第2話 戦い

 先程降ってきたはずの人物はどこへと消えたものだろう。そもそもあれは人間だったのだろうか、別の何かを見間違えただけではないだろうか。会話、過去が引き摺ってくる幻影はまさに心に潜む亡霊。

「待て、霊だった可能性は」

 霊を見つめる手段を使ってみよう。特に考え無しで実行に移してみる。霊視の手段など様々ではあれども半目で見ること、先程の落下のように端で捉えること。

「待て……嘘だろ」

 霊を見る手段、果たしてそれは本当に幽霊なのだろうか。見ているのは過去に置かれた結果と見違えてしまう。

 地べたに座るそれに対して異様な嫌悪感を覚えつつもデジタルカメラを構えてシャッターを切ること一度、二度。

「頼む、映ってくれ」

 念じながらカメラに写った真っ暗闇を見つめて落胆を浮かべる。

 どうやら人間よりも捉える範囲が広いと言われているそれも完璧ではないらしい。その遺体は男性だろうか。

 寒斗が語っていた表面的な模倣。歴史上にいたジャックは女を殺していたのだという。

 霊の座る地べた、周囲の壁をライトで照らして徐宇は赤い文章をつかんだ。

「魔法使いに裁きを」

 読み上げるだけで頭のおかしな人物が書いたのではないだろうかと推測させてくる。あからさますぎるからだろうか。それが却って得体の知れない不気味な雰囲気を呼び起こす。

 これからどのように動くべきか、考えを巡らしながら幽霊の気配を、感覚を臭いとして脳裏に刻み込んで歩みを刻む。

 恐らく滴る赤は殺人鬼が残したもの。分かりやすい痕跡は霊視をやめてしまえば跡形もなく消えることだろう。

「ジャックとやらはどこにいるんだ」

 途中で血の跡を見失い目にする光景は日常の夜そのものへと戻されてしまう。

「なんでこうなるんだ」

 願望通り上手くはいかない。

 ふと徐宇は願望の形を思い浮かべる。

 どうして寒斗の言葉を聞き入れてしまっているのだろう。わざわざ魔法の界隈の外側に立つ徐宇が正義の味方の真似事などしなくとも他の魔法使いがやってくれるはず。寧ろ物も知らない徐宇が加わることで新たな問題を引き起こすことも有り得た。その身体が望む願望とは平和を取り戻すことなのか、それとも。

 身の毛のよだつ心理を目の当たりにしてしまいそうなところで目を逸らした。

「まさか……な」

 もしかすると徐宇は戦いを求めているのかも知れなかった。凶暴と呼ぶに最も相応しい類いの人間、ジャックとそう変わりのない人物像こそが本性。考えただけでもおぞましさは増していく。思考に引き摺られてますます戦闘への意欲が高まってしまいそうで。

