第2話

 殺し屋の朝は早い。

 一日は、砂糖なしのカフェオレから始まる。

 ――――――などと気取ったことを考えながら、インスタントコーヒーに牛乳を入れただけのぬるいコーヒー牛乳を飲んでいた。今回は朝九時からなので、前職よりのんびりできる。

「リーちゃん、そんなにゆっくりでいいの?」

「うん、九時からだし、駅から近いし。前がおかしいんだよ、あそこも出勤は九時からだけど、なんやかんやで八時には会社に居なきゃいけなかったんだもん」

 前ならこの時間で、かなりワタワタとしていたが、今はBSの朝ドラが見れる程度にはのんびりできる。ぬるいコーヒー牛乳と、インスタントのコーンスープを交互に飲みながら、わたしはヒロインが男性に逆プロポーズしている場面を眺めていた。

「でも、よかったねえ。面接行って、もう明日から来てなんて」

 母が喜んでくれてわたしも嬉しい。ちなみに昨日のプリンアラモードは大変好評だった。一見すれば背が高いだけのおとなしそうな母だが、ことに食べ物に関してはなかなか手厳しい意見を出す人だった。まずいとは言わないけれど、おいしいともなかなか言わない人である。手放しで誉めたのは、父が存命のころから我が家で行きつけのうなぎ屋さんのうな重くらいじゃないかと思う。

 そんな母があのプリンアラモードはおいしいとべた褒めだった。となればあの店が一番人気と売り出していたあのロールケーキはかなりおいしいはず。今日食べるのが楽しみだ。

「ところで、どんな仕事なの?」

 一瞬世界が固まった。

 当然ながら、母は知らない。殺し屋事務所ですなんて、とてもじゃないけど言えない。夫が亡くなり、両親も介護施設暮らし、たった一人の姉は十年前に病死、息子は風来坊、いるのは給料に釣られて殺し屋やろうとするぼけっとしたあほ娘という詰んだ状況の母を、これ以上追い込んではいけない。

 たぶん、母はそんなこと言ったら卒倒する。お母さん、本当にごめん。

「う、うん、なんかねえ、人材派遣の事務職だよー」

 お母さん、本当に申し訳ない。わたしは心の中で母に土下座しまくった。

「へえ、そうなの。職場の人はどんな感じ?」

「あ、うんうん、みなさん挨拶してくれて、いい人多そうだよ」

「やっぱり、人間関係は大事だもんね」

 母も母でパート先の職場でいろいろあるらしく、前職時代、人間関係がつらいと泣きごとをいうわたしに優しかった。

 亡くなった父はその点厳しくて、甘えるなと言っていたけれど。でもね、人間合う合わないはどうしたってあるのよお父さん。お父さんだって、お葬式に来てた部下の人たちが、会場から出てすぐ「あのくそうざかった常務が死んでくれて嬉しい」って大声で喋ってたからね。一体会社でどんな態度とってたんだおっさん。六十近くなってまで自分の母親泣かせてんじゃねえぞ、あのあとおばあちゃん過呼吸起こして救急車呼んだんだからな。あんたが脳卒中で倒れた時より修羅場だったよ。

 とまあ、亡父の恨み言はこれくらいにして、一応写真と位牌の前で手を合わせておいた。

「じゃあ、行ってくるね」

「気を付けてね」

 低めで太めヒールのパンプスを履いて、わたしは家を出た。


 事務所のドアを開いて、まずは最初が大事、とおはようございます、と明るい声であいさつをした。いるのはマキウチさんとイトウ所長、それから何人かの人たち。マキウチさん以外は朗らかに、挨拶を返してくれた。

「本当に来ちゃったんだね……」

 憐れみと困惑が混じった表情でそういわれると、ちょっと不安になる。実際母には言えないし。

「はい、今日からよろしくお願いします!」

こうなればやれるところまでやったらあ、の気持ちである。とりあえず、キジョウさんの席はここだから、とマキウチさんの隣の空席を指さされ、わたしはのこのことそこまで歩いた。おお、最新版だ。前職は仮にもITがらみの仕事だったのに、わたしが辞める時までVistaのままだったし。サポート終了してるのでおしゃかになったらおしまいなわけだけど、馬鹿社長は使えるからという理由で導入しなかったんだよな。馬鹿すぎて草が生えますわ。

