殺し屋たちの日常

@iroha_samidori

第1話

 真っ白な縦長封筒を、そっとはさみで開ける。祈るような気持ちで中身を出して、そっと薄っぺらなA4サイズの紙を広げた。飛び込んだのは、「慎重なる選考を重ねましたところ、残念ながら、今回はご期待に添えない結果となりました。」という、一番見たくない文言だった。

「またかあ……」

 紙を放り投げて、わたしは寝転がった。これで11回目。新卒採用の時から通算で56回目の、「お祈り通知」というやつである。個性だなんだと言いながら、気に入らない相手にはこんなテンプレートな手紙を送りつけるわけだから、企業というやつは勝手なもんだ。

 こうなれば明日にかけるしかない。

 明日もまた、面接だ。書類審査が通っただけでも御の字。大江戸事務所、という名前の企業だ。

 最初3か月の研修期間から月収30万、土日祝休み、勤務時間は九時から五時半、残業はほぼなしという魅力的すぎる条件だ。仕事内容は事務作業。未経験者歓迎。逆によろしすぎて怪しいが、今の私にとってはありがたすぎるものである。

「ただいまあ」

 一緒に暮らす母の声が聞こえた。おかえり、と返事をして、とりあえず不採用通知を封筒にしまいなおしてごみ箱に捨てた。無礼には無礼を、理不尽には理不尽を。なんつって。

「どうだった、この前のは」

「今ちょうど不採用通知が来てポイ捨てしたとこ」

「じゃあ明日のは気合入れなきゃだね」

 本当にそう思う。いつまでもパートの母だよりではいけない。早く仕事を見つけなければ。

「ごめんねえ、お母さん。堪え性のない娘で」

「別にいいんじゃない、体壊したら元も子もないし」

 母のそういうところが好きだ。確かに体を壊したら働くどころじゃないもんなあ、と思い直す。どうかご縁がありますように。明日面接行く前に、近所のお寺にお参りしてくるか。

 二人でとりあえず食事の準備をして、向かい合って座る。いただきます、と手を合わせて、今日のおかずであるぶりに箸を伸ばした。


 わたしは先月半ば、新卒から勤めていた会社を辞めた。理由はありきたりだが、ブラック企業だから。堪え性がないとはいえ三年もよく働いたなー、と自画自賛する。たぶん、耐えれた理由は複数ある。1つは付き合っていた彼氏と本気で結婚したくて、そのためにお金を貯めようという目標があったから。2つ目は、高校時代から大好きなグループアイドルのライブチケット費のため。ブラックゆえに有給なんてなかなか消費できないから、いけるのは近場に限られていたけど、グッズやDVDの購入をしてたので、その分も含めて頑張ってた。

 でもその2つは、無くなってしまった。そうなったら、あの会社でしがみつく理由がなくなった。だから辞めた。

 彼氏は先々月だったか、月1回のデートでうきうきして待ち合わせ場所に行ったら、なんと彼氏に詰め寄る三人の女性の姿があった。これはどういうことですか、と間抜けな質問をしたところ、一人がこいつ三股かけやがってたんですよ!と叫んだ。なので私はびっくりして思わず、「どういうこと、わたし入れたら四股じゃん」と言ってしまって、さらに修羅場だった。

 おまけにさらに二人あとからやってきて、そのうちの一人が、「あたしら全員棒姉妹かよ、うけるんだけど」と引きつりながら発言したため、もう彼は火だるま状態だった。

 あの後どうやって帰ったのか覚えてない。とりあえずあの時思ったことは、「六股かけて、一人もタイプが被らないってすげえな」という変な感心だった。詰め寄ってた三人は、ストレートロングのお姉さん系、ゆるふわパーマの妹系、ベリショの男勝り系だったし、あとから来た二人は、ギャル(彼女が棒姉妹発言主である)とクールなメガネ美人だった。あまりによりどりみどりで、恋愛ゲームかよ、と思わず心の中で突っ込んだのも覚えてる。

 帰ったあと別れましょうとラインして、それで終わったと思う。というかあの後本当にどうなったんだろう。私以外の五人で彼に詰め寄ってぼこぼこにしてたような。

 もうそのあとは母に泣きつき、高校の同級生にラインで愚痴りまくった記憶しかない。

 今なら水くらいぶっかけられると思うけど、あの時はショックすぎてぼーっと、五人が彼に罵倒の限りを尽くしているのを見ているしかできなかった。

 浮気男、滅びよ。

 グループアイドルは、これも先々月、突然年内でグループの解散すると発表したのだ。しかも私が一番推していたメンバーは、芸能界を引退するという衝撃的な発表だった。ショックすぎて、その日はスマホを眺めたまま固まってたと思う。

