第10話
いつも通りに会うしかないマキウチさんが、休みだった。
休みの時はいつも言ってくれていたので、どうしたものか、さては昨日の総菜が当たってしまったのか、などと想像をしていた。あれこれ心配していると、ヨシカワさんから朝礼後、内線が来た。
「ジョー、マッキーは病院や。午後からくるんやと」
病院!?やっぱり昨日の何かが当たったの!?パニックになりながら、そうなんですねーと答えた。そういやなんで内線だ。普通に言えばいいのに。
「で、当人から今電話が入ってる。変われ」
はい?と思う間に電話の声が変わった。もしもしキジョウさん?といういつもの声だ。
「き、昨日は大変ご無礼を……」
『いや、むしろこっちこそ突然押しかけてごめんね。しかも君に休みの予定言うのすっかり忘れてたし。今日俺午後から出勤だから、よろしくねえ』
「あの、ヨシカワさんから病院と伺いましたが、御加減は……」
『ああ、それ、ヨシカワさんには黙ってほしいんだけど、方便だから。本当は親族の集まりで、どうしても午前中だけは顔出さなきゃいけなくてねえ。正直仕事もめんどくさいけどこっちもめんどくさいんだよなあ』
マキウチさん、本音本音。とりあえず声を聴く限り元気そうなので、変なもんが当たってしまったという心配はなさそうだ。言いぐさからして、メンタルのほうが心配かもしれない。
「平日に集まりとは、大変ですね……」
『母親の実家が無駄にでかい一族だからねえ。地元じゃ本家のお嬢様だったんだよ。親父のこと許す代わりに、参加しろって、やんなっちゃうよ。和解したきっかけは妹だってのに。そんでその当人がいないんだから、笑うしかねえよ』
心臓に直接冷水を浴びせられた気分だ。世間話でもするようなテンションなので錯覚しがちだが、結構ヘビーな話が混じってる……。お疲れ様です、と声を絞り出すのが精いっぱいだった。
『なに、キジョウさん、声暗いけど、具合悪い?』
いいえ、と必死で首を振って否定した。ううう、人に気を遣わせるとは。よくないぞリエ。
『具合悪いなら早く帰りなよ、女の子なんだから。お母さん心配してるよ』
優しい言葉にうるっときて、気を付けて出社してください、と結んで電話を終えた。マキウチさん、マジでできた人だ。親族の集まり(しかも和解のきっかけになった人は故人)という胃が重くなりそうなイベントを控えているのに、わたしみたいな阿呆に気を遣えるとは。すごいぞ。ちょっということ怖いときあるけど。
「えらく長々と話してたけど、なんやって?」
「あー、午後から出社するから、とりあえずよろしく、と……」
「嘘こけ、かなり長話してたやないか」
わたしはマキウチさんを守る方に動くため、要約するとそうなるんです、と答えて仕事に集中することにした。ヨシカワさんはそれ以上追求せず、お前の名刺できたでと、小さい小箱を渡してきた。おお、名刺。事務職だったので作ることもなかったが、なんかわくわくする。名刺ケース作らないと。ひとまずサイズの近い小物ケースに数枚入れておいた。
とりあえず昨日の依頼の整理だ。おや、と気になる記述がある。関連依頼、と書いてある案件があった。
展開してみると、あの忌々しい奴の依頼案件が紐づけされていた。アイツ、どんだけ恨みを買っているんだ。と思ったら、依頼者の名前にカブラキアキコと書いてあった。おお、お母さんと同じ名前だ。というのは置いといて、とうとう奴はリリアちゃんのお母さんにまで暗殺依頼を出されてるらしい。……そして今日、事務所にお母さんが直々に来る、とな?まじですか。
「あの、ここって来客来るんですか」
「ほら、キジョウさん面接やったでしょ、あそこ使うのよお」
そういやありましたわ、応接間。普通に考えてそうですよね。阿呆なことを聞いてしもうた。
そしてそのお母さんは、マキウチさんの出社予定時間のおよそ一時間前にやってきた。リリアちゃんは長身だったけど、お母さんは小柄。うちと逆だな。そしてお母さん自体、わたしの母とは真逆と言っていい感じであった。
なんというか、ドラマなどで出てくる、「自分の言い分が正しいと信じてやまない、口うるさい母親」そのものというか。けれども娘を思う気持ちは本物らしい。事務所に来た時点で涙目になっており、紫色のアイシャドウとばっちり決めたアイラインがドロドロになりそうだった。
