キラーワード

澄瀬 凛

キラーワード

 切羽詰まった口調で名を呼び、一枚の紙から顔を上げたあきらの表情は、ひどく緊迫した様子でこちらを見ていた。そして紙を持っていないもう一方の手で氷柱つららの腕を強く掴み、一言、行くぞ、と低くつぶやく。


「あと十分……」

 そんな言葉も、合わせて聞こえてくる。


 その後は、ただ力任せにぐいぐいとこちらを引っ張りながらアパートを出た。駆け足で。氷柱の方を一度も見ることなく。ひたすら前へ前へと進んでいく。そんな父親の様子に、氷柱はただ黙って、息を呑み下しつつ従うしかなかった。

 夜逃げ、ならぬ夕方逃げ、で、ついにあのアパートも、離れる時が来てしまったのか。輝のの都合で。


 輝が今も強く握りしめている用紙。

 脅迫状か、もしくは殺害予告か。なんにしても、只事ではない。

 やがてたどり着いたのは、双方がよく利用している近所のスーパーだった。こんな時にこんなところに、一体なんの用があるのだろうか。


 まさか、武器の調達か?

 スーパーであれば、さすがに拳銃はなくとも、包丁くらいは売っているだろう。傘とかだって、いざという時には、輝の手にかかれば、いくらでも敵を応戦する武器になる。加えて薬屋も併設されているから、敵の反撃で負傷した時に使う怪我の応急処置のための包帯などの準備も可能だ。それともへの緊急の連絡でもするつもりだろうか。携帯は輝が一応持ってはいるが、敵の盗聴を常に恐れているから、きっと公衆電話を利用するに違いない。このスーパーには、確か公衆電話が設置されていたはずだ。


 スーパーの自動ドアをくぐり、輝が素早い動きでカートを引っ張り出し、そこへカゴをふたつセット。そのまま足早に店内奥へ奥へと進んでいく。夕方ということもあり、店内は仕事帰りの男女や夕飯の買い物をしにやってきた家族連れで賑わっている。

 だが不意に疑問に思った。

 カート? カゴがふたつ? これから敵から逃げる時だというのに、たかが武器やらの購入のためだけに来たスーパーで、カートもカゴも、必要あるだろうか。 


 もしや敵が、スーパー店内に、既に潜伏している?

 そうであれば、カートだってカゴだって、敵の攻撃を防ぐ盾くらいにはなる。


 輝がそこで不意に立ち止まり、腕時計を確認。途端一言、間に合ったぁ、と安堵のため息。先ほどまでの緊迫した表情はどこへやら、そこからはすっかりいつもののんびりとした様子へと戻り、優雅とも思える落ち着いた動作でカートを押しつつ、店内奥へと前進し始めた。

 敵に襲撃されるかもしれないというのにあまりにも気の抜けている様子の輝の腕を、氷柱は慌てて掴んだ。


「ちょっと待てよ、今から逃げんのになんでそんな呑気でいられるわけ?」

 焦る氷柱に対し、輝はきょとんとした様子で、

「逃げるってなんだよ」

「その紙だよ。それになんか、親父を脅迫する文言でも書いてあって、だからその敵から逃げるために、俺の腕掴んで慌ててアパートから出てきたんじゃないのか?」

「なんだよそれ」

 輝は笑いとばしてきた。そしてわけもわからず混乱している氷柱の顔の寸前へと、先ほどまで強く握りしめていた紙を掲げて見せた。


『本日16時からタイムサービス!』

『本日のみ、ポイント10倍!』

 そう書かれていた。

 おもわず二度見してしまう。


「今日タイムサービスがあるのをすっかり忘れててさ。加えて今日はプラスポイント10倍の特典もついた数ヶ月に一度のスペシャルデーなんだよ。これを、見逃すわけにはいかないだろ?」


 おもわず、公衆の面前でおもいきり輝を怒鳴りつけてしまった。氷柱の全力の恫喝にも輝が動揺した様子はなく、ただただ驚いていた。そして苦笑交じりに、

「なに怒ってんだよ。反抗期は帰ってからにしてくれるか」

 ズレた反応の輝に力が一気に抜け、盛大なため息をついた。氷柱の脱力した姿を首を傾げて見つつ、意気揚々とカートを押し、引き続き店内へと進み始めた。

 そんな輝の背中を見つつ、氷柱は心底呆れていた。


「タイムサービスだけなら俺まで一緒に来なくてもよかっただろ」

「だめだよ。卵はお一人様1パックまでなんだから」

 さらに気が抜けた。


 倹約家の殺し屋? いや貧乏性か?

 そんな不釣り合いなワードを脳内に思い浮かべつつ、輝の後をゆっくりと追った。

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