「考えるな、現実以外のことなんか」

 暗い想いの螺旋は無限大でありながら虚無でもある。心の方面だけでも虚無を見つめ続けなければ身が持たない。きっとすぐにでも潰れてしまうことだろう。

「考えろ、今解決するべきことだけを」

 これまでの人生では考えられない場所に立っている。先輩が部活への入部を促してくれなかったら今もこうして自身に怯えることもなかっただろう。

 こうした思考を流し去って動き出す。

 少なくとも殺人現場からの血の垂れ具合で今立っている場所を通ったことは明らかだった。

――どこだ、どこにいる

 医療用メスを持ち出すことの出来る人物はどのような存在なのだろう。

 一般的に考えられるのは医者、或いはその知り合い。医大でメスを握る機会は訪れるものだろうか。

 そうした諸々の事情は分からなかったものの、人を切ることに手慣れている以上、異常者は医者かその知り合いだとほぼ断定できることだろう。

 大きな病院に限るのかそれとも内科などならば全て備えている物なのだろうか。分からない、あまりにも日常からかけ離れすぎて分かることが叶わなかった。

――ここの近くの病院かもしれない

 想いは何かを掴んだのだろうか、考えると共に刺激の強い生臭さが身を貫く。

――これは

 次の手がかりだろうか。

 幾つも交差する死の気配、過去に置いて行かれた命たちが残す異臭を探り、一つの病院を見つめる。

――もしや、この中か

 今そこにいるのだろうか。それとも留守だろうか。どちらにしても証拠を探ることが大事。

 そこまで考えてみたものの分からない。そんな徐宇を待ち受けていた物はミステリなどではなかった。ただの魔法バトルファンタジーだった。

 病院の鍵が閉まっている。戸締まりは完璧といった様。力で突き破るしかない、そう思って周囲を見回したその時に気が付いたのだ。

「そういや誰もいない」

 車の一台も通らなければ通行人の一人二人すら姿を見せない。幾ら夜とは言えども人通りが多いとは言えない場所でも、路地ですらないそこに人がいないなど。

「魔法らしくなってきたな」

 現実離れした現象が起こっている夜の九時。徐宇はガラスの壁を見つめる。

 続いて目を閉じ拳を握り締め、魔力を巡らせ走らせ乱しながら手に集中させる。

 その目は開かれ寸たりとも時を置くことなく拳は勢いよく放たれた。

 空気をも突き破り現実をも弾き飛ばす一撃は見事なまでにガラス張りの壁を突き抜けて。

 拳の衝撃を吸い込むことも叶わずに透明な壁は砕け始めた。拳の動きに逆らうように、徐宇に襲いかかるように破片が勢いを付けて向かってきて。

 破片の一つ一つが街灯に照らされ夜闇の鱗となって舞い続ける。無味無臭の空間の中に無機質な雪景色のオマージュにも見えるキラキラとした粉の飾りを付け、それもやがては消えていった。

 徐宇は口の端に強烈な笑みを浮かべる。

「行くぞ」

 病院の中へと踏み込んで、滑らかで明かりを跳ね返す床を歩き、院長室へと向かう。

――何か出て来い

 個人の日誌でもいい、殺害の記録でもいい、故人の持ち物だった何かでも構わない。

 証拠を見つけ出すのだ。

 机の引き出しを開き、鉄製のタンスを思わせる資料保管庫を引いて。

 紙を捲り確かめ続けるその姿はまさに小悪党の如し。

――出て来い……出て来い

 徐宇は微かな明かりを頼りに資料を漁り続けていた。



  ☆



 そんな彼の努力は果たして先輩の耳に伝わるものだろうか、目に映るものだろうか。

「見付けてくれてるかな、そうだといいんだけどな」

 寒斗は缶コーヒーに口を付けながら夜闇の静寂に微かな彩りを見いだしながら相応しい音色を奏でる。

「見付けやすい手がかり選べてるかな」

 そんな疑問に答える人物など既にこの場には居ない。

「ジャック先生、しっかりやられてくれよ」

 全ては仕組まれていた。何もかもが数人の魔法使いの手のひらの上。

 しかしそのような事情を徐宇は知らないことだろう。寒斗としては何故大人たちがこれから行われる計画に熱心なのか、理解に苦しみ続けていた。

「ただあいつらを敵に回すのは良くないからね」

 ただそれだけの理由で後輩を戦いの舞台に上げたという大きな罪は寒斗の胸の奥に刻まれていた。それは永遠にも思える熱意で寒斗の心を焼き続けていた。

「絶対に死ぬなよ」

 それだけの言葉を虚空に放り込み、現状から目を逸らして家へと向かっていった。



  ☆



 資料はどこにあるのだろう。隠されているのだろうか。幾つもの引き出しを開けては一枚一枚荒々しい手付きで捲っていったものの、手がかりはまるで見つからない。

 やがて全て引き終えて、手がかりが眠っていると思しき場所は鍵の掛けられた保管庫のみとなる。

 恐らくこの病院の経営費や困ったときのために保管しているだけのことだろう。しかしながらそこに物騒なものが入っているかも知れない。院長が犯人だとしたら。そう考えるだけで保管庫の中に物騒な記録が眠っているように思えて仕方がなかった。

 鍵を見付けなければ。

 そこに思い至り机の壁の内側を覗く。収められた椅子を引き出して見つめたそこに張り付けられた板に幾つかのフックが取り付けられている様を目にした。そこから鍵を一つずつ取り出して札を確認しながら次の鍵へ。

