第6話 竜のボタン屋さん







 竜のご加護を渡すとき、私はいつもあなたとの未来を考えている。







 竜といえばロマン、ロマンといえば竜である。

 あくまで私のなかでは、だ。


 中学生の頃に竜と竜乗りの絆を描いた児童小説に出会ってから、私はころころと坂道を転がるように竜マニアになり、竜乗りになることを夢見た。しかし、悲しいかな竜をあやつれるのは幼い頃から竜と一緒に過ごした竜乗りの一族だけだ。生まれというどうしようもない壁に夢をはばまれ、腐っていた私の世界を変えたのは、ドラゴンショップで出会ったおじいさんだった。


 竜の原初げんしょの国と言われている英国の血が混じったおじいさんは、若い頃は竜のお医者さんだったらしい。しかも竜乗りの一族ではないというのだ。


「ドラゴンを愛する心とたゆまない努力があれば、きっときみも彼らと関わる仕事に就けるよ」


 そう言って、おじいさんは知恵と長寿のお守りとして有名な竜の歯を加工したペンダントを私にくれた。


 世界が開けた気がした。私の目指すべき道はそこだと思った。


 猛勉強の末、私は竜専門の歯医者さんになった。要望があれば世界各地どの竜の里にも出向き、竜の歯の検診と治療、乳歯にゅうし抜歯ばっしをおこなっている。


 私の治療は歯を削らない、ドックベストセメントと呼ばれる手法を取っている。半永久的に虫歯菌を殺菌する高ミネラルセメントを塗って、菌を根絶させるのだ。


 竜の里は辺境の渓谷けいこくとか、とにかく驚くほど田舎にある。だから最先端の歯の治療はとても喜ばれて、竜にも人にも歓迎された。


「ちょっと痛いけど、すぐ終わるからね」


 鼻のあたりを撫でながら、まだ小さい(と言っても私の背丈はゆうに超えている)子ども竜に言うと、その子はキュウと鳴いて私に身を任せてくれた。知恵の象徴でもある竜は世界中の言語を知っているから、海外でもつたない現地語を喋る必要がない。


 私は大きく開いた口の中に頭を突っ込んだ。さっきまで麻酔薬草を噛ませていたから薬っぽい匂いがする。目的は今にも抜け落ちそうな乳歯だ。ぐらぐらとこぼれ落ちそうな、しかし自然にはなかなか落ちないその根元に器具を挟み込んで、慎重に力を入れていく。ようやく歯が抜ける瞬間、子ども竜はびくん、と身体を揺らした。でも歯を立てることも吠えることもしなかった。我慢強くて優しい子だ。


「頑張ったね。えらいえらい」


 銀色の瞳に涙を溜めている愛らしい顔を包み込むように撫でてあげると、その子はさっきとは違う声色でキュウ、と鳴いて甘えるようにすり寄ってきた。


 そうして抜歯した竜の乳歯は希望がなければ引き取らせてもらう。私のもうひとつの仕事に必要だからだ。


 私のもうひとつの顔は、竜の乳歯を原材料にしたボタン職人である。


 竜のボタンづくりは手間と時間がかかる。

 夏は涼しく冬はとても寒い工房で十センチほどの乳歯を機械で大まかな形に切ると、それからはすべて手作業だ。

 竜の乳歯は永久歯に比べて幾らか柔らかいので、ナイフや彫刻刀で削らないと小さく切り出せないのだ。


 この仕事を始めた頃、理想のかたちになるように乳歯を削り続ける作業が楽しくてたまらない、ということを友人に話したら、とても変なものを見る目を向けられたのは今でも忘れがたい。


 ボタンのかたちに整えて糸を通すための穴を開けると、残るは研磨作業だ。表面がつるつるになるように、何度もやすりを変えて磨いていく。


「出来た!」


 優しい象牙色をしたそれは、ほのかにマットな質感でとても触り心地が良い。一見してなんの変哲もないボタンでも、私にしてみたら宝石だ。依頼を受けて複雑な模様を彫ることもあるけど、私はこのままのつるんとしたボタンがいちばん好きだ。


 ある程度まとまった数をつくってドラゴンショップに納品に行くと、いつものおじいさんはおらず、年若いお孫さんが店番をしていた。


「ちょっと調子が悪くて。すぐに戻ってくるとは思いますけど」


 おじいさんと同じ青い瞳に心配の色を乗せてお孫さんは言った。

 私はたまらず、その場で竜の革袋を購入すると、納品予定だったボタンをひと掴みしてじゃらじゃらと袋の中に入れた。


「これ、お爺さんに渡して下さい。また元気な顔を見せて下さいって」


 お孫さんは目を真ん丸にして、ぱんぱんになった革袋と私の顔を交互に見つめた。かと思えば可笑おかしそうに、そしてとても嬉しそうに、

「ありがとうございます。じいちゃん、びっくりしてすぐに良くなるかも」なんて冗談めかして笑った。


 だいぶ軽くなったバッグと、予定の七割程度の現金しか入っていない封筒をもって家路につく。


 竜のご加護は本物だ。お孫さんが言った通り、きっとおじいさんはすぐに良くなって元気な顔を見せてくれる。そうしたら、商品をタダで渡したことをたしなめたあと、ありがとうとまなじりを下げて、優しく笑ってくれるだろう。






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