第17話 シュヴァリエ家
「セシル・ロンドと言ったね」
ロンドの部分を強調し、鋭い視線を向けたのはレオンの父親であるリンハルト・シュヴァリエという男だ。
サラサラとした油気のない淡い茶色の髪と同じ色をした瞳。そこからレオンの緑は一切連想されない。
親子にしては血の繋がりを一切感じられない見た目ではあるけど、その瞳の鋭さは確かにレオンにそっくりだった。
「ええ」
「そうか、ロンドか」
「私はあの家において何の価値もありません」
俺はセシルの影に隠れるようにして立っているためその表情を読むことは出来なかったが、そう言い放ったセシルの声は少し震えていた。
「そんなことはないと思うが」
「いいえ、あるのです。 私はあの家では――すみません、私の話をしに来たわけではないのです」
「ああ、すまない。 人の家の事情を詮索するのは無礼だった」
リンハルトは瞳を閉じた。
セシルはそれに応じるように小さく左右に首を振り、
「いえ、謝罪するほどのことではありません」
そう呟いた。
リンハルトに促され、俺とセシルは艶のある革素材で造られた長椅子に腰掛ける。硬そうな見かけとは想像もできないほど柔らかく沈んでいき、俺は少し驚いて一瞬腰を浮かせた。
「礼儀など何も気にせず掛けるといい。 畏まった話し方をされるのはどうも苦手でね」
そう言ってリンハルトは目を細め俺を見た。ここはその言葉に甘えることにし、俺は少し姿勢を崩す。が、セシルは変わらず背筋を伸ばしたままだった。
「君の名前も聞いておこう」
「俺……えっと、私は――」
「気にしなくていい」
「すみません……俺はテオドールで、後ろのコイツはジュリア。 俺の従者みたいなもんです」
俺がジュリアのことを紹介するとリンハルトは静かな瞳の奥に何か、殺意にも似たものを宿らせたように感じた。
ジュリアはそんなこと気にもせず、相変わらず瞳を閉じたまま涼しい顔をして受け流していた。
仮面を付けているとは言え、それだけ見られてしまうと赤と黒の瞳の色を隠すことが難しくなる。もしかすると、ジュリアはそれを見られないようにするために瞳を閉ざしているのかもしれない。
「魔人……ではないな。 奴らが人間の下に付くなど聞いたことがない」
「ジュリアは俺の従者ですよ」
ふ――とリンハルトは俺の胸中に生まれた不安を感じ取ったのか笑みを零し、「失礼」と言ってジュリアから視線を外した。
「テオドール君とセシル君。 愚息が迷惑をかけているようだね」
「そんなことありません」
セシルが首を振る。
同い年であるはずのセシルがこの時ばかりは幾つも歳が上のように思えた。
俺はなるべく口を閉ざし、崩した姿勢も少しだけ正してセシルの真似をするように務めた。だが、それが逆にリンハルトには面白く映ったらしく、笑われてしまう。
「テオドール君、君はまだ子どもだ。 礼儀作法など誰も気に留めんよ」
君は、ということはセシルは違うのだろう。
それは同じ貴族として対等に見ているということの表れでもあるように思えた。
悔しいけど、今はリンハルトの言葉に甘えることしかできない。
執事の男――ジルベールがお茶の用意を済ませるとテーブルの上に静かに並べていく。俺はその所作に魅入ってしまう。
こうした屋敷に来ることなど今まで一度も機会がなかったのだから当たり前だ。
孤児院じゃ礼儀作法なんて学ぶ機会はなかったし、学ぼうとも思わなかった。
――そう言えば。
と俺は幼い頃の記憶を思い出す。
俺にとっての兄――リオン兄はたしかディアンの騎士の学校にいるはずだ。年齢的にはもう既に卒業し、騎士になっていてもおかしくない。
そして、もう一人。俺にとっての姉――ドロア姉は貴族の家に引き取られたはずだ。
ドロア姉もセシルのように――もしかするとそれ以上に貴族としての立ち振る舞いを身に付けているのだろうか。
いつかまた二人に会うことはあるだろうか。もしも会ったらどんな話を――
――俺は頭を振る。
これは今考えることではない。
俺の横ではセシルがリンハルトに向かって普段のレオンの様子を話していた。
当然、父親の前ということもあり、普段の悪ふざけは隠し、授業中の態度や実技試験での実力なんかを話していく。
「そうか、アイツはそちらでの生活を楽しめているのか」
そう言って笑ったリンハルトと、レオンから聞いたリンハルトとが別人のように思えてしまう。
今、俺たちの目の前にいるのは厳格な貴族ではなく、ただの父親としてのリンハルトのように思えた。
だからだろうか、俺は少し踏み込みすぎた。
「あの、なんでレオンを家の中に閉じ込めてたんですか」
言い切って、口を塞ぐ。
もう遅い。
セシルは驚きすぎてその青い瞳を見開き、俺を見ていた。
俺も踏み込みすぎたことをすぐに反省し、謝ろうと口を開いた――のだが、リンハルトがすぐに言葉を発した。それは俺への叱責の言葉ではなく、「聞いていたのか」と恥じらうように呟いた。
そしてリンハルトは俺とセシルの顔を交互に見たあと、ゆっくりと語り出した。
「まだレオンハルトが幼い頃だ」
◆
レオンハルト・シュヴァリエという少年は幼い頃から魔術において類まれなる才覚を発揮していた。
それは彼自身が自覚するよりもずっと前からそうだったのだ。
