第12話 豊水が髪を切ろうと思ったある日の話

 制服のまま喫茶店『無聊』に入った南田豊水と田北鈴は足を止めず、歩きながらマスターに『いつもの』と同時に一言だけ言って、一番奥のいつもの場所に座った。

 最近暑くなってきたので『いつもの』はアイスコーヒーに変えてもらっている。

 座った豊水はおもむろに髪を触り始め、独り言のように呟いた。



「そろそろ髪、切ろうかって思うんだけど」

「……確かに。ほぼ毎日会っているから気がつかなかったけれど、最後に切ったのいつだっけ?」

「受験の時は勉強に集中してたから……、半年以上前かな?」

「あー、考えたら中学校の頃はもっと短かった気もする。いっそもっと伸ばしてみるとかは?」

「鈴、弟が短髪だから俺も短くするの嫌いなんだろ。でも別に鈴の為に長くしてるわけじゃないし、正直シャンプーとか面倒だし」

「まあ、考えないで言ったけどあんまり長くても……、やっぱりそれはそれで嫌かなぁ」

「お待たせしました。コーヒーとポテトのセットです。……うちの学校にはもっと長くしている人も少しはいるけどね」



 そう言われた豊水はコーヒーに砂糖とミルクを混ぜながらしばらく考えた後、鈴と交換してから生徒手帳を取り出した。

 数ページをめくって頭髪の規則を調べるためだ。別に奇特なファッションをする気は無いが、知らない内に校則違反をしていたら面倒になるだろう。

 ちなみに鈴は殆ど読んでいないが、実は生徒手帳を持ち歩いている。

 この地域では制服を着ていても生徒手帳を見せないと学割が効かない所があるからだ。



「学生らしい髪型で、染めるのは禁止。……長髪を逆立てる等の後ろの人の視界を阻害する髪型は禁止?」

「きっといたんだろうね、その髪型の人が。で、どうする?」

「誰かに迷惑をかけるつもりも無いし、……で、鈴の希望は?」

「ん~…………、そう言えばさ、何で急にこんな事を言ったの? 確かに伸びてるけど入学式とかの、区切りの時には切らなかったし」

「それは、この間写真を撮って鈴の友達に見せたんでしょ。だから見つかりにくくしようかと思って」

「……確かに彼がカッコいいと言われたら嬉しいけど反面、口説かれたらと思うと不安になるかも。難しい……」



 悩みながらポテトを摘み、コーヒーを飲む鈴。

 暑くなっているせいかすぐにコーヒーはすぐ空になり、お代わりを頼んだ。

 見つかりにくくすると言っても相手は豊水なのだ、どうやってもカッコいいに決まっている。

 そして考えた末に、包帯で顔をぐるぐる巻きにするのを提案した。



「鈴、もし本気で言っているなら。……正座」

「考えすぎて私の頭がおーばーひーと、しーぴーゆーが暴走したんでおーまいごっど。……豊水がカッコいいのが悪いんだから、むしろ豊水が正座しなさい!」

「何てきれいな逆切れ、これは教科書に乗せていいレベル。……それはそうと、本気でどうしようかな」

「何でもいいなら前のままでいいんじゃない?」

「……じゃあそうしよう。話は変わるけど、鈴は変えないの?」

「豊水からポニーテールが好きって言われたから、当分変えないかな。それとも何か希望でもある?」

「…………例えいきなり下手なラップを言っても、その時にしてる髪型が一番好きになる。そんな自信があるのがこの俺、南田豊水」



 はいはと呆れたような顔をして、鈴は嬉しさを隠そうとする。

 ポニーテールは最初に会った中学生からずっと変わっていない髪形だ。何回かは豊水の前で別の髪型になった事はあるが、その時には豊水の髪型をいじくった事も有った。

 あの時はどれも素敵だと思った気がするが、いったい何時の事だっただろうか。

 いつも一緒に居すぎて何時だったのかを覚えていない。

 何時から豊水が好きになっただろうか、それも覚えておらず、気がついたらとしか考えられない。



「じゃあ、凄い派手なホステスみたいにしてもいいんだ」

「いいけど、そっちの学校はいいの?」

「……確かにうちの学校はその辺緩いけど、これはどうだろう?」

「うちの学校だとさっきの、逆立てが引っかかるな」

「それとも学生らしい髪型で引っかかるかも。……あった、ホステスみたいな髪型は禁止って、直接書いてある。前にそんな髪型の人がいたんだ、これは」

「染めるのも黙認されてるのに、こっちはダメなんだ。しっかり本当にホステスと書いてあるとは」

「お待たせ。大学は何しても自由だけど、そうなると大抵の人が逆に普通の髪型をしてるかな」



 就職活動を始めると殆どみんな同じになる。戸西さんがそう言うと、それを聞いた豊水はつまり普通が一番だと納得した。

 そしてどこで切るかの話になり、美容院を使っていないと言った豊水は信じられないと二人に言われ、二人が使っている美容院の予約を取らされそうになる。

 そこへ珍しく東戸さんが口を出して、美容院には行かない事が男のポリシーの場合も有る、と言った。

 それに納得していないのかどうか、三人は不思議な顔で店から居なくなっていったた。



「……豊水君も不思議そうな顔をしてましたね」

「まだ若いから、自分が無意識にやっているポリシーに気がついていないだけだよ」

「で、何で美容院はダメなんですか?」

「……イメージ?」

「……怖いんですね、美容院に入るのが……」

「怖くないよ、美容院に行くのぐらい。往復してもいいぐらいだ」

「じゃあ、マスターもそろそろ髪を切りに行く頃ですし、私の行きつけに予約しておきますね」



 そう言われると東戸さんは、友達の床屋に切りに行くんだと残念残念と言いながら残念そうな顔をする。

 しかしそこで常連の一人から、たまには美容院に行ってもいいんじゃないかと予想外の方向から攻撃を受けてしまった。

 何とか言い訳をして逃れようとするマスターと、逃げられないように次々と援護射撃を与える常連たち。

 豊水は今は環尉流弩にいるはずだ、今からでもつれてきて美容院に予約をさせよう。

 そう思いマスターは店から飛び出して行った。

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