二正面艦隊決戦
第15話 第二段作戦
歴史的とも言える大勝利で終わったこともあり、マーシャル沖海戦の捷報は、それこそあっという間に日本の隅々にまで伝播していた。
マーシャルに来寇した太平洋艦隊に対し、これを迎え撃った第一艦隊と第一航空艦隊それに第二航空艦隊はその術力を遺憾なく発揮。
八隻の戦艦と三隻の空母、それに二三隻にも及ぶ駆逐艦を撃沈し、太平洋艦隊に壊滅的ダメージを与えこれを撃退したのだ。
(思わぬところで海軍甲事件が役に立ったな)
誰も居ない日吉の連合艦隊司令長官室。
その部屋の主である山本大将が壁に貼られた編成表に目をやりつつ、胸中でほくそ笑む。
海軍甲事件とは米国駐在武官からもたらされた誤情報が、その後の帝国海軍の戦備に甚大な影響を与えた事件のことだ。
「軍縮条約明け後に米国が六〇〇〇〇トン級戦艦を建造する」
当時の米国駐在武官からの情報を真に受けた海軍上層部は、マル三計画において六四〇〇〇トンで建造するはずだった「大和」の設計を大幅に改めることを決意した。
そして、新たに七八〇〇〇トンの巨大戦艦として同艦の建造に踏み切ったのだ。
だがしかし、六〇〇〇〇トン級戦艦というのは完全なデマであることが後に判明する。
(誤謬は恥ずべきことだが、しかし海軍甲事件のおかげでマル三計画では三隻の『翔鶴』型空母を建造することがかなった。この措置のおかげでマーシャル沖海戦における洋上航空戦は我が方の圧勝に終わった。もし、海軍甲事件が無ければ『翔鶴』型空母は二隻だったはずだ。もし、そうであれば戦果は小さく逆に被害はさらに大きなものとなっていただろう。そして、海軍甲事件の影響はそれだけにとどまらない)
海軍甲事件が帝国海軍の戦備に多大な影響を与えたが、それが顕著に表れたのがマル三計画とそれに続くマル四計画だ。
当初の予定では、マル三計画において二隻の戦艦と同じく二隻の空母が、マル四計画では二隻の戦艦と一隻の装甲空母が整備されることになっていた。
しかし、造修施設の制約からマル三計画では戦艦一隻と空母三隻、マル四計画では戦艦三隻を建造することとされた。
そして、マル四計画で整備されるはずだった三隻の戦艦は、しかしそのすべてが建造中止となっている。
これら三隻は、どんなに建造を急がせたとしても、その戦力化は昭和二〇年以降になってしまうからだ。
これでは、とても戦争には間に合わない。
(海軍甲事件の恩恵は軍艦の建造にとどまらない。情報重視に転換した帝国海軍は、当然のこととしてファクトやエビデンスもまたこれを重視するようになった。だから、マレー沖海戦やマーシャル沖海戦で戦艦が航空機に抗し得ないことを悟った時点で従来からの大艦巨砲主義を脱却、航空主兵へと移行した)
マーシャル沖海戦が終わってすぐのこと。
可及的速やかに洋上航空戦力を充実すべしという声が、組織内の至るところで上がりはじめた。
その結果、「千歳」と「千代田」それに「瑞穂」と「日進」の合わせて四隻の水上機母艦が空母へと改造されることが決まった。
山本長官にとって意外だったのは、これら四隻の水上機母艦に加えて同じく四隻の「金剛」型戦艦もまた空母への改造が認められたことだった。
「金剛」型戦艦は明治時代に設計、建造が開始された時代遅れの老朽艦だ。
攻撃力は低く、そのうえ元々が巡洋戦艦だから防御力も薄弱だ。
米国のどの戦艦と撃ち合っても、まず勝利は覚束ない。
しかし、一方で三〇ノットに達する韋駄天と一〇〇〇〇浬に及ぶ長大な航続力は空母のベースとするには格好のそれであるとも言えた。
(四隻の水上機母艦は昭和一七年末、「金剛」型戦艦のほうは昭和一八年半ば以降に改造が完成する見込みだという。あるいは、これらが戦力化される昭和一八年後半こそが、米国に対して最終決戦を仕掛けるタイミングということになるのかもしれん)
米国との戦争について、山本長官としては短期決戦早期和平以外に手は無いと考えている。
息もつかせぬ猛攻によって、遅くとも昭和一七年末までに決着をつける腹積もりだ。
しかし、だからと言ってプランBを用意しないわけにもいかない。
短期戦を見据えつつ、一方で長期戦への備えをしておくことは軍人としての責務だ。
(次に仕掛けるとすれば、南方作戦が一段落する四月あたりか)
現在、帝国海軍は南方資源地帯の攻略に精力的に取り組む一方で、マーシャル沖海戦で受けた傷の回復にも努めている。
同海戦における空母同士の戦いで「翔鶴」が五〇番クラスと思しき大型爆弾を三発被弾した。
同艦は飛行甲板を盛大に破壊されたことで、修理については三カ月が必要と見込まれている。
また、米戦艦との砲撃戦によって四〇センチ砲弾を被弾した「大和」と、それに三六センチ砲弾を浴びた「長門」と「陸奥」もまた、同じく修理には三カ月程度かかると見積もられていた。
さらに、米駆逐艦と撃ち合いを演じた第七戦隊のうち、「最上」は四番砲塔と五番砲塔に損害を被った。
その「最上」は損傷した二基の砲塔を撤去して航空機繋止甲板を拡張、最大で一一機の水上機を運用できる航空巡洋艦へと改装される予定だった。
また、同海戦における洋上航空戦において母艦航空隊が受けた傷も決して浅くはなく、再編成とそれに伴う錬成も必要とされている。
(いずれにせよ、第二段作戦の概要について、早急にこれを詰めねばならん)
残念なことに、第二段作戦における帝国海軍の方針は一本化されていない。
軍令部は連合国軍航空戦力による南からの突き上げを恐れ、米豪遮断を第一と考えている。
一方、山本長官としては先述の通り短期決戦早期和平を望んでおり、そのためであればたとえハワイであったとしても打って出るつもりだった。
また、従来からの漸減邀撃作戦に固執し、日本近海での迎撃戦を希求している者も少なくない。
(本来であれば、このようなことは戦争前か、あるいは開戦を決意した時点で決めておくべきものなのだがな)
戦略無き海軍に盛大に嘆息しつつ、しかし山本長官は現実に意識を戻す。
マーシャル沖海戦に大勝したとは言え、山本長官には成すべきことが山積していた。
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