三つ巴の恐怖症
森本 晃次
第1話 保養地の街
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年7月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。軍部などの過去のセリフをいかにも聞いていたかのように書いていますが、あくまでも、聴いていたわけではないので、想像であるが内容に変わりはないということをご理解いただきますよう。お願いいたします。
最近はあまりない田舎街であるが、そこは以前から、近くには工場もない。そして、自然に囲まれた街であった。
近くに海はあるが、その背後には山があって、風光明媚という意味では、実に恵まれた場所だった。
このあたりは、昭和の時代から、よくある話として、
「街の発展のために」
ということで、工場誘致などという話もたくさんあり、もちろん、街人の中には、
「この自然を守っていく」
という考えの人もたくさんいて、この街では、一大騒動となっていた。
これは、この街に限ってのことではないだろう。昭和の時代であれば、ゼネコンなどというものとの確執であったり。
「利権による、贈収賄」
などというものが、蔓延っていた時代だった。
その副産物というべきか、その時代の内容を、よくミステリー小説などに書かれていて、
「社会派ミステリー」
などというものも結構あったりした。
そんな中に、詐欺師に関わる小説があったのが、印象的だった。
その話は、戦後のどさくさで、天災たちが集まって、商事会社を興したのだが、その会社を大きくするのに、幽霊会社を設立したりすての、詐欺行為によって会社がどんどんでかくなっていく。
そんな時、その被害に遭って、自殺した娘が、何も知らず、この会社の面接に来て、主人公と恋愛を重ね、結婚するというのだが、もちろん男は、そんなことも分かっていて、それでも、
「恋愛感情に勝てなかったのか」
それとも、
「自分たちのやっていることが、彼女にバレることはない」
という絶対の自信を持っていたのか。
とにかく、二人の恋愛は順調に続き、結婚することになった。
ただ、これが、最大の誤算となり、次第に、人間の感情を持ってくることで、主人公の計画は瓦解していくのである。
「こういう組織は、どこまで非情になれるか?」
ということが、成功の秘訣ではないだろうか?
それを思うと、
「世の中というもの、どれほどのことが問題になるか?」
ということであるが、なかなかうまくいかないということもあるだろう。
そんな社会派小説が映画にもなって、それが印象的だった。
社会派ミステリーというよりも、トリックや謎解きを中心に、探偵が活躍するという、いわゆる、
「本格探偵小説」
と呼ばれるものの方が、時代の流れに惑わされずに、幅広く読まれたのかも知れない。
それでも、社会派ミステリーというのは、昭和の、
「高度成長時代」
と呼ばれる時代において、表では、
「経済成長」
「好景気」
ということで、新しいものができてきたり、インフラの充実などえ、世の中が全体としては、潤った時代でもあった。
しかし、その裏に回ると、いろいろな社会問題があった。
利権に絡む、
「贈収賄事件」
さらには、ダム建設などによる、
「立ち退き問題」
今の時代まで、禍根を残している、
「公害問題」
などが大きいだろう。
今の時代は、日本で起こしたわけではない公害問題が、風に乗ってやってくる時代であったり、
「世界的なパンデミック」
として、伝染病問題が起こる時代でもあった。
それを思うと、
「結局、時代は繰り返すというが、どこまで行っても、これらの問題が、完全に解消されるということはない」
ということだ。
それだけ、人間は、
「反省をすることをしない種族だ」
ということだ。
頭がいいのだから、分かっているはずなのに、
「目の前の利益に眼がくらんでしまう」
という、浅はかな考えがあるということになるのだろう。
そんな時代において、特に、
「公害問題」
などは今でも遺恨となっているが、
「立ち退き問題」
はそれほど、今ではそんなには言われないが、ないわけではない。
ということは、それだけ、
「忘れ去ってはいけない」
ということを、
「忘れ去る」
という、
「悲しい人間の性」
ということなのではないだろうか?