とりあえず、と応接間に誘導される。相手をするのは、ヨシカワさんとオノさんじゃない方のカコさん班の男性だった。わたしの席からは微妙に離れたところにあるので、声は聞こえないかと思ったが、お母さんの声が大きいのでばっちり聞こえた。
「こいつのせいで!わたしの大事な娘が!ずっと落ち込んでいて……!」
そう切り出しておいおい泣きながら、奴の暴挙を並びたてていた。どうも六股(本当は七股)発覚前から、リリアちゃんに対して横柄な態度をとっていたらしい。お母さんの口から並びたてられる奴の暴挙に、うぶな乙女をもてあそんで楽しかったか貴様、と私も胸倉つかんでぐらぐらしてやりたい気分だった。
リリアちゃんはそれでも健気に奴に尽くした。しかし、運命の日がやってきた。リリアちゃんはショックで泣きだし、あまり覚えていないという。ただ、そのほかの女性陣が、ものすごい勢いで罵倒していたらしい。……わたしもぼうっと立ってただけだけど、あれか、わたしがリリアちゃんも一緒に罵倒してたと覚えてたのと、似たようなもんか。
なお、当然ながらめそめそしながら帰ってきたリリアちゃんを見て、カブラキ家は大騒動になったらしい。父親とリリアちゃんの兄三人(そう考えるとこのお母さん、四人も生んだわけである。小柄なのにすごい)が怒り狂い、締め上げると言って草刈り用の鎌や日曜大工用ののこぎりやらを持って出ていこうとするのを、お母さんがリリアちゃんを慰めながら止めたとか。
すごい大事にされてるのねリリアちゃん。まあ、一人娘だし、そうなるか……。
「リリアは待望の女の子で……。カブラキの家は女の子があまり生まれないから、あちらの両親が特に喜んでいて……」
昨日のマキウチさんしかり、最近人の家の事情をよく聞くな。それぞれの人、家にドラマがあり、事情があるんだな。一つ、大人になった気がする。
すさまじい熱弁をお母さんが繰り広げているその時、マキウチさんがよろよろとやってきた。
「誰、お客さん?」
「あ、はい、例のあいつの追加依頼人です」
「君の元カレはすごい恨みを買ってるねえ。まあ、七股もしてりゃ、そうなるか」
そう言って、これはお母さんと食べなさいね、と言って紙袋を渡された。中身はわたしも母も大好きな、信州方面の銘菓である。やったぜ。似たようなお菓子は津々浦々にあるものの、ダントツでこれが好きだ。
「ありがとうございます……」
仲良く二人でいただきます。しかしマキウチさん、よくわかりましたな、このお菓子が好きだと。とはいえ全国区で有名だし、比較的シンプルな風味のお菓子なので、無難だと思って選んだのかも。
そう言ってマキウチさんは、カノウさんにわたしに渡したのとは別の、同じ銘菓で箱のサイズが違うものを渡した。お前、この前実は善行寺行ってきたっつってみんなに渡して来いと耳打ちしている。
「ついでにあっちのお客さんとかヨシカワさんたち用にお茶と一緒に持ってけよ」
カノウさんは素直にその指示に従い、包装紙を丁寧に剥いて、箱を開けて中のお菓子を三個取り出した。そしてそれをもって、給湯室へ向かっていった。
「あ、カノウさん、わたし行きますよ」
綺麗なフジタさんが手を挙げたが、カノウさんはいいよ、マキウチさんは俺に頼んだんだから、と胸を張っていた。君も結構マキウチさんのこと好きだな。まあ確かに、兄貴って感じなのかも。カノウさんから見ると。
「別にいいよ、あいつは動かしてやった方が」
「まあ、ヨシカワさんだし、所長今日休みだからいいですかね……」
どうもあの所長氏は、お茶くみは女性の仕事と思っているらしい。確かにわたしの時に、やってくれたのはフジタさんだった。そりゃあ、カノウさんとフジタさんだったら、女のわたしでもフジタさんの方がいいけどもさ(カノウさんに失礼だな)。
「あれ、依頼人おばちゃんじゃん。君の元カレは守備範囲広いねえ」
「いえ、カブラキさんのお母様だそうです」
マキウチさんの誤解がひどい。
「そういえばねえ、カブラキリリア周りに関して、君と俺とで聴取行くことになったよ。明日行くから、いつもの就活生のコスプレみたいな服じゃなくて、もうちょっとおしゃれな服着てね」