 こうして確認作業はひたすら続けられようやく見付けた保管庫の鍵を使い閉ざされた重要性を新鮮な空気の蔓延るそこにさらけ出して。

 金を払いのけて敷かれている紙の束を取り出し目を通し始めた。

「これは」

 間違いない。医療用メスを用いて生きた身体の解剖、死者となった人々は回収して山に埋めて。

 そんな記録が、徐宇の思考と知識では把握の及ばない文字列たちを読み飛ばして分かる部分だけを拾い上げる。

 そうした行動は誰かに見られていただろうか。

 張り詰めた空気、迸る緊張の中、それすら裂いてしまう鋭い衝撃が頬を掠めて地に立てられた。

 飛んできたモノを見つめ、思わず名を呼ばずにはいられなかった。

「……メス」

 手術の為に用いられるはずのそれが、凶器として扱われているそれが、突然現れた。

殺人鬼はきっと、振り返ったそこに。

 再び風を裂く衝動を感じて素早く振り返る。

 拳を振るい凶器をはね除けて視線という威嚇の凶器を相手に向ける。

「何者だ」

 訊ねられて答える人物は季節外れの黒いコートを羽織った人物。背の高さや薄っぺらな身体は見間違いようもない、男のしわざだ。

「それはこちらのセリフだ、侵入者」

 何者か答える必要などあるだろうか。徐宇は拳に巡らせる魔力を強め、全身の筋肉にも薄らと魔力を巡らせる。ただそれだけで身体が強くなるのだと言うことを彼が知らないはずもない。

「空気の流れが変わったな」

 男の声の響きよりも素早い動きで踏み出した一歩、更に加速していく身体。まさに戦いしか向けるものがないといった意思表示。

 メスを構えて徐宇の拳を躱すものの、風による衝撃は刃物の一つすら寄せ付けない。

「そうか、貴様」

 言葉の無駄が行動の無駄、動かないことすら行動の無駄になってしまうその時間の中で男はつい言葉を零しながら相手を見つめていた。

 慢心は隙を作ってしまう。

 徐宇は突き出した拳をそのまま横へと振るって男を殴りつける。

 男もやられっぱなしではいけないと悟ってメスに魔力を込めて放り込む。そんな渾身の一撃でさえも一笑と化してしまうものだろうか。

 徐宇が軽く首を傾けると共に、すれ違うように通り抜け目標を壁に切り替えるメス。男の意など聞いてはいなかった。

「くそったれ」

 吐き捨てられる言葉は男のストレスの象徴のような響きを持って広がっていった。社会の中で溜められたと思しきそれはどこまで深く息苦しい感情なのだろうか。分からないまま徐宇は口を開きしっかりと告げてみせる。

「てめえがどれだけ過酷な仕事してるのかは知らねえ」

 想像の付かないこと、社会の闇、徐宇の中に根付いている若々しき希望はそうした事とは程遠いものだった。

「だが、人の命救った数だけ人様の命奪って良いなんてことは絶対ないだろ」

 男の思う事など見通すことは出来ない。徐宇に言えることなどその程度のものでしかなかった。

 男は改めてメスを構えて勢いよく一歩を踏み出した。

 男の動きに流されて派手に揺れるコート、その波は男の身体を大きく見せてくる。

 しかし徐宇は事実だけを捉えていた、コートの中心、腕の伸びかた、付け根が肩で範囲は狭め。

 肉迫してくる相手を限界付近まで引き付けて、見つめ続けて。

 メスを伸ばす腕を跳ねて躱し床に手を着いた。

 そこから飛び跳ねるように繰り出す蹴りは闇をも引き裂く鋭さと豪快さを併せ持った自信に溢れた一撃。

 相手の手を薙ぎ、メスはよく見えない闇の中へ、宙という深淵の中へと旅立った。

「終わりだ」

 もう一度叩き込まれた蹴りは頭に直撃。男は衝動に身体を揺らしながら耐えようと踏ん張るものの身体は発生した力に逆らうこと叶わず。

 遅れて足は床を離れて宙を彷徨い身体は物理法則の気まぐれに素直に従って浮いていた。距離の短い放物線を描いて身体は床に落ちて衝撃を感じた瞬間目に入る光景に心臓の強烈な鼓動を一拍だけ添えた。