松橋いちかという女性がいるが、彼女は、子供の頃から身体が弱く、喘息を筆頭に、小児関係の病気をいくつか持っていた。
それで、学校にも満足にいけなくなり、出席日数の問題から、学校側と医者との間で、話し合いがもたれ、
「どこか、静かな環境で静養されるのが一番ではないでしょうか?」
と言われ、少し考えたが、
「子供の育成には代えられない」
ということで、
「仕事を辞めるわけにはいかない」
という旦那を残して、母親と、いちかは、医者が薦めてくれた、
「保養地」
に移住することになった。
それは、前述の街だったのだが、この街では、前述の大騒動になった後、
「住民投票」
が行われ、
「この土地には、他からの誘致は行わない」
ということになったのだ。
だから、工場はおろか、リゾートホテルなども誘致はしない。ただし、病院だけは別で、しかも、
「保養のため」
ということであれば、
「喜んで誘致をする」
ということだったのだ。
実際に、田舎街なので、土地は余っていた。
街の人は、そこを、農地にしたりして、
「自給自足ができる」
というくらいに考えていた。
だから、ここに誘致した病院も、
「患者のため」
ということで、
「農場」
というものを、自分たちの力で開墾しているようだった。
患者の中には、身体以外の、例えば精神疾患などで入院している人は体力が有り余っているということで、進んで、農地開拓に勤しんでくれているということだった。
もちろん、だからといって、病院側は強制などしたりはしなかった。立候補制というよりも、
「その時できる人」
ということで、募集して、集まってきた人たち居でやるだけだった。
そうなると、結局、集まってくる人は、最初は結構いたが、次第に減っていく。
それも分かり切っていることだったので、そんなに問題とはしないが、それでも、集まってくれる人をありがたく思い、病院側も、
「秩序」
という意味でも、
「精神的に皆が落ち着いているのだろう」
と思い、安心していた。
実は、この病院が最初にできた時は、精神疾患のある人間の扱いについて、議論が巻き起こった。
「身体の病気で重たい病に罹っている人がいて、その人と、精神疾患のある人とが一緒になった時、精神疾患のせいで、その気はなくとも、相手を傷つけたり、病気に立ち向かおうという強い意志を持っていなければいけない人だっているだろうから、その人たちを一緒にしてしまって、心にもないことを口走ったことで、取り返しのつかないことになったら、どうするんだ?」
という意見があった。
まさにその通りで、この意見は、誰が考えても、
「もっとも」
な意見であった。
それを聞いた院長が、
「この病院には、ホスピスとしての機能はないので、そのような、末期であったり、不治の病のような人が入る病院ではないんだ。今のような懸念はないと思うが」
というと、
「なるほど、そうでないと、我々も、安心して患者と向き合うことはできませんからね」
ということであった。
ちなみに、ホスピスというのは、
「末期がん」
であったり、医者から、
「余命宣告」
というものを宣告された人が、
「残された命を、いかに幸せに生きることができるか?」
ということを実践する施設である。
だから、当然、他の患者とは一線を画していて、
「外部の雑音を一切遮断する」
ということに、一番気を遣うところだったのだ。
だから、余計に、
「精神疾患のある患者とは、犬猿の仲」
とでもいうべき間柄であり、
「一緒にしてはいけない場所だ」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「この街の環境が、ホスピスにいいのか? あるいは、精神疾患関係の人を含む、静養地の様相を呈した病院としての確立がいいのか、大いに議論の的になる」
というところであった。
「この街は確かに、環境というところではいいところだが、街に土着している人も結構いることから、ホスピスという形は難しいのではないか?」
ということになった。
「ホスピスというのは、もっと、どこかの離島のような、世間からある程度完全に隔絶された場所でないといけないのではないか?」
ということになり、沖縄だったり、鹿児島などの離島に作られるようになったのだ。
ただ、それも、観光地というわけにはいかず、どこがいいのかというのも、結構問題となるのだった。
この街は、
「街としては、他のところとは隔絶はされているが、陸続きなので、どうしても、地域住民の影響はうける」
ということであった。
その影響というものがどういうものであるかということであるが、
「街におけるやり方は、少し古臭いところがある」
というのだ。
隣組というような、まるで戦前から戦時中のような組織であり、