「えっ、でもわたし、リリ……カブラキさんに面割れてると思いますが」
「面割れとは君刑事もの好きだな。いや、本人じゃなくて周りに聞くんだよ。本人、相当メンタルに来ちゃって、休職してるらしいんだよ。明日の聴取も、万が一に備えて職場周りに聞くんだって。いやあ、君と違って彼女は繊細なんだね。見てくれては強そうなのに」
わたしへのディスを交えてくるのはやめてください。ちょっと傷つきましたよ。確かに仕事辞めて転職してこうしてやってるあたり、メンタル強いんだろうけどさ、わたしのほうが。
そしておしゃれな服とは何ですか。逆に探偵みたいな感じで聴取に行くなら、それこそあのファッションが無難では。就活生は傷つくから、もうちょっとましな色味のスーツにしようとは思いますが。
「さすがに俺は女の子の服見繕えるほどセンス良くないから、フジタさんかミヤあたりに聞きな。二人なら歳近いし、聴取は何度かやってるから、参考になると思うよ。聞くのが恥ずかしいなら、二人が着てる服そのまんま今日帰りに買っておいで」
なるほど。フジタさんとミヤマさんみたいな服か。ちらっと二人を見る。フジタさんは空色のシンプルなVネックのカットソーに、チェック柄とアクセントに小花が散ったスカートである。ミヤマさんの方は、レース襟のついたエメラルドグリーンのニットに、菫色のフレアスカートであった。二人とも、シンプルでありながらおしゃれだ。やはりきれいな人は着る服もおしゃれだな。
そしてわたしはメモ代わりに二人の衣装を軽くスケッチし、色合いをメモしておいた。
よーし、服買うぞ。大きな駅まで出ようかな。あそこなら百貨店が併設してあるし、なにより地下街にもいっぱいお店がある。あとで母に連絡せねば。なんならいったん家に帰ってから母と二人で行こうかしら。
どちらにせよ、マキウチさんから頂いたお菓子の袋を置いていきたい。ついでにおしゃれなレストランでディナーだ。親父の一周忌過ぎに、田舎町からおやじの遺産で、都会でアパートを母と借りることにして正解だったかも。あそこに住んだままだったら、行先イオンしかないもんな。
マキウチさんはどんな格好でくるんだろう。基本がワイシャツにチノパンかスラックスだもんなあ。おしゃれして来いと言ってくるってことは、マキウチさんもスーツ着るのかな。
半分期待しつつ、わたしは仕事を進めた。リリアちゃんのお母様は、あの大声が嘘のように、静かに帰っていった。
「は?何でここにいるわけ」
それはこっちのセリフです、という言葉を必死で飲み込んだ。服買いに来たらこれだよこんちくしょう。
仕事が終わった後、とりあえず家にこのお菓子を置いてきて、少し足を延ばしてこの駅まで来た。なお母は今日、パート仲間とごはんに行くらしい。お母さん、行ってらっしゃい。楽しんできて。この駅近辺オフィスで働く友人にも声をかけたが、あいにく予定があるらしい。今日は寂しくカップラーメンだなあ、などと考えながらとりあえずいい感じの服屋さんを物色しながら歩き、最終的にこのお店にしよう、と一歩踏み出したのだが。
まさか地下街にある紳士服専門店(しかも入ろうとした店の隣である)でネクタイ選んでる上司に鉢合わせるとか想定してませんよ。っていうかマキウチさん、持ってないのですか。確かにネクタイしてるとこみたことないですが。
「仕方ないでしょ、俺黒とシルバーしか持ってないもん、ネクタイ」
そう言って適当に何色か選んでマキウチさんは店員さんに会計をお願いしていた。赤、紺、橙、紫。果たしてどれだ。
「しかしまさか本当に服買いに来るってさあ。キジョウさん、マジで私服ないの?」
「服買う余裕がなかったもので……」
余裕というのは給料と時間の両方の意味である。推しアイドルのコンサート代とかを差っ引けば、あの頃の給料は微々たるものだ。今は結構余裕あるのが嬉しい。このまま最後のコンサート、三日間全部出てやる。年末だから有給とかも気にしなくていいし。
「まあ、仕方ないけどねえ、ブラックなら。いいや、ネクタイ選ぶとこ見られたお返しだ、君がどんな服選ぶのか見てやる」
ぎゃー!やめてくれー!そしてなんか釣り合わないぞ。わたしはネクタイだけなのに、全身見られるんだもん。しかしマキウチさん、ネクタイだけの割には袋大きいですね……?
