第10話 樹木魚の章2

 先ノ村から嫁いだたえは、儀式について何も知らなかった。

 あわよくば中ノ村の豊かさの秘密を知りたい、という先ノ村の思惑が絡んだ婚姻だったが、次丸は妻に何も語らなかったし、無論父母にも語る事を許さなかった。そもそもたえは、夫が話さないことを無理に聞き出すような質ではなかった。

 二人の間に子は出来なかったが、それで離縁することもなく――むしろ次丸は何処か安堵しているようでもあった――夫婦仲は悪くは無かった。

 大人しく賢い女だ。どんなに夫が横暴でも、他の男と駆け落ちするとは先ノ村の誰も信じなかったが、次丸を問い詰め、機嫌を損ねるわけにはいかなかった。この婚姻のお陰で不作の年を乗り切れたという事実が、皆の口を塞いでいた。

 妻が去っても変わらず援助すると次丸が約束すれば、彼女の身内も黙って従うより道はない。たえの父母は、娘の末路を薄々感じながらも、次丸に頭を下げ続けた。


 奥ノ村の一助は、次丸の提案に苦悩していた。

 次丸は中ノ村の長に就いて直ぐから、先ノ村、中ノ村、奥ノ村でそれぞれで収めるべき農作物を、一度中ノ村に集めてから収めてはどうかと提案し続けていた。

 「そうすれば、どの村かが不作でも、互いに助け合うことが出来るじゃないか」という言葉を鵜呑みに出来る程、先ノ村の長も一助も愚かではない。中ノ村の豊かさに絶対の自信がある次丸は、つまりは「いざという時は手を貸してやっても良い、だから、お前達は大人しく言いなりになっていろ」と言っているのだ。

 傲慢な男の言葉をのらりくらりと躱してはいたが、返事の先延ばしも限界だった。昨年の不作で援助を受けた件を持ち出されれば、折れるしかない。


 中ノ村では、次丸が村長となってから、以前にもまして天候に恵まれるようになった。次丸がそうと告げれば、雨風は自在に変化した。次々と嵐に見舞われた年も、両隣の村の作物の殆ど駄目になる中、中ノ村だけは世界から切り離されたかのように太平で、その中心で不敵に笑う次丸の力を疑う声など上がる筈も無かった。

 雨で流れ込む山や森の養分に富んだ土、適度な日差しがあればこその豊作だ。それを自在に操れる存在に歯向かう愚か者は居ない。その内、次丸は村人の田植えや畑のことに口を出し始めた。手荒れ一つない手で、書物の知識をひけらかす男の勝手な言い種に辟易しながらも、誰も逆らおうとはしなかった。次丸の機嫌を損ねて雨が降らなければ、作物が涸れる程の日差しが続いたら……そんな事態を起こした者が、村で暮らしていくことは許されない。

 隣村に相談しようにも、自分達だけが享受してきた福禄を妬まれそうで、それも儘ならない。そもそも、天候を操るなどという世迷い事を、どう説けば信じて貰えるか分からなかった。

 妻に逃げられてからの次丸は更に扱い辛くなり、引き取ったという娘も陰気で気味が悪かった。怯えて暮らす日々に、いい加減、皆疲れていた。


 どこもかしこも、はち切れそうな程不満に満ちていた。そんな時だ。


 奥ノ村に風変わりな薬売りが現れたのは、半月ほど前の事だった。一助の家で数日を過ごした薬売りは、ある時、懊悩する家主に訊ねたのだ。


 「どのようなお悩みか存じませんが、時が解決してくれることなのでしょうか」と。


 一助は決意した。先ノ村、中ノ村の者達に、偉ぶり、まるで神様気取りの男を引きずり下ろしたいのだと訴えると、反対する声は何処からも上がらなかった。

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