目にとり、講義の要点をきちんと図式化してまとめていた。綾さんから引き渡された膨大な講義録もあったものの、それはそれとして、自分の目と耳で理解した内容と併せて新しい講義録を作成していった。
そうすることで講義録も理解し易くなり、また自分自身の試験準備も不要になり、一石二鳥だった。
* * *
「Goのノート、
「でしょう?」
「とイウカ、Goのノートを見た記憶がアリマセン…。」
「…。」
確かに僕は
「どの教科でも、此の進化論みたいな絵になってるのが面白いデスね。」
「頭の中で考えた儘を図で表すとこうならない?」
「アア…、成る程。何れにシテモ、Goは自分を崩さない人デスネ。」
「そうかい?」
彼女と学食や喫茶店で話していると、多かれ少なかれ視線を感じていた。大学では留学生というのは、さして珍しいものでもなかった筈なのだけれど、ベラベラと、然も見た目むさ苦しい応援部の人間と親しげに話している女子の留学生というのは、鳥渡見には奇異に、あるいは何かの冗談のように思えたのかも知れない。
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