「ついでに靴も揃えたら」
畜生。そしてこのお店は、全身コーディネイトを売りに、帽子や靴も買えるらしい(そして隅っこに下着まであった)。とりあえず二人をドッキングさせるような形で、身頃は藤色で白襟がついたカットソーに、黒地にキンモクセイっぽいオレンジ色の小花がいっぱいプリントされたフレアスカートにした。ついでにストッキングと靴(小さなリボンがついてかわいい)もセレクトしてレジへもっていく。こんちくせう。
「領収書きっといてね、あとで経費で出すから」
「経費!?」
驚愕である。とりあえず、上様でもらっておく。いや、何故経費ですか。
「キジョウさんさあ、ご飯どうするの?お母さんが用意してる?」
「いえ、母は今日外で食べるそうなので、適当に済ませようかと思ってたのですが」
「俺今、ヨシカワさんに誘われててさあ、良かったら一緒に来ない?ついでに明日の相談もしたいしさ」
「いや、別に構わないですけど」
しかしヨシカワさんに何言われるやら。二人一緒に行ったら、デートか二人で!と言われること必至ではないか。と思っていたら、目の前に、見覚えのある人が歩いているのが見えた。
「ミヤマさん!」
反射で声をかけてしまったが、ミヤマさんはニコニコした顔でわー、どうしたんですかあ、と歩み寄ってくれた。
「実はですね、明日聴取なので、服を新調しようとですね……」
「あー、そうですよねえ、聴取する場所、結構高いレストラン多いですもんねえ」
それは初耳ですぞ。マキウチさんの方を思いっきりみたが、当人はそっぽ向いてこっちを見ようとしない。だからか、おしゃれして来いって言ったのは。そして袋が大きい理由もわかったぞ。マキウチさん、スーツ新調したな。どうしよう、逆にカジュアルな感じかしら。でも、ミヤマさんやフジタさんの服装を参考に、ということならあの選定は間違ってないはず。
「明日はどこ行くんですかあ?」
「実はこれから、ヨシカワさんと飯がてら決めることになってさ。よかったらミヤも来なよ、飯代浮くぜ」
ミヤマさんはわーいと万歳して喜んでいた。おお、これで言い訳は立つな。マキウチさん、まさかこれを狙って……ないな。わたしは見逃さなかったぞ、マキウチさんがミヤマさんがわーいといった瞬間、ほっとした顔をしていたのは。
三人で仲良く連れ立ってきたのは、百貨店の中にある洋食店である。おお、こんなところで密談ですか。いそいそとウェイトレスさんの後ろに親子カルガモのごとくぞろぞろとついていくと、窓際の隅の席に、ヨシカワさんがスマートフォンを弄って待っていた。
「お疲れ様です、たまたまミヤとキジョウさんと合ったので連れてきましたけど、いいですよね」
「なんでや、なんでそこでまとめて連れてくるんや」
「いいじゃないですかあ、両手に花ですよ」
マキウチさん、花扱いしてくださるのはうれしいですが、ヨシカワさんに変な材料を与えてる感じもしますよ……。しかし意外にもヨシカワさんはそれ以上言わなかった。ヨシカワさんの向かい側に、三人で座ろうとした時に、せめてどっちか一人こっちに来いや、という突込みはしていたが。それをわたしもミヤマさんも無視して、マキウチさんを挟む形で座ったのは大人げなかったかしら。
マキウチさんも歯牙にかけず、とりあえずコーヒー、と近くにやってきたウェイトレスさんに注文した。わたしがアイスカフェオレ、ミヤマさんがレモンティーを注文する。食事メニューに関しては、ゆっくり選べ、ということでメニュー表を渡された。
「遠慮せずに頼みな、ヨシカワさんの奢りだから」
「なんでや、マッキーは自分の分払うんやで」