 目の前で拳を握り締めた少年がその拳を振り下ろす瞬間に驚きを隠せなかった。地に落ちた反動を受けた途端に命中する拳、二つの方向から迫る衝撃に挟まれて、意識は逃げ場を失いつつもこの世界から一時的に逃げ去った。



  ☆



 病院を後にした徐宇、そんな姿を目にしながらため息をついて訪れたのは寒斗。

 割れた壁が常に開いている口、そこを入り口として忍び込む。

 病院への侵入、廊下の歩み、一挙一動が日頃と比べて素早いだろうか。

 やがてたどり着いたそこにて眠りこけた男の姿。きっと彼は生活態度を正しているのだろう、などと冗談を思いつくも心の中に仕舞い込んで男の身体を激しく揺らして意識をこちらに引き戻す。

「大丈夫か」

 訊ねられても耳は捉えていなかったのだろうか。ただ身体を起こして見えない景色をどうにか見通していくのみ。

「あーあ、やられちゃった」

 寒斗の口から飛び出した言葉には一切重みがない。少しだけ笑みで色付けされているだろうか、目に関しても真剣な様は見られない。

「情けないな」

 そんな言葉を男はどのように捉えるだろう。

「けど」

 続けられた言葉、再び置かれたほんの僅かな間の向こう側に二人の想いが現れる。

「計画通りだ」

 徐宇がここまでたどり着くことも男がやられることも全ては計画、願いを携えた大人たちが書いた筋書きから殆ど外れないもの。

 男は身体を起こして一つだけ想像から飛び抜けているのだと語る。

「アイツ、俺たちの計画での想定より強いぞ」

 言葉は静寂の中を跳ね回り駆けて病院の外に出ること叶わず。やがて消えていっては寒斗の口の端に優しい笑みを浮かべてみせた。

「そっか、それは良かった」

「計画よりも成功率が上がるんだよな」

 男が希望を唱えるものの、寒斗はそれだけではないのだと言葉で示した。

「捕獲とか儀式に失敗したら全部水の泡だけどね」

 これ以上語ることはないのだろう。寒斗は後ろを振り向き立ち去ろうとしていた。

「待ってくれ」

 男が掛けた言葉は遅れて届いたのか、空白をおいて一度立ち止まる。そこから振り返り男を見つめて。

 無言の問いかけに男は言葉を繋いで行った。

「寒斗は俺たちの……敵か味方か」

 どちらなのだろう。味方という名札は建て前だと思われていたようで。

 寒斗は唇をつり上げて力の抜けた言の葉を放り込む。

「さあね」

 はっきりとしないことほど信用に値しないことはない。男の中に積もる不信感は寒斗の風を思わせる微かな笑顔に飲み込まれていく。

――こいつ、何も考えていないな

 そう思わせるには充分すぎる程に知性というよりは感情を見いだせない。

「じゃあね」

 歩き出して、一人きりを作り出して寒斗はぽつりと呟いた。

「どう動くだろうね」

 徐宇のことなどさっぱり分からない。それこそが現状。

 物事を、魔法の世界のことを知らないままに魔法の世界へと踏み出すことがどれ程恐ろしいことか、今回の件を噛み締めながらひしひしと感じさせられた。



  ☆



 朝にはパン、惣菜パン。

 昨日の戦闘を経て溜まった疲れはどこへと消えたのだろう。すっかりと元気を出してソーセージを挟んだコッペパンを勢いよく口に放り込み麦茶で流し込んでドアの向こうへと足を踏み出した。

 いつも通りの景色、いつも通りの人通りは控えめな様子で、そんな中にいつもの通りでないものを目の当たりにして一瞬だけ立ち止まった。

 割れたガラスの壁、そこで昨夜繰り広げた戦闘の熱い記憶を呼び覚ます。人を救う施設で働く人物が裏で人の命を奪っていた。昨日に至っては治療すべき状態を作り上げていた。

 その病院はもはや人を救うために動くことは叶わなかった。

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