甥っ子は魔王様!
空野雪乃
まおーさまと初対面
誰かの、ヒーローになることが、僕のあこがれだった。
空想の物語で募った正義感は、理想とは離れた平凡な世界に生きる僕にはいつしか邪魔な存在になっていった。
子供の頃に抱いた理想とは、かけ離れすぎた生活をしている今、そのあこがれはただ重荷でしかなく。
それを理解していても、あこがれを捨てきれないままだった。その重荷はいつしか持ちきれなくなり、耐え切れなくなった僕は……。
いつもなら耐えきれる、些細な悪意にあっさりと心が折れてしまった。
誰にも相談せず、退職届を出し、仕事を辞めた。そのことを家族に報告したのは、すべての手続きを終えてからのことで。
それでも、報告された姉は僕のことを責めたりはしなかった。
僕に家族は姉しかいない。
僕が高校3年の卒業式の前日、両親は事故にあって亡くなった。……即死だった。
看護の大学に通っていた姉が、卒業するためにはお金がかかる。
どちらかといえば浪費家だった両親に残されたのはかろうじて姉の残りの学費くらいだけで。
まだ男尊女卑の残る日本で、高卒で生きていける可能性があるのは男性である、僕のほうだと思った。
別に正義感から、犠牲になったわけじゃない。姉がもし、結婚して夫に先立たれても、僕たちのように未来の可能性を生まれてきた子どもが諦めるようなことはさせたくない。
これは、ただの自己満足。
人は偽善というのかもしれない。
その自己満足のおかげでまさか、姉にもましてや彼女の夫までにも、立ち直れるまで扶養と認められることに繋がるなんて思いもしなかった。
姉に、
「いつも、アキトには助けられてばっかりだったから、次はあたしが助ける番だよ」
僕が助けた覚えがあるのは進学を諦めて、就職したことくらいなんだけど。
不思議に思いつつ、姉から援助を受け、途中から障害年金をもらいながら生活を始めて、4年目。
姉の夫は、若くして精神科医として開業していて、現在の僕の主治医である。
お呼び出しはもっぱら通院しに来るように、との通達なのに、今日はえらくお呼び出しが早かった。
まあ、援助もしてもらっていることだし、お呼び出しされても抵抗するつもりはないのだが。
「姉さん、久しぶりだね」
義兄さんから、子育てがうまくいかず、ピリピリしているから精神的に不安定な今は姉と会わないほうがいいといわれてから、早3年。
姉は何に対して、子育てがうまくいかないと感じているのかと聞いても、黙秘。
義兄さんは「ははっ」と爽やかに笑うばかりで何も教えてくれなかった。
毎回爽やかに笑って話題を流され続けていたが、どうやらようやく教えてくれる気になったらしい。
というか、甥っ子の姿を見ただけで、すべてを察したというか。
……ああ、僕の遺伝を引き継いでしまったんだな、と。
ヒーローにあこがれていた僕とは違って、正義感が強いとかそういう方面ではないけども。
「姉さん、イライラしても仕方ないよ」
「アキトまでそういうの!?」
どうやら、無神経なことをいってしまったみたいだが、かまわず続ける。
「だって、これ、昔の僕みたいだし、中二病は血筋だよ。……懐かしいな、懐かしすぎて共感性羞恥を感じるというか」
「あたしも初めはああ、例のあれねって思ったわ。……教育番組とかニュースとかしか見せてないし、アキトにも会わせていないはずなのに中二病を発症するのはおかしいなとは思ってたの」
姉さん、子供向けアニメすら見せないのは子どもの情緒を育てる面でいかがなものかと思うぞ、と内心つぶやく。
「アキトと同じ方向性なら耐えられたの! でも、この子……」
ああ、なんとなく姉の言いたいことがわかってきたぞ。つまり、だ。
「われはまおーさまだぞ!」
僕が憧れていたのは正義側。
姉は正義を求める中二病には慣れていても、世間一般では悪役で描かれることの多い魔王様を名乗るなど、見た目はギャルではあるけれど、性根は生真面目な姉には耐え切れないだろう。
言葉を喋るようになってから、魔王様から方向転換させようと必死に子育てしていてイライラしていたのか、納得ではある。
その状況をどう説明したらいいのかわからず、義兄さんは爽やかに子育てに関する質問を躱していたわけか。
「姉さん、大丈夫だよ。