やいのやいのいう横で、とりあえずメニュー表を眺める。百貨店のレストランなんて、いつぶりだろう。下手をしたら、小学生の時以来かも。とりあえず、端っこにあるお子様ランチが変わらず国旗をチキンライスに突き刺すスタイルなのに、なんとなく安心した。
わたしは熟考した結果、ハンバーグセット(パンとオニオンスープ、食後のドリンクとデザート付き)を選択する。
ミヤマさんがオムライスセット、マキウチさんが長考の末にトルコライス(メニューにあることが驚き、長崎限定では……)、ヨシカワさんはビーフカレーを注文した。待ってくれ、単価もしかして私が一番高いんじゃないのか。
「で、明日の聴取ですけど。っていうかいくらなんでも急じゃないですか?俺も聞いたの、昨日なんですが」
「すまん、実はな、カブラキアキコとダイスケから連絡が来てん。カブラキリリアが風呂場で手首切ったんやと」
一気に場が静かになった。心臓がぎゅっと締められる。リリアちゃん、どうして。
「幸い発見が早くて命に別状はないが……どうもカブラキリリアだけ、タチバナと繋がってたっぽいな。そんで、ほかのんに相手されん鬱憤やら、悪評広まった腹いせに、モラハラ?みたいなことやってたらしい」
「わかりました、あの【男性器の俗称】でもの考えるバカをとっとと殺せばいいんですね。サクライケ嬢の依頼もあるわけですし、とっとと始末しましょう。生きていても意味ないですね」
「ジョー、お前ほんまマッキーが乗り移ってないか?言っとることそっくりやぞ」
反射的にすらっと出てしまったが、本心も本心だった。あの野郎、ぶち殺してやる。上等だ、ドタマぶち抜いたるぞ。と思っていたら、マキウチさんから頭を小突かれ、落ち着けと切り捨てられた。
「あのねえ、キジョウさん。君の気持ちはわかるし、君の元カレが糞野郎なのは俺も同意するけど、先走ってたら失敗するよ。水飲んで深呼吸して一回冷静になんな」
すいません……。ちょうどやってきた食前のカフェオレをちびちびと飲んだ。うん、おいしい。ちょっと頭が冷えた気がする。しかし、奴への怒りは収まりきらない。マジでさっさと死んでくれ、いや、死ね。
「で、その自殺未遂の原因探る体でタチバナの情報集めて来いってわけですね。こいつ、外面だけはいいんだな。なんせこのキジョウさんから金をむしり取られなかったんだし」
「……ちなみに今から請求ってできますかね……」
やけくそ気味に聞いてみた。もういい、あいつからむしれるもんむしってやる。
「あ、何、自殺の原因作ってくれるわけ?いいよ、殺したのを事故死に見せかけるより、自殺に見せかけるほうが楽だからさ。解剖できる医大から離せば、行政解剖やんないし。たしか三年くらいは慰謝料請求できるんじゃない、ただの彼女だと厳しいけど、キジョウさんならなんとかできるでしょ」
盛大にディスられた。畜生、わたしやっぱり、金にがめつい女だと思われてる。カフェオレをちびちび飲んで気にしてませんというポーズをとってみるが、悲しいことこの上ない。
「とりあえず店はいくつか見繕った。そういやマッキーって、うちの名刺持ってたっけ?」
「あー、そうか。聴取に出向くのが久方ぶりで忘れてましたわ。僕周りに説明するとき職員証で済ませてたし。名刺とりあえず突貫で作れる分だけ印刷してもらえれば、何とかします」
職員証、とは。と思ったら、マキウチさんのジャケットの裏ポケットから、ドラマの小道具でよく見かける、公務員の職員証が出てきた。顔写真と所属部署が書いてある。法務省公安調査庁調査第三部第一部門 マキウチリョウウマ……とな?
