空想職人女子図鑑
ノチカ
第1話 赤い糸を織る人
——赤い糸は知らぬ間に、あなたの小指に巻き付いているもの。
赤い糸は、一見すると一本に見えるけれど、実際は刺繍糸のように六本の細い糸が
信頼、尊敬、思いやり、愛情、尊重、それから独占欲。これらは人によって微妙に太さが違う。信頼の糸が切れそうなほどか細い糸もあれば、独占欲だけ二倍くらい太い糸もある。共通しているのは、必ずこの六本がなければ赤い糸は成立しないということだ。
たいていの人たちの赤い糸は、恋人期間や結婚生活のなかでちぎれたり結ばれたりを繰り返す。なかにはちぎれたまま関係を続ける夫婦やカップルもいるし、そもそも赤い糸がないのに結婚する人たちもいる。
でも、たいした問題じゃない。
ほとんどの人は赤い糸が見えないのだから。
私はその「ほとんど」に当てはまらない、赤い糸が「見える」側の人間だった。それは便利と言ったら便利だけど、不便と言ったらとても不便なことだ。何故って、恋人と自分の赤い糸の有無が分かってしまうから。
夫婦ならいざ知らず、恋人とのあいだに赤い糸が見えないなんてことは珍しいことじゃないから、私は別に何とも思わない。けど、相手に私が「見える」ことが知られていたら大変だ。
「ぼくたちをつなぐ赤い糸はどんなふう?」
なんて無謀にも訊いてくるような男性が相手だと尚のこと。
「あなたと私のあいだに赤い糸はありません」
なんて、愛しい人を前にして誰が言えよう。
だから「見える」人のほとんどは、その事実を周囲に伝えたりしない。
――私のように、赤い糸の
赤い糸が見えるのは大多数が女性だ。職人歴がそう短くない私も、男性の同業者には会ったことがない。
神様はいじわるだな、と思う。
赤い糸が見える同士ならば、先のような苦労はしなくて済むのに。
そんな一般的には見えない赤い糸は、不思議なことに機織り機で一枚の布にすると誰にでも見えるようになる。
「それじゃあ、ちょっとだけ糸を
それは赤い糸を織る時に絶対に欠かすことができない工程だ。でもお客様にそう告げるとみんな不安がる。それをことさら優しい声で安心させて、私は小指に結ばれた糸をそっとほどく。
糸巻き機に糸を繋いで機械をまわすと、しゅるしゅると大きなボビンに赤い糸が絡んでいく。
赤い糸は自在に長さを変え、地球の裏側、果ては宇宙の
本を読む方、ずっとスマートフォンを見ている方、夫となる男性と楽しそうに話し込む方、興味深そうに工房を見てまわる方、私に色々と話しかけて下さる方……時間の潰しかたにはお客様の個性があらわれるから、私はこの時間が割と好きだったりする。
「はい、終わりました」
ちょきん、と糸を切ると、赤い糸はするすると結ばれていた小指に自然と戻る。まるで生まれた時からそこが自分の居場所であったかのように。
「ちゃんと結ばれていますか?」
「大丈夫ですよ。しっかり巻かれています」
このやり取りも何十回、何百回と重ねている。
「見えない」人の不安は私には分からないから、安心してもらえるまで何度でも結ばれている事実を告げる。
お借りした赤い糸は、
かしゃん。かしゃん。かしゃん。
布が出来上がるまで、私の工房には規則正しい機織りの音だけが響く。
織り上がった布は、一見すると赤い糸を織ったようには見えない、うすいうすいピンク色だ。
といっても、ふたつとして同じ色は無くて、人によっては赤に近いピンクだったり白に近いピンクだったりする。
薄くて軽く、表面にぬめり感があって、光に照らすと角度によって薔薇のような深い赤が浮かび上がる、誰が見ても高級だと分かる布。
チュールのように透け感があるそれは、結婚式のベールとか、ドレスの一部に使われる。
「とっても綺麗……」
完成した布を手にしたお客様は、みんなそうして幸せなため息をこぼす。
その瞬間が、私はとっても好きだ。
嬉しそうに、幸せそうにしているお客様を見ているとこっちまで幸せな気持ちになる。
だから私はいつも、心からの笑顔でこう言えるのだ。
「ご結婚おめでとうございます。素敵な花嫁さんになれますように」
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