この子が言っている魔王様が悪役とは限らないでしょ。なにも聞かずに感性を否定するのは可哀想だと思う。
それに、今は魔法も使えないだろうし、悪いことも出来ないでしょ」
僕の言葉に甥っ子(魔王様)は偉そうにうんうんと頷いている。
……本当に偉そうだな、全く。
僕は、面白く思うからいいけど。
「はは上、そうなのだ。
まおうとは、まぞくの王といういみで、まぞくとはここのせかいでいう、人げん、ねこ、犬みたいなしゅぞくで、けしてわるさはしておらん。
大きなとくちょうは、まほうがとくいなしゅぞく、とでもいえばいいだろうか。
その中の一ばんえらいやつとかんがえてくれればよい。
まおうの名において、わるさをしていないと、はは上にちかおう」
姉さん、母上って呼ばれているの? と聞こうと、姉のほうへ向けば、まおの言葉に安堵したような顔していた。そりゃそうか。
姉さんが読んでいたような本にでてきた魔王様は、悪逆非道なキャラが多かった。
だからだろうね、魔王の印象が悪すぎた。
見た目はギャルだけれど、生真面目な姉のことだから、魔王だからと将来的に非行に走るのではないかと心配していたんだろう。
魔王様……まおでいいかな。
義兄さんってば、名前すら教えてくれなかったんだもの。あだ名で呼ぶしかない
「まお、ごめんな。
ねえさんが好きで読んでいる本に出てくる魔王は、悪い奴らなんだ。その先入観が、魔王を名乗ることに対して抵抗があったみたいなんだよ」
まおって気軽に呼んだら、怒られるかなと思ったけど、思ったよりもこの魔王様は心が広く、細かいところを気にしないらしい。
自分のことをまおと呼ばれて驚いていたが、腕を組んだまま「ふん」と笑うだけで、怒っている様子はない。
「まおとはわれのことか?
ふむ、なるほど……。ま王のまお、か。……まあ、よいだろう。
われは名のよばれ方にはこだわっておらん、すきによぶといい」
設定的に、魔族の王様なだけなんだな。しかも、随分と寛大だ。
姉さんが大げさに騒いでいただけなんだろう。偉そうだが、素直な子みたいで微笑ましい。
「うすうす気づいておったが、このせかいでもだれかをあく役にし、そやつをたおせばみんなでしあわせ、というはなしが多すぎる。
その役わりが、ま王だったということか」
3歳とは思えないスピードで、状況を把握していく。……これは本当に、魂が魔王様なのかもしれないと思うくらいには賢い。
「今でも変身するあのあにめ? とかはは上も、われがあくだとかんちがいしてもいたしかたない。
たおされたわれからすれば、ただただ平おんにくらしていただけなんだがな、ゆうしゃにとうばつされてしまってな……。
あの土地をまぞくではないものが、りょう地とできるわけがない。
今ごろ、あのせかいはとんでもないことになっているだろうな。
人げんとはよくぶかい生きものよ」
ああ、情緒教育をしようとして、幼児アニメを見させたところ、くだらん、のひとことで一蹴されてしまい、あのラインラップだったのか、と苦笑いする。
まあ、ニュースばかりや見たところ大人ばかりに囲まれていて大人びているわけでもないのだろう。それにしては、自我がはっきりしすぎているし、言葉を知りすぎている。
世の中には幼いころに、前世の記憶を話す子もいると聞くし、別世界のことを語る子どももいてもいいだろう。
まおのいう魔王様は、魔族の王様という意味だったのだから、悪役にあこがれて魔王様を名乗っているわけではないとわかって姉も安心できて、win‐winだ。
「あのアニメはまだ情緒が育っていない子どもにむけて、小さいうちから悪いことをしたらそれ相当のバツが与えられるよ、ということを教えるものだから情緒がわかるまおには物足りないだろうな」
「ふむ。楽しいとかんじさせるものでも、人としてたりないぶぶんをみにつけさせるいみがあったのか。
……なるほど、べんきょうになった。ちゃくもく点がかわった今、ふたたび、われはあのアニメとやらをもう一度見てくる。
自分でじじつをかくにんするのは王としてのせきむだからな。
きゃく人を相手にできず、もうしわけないな。われのことはきにせず、ゆっくりとするとよい」
赤い上着をなびかせながら、颯爽とテレビの前へと移動した。てきぱきとテレビ画面をいじり、例のアニメを見始める。