「俺、これでも準キャリ公務員なんだよ。だからカコさんとかイガラシさんから嫌われてんだよ、あの二人はキャリアだから」
「待てい、マッキーはうちの生え抜きちゃうんか」
「生え抜きっていうか、まあ確かになんだかんだで十年いますけど、普通に公務員ですよ。じゃなきゃ民間の派遣会社装った国家承認の暗殺部隊の管理職なんか、務まりませんて」
マキウチさん、公務員なのか……。それなら人に説明するの、楽かもしれない。まて、そうなるとわたしってどういう立場なの。
「えー、でもわたし達、公務員じゃないですよねえ」
「ミヤやキジョウさんたちはうちの事務員として正式採用じゃないかなあ、確か。うちやってること特殊だから、本当は職員内で探すのがベターなんだけどねえ。まあ、二人とも立派に育って俺を楽にしてくれ給えよ」
そうなってくると謎なのが所長とヨシカワさんなわけだが。所長はもしかすると天下りってやつの可能性がゼロではないが、ヨシカワさんは何なんだ。マキウチさんのこと、生え抜き(おそらく意味するところは、我々と同じポジションから始まって出世したということだと思う)だと勘違いしてたし。
「運が良ければヨシカワさんみたいにナンバーツーにつけてもらえるよ。まあヨシカワさんの場合は、単に人がいなさ過ぎて回ってきたみたいだけどね」
「なんてこと言うんや!」
マキウチさん、本当はヨシカワさんのこと嫌いなんだろうか。逆にあれか、弄りがいがあると思ってるのか?何を考えているのかよくわからない人だ……。
「あ、俺ここがいいなー。結構気になってんだけど、さすがに男一人じゃいけないもんね」
マキウチさんがガン無視して、ヨシカワさん作成のお店リストの中から選んだのは、有名ホテルのラウンジだった。特に、ここのアフタヌーンティーセットは、味もさることながら、見た目も美しいと評判なのだ。わたしも高校時代来の友達といつか行きたいねと話していたが、わたしがブラック企業勤めだったことと、今もそのころの名残で休日の使い方が下手糞過ぎてなかなか行きだせていない。ううーん、わたしも気になるけども。
「キジョウさん、ここにしようぜ。どうせゆっくり食べるのは聴取終わってからだし、なかなか行けるとこでもないしね」
「マッキー、経費を何やと思ってるんや……」
「使うための金ですよ。差っ引いたって釣りが出るくらい出るんでしょ、報酬は」
にやりと笑ったその顔は、わたしには頼もしく見えたけど、多分ほかの人から見たら、悪だくみしてる顔だっただろうな、とも思った。実際、ヨシカワさは渋柿を食べたかのような顔で、マキウチさんを見つめていた。
やってきた料理は絶品だった。ハンバーグはデミグラスソースが調和してとてもおいしい。付け合わせのニンジングラッセも、甘すぎない味でいい脇役だ。
ミヤマさんと一口オムライスと交換する。うん、こっちもおいしい。なんというか、おいしさの中に、懐かしさみたいなのも感じる。古き良き伝統の味だ。
そしてマキウチさんは無言でトルコライスを食べている。ピラフ、ナポリタン、カツレツ(中濃ソースがけ)というオーソドックスな組み合わせだ。別皿のコールスローサラダを合間に食べている。男の人の、長い指ってなぜこうもセクシーなのか。くだらないことを考えながら、パンをもそもそと食べていた。
「トルコライスなんか高校の時以来だなあ。長崎行かなきゃ食べれないもんね」
「高校って、修学旅行ですか?」
「そうそう、行き先がねー。平和学習扱いだから行き先が長崎と沖縄だったんだよ。多分今でも変わってないと思うけど」
修学旅行の目的がわたしの母校と一緒である。おまけに行き先が長崎というのも同じだし。(さすがに沖縄には行かなかったけど)
