第2話

 今日はだいぶ眠たい。ここまでの蓄積かなぁ。昨日も夜遅くまで暖人さんの新作ゲームやっちゃったし。

「おっす、ひな。今日もまた眠たそうだな。また夜中まで推し活か?」

 寒田か……。寒田!? 今日から登校なのか。そうか。意外とこいつのいない一週間はあっという間だったな。

「なによ。授業は起きるし、良いでしょ」

「おっと、そんな態度でいいのかな?」

 ヒラヒラ。顔の前で揺れているその紙が鬱陶しくて寒田を確認した後、再び突っ伏していた顔を上げた。って、え!?

「こ、これ、暖人さんのリアイベチケット? え、くれるの?」

「あーよ。欲しいか?」

 うー、ムカつく。なんでこいつが持ってんのよ。でも、欲しい。あいにく、私は抽選に落ちてしまったんだ。だけど、こいつなんで二枚も持ってるんだよ。二枚…?

「え、あんたも来るの?」

「そりゃ、そうだろ。嫌か?」

 微笑んでやがる。くそーっ。油断した。こいつ、すぐおちょくってきやがる。

「そっか、嫌かあ。じゃあこれはゴミ箱行きかなぁ」

「い、行きます」

 言っちゃった。

「行かせてください、じゃなあい?」

 耳元で囁かれて不覚にもよろめいてしまう。

「連れてってください」

「よく言えました。よしよし」

 くそ。……セクハラだろ、これ。でもしゃーなし。知ってる人、オタク仲間、友達。そう友達に頭を撫でられてるだけ。じっくり考えると嫌だな。あー、違う。平常心。平常心。

「あれ、目、とろんとさせて。可愛いじゃん」

「う、うるしゃい!」

 はあ、声だけ聞くとほんとにイケメンなんだよな。本当にその声で喋りかけるのやめて欲しい。軽く脳がクラッシュする。うん。やっぱりこいつの声は否定したい。推しに似てるとか関係なく。なんで、神様は声もチケットもこんなやつにばかり与えるんでしょうか。


 ◇


 ブーブー。夢中になって明日のことを考えていたら時間なんて忘れていた。月は当たり前のように南中を目指している。もう十時か。私に連絡が来ること自体が珍しいが、こんな時間に送ってくるような人に検討もつかず、机の上のスマホに手を伸ばす。

『ひな、明日駅に9時な。遅れたら容赦しねーぞ』

 うっ。急に力が抜けて、手に持っていた明日の服を落としてしまった。こ、こんなに可愛い格好、見られたら絶対に弄られる。どうしよう。ううん、大丈夫。気にしない。あいつじゃなくて暖人さんに可愛いところを見てもらいたいんだから。


 ◇


 ふぁー、眠い。寒田のやつ、容赦しないとか煽っておきながら遅刻か? 絶対許さないわ。

「おい、ちょっと待て、ひな。なんで目の前でスルーすんだよ」

 腕をガシッと掴まれた。えっ?

「危ないよ。スマホ落とすとこだったじゃない」

「歩きながらスマホしてる方が全面的にわりぃだろ」

 そりゃそうだけど。

「……」

「どうした、ひな?」

 格好いい。まるで別人。でも、別人じゃない。似合ってるんだ。私はただの耳で恋するヲタク。なんで? 寒田は無駄に声が格好いいだけの男子高校生。なのにここまで服を着こなして。ムカつく。……ムカつく。

「行くよ!」

 私は恥ずかしさで寒田の腕を引っ張って改札までせっせと歩いた。お互い、何も言葉を交えずに電車を降りた。自分が作った静寂なのに、私が先に痺れを切らし、口を開いた。

「そうだ、ゆう。それにしても、チケット、なんで私にくれたの?」

 え? なんで急に照れてんの?

「お、お前、俺の名前呼ぶなんて初めてだな」

 え!? 気づいてなかった。恥っず!

「それに友達と一緒に出かけてなんか悪いかよ」

 ふんと、鼻を鳴らしてゆう……寒田は言った。でも、私の頭はそれどころじゃなかった。ダメだ、ダメだ、ダメだ。振り回されっぱなしだ。


 着いた、今回の会場となるスタジアム。でっけえ。さすがに圧巻だ。リアイベって言っても、ほとんどの声優さんが顔出しはしていない。暖人さんも然りだが、シルエットの壁から手だけを出していて、握手とサインだけその場でして貰うことができる。もちろん、それだけでも私たちオタクたちは大歓喜だ。そもそも声に恋している私たちが、声の主と生で会話ができるのだから。そりゃ、チケットの抽選は相当な倍率になる。しかも、まだ主人公までの大役を貰えていない暖人さんは、人気の割にリアイベはこれまでたったの二回しか出ていない。超レアなシークレットボイスだ。なんだかんだいって、やっぱり寒田、様様だな。

「ありがとね、寒田。連れてきてくれて」

 自分の言葉に少し照れて、横目に寒田の方を見るとなんだかそわそわしていた。

「どうしたの?」

「わりぃな、少し体調が悪くてよ。先、帰るわ」

 え? ここまで来て? またとないイベントだよ。……でも、すごい汗。本当にきついのかも。

「じゃ、じゃあ、私も帰るよ」

「だ、ダメだ! 絶対! 暖人くんに会えるんだぞ。この列を抜けたらもう諦めることになるぞ」

「で、でも……」

「わかった、帰らない。外で待ってるよ。もし、お前が何も持たずに出てきたりしたらぶん殴るからな」

 うーん。ふーーっ。よし。

「わかった」

 そう答えると、寒田は嬉しそうに、私の頭に手を伸ばした。頭を撫でられても、別にいい気分にはならなかった。当たり前だ。二人で遊びに来たのだから。

 程なくして列が動き始めた。ついに始まったのだ。今回のイベントは暖人くんの所属事務所が主催したもので、総勢35人の声優さんたちが参加している巨大なイベントだ。普段なら、こんなに人がいたら人に酔って座り込まずにはいられないだろう。でも、今の私は興奮が勝っていた。アドレナリンが出てるような感じでお祭りテンションというやつだ。待ち遠しい。自分の番まではまだまだなのに鼓動の高まりを感じる。

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