「まあ、来たなら頑張ってもらうかあ……」

マキウチさんはため息をつきながら、カチャカチャとマウスを動かしていた。

ちょうどチャイムが鳴り響いた。時計を見ると、九時ジャスト。皆さん立ち上がって、イトウ所長の方向を向いている。なるほど、朝礼の時間ですね。

おはようございます、と所長があいさつすると、みなさん元気よく挨拶を返す。……これだけ見ると本当に殺し屋の事務所っぽくないな。

「ええ、今日から新人さんが増えます。彼女はマキウチくんのチームに入ってもらいます」

そういって所長が手招きをする。そそくさと人の間を割って、所長の隣に立った。

「キジョウリエです、よろしくお願いします」

パチパチ、と温かい拍手が響いた、その時だった。

「すいません、なぜ彼女はマキウチさんのチームになるって確定なんですか?通常、簡易研修の末にチーム編成をするんじゃないですか?」

一人、と言わんばかりにピンと手を挙げて、異議申し立てをした人がいた。レザージャケットに濃い紫色のシャツというなかなかオフィスカジュアルの範疇外になりかねないのでは、という格好の、ベリーショートの女性である。でもかなりそのファッションが様になってて、アネゴ、と呼びたくなる感じがする。年齢はたぶん三十代前半くらいだろうか。

というか、通常の流れはそうなのか。面接時点でマキウチさんが指導係と聞いてたので、ほへー、そうなのかあ、としか思ってなかった。

「イガラシさんのとこのユヅキさんや、カコさんとこのミナミさんが退職したらどうせまた編成替えになるんです。ほかにも時短申請する人が増えるんで、今の編成はどうしたって変えなきゃなりません。短い期間で何度も変えるのは二度手間ですから、いったん僕のところで引き取ると所長と話したんですよ。ちょうどテラニシが辞めて席が空いてるんで」

大げさともいえるくらいのため息をついてマキウチさんが反論した。ちょっとその姿は迫力があります。そういえばマキウチさんとイガラシさんは同じくらいの年齢に見えるけど、同期とかなのかしら。

そして退職やら辞めたというワードを聞くと、どこの職場もそういうのはつきものなんだなあと当たり前のことを思ってしまった。

しかし、予想外の出来事が起こった。

「はあ!?ユヅキが辞めるって、どういうことよ!」

イガラシさんの叫びに、マキウチさんがいかにもやっべみたいな顔になった。所長に至っては、雀がかわいいねと現実逃避を始めた。まさかの初日から修羅場が。というかイガラシさん、あなたの部下の予定を知らなかったんですか。さすがにそこはダメじゃないですか。ご事情はよくわかりませんけど。というか所長、現実逃避しないで。マキウチさん、そっぽ向いて口笛吹かないでください、ちょっと面白いじゃないですか。

「はいはい、落ち着いてー。編成の話はマッキーの言う通り、ユヅキングとミナミンが辞めるわでどうせ変わります。なんでキジョウさんにはマッキーの指導の下研修やらやって、来月頭にまた新編成でやっていきたいと思いまーす」

パンパン、と手拍子が響く。振り向くと、いつの間にか隣に立っていた、薄めのサングラスに髭面の男性が、声を張り上げていた。この方は副所長さんとかかしら。あとで教えてもらえるかな。

「ま、というわけで今日も一日よろしくお願いしまーす」

イガラシさんだけは不服の表情で、朝礼は終わった。

朝礼後はチームごとのミーティングとなるらしい。マキウチさんのチームはわたしを入れて五人。大体このくらいの人数で、それぞれチームを組んで殺し屋業をするらしい。ひょええ。

「じゃあ、改めて自己紹介もろもろしましょうか。僕がリーダーのマキウチです。現状イガラシさんとことカコさんとこと、ヤマネさんとこと合計四チームですが、はっきり言って、うちが一番厳しいチームです。僕はやる気のない人はほかっときますので、その点ご了承お願いします」

最初からすごいジャブ。そ、そうか、マキウチさんは厳しいのか。なんでわたし、放り込まれたんですか。あ、欠員が出たからですね。なるほどなるほど。ちょっとこの先不安です。

「えーっと、わたしはニシノヤです。キジョウさん、よろしくね」

「僕はカノウです。あんなこと言ってるけど、聞けばマキウチさんは教えてくれるので安心してください」

「わたしはミヤマです、まあ、何とかわたしがやってけてるので、大丈夫ですよ」

ニシノヤさんは母よりちょっと年上くらいの女性、カノウさんはわたしよりすこし年上くらいの丸顔の男性、ミヤマさんは同世代くらいのロングヘアの女性である。皆さん、優しそうな顔で受け入れてくれてるの、ね?マキウチさんだけが渋い顔だけど。よーし、がんばるぞー。

「じゃ、本日もよろしくお願いします」

マキウチさんの礼で、チームミーティングは終わった。果たして私はどうしようかしら。とりあえず電源は立ち上げたけど、やっぱりパスワード入力必須だ。どうしよう。

「あー、とりあえずキジョウさん、それ仮パス入れる仕様になってるから、今日の日付西暦から入れといて」

そういってマキウチさんは席を立った。えー!待ってください!と思ったが、すぐ近くだった。私が今座ってる席から、右に五つ目の場所に座ってる、ボブカットの人のところだ。ポチポチと先にパスワードを入れる。起動音が小さく鳴って、デスクトップ画面になった。仮パスワードという申告の通り、隅っこに、「パスワードは仮のものです。本パスワードを設定してください」とポップアップが出ていた。