ちなみにわたしの母校はミッションスクールなので、殉教者周りのこととかもやってたと思う。記憶に残ってるのが長崎グルメとホテルで喋ったたわいもない話であるあたり本当に申し訳ないが。電車のお店のおじさん、キャッキャ喋る女子高生を見逃してくれてありがとう。
「沖縄は割とあるあるやけど、趣旨というか毛色が全然違いそうやな……」
「一応水族館とか鍾乳洞なんかも見ましたし、国際通りも行きましたけどねー。ほぼメインが沖縄戦を巡る旅でしたよ。長崎も資料館周りだったし」
「ってか長崎も沖縄も行くって、どんなスケジュールやねん。2週間ぐらい取らなあかんと違うん」
「実際そのぐらい取ってましたね。まあ、終わったら受験ムードになるから、最後に華々しい思い出という心遣いじゃないですか?結局そのあと文化祭もあるんですけど」
「ってかマッキー、出身どこやねん」
「純粋培養夜明っ子ですよ。保育園から高校までエスカレーターですわ。大学は南城です」
すーっと手を動かしながらマキウチさんがドヤ顔する。夜明ってはちゃめちゃ頭いいんじゃ……。母が学生の頃は「夜明卒は大卒と一緒」とまで言われたと聞いたことがある。そして南城も有名私立大学だ。さすがすぎる。
しかしヨシカワさんはピンと来なかったらしい。代わりにミヤマさんが聞いたことがないくらいのテンションの高い声を出していた。
「えー!マキウチさん、夜明なんですかあ?あそこばり難しくないですかあ?わたし中学の時、塾の先生が過去問持ってきたけど、解けたの1人だけでしたよお!」
「外部入学の時はレベルあがるからねえ」
しかしそんな人がなぜ殺し屋を……とはいえ公務員なわけだから、普通に試験受けて配属された先がたまたまここなのかな……。
「ってかミヤとキジョウさんはどこなわけ?いかにも二人とも女子校出身みたいな顔してるけど」
「えー、なんでわかるんですかあ」
「な、なぜご存知で!?」
ミヤマさんとついハモってしまった。そしてミヤマさんも女子校なのか。おそるべし、マキウチさん。
話をして、わたしが私立ミッションスクール、ミヤマさんが公立の女子校(今は共学になってるらしい)であることが発覚した。ついでに大学は一緒だったが、わたしが入学するときにはミヤマさんは卒業した後であるため、学生時代の面識はないというのもわかった。(そしてここで、ミヤマさんと意外と年が離れてることを知った。従姉より年上だ)
「しかしジョー、お前百合ヶ丘でてそれはちょっとなあ」
「本当だよ、あそこお嬢様学校で有名なのに。ごきげんようとか今でも言ってんでしょ?」
ぐさり。ごきげんようはいわなかったが、お嬢様学校として認知されてるのは本当だ。もともと華族女学校として設立された歴史があるために、わたしが現役時代でも、社長令嬢や親が一流企業勤務という子がクラスの過半数を占めていたと思う。そうなると、役職付きとはいえ田舎町の小さな会社勤めの父親を持った私は、異端だったかも。
とはいえ女子校の例にもれず(いや、ミヤマさんや他校の女子校出身の人に失礼か)、実態はゴリラの丘だ。本当にお嬢様なのか、と疑うくらいのゴリラ感だった。クラスで一番えげつない下ネタを話し、シスターを真っ赤にさせたあの子が、漫画に出てくるお嬢様ばりに立派な名門の家柄だった時の衝撃は忘れられない。
しかしマキウチさんをこれ以上がっかりさせたくないので、「名前は百合ですけど、実態はゴリラの集まりですよ」とは言わなかった。ヨシカワさんとミヤマさんだけだったら言ったかもしれない。
「まあでも女子校なんて、結構がさつらしいもんね。うちの妹もさあ、中高大と女子校だったけど、まあお淑やかじゃなかったしなあ。外面取り繕うのはうまかったけど」
妹さんをディスらないで上げてください、お兄さん……。そして結構がさつというのはどこも一緒らしいと聞いてほっとする。むなしい安堵感ではあるが。