……ずいぶんと日本になじんでいるんだな、うちの魔王様は。
「あの子が幼児向けアニメを見てる!!」
涙ぐむほど、子育てバトルをしてきたのだろうな、と姉の苦労に思わず苦笑いをする。
あのまおの口ぶりでは、理性的に話し合いをすることが苦手な姉さんでは、負けてしまうだろうからね。
「それで? 僕はなんでよばれたの?」
診察室ではなく、わざわざ姉の家に呼ばれた理由がわからない。
「ああ! 忘れていたわ! あたしもそろそろ現場に戻りたくて、保育園に入れようかと見学しにいったのだけど……、あの子が「なぜ? なにゆえ? このようなことをしなければならんのだ?」って先生にやっちゃってね。
で、この口調でしょう? ……追いつめて、泣かせちゃったの」
「子どもにも、なんで? て聞く時期があるけど、レベルが違いそうだもんね」
僕の言葉に、「そうなのよ」と頷いた。
「ああ、この子には同年代の教育の場でのコミュニケーションはまだ早いなって感じて入園は諦めたし、仕事復帰もなかったことに……しようと思ったのだけど、本人はね、あたしは仕事復帰したほうがいいっていうのよね」
「世のなかには、大ぜいがめんどくさいというしごとでも、それが生がいとなってはっさんさせているやつもいる。
……はは上はそういうタイプだとみうけられたから、すいしょうしている」
アニメに集中しているのかと思っていたけど、器用な子だ。わざわざ、声を張り上げて理由を主張していた。
「いわれてみて、たしかにそうだなって思って。でも、3歳児を一人にしておくわけにもいかないじゃない?
あの子は義両親のことを苦手に感じているし、そこで白羽の矢が立ったのがアキトってわけ!」
確かに暇しているし、扶養してもらっている以上、してあげたいとは思うけどね……。
ちらりと義兄さんのほうを見ると、爽やかににこりと笑われるのみだった。
そんなに爽やかに笑ってますけど、いいの? 姉と関わりが多くなってしまうけど……? と戸惑いが勝つ。
姉と関わることにためらっているのは、周りが危機感を覚えるくらいの重度のブラコンだからだ。
学生の頃に、彼氏ができても僕のことを優先するから歴代の彼氏から嫉妬されるレベルだった。だから、おのずと姉とは距離をおいていた。
今回の提案は、姉との接点が多くなるわけで。
歴代の彼氏なら、間違えなく姉のそばに僕がいるのを嫌がっていた、と義兄さんの方を見る。
すると、義兄さんは爽やかに笑っているだけで、今までにない反応にどうしたらいいのかわからない。
しかも、義兄さんと結婚した決め手は、僕と顔が似ているから、ときた。気まずいことこの上ない。
そのことを直接義兄さんに会ったときには内心、自分の姉ながら、ねじが吹き飛んでるんじゃないかと思う。
普通人間は自分と遺伝子が近い異性に嫌悪感を抱くようにできている、と聞いたことあるし。
それに、僕は姉に似た人に恋愛感情を抱くことはないといいきれる。
それなのに、弟に似た男性を夫に選んだことになんか寒気がしてきたし、自分が原因で離婚されるのも後味が悪いのでなるべく姉とは接触しないようにしてきた。
どんなときでも、爽やかに笑っている義兄さんの思うところはわからないところもまた恐ろしく、養って貰っている以上、姉に関して疑わしい行動をしないように細心の注意を払ってきたのに、だ!
「今までも、これからも医者一筋なあの人たちにこの子は任せられないし、そもそも生涯現役だからそんな暇もないしね。アキトくんが負担にならない程度に、お願いしたいと思って」
義兄さんがそう言うなら、頑張って通いますけど‥‥、本当にいいんですか? と思わず怪訝そうな顔をしてしまう。
「あ、でも。今のアパートからここに通うのは負担になるからだめだよ。
出勤を連想させるから、今のアキトくんにはさせられない。かと言って、アキトくんの部屋に響さんがいくのもだめ。アキトくんが危ないから」
毎回、義兄さんはそう誤魔化すんだよね。
姉さんは何をしたのだろうか? 首を傾げるが、心を読んだかのように爽やかに笑って、誤魔化されてしまう。
まあ、知らないほうが幸せなんだろうなと思うことにしている。
「そこで! うちの隣、空き家でしょう?