「ユヅキさんほんっとごめんね、ジュース詫びで買ってくるから、何がいい?」

マキウチさんの声はよく聞こえるけど、相手の声は聞こえない。ただ様子から見て、気にしないでくださいとかそういう話をしてるんだと思う。あの人がユヅキさんか。事情は分からないけど、新天地でも頑張ってください。

とりあえずマキウチさんが了解、と言って戻ってきた。よし、起動したね、と言って、ちょっとごめんよ、とマキウチさんがそう差し出す。わたしは邪魔にならないよう、少しばかり椅子ごとスライドした。ローラー付きは便利だ。

「パスワードは月一で更新しなきゃいけないんだけどねー。共通パスで設定するんだけど……」

パチパチと手早くパスワードを入力していく。共通パスなので単純なものだ。果たしてそれでいいのかという気もするけど。といったところで、またマキウチさんはどこかに行ってしまった。ヨシカワさーん、と叫びながら。そしてそこで、このパソコンに指紋認証する機械が取り付けられてることに気づいた。なるほど、二段認証か。

「すいません、キジョウさんのパソコン、指紋設定お願いします」

「あいよー」

やってきたのはさっきのサングラスの人だった。この方がヨシカワさんか。ヨシカワさんも手慣れた手つきでカチャカチャと捜査していく。じゃあキジョウさん認証よろしくーと繋がれた機械が近くまで来た。

とりあえず右手の人差し指を機械に乗せて、手前へスライドさせた。ピロン、と音が鳴って、認証完了しましたと表示される。早い、さすが最新式。

「じゃ、あとはよろしくマッキー」

そういってヨシカワさんは去っていった。なかなかユニークな人だ。ヨシカワさんが自分の席についたころに、マキウチさんから補足説明が入る。

「で、今のがヨシカワさん、うちの副所長。事実上のうちの司令塔」

やっぱり副所長であられたか。ヨシカワさん自身、マキウチさんたちとそんなに年が変わらなさそうだけども。あ、体力仕事になるからあんまりおじさまはいないのかな。

「うちさあ、実をいうと業務委託でやってる殺し屋なんだよね。ここの事務所は、表向き派遣会社の一事務所ってことになってる」

さらっととんでもないこと言われた気がする。

「ぎょ、業務委託って、どこから……」

「まあ、国?一言でいえば」

まさかの国家承認のアサシン集団だった。でもそうじゃなきゃ、普通のビルのテナントに入って、看板なんて出せないかも。そしてちょっと求人の件の謎が解けた。たぶんネット広告に、『表向き』の仕事として載せてたんだろう。さすがに全世界に公表されるネットで殺し屋なんか堂々と募集はしない。ああいうのは存外アナログ、草の根活動だ。勝手なイメージもあるけど。

「僕もさあ、やめた方がいいと思うんだよね。ネット広告。殺し屋業なんてブラックもいいとこの仕事を、こんな普通のリーマンよりちょっといいくらいで雇っちゃだめだよ」

マキウチさん、仮にも殺し屋やってる人の発言とは思えません。でもそうか、普通のサラリーマンよりちょっといいくらいなのか、この月給は。ちょっと反省した。下手をすると書き込みが二十万切る前職に比べたら全然天国とか思いました。ごめんなさい。

「でもねえ、これで釣られる人は後を絶たないんだよなあ。特に若い女の子。こんなはした金で、命を危険にさらすこともないよ」

わたしからすればホワイトもいいとこな給料を、マキウチさんははした金と切り捨てた。命と天秤にかけたら安いってこと、だろうか。そして当たり前なんだけど、やっぱり殺し屋業は危険なんだな。ようやくここでわたしみたいなあほ娘に務まるかしらと不安になった。いまさら遅いぞ自分。

「だからキジョウさん、やめるなら今だよ」

しかし、なぜかわたしは、マキウチさんにやめろと言われると、逆にやってやる!と思ってしまうのだった。だから、いいえ、続けます、と真顔で言い返した。おかしいな、前職の時はやる気がねえならやめろって紙コップ投げつけられたのがトリガーで辞めます宣言したのにな。そのあとはまあ、亡父のコネを使って、差額ボーナスと有給もぎ取ってやりましたけど。

マキウチさんはやっぱり困った顔で、わたしの顔をずっと見てるのだった。その顔は、なんだか寂しそうで、子供のころ飼っていたハリネズミが、諸般の事情で別の家に譲ることになった時、いざそのときに見せた表情を何故だか思い出した。

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2024年7月6日 19:00
2024年7月20日 19:00
2024年8月3日 19:00

殺し屋たちの日常 @iroha_samidori

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