「え、そうなん?女子校って、そんなんなん?」
「ヨシカワさん、幻想抱きすぎですよ。俺の妹、堂々と『女子校は珍獣動物園だから』って言いきりましたからね」
「珍獣っていうかあ、ゴリラですよねえ」
「うそやん!?ミヤはゴリラだったんか!?」
失礼極まりないですよヨシカワさん。しかし、ミヤマさんからもゴリラワードが出るとは……。一体どんな女子校ライフを。わたしとそんなに変りないかな。
マキウチさんの方は、そうか、ゴリラかあ、とだけ言って最後一口残っていたピラフを食べきった。
「で、キジョウさんは黙ってるけど、君のとこもどうせゴリラの集まりなんでしょ?」
「おっしゃる通りです……」
ごめん、わたしの仲間たち。わたしはあなたたちの名誉も、自分の乙女心も守れませんでした。悲しいことに、ゴリラの集まりと言われて、あんまり否定ができない。男性から見たら、幻滅必須なワードがポンポン飛び交ってたからな。多分、若くてかっこいい男の先生がいたら(今ちょうどやってる学園ドラマの主演俳優みたいな先生が居たら、間違いなく女子全員からモテただろう)、ゴリラ感は薄まったと思うけど、生憎そんな素敵な先生はいなかった。素敵なお姉さまみたいな先生はいたけど。
「まあ、実をいうと君が百合ヶ丘なのは知ってたんだけどさ。しかしゴリラの集まりって俺に言われて認めるなよ。仲間までまとめてディスっちゃダメだろ」
殺生な、マキウチさん……。ってか何で知ってるんだ、と思ってああ、履歴書、と思い当たった。学歴と前職場は知ってて不思議じゃないことだったわ。普通に書くもんね。
「ゴリラは一部だけであとはごきげんようみたいな挨拶が飛び交ってましたよぐらい言えなきゃだめだよ。ほら、ヨシカワさん、完全に幻滅してるじゃん。ミヤもさあ、事実かもしれないけどオブラートに包もうよ」
いや、ヨシカワさんが幻滅するのは別に構わないんですけど。マキウチさんにがっかりされるのが嫌だったから黙ってただけであって。そしてヨシカワさんは本当にがっくりとうなだれていた。追い打ちで男性教諭やシスターの前で下ネタ普通に話してましたよ、と言おうと思ったが、それを言ったらさすがにマキウチさんをがっかりさせそうだと思ってやめた。
「ごきげんようは言ってませんでしたが、お嬢様は本当に多かったですね。ゴリラですけど」
「ジョーは何なん、俺がそんなへこんでるの面白いか?」
面白いというか、ヨシカワさんが落ち込んでいるのを見ても心が動かないだけです、というのは情けで黙っていた。ミヤマさんはマキウチさんからもヨシカワさんからも引かれてもいいのか、ゴリラの園エピソードをふんだんに話していたけれど。マキウチさんはそれを聞いて苦笑いし、ヨシカワさんは絶望の顔をしていた。
わたしはどこも一緒なんだなあ、と思いながらミヤマさんに親近感を抱いていた。そしてなぜかマキウチさんはわたしが黙ってるのが気に入らないのか、ちょくちょく水を向けてきた。それを必死で、面白いことは特に何も、で逃げ切った。実際まだ言えそうなラインのエピソードはほぼミヤマさんのとかぶるし。
「まあいいさ。君の乙女心に免じて許してやるよ。これがカノウちゃんだったら、なにも出なくなるまで吐かせるけど」
これほど女でよかったと思ったことは無い。もし男だったら、最後の一滴まで絞られていただろう。
「まあ、でも明日話の流れで君の学生話させるかもしれないから、覚悟しときなよ」
わたしはこの人について行くという決断をして、本当に良かったんだろうか……。もういまさら、後戻りはできないみたいだけど。
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