「マンションにずっと住んでいて、隣がどんな人か知らない。あるいは、住んでいるかとうかも知らない」
というほどの、世間とは明らかに違っている。
特に、都会などでは、
「昔からの区や組というやり方をしているから、若いもんがついては来ないんだ」
と言われているが、まさにその通りだった。
例えば、年に2回しかない、
「街内の清掃デー」
というものに、マンションに、50世帯くらい住んでいたとして、出てくるのは、5組もいればいいだろう。
それも、
「子供会の付き合い」
であったり、
「主婦同士のつながり」
というものであったりと、あくまでも、
「それぞれの都合」
ということでしかなく、結局、
「自分から進んで」
という人は、皆無に近いといってもいいだろう。
そもそも、
「そんな日があったなんて知らなかった」
ということだろう。
しかし、
「回覧板で回していましたけど?」
と、その時、組長となった人はいうが、相手はそれを聞き流す形で、
「あなただって組長だから出ているだけで、自分が違えば、まず出ないでしょう?」
と言われて、
「もっともだ」
と思ってはみても、とりあえず、
「そ、そんなことはない」
といって逆らってはみるが、相手に、通用するわけはなく、涼しい顔で、こちらを見下すように、
「それ見たことか」
といって笑っているだけだった。
そんな状態を見ていると、昔から、街に住んでいる人たちは、そんな二人を、
「どっちもどっち」
として見ているに違いない。
そう、
「組長といっても、その年だけのこと」
ということで、その年だけ、
「押し付けられた」
と考えるか、あるいは、
「貧乏くじを引いた」
と考えるかであるが、結局、そこにいる限りは、いつかは回ってくるというものだ。
もし、これが新築のマンションであれば、考え方は二つで、
「どうせやらなければいけないのであれば、嫌なことは先に済ませておく」
ということを考えるか、あるいは、転勤族であれば、
「数年すれば、他の土地にいくのだから、どうせなら、なかなか回ってこない方になればいい」
と考えるかである。
しかし、後者は、自分だけで決められることでないので、実践的ではない。それを思うと、
「一番にやってしまう方がいいか?」
ということになるだろう。
それには利点もある。
昔からこの土地にいる人に対し、
「この人たちはやる気がある」
ということを感じさせて、
「贔屓目で見てもらえる」
ということであった。
「少しあざとい」
ともいえるだろうが、協力的であることは間違いない。
というよりも、
「ご近所様として認めてほしい」
という気持ちがあるからだ。
それだけ、最初はまだまだ新鮮な気持ちをもっていたということだろう。
しかし、これが実際に活動を始めると、前述の、
「クリーンデー」
の時などに出てこなかったり、それどころか、皆が掃除をしているのを横目に、玄関から出てきて、
「遅れてすみません」
とでもいうのかと思えば、何と、そのまま車に乗って、どこかにいってしまったのだ。
家族連れで、少々大きめのカバンを持っていたことだから、どこかの行楽地にでも行くのだろう。
子供が楽しそうにしているのを見ると、実にイライラしてくるというものだ。
それを見た時、
「近所づきあいなどというのは、もう、今の時代では、あり得ないことなんだろうな」
ということを思い知らされたのだった。
これが、今の時代のことであり、誰もが認識している、
「近所づきあい」
というものである。
「今の時代に、学校で習うような、道徳やモラルなどというのは、それこそ、絵に描いた餅だといってもいいだろう」
ということなのであった。
「今の世の中、そんな時代だ」
ということを、この家族も十分に分かっていた。
だから、娘の身体が弱いということで、学校側も、最初は一応という形で、
「心配しているふり」
をしていたが、まさにそれが、
「ふりでしかない」
ということを、次第に思い知られる。
学校側からは、言ってくることといえば、
「このままであれば、出席日数が足りない」
という警告めいたことばかりであった。
そのうちに、
「どこか、保養できるところに移られてはどうですか?」
と、途中しばらく音沙汰がなかった学校から、いきなり、最後通牒のようなものを言い渡されたのだ。
「そんなことはこっちだって最初から分かっていて、何とか手を打とうとしていますよ」
と言いたかった。
本当は学校側がもっと早く、その話を持ち出してきて、一緒に考えるくらいのことがあってしかるべきなんだろう。
しかし、しょせんは、
「学校側は動きたくない」
ということなのだ。
だから、わざと時間をあけて、いきなりの最後通牒だったというわけだろう。
