第8話

 この地方に来てから、六日目の朝。

 これまでの快晴とは打って変わって、今日は朝からどんより雲が広がり、しんしんと雨が降り続いていた。

 こんな日は外へ出たがらない人が多いため、トーコの店に足を運ぶ客もほとんどいないだろう。

 そう思ったトーコは、馬車前に立てていた『営業中』と書かれたのぼり旗を片付け、代わりに『臨時休業』の表示をキャビンの目立つ所へペタリと張り付けた。

 今日は早々に店じまい。そう一息ついたトーコは、天幕テントの中に入り、私物を入れているカバンの中からじゃばら折りにした紙の地図を取り出す。

 そろそろ、次の移動先を見つけなければならない。

 トーコはこれまでも、訪れた場所で気に入ったところがあったとしても、一つの場所に定住して商売を続けるスタイルは取ってこなかった。

 それもこれも、全てはあの『ストーカーまがいの殿下』から逃れるため。今のところ、全敗中だが。

 しかし、毎回あの『ユーヴェリウスの思い』に腰砕けになっていては、商売が成り立たなくなる。次こそは、あの『ムッツリ殿下』が来なさそうな所を選ばなくては。

 そう強く決意したトーコは立ち上がり、じゃばら折りにしてある白地図を目一杯広げると、ふんっと腕組みをして地図を見下ろした。


「う〜ん。ここは行ったばかりだし、次は港町でも目指そうかなぁ。いやでも、この辺りは殿下直属の部隊が調査に来ているって言ってたっけ。じゃあ、ここはすぐにでも嗅ぎつけられちゃいそう。う〜ん、だからといって、あんまり遠過ぎると移動だけで時間がかかっちゃうしなぁ。嗚呼、どうしよう……」


 今広げている地図は、ザフィーア王国内にある都市や町などの位置関係と、『境界域』が大まかに記されているものだ。

 このザフィーア王国は、広大な領土のど真ん中に王都があり、そこから放射状に各々の都市や町、小さな村々が形成されている。

 広大な領土を持つこの国は、海が広がる地域もあれば、山脈で囲まれている場所や砂漠エリアまでも存在する。そのため、年中暖かいところもあれば、一年の半分は雪が降り続いているところもあり、地域によって気候や文化も様々だ。

 ザフィーア王国は国王によって統治される絶対君主制であり、軍事部門は全て国王が支配権を有している。

 それぞれの地域に国王直属の騎士団が配置されているのだが、経済や文化、宗教などに関することは、その地域の長を任されている者へある程度の裁量権を与えられている。

 そのため、一神教や一つの文化といったことは強制されず、それぞれの地域で独自のシステムが制度設計されているのだ。

 ただし、これは国王による政策からくるというよりも、『境界域』の条件設定により、背景がある。

 トーコが広げた白地図にも、青や黄色、紫や黒といった色が、各地域を隔てるように塗り分けられているのだが、これがこの国の『境界域』。

 ザフィーア王国特有の『境界域』により、実は人々の国内移動には制限が設けられ、それがある意味、特権階級かそうでないかの境目にもなっている。

 この国では、『魔術を扱えるか否か』については階級差が生じることはないのだが、『境界域を越えられるか否か』については階級差が出てくるのだ。


 ただし、トーコに関しては、その条件は適応されない。

 それは、自分が異国民だからだと思っているのだが、『境界域』による制限がないため、トーコはこの国で自由気ままに移動販売を続けられている。

 

「あっ、この島みたいなところもザフィーア王国内なのかな? 船で行くところだったら、流石にあの殿下も来られないんじゃないかなぁ~。でも、船にゼルは乗せられないか。う〜ん、殿下が来られなさそうな所で、ゼルも一緒に行けそうな所は――」


 次の行先がなかなか決まらず、頭を悩ませるトーコ。

 取り出した白地図には赤い丸がついたものが所々示されているが、これはトーコがこれまで移動販売で訪れた場所である。

 ひと目見ただけで行った場所がわかるように印を付けているのだが、目ぼしい所はもう既に足を運び済み。

 王国騎士団は国中に配置されているため、その包囲網をかいくぐるのは至難の業だ。

 今回はザフィーア王国の辺境にある片田舎なので、流石に来ないだろうと高をくくっていたのだが、アッサリと見つかってしまった。

 あの殿下が見つけられない場所へどうにかして行きたいものだが、だからといって断崖絶壁の所へ行くわけにもいかない。相棒のゼルも一緒に行ける場所でなくてはならないのだ。

 いったい、どうしたものか。正直、かなりの“詰み”状態。

 そんな悩み続けているトーコの元へ、バシャバシャと音を立てながら駆け込んでくる人物が現れた。


「た、大変じゃ! 癒し屋、いるか!? た、助けてくれんか! 頼むっ!」


 その人物は、この地域に来て一日目に来訪してくれたあの老客。

 あの日以来、トーコの店をたいそう気に入ってくれ、毎日のように通い続けてくれていたこの老客は、いつもとはまったく違う様子で天幕テントまで駆け込んで来た。


「あら、お客様。いつもご来店ありがとうございます。しかし、申し訳ありません。本日は臨時休業とさせていただいておりまして――」

「そ、そうじゃないんじゃ! む、息子が……、息子が、魔濃症になっちまったんだっ!」

「ええっ!? 魔濃症!?」


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