SNSで愚痴る理由

凪風ゆられ

第話

 僕はよく、Twitter(現X)で思ったことを零す。

 フォロワーがいるわけでも、誰かをフォロワーしているわけでもないけれど、何となく書き続けている。一時間に数回ツイートするときもあれば、一ヶ月に一回しか、しないときもある。


 自分だけかなと思っていた時もあったが、どうやら違うらしい。

 インスタで友人が、鍵垢でよく話す人だけ通す垢で愚痴っていたりするのを、よく見るようになって、他人もするんだなと理解した。

 考えは違うけれど。


 では、何故誰かが見ているところで零す必要があるのか。

 現実世界で直接、他愛のない話として使えばいいのではないか?


 ぼうっと考えてみた結果、二つほど浮かび上がってきた。


 一つ目は、自分のことを理解してほしい人がいるから、なのではないか。

 

 愚痴を零す相手を選ぶのは、きっと万人共通だろう。

 それと同様に、理解して欲しい相手、もいるのは不思議なことではないはずだ。

 好きな人。仲のいい親友。聞き続けてくれる仲間。などなど。


 日常生活ではなかなか出すことのできない、自身の内側。

 それをまるで独り言のように呟いて、心に浮かびあげている人と疑似的にでも繋がろうとする。


 しかしここで一つ問題が出てくる。

 何故わざわざそれ以外の人まで通す必要があるのか。目的の人、ただ一人でいいはず。答えは至ってシンプル。嫌われたくない、からである。

 つまり、カモフラージュというわけだ。


 見てもらいたい、だけどあからさますぎるのは嫌われちゃう。

 じゃあ、他にもそこそこの人に見せよう。信用しているから問題ないはず。


 もちろん無意識化の思案、実行を言語化しているにすぎないので個々によっては変わる場合もあるだろう。けれど、大方こんなところだと思う。

 

 二つ目は、自身の整理、なのではないか。


 実際ほぼフォロワー、フォロー関連をいじっていない僕がいるのだから、こっちの方が信憑性が多少なりともあるような気もする。


 いいねを貰えるわけでも、リプを貰えるわけでもない。

 しかし、どこかに思ったこと、感じたことを書いていないとパンクしそうになる。

 

 思ったことが頭の中にあり続けると、それだけで他のことに集中できなくなる。だから、自分の外に出して脳内を綺麗にして、他のことに手を付けられるようにしておく。

 

 

 上記にしろそれ以外にしろ、基本的には顔も名前も定かではない「誰か」がいる。

 漠然とした姿だけが頭の中に立っていて、なにを思っているのかは分からない。

 でも、それは僕たちにとっては都合がいいから、その人に向かって吐き続ける。

 誰なのかが分かるは一体いつの話なんだろうか。

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SNSで愚痴る理由 凪風ゆられ @yugara24

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