もともと、3年前まで喫茶店だったんだよ。喫茶店を経営する人も少なくなってきたし、綺麗な家のわりに安く買い取れたから引っ越しておいでよ。
もう家具も揃えたし、着の身着のままでいいよ。‥‥あ、響さんはアキトくんの家に行くのは禁止ね?」
これで、響さんとの距離感に関する悩みはなくなるでしょ? と爽やかに、ウインクした。
良かった、姉さんがこの人と結婚してくれて良かったと心の底から思った。
「なんでよ! 唯一の身内の家になんでいっちゃいけないのよ!」
「君には前科があるからだよ」
「‥‥くっ!」
ん? 前科? 前科といわせるまでのことをしたの‥‥? 姉さん。
「姉として見ていたいなら、知らない方が幸せだよ」
また、爽やかな笑顔ではぐらかされてしまった。
「われはアキトくんと日中すごしていればよいのだな。われはそれでかまわん。
早よ、出かせぎにいくとよい。
われとだけいると、いつかほうにふれることをしそうでこわくてたまらん。ぞんぶんに、ストレスはっさんしてくるとよいぞ」
いつのまにか隣にはまおがいたし、なんなら手を繋げられていた。
‥‥偉そうだし、手を繋がれているのはなんかかわいいから良いけどさ。
とりあえず、少しでも偉そうさを消すために、一人称の変更を求めるか。
「姉さんも一応心配しているしさ、口調はいいから、われだけは直そうか。
まおは~とかにすれば、大人びた子どもくらいにはなるんじゃない? まおも、先生を泣かせたことは気にしているでしょ?」
「あのわこうどか。
あれはもうしわけないことをした。なかせるつもりはなかったのだ。
あのアニメがじょうちょのきょういくをいみしていると知った今、あれもじょうちょをそだてるいみがあったのだろう」
この魔王様は、優しい子だ。
泣かせたことを気にしていたし、得た知識を吸収しようとしている。
どうして、姉が深刻に考えていたのかわからないと考えているうちにどうするか結論が出たらしい。
まおはこう続けた。
「‥‥ふむ。むかしは見た目がなめられるようしをしていたから、われといっていたが、今はいちしょみんの子ども。
子どもは子どもらしくするのが一ばんだ。いちりある。
たしかに一にんしょうをまおにすることで、ま王であることをしゅちょうできる。へんこうしよう」
この魔王様、素直なんだよなぁ。
撫でづらいけど、手を繋いでない方の手で思わず撫でる。
「まおは素直でいいこだね」
「よくはは上からはあたまがかたいといわれるが、すなおとほめられたのははじめてだな。‥‥このせかいでは」
まおのこの様子に、いつもなら頭を撫でるんじゃない! って、怒るじゃない! と姉さんが騒いでいる。
およ、撫でられるのが嫌いだったのかと頭から離すと、
「なでられるのがいやなのではない。
はは上はなでるのがざつなのだ。
なでられたあとに、あたまが鳥のすみたいになるのがいやでな」
人差し指をぎゅっとして、ひきとめられた。‥‥んー、姉さんはこの子のどこに対していらついてたのだろうか、と不思議になるくらいに素直でかわいい。
「姉さん。まお、かわいいじゃん!」
「なんで、なんで! アキトの前だとこんなにも素直なのよー!」
荒ぶる姉を、義兄さんが爽やかな笑顔のまま抑えていた。‥‥義兄さん、お疲れ様です。
「じゃあ、この子の面倒を見てくれるんだね。めんどくさいことは全部すませておくから、必要なものだけ持ってきて。いらないものは僕が処分しとくから」
その宣言通り、車を出してくれて、必要なものだけまとめて新居に移動することになった。
義兄さんの車が大きいのもあるし、僕が素でミニマリストなので、ものが少なかったからか、一回で運び終える。
「行きと帰り、僕が迎えに来るから間違っても響さんを家にいれたらだめだからね。明日からさっそくよろしくね、‥‥あの子に関して必要なものがあったらお金持たせとくからそこから払って」
明日からなんかーい!
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