つまり、
「自主退学をしろ」
というわけだ。
「もし、しなければ、強制退学ということになるが、それでは立場がないだろうから、こっちから、歩み寄っている」
とでもいいたいのだろう。
そんなバカげたことを言われると、確かに、こっちは、学校の言いなりになるしかない。
それは、
「何も考えていなかったこっちが悪い」
ということになるだろうからである。
しかし、実際に渦中にいる人間が何も考えないなどありえない。そんな当たり前のことまで気づかないというのは、それだけ、学校というところが、
「公務員の塊だ」
ということで、
「決まったことを決まったようにしかできない」
という、
「まったく融通の利かない、いわゆる、一番嫌われるタイプの人間たちではないか」
ということになるのである。
そんな状態において、家族の方は、すでに、学校に対して、愛想が尽きていて、
「医者であったり、カウンセラーに最初から相談をしているので、できることはすべてやっている」
といっても過言ではないだろう。
それを思うと、
「何をいまさら学校は、トンチンカンなことを言っているのだ?」
と、
呆れてモノも言えない」
というくらいに思っていた。
すでに、学校側と保護者側とでは、
「結界ともいえる線ができていて学校というところに誰も立ち入ることができない」
ということに、この家族は熟知をしていることになるのだった。
「本当に、公務員というのは、言われたことしかできないんだな」
ということが身に染みたのか、そういえば、カウンセラーからも、最初に同じような言葉を言われたということを思い出していた。
病院とは別に、保養地として整備されたところに、入ってくる人もいた。それは、いちかの家族のように、
「学校にもいけないほどの状態になり、病院からも、どこかで静養を」
ということで、その医者からの推薦で来た人が中心に、保養地に入るのだった。
ここに入るためには、
「医者の推薦状」
というものが必要で、その医者というのは、
「指定された医者」
でなければいけなかったのだ。
この街は、土地が余っているとはいえ、それでも収容には限界がある、それぞれのプライバシーもあるので、保養施設がそんなに近くであるわけにもいかないのだ。
その施設というのは、基本、平屋建ての個人宅で、それこそ、軽井沢などにある、
「別荘」
と呼ばれるものの、簡素化したところであった。
それでも、マンションであったり、施設のような、部屋だけが別で、共用部分は一緒というわけではないので、安心はできるのだ。
このあたりの土地が安いということもあるが、都会では信じられないような費用で、保養できるという。それだけに、募集をフリーにしてしまうと、一瞬で埋まってしまうことになるだろう。
だから、
「入居者に制限を設ける」
というのは当たり前のことであり、それが、この街での、
「誘致に対するルール」
ということであった。
実際に、入居が始まってしまうと、いきなり半分は埋まってしまった。
予約のような感じになっていて、
「半年後に運用が開始されるので、それまでお待ちください」
と言われていたのだ。
それは、松橋家でも同じことで、家族全員が、待ち望んでいたことであった。
母親は、それでも、父親に対して、
「後ろめたい気持ちになっていた」
なんといっても、いくら子供のためとはいえ、まるで、
「逆単身赴任」
というような形になるのだから、それは仕方のないことであろう。
松橋家は、比較的裕福であったので、
「二重生活」
ということに対しての、問題はなかった。
むしろ、
「それで、娘が少しでもよくなってくれれば、ありがたい」
ということである。
めったやたらに高い薬であったり、かなりの金がかかる手術を繰り返したりするよりもマシだという考えであろう。
この家族は、
「娘がリアルに苦しんでいる」
ということもあって、まわりを見る目はかなりシビアであった。
損得勘定に関しては、かなりの頭が回る方なので、それ以上に、まわりに対して気を遣うことも忘れていなかった。
それだけに、
「街のルールを守らない」
というひどい連中のことを考えると、
「他の人以上に、イライラしてくるのだ」
といってもいいだろう。
特に、奥さんは神経質だったので、
「娘と一緒に、妻も、命の洗濯ができるというのは、いいことではないだろうか?」
と考えていたのだった。
それを思うと、
「この街で保養ができるというのは有難い」
と、家族全員が考えているとしても、それは当然のことだったに違いない。
ただ、
「一番は娘のこと」
というのは、当たり前のことであった。
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