まだ赤子であった頃の彼の髪はリンハルトと同じく、茶色の髪だった。
だが、一歳になる頃彼が魔術に目覚めてから徐々に髪色が緑へと変化していく。それに伴い瞳の色も変わっていき、五歳を前にして彼の髪と瞳は家族内の誰とも違う色になっていた。
それだけならば、レオンハルトを屋敷に閉じ込めておく理由にはならない。
彼の持つ力は大きすぎたのだ。
まだ幼いレオンハルトには身に余るほど強大な力。
彼の身に纏う風は近づくものを容易に切り裂いてしまう。
最初の被害者は彼の世話役の侍女だった。
彼の瞳が緑色に光っていることに気づいた侍女は不思議に思い、彼の顔を覗き込んだ。
「ああああぁぁぁぁッ――!」
絶叫とともに血が飛び散った。
侍女の頬には何かに切り裂かれたような傷が深々と出来上がっていた。
顔面を抑えてのたうち回る侍女を目にして彼の母――エルナは恐怖した。無邪気な赤子の笑い声と侍女の絶叫。
幸い、侍女の傷は治り、大事には至らなかった。が、顔にはまだ当時の傷跡が生々しく残っている。
レオンのそばに近づくと何かに切り裂かれる。
それは物であろうと人であろうと、なんであろうと平等に全てを切り裂いた。
リンハルトがレオンをこの屋敷内だけに閉じ込めておこうという発送を得るのは自然の流れとも言えた。
力を制御出来るようになり、人を傷つけないようになったのなら。
と条件を付け、彼をこの屋敷に閉じ込めることにした。
本意ではなかった。だが、彼が無自覚に誰かを傷付けてしまうことの方が恐ろしかった。いや、傷付けるだけで済むのならまだいいと思えたのかもしれない。
万が一。
そう、リンハルトは万が一のことがあった場合を恐れたのだ。
侍女の一件、もしも少しズレていたら、もっと顔を覗き込ませていたら。それを想像するだけで恐ろしい。
剣の鬼とまで評されたリンハルトであったが、子どもの未来を憂うその姿は苦悩する父親そのものだった。
歳を経るにつれて周囲に纏う風は消え、彼の妹――レティシアが近づいても怪我をすることはなくなった。
だが、それでも彼の幼い体には身に余るほどの力が宿っていることは確かだった。
リンハルトとエルナがレオンハルトを遠ざけるようになってからというもの、レティシアはまるで何かを察知したかのように彼と話すようになっていた。
初め、エルナはきつくレティシアを叱った。レオンハルトもその時は特段、妹のことなど気にもしていなかった。無論、家族という認識はあったが、父や母と同じで妹という存在に対して何かを抱いていたりはしなかった。
レオンハルトの部屋には鍵が掛けられている。内鍵はなく、外鍵だけだ。そしてその鍵はリンハルトとエルナが持つ二つだけ。
当然、レティシアがその部屋に入れることなどありえないと思っていたのだ。
だが、まだレティシアが三歳になって間もない頃、レオンハルトの部屋の扉が空いていたのをエルナが発見した。
自身の鍵が見当たらないことを確認すると、すぐに大慌てで部屋の様子を見に行った。
そこには――「レオンハルトお兄さま」と言って楽しげに笑うレティシアの姿があった。
その傍らには優しげな笑みを浮かべるレオンハルトの姿があった。
◆
レティシアは父母のどちらでもなく兄に懐き、ことある事に兄の部屋を訪ねるようになった。
兄も妹にだけは心を開き、次第に「レオンハルトお兄さま」から「お兄ちゃん」へと変化した。
起きている時のほとんどを兄と共に過ごし、寝る時間になっても兄の部屋へ行く。初めは兄という存在に甘えたいのだろうと、エルナもリンハルトも考えていた。
とある日、レティシアの部屋の扉が開けっ放しとなっていたことに気づいたエルナはため息をつき、扉を閉めようとした。
不意に、中の様子が気になった。
――あの子は普段何をしているのだろう。
と。
今まで母親らしく息子や娘を気にかけることのなかったエルナだったが、この時ばかりは少し興味を引かれた。親心ではなく、単なる好奇心からだった。
レティシアの部屋は酷く散らかっていた。それも、小難しい書物によって。
ただ一点、この場において似つかわしくなかったのが綺麗に整頓された絵本だ。それだけは床に置かれておらず、机の上に綺麗に並べられていた。
そして、その机の上。開かれた本をエルナは覗き込んだ。
――家族の花。
そう書かれていた。
開かれていたのは花弁が針葉樹のように咲いた赤い花について書かれた頁。
そこの生息の欄に線が引かれ、幼い文字で「ここには咲かない」と書かれていた。「ここ」とはシュヴァリエ領のことだろうとエルナは考えた。
そこまで目を通すと、エルナはやがて興味を失ったように部屋を後にした。パタンと扉を閉め、徐に窓の外へと視線を向ける。
――見覚えのある栗色の髪の少女が小袋を持って街の方へ走っていくのが見えた。
そしてそれがレティシアだということに気づくと、彼女が何をしようとしているのか検討がついた。
「もうすぐ、あの人の誕生日ね」
リンハルト・シュヴァリエ――彼女の父の誕生日がもうすぐに控えていたのだ。
レティシアは家族思いね、などと思いながら視線を部屋へと移す。
――レティシアが茨に侵される当日の出来事である。
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