 そしてこれも帰宅して母に泣きついた気がする。お母さん、ほんとうにごめん。

 結構この2つは、わたしの社会人時代の大きな支えだった。特にアイドルのほうは、自分で収入を得てグッズやチケットを買うというのがこんなにも嬉しいのか、とひどく感動を覚えたものだ。ずっと応援していて、これからも応援するつもりだったからこそ、こうも突然お別れが来るのが信じられなかった。

 夢って覚めるんですね。いつまでも夢を見ていられるわけじゃないのね。

 支えをなくし、自分を省みて、果たして私はあの会社で頑張る意味はあるのか、と思ってしまった。

 自分の中で頑張る理由を会社の中で見いだせてなかった時点で、私はあの会社に向いてなかったんだと思う。よく、「私が辞めたらほかの人に迷惑が……」なんていうけど、わたし一人辞めた穴をうまく埋められないならそれは機能してないのも同然だと思う。歯車が欠けたら新しいのに交換すればいいだけの話で、それができないような会社なんかつぶれて当然なのだ。

 とまあ、とりあえず二年前に亡くなった父の友人である弁護士さんのつてでこういう労務関係に詳しい人に相談し、着々と消化しきれてない有給と本来支払われるべきだったボーナスをもぎ取って辞めたのである。世の中頼りになるのは金と親のコネだなあ、としみじみと思った。マジで滅びろブラック企業。

 とにもかくにも、明日は面接なのだ。パックをして髪を綺麗に櫛ですき、早めに就寝することにした。面接は十一時からだけど、まあよく眠ってすっきり行動できるようにするべきだ。お寺にお参りもするし。

 布団に潜り込んで、目を閉じた。ちょっと前まであの忌まわしい彼氏のことを思い出してたから、なんとなくむかむかしてしまったけど、想像の中で彼をサンドバッグにしてぼこぼこにしてたらちょっとすっきりできた。そのすっきりした気持ちをもって、わたしは眠りについた。


 早く寝たから目ざめがいい。軽装に着替えて、散歩がてら近所のお寺に行った。ご縁にかけて五円玉をお賽銭箱に入れて、手を合わせた。どうか、今日面接に行く大江戸事務所さんとご縁がありますように……。

 くるりと振り向くと、植えてある桜の枝にポツンと、花が咲いているのが見えた。来た時には気づかなかった。異常気象によって各地でこういう現象が見受けられると、ニュースでやっていたな。

 桜は母が好きな花だ。見せてあげよう、とスマホで写真を撮って、寺を出た。

 家に帰って朝ごはんをしっかり食べて、スーツを着て、化粧をして。よし、と気合を入れる。大丈夫だ。時計を見るといい時間。書類やら財布やらを就活用のバッグに詰める。

 母に行ってきます、と声をかけて、わたしは駅まで歩いた。大江戸事務所の所在地は、地下鉄の駅から徒歩三分。周りには本屋さんもケーキ屋さんもあるし、なかなか便利なところだ。

 とりあえず面接で言うことを考えながら、電車を待った。乗り込んでふと広告を眺めると、前職の社長を彷彿させる中年男性が、脂てかてかのきもい笑顔で写ってるのが見え、気分が悪くなったのでスマホに目を落とした。かっこいい俳優の写真だったらよかったのに。今人気の、背が高くてさわやかな感じのあの俳優とか。

 とにもかくにもあっという間に目的地の駅までついた。降りて改札を出て、階段を上がる。出口右手へまっすぐ。かつかつとヒールが軽やかに音を立てる。あった。

 いわゆるオフィスビルの一角にあるようだ。結構建物自体はきれいだ。自動ドアを抜けて、とりあえずメールの通り、受付に立っていた女性に、大江戸事務所様の面接の約束をしていたものですがと取次ぎをお願いした。

 そばかす顔の小柄の女性は、にっこりとお待ちくださいと軽やかな声で返事をして、内線電話で取り次いでくれた。

「イトウさまがお迎えに来るそうです。しばらくお待ちください」

 イトウというと所長の名前もイトウだったはずだ。自ら迎え出てくれるとは。なかなか期待ができるかも。

 うきうきした気持ちで待っていると、小柄で丸顔のおじさまがあらわれた。

「キジョウリエさんですか?」

 はい、と明るく返事をした。じゃあ、上に行きましょう、とエレベーターの前まで歩く。割とすぐ来て、乗り込んだ。

「今日はどうやって来ました?」

「地下鉄で来ました。自宅から駅までは徒歩で」

「どのくらいかかりましたか」

「そうですね、大体三十分くらいです」

 たわいのない会話だが、これも面接の一環、と気を引き締める。チン、とエレベーターが止まって、扉がゆっくりと開いた。階ボタンを押して、イトウ所長が降りるのを待つ。イトウ所長が降りて、わたしも一歩、脚を進めた。

 こじんまりとしてるが、きれいな事務所だ。透明なドアをイトウ所長が開いて、どうぞと招く。頭を下げてそそくさと入り、隅でイトウ所長を待つ。

 うう、緊張してきた。こちらの応接室で面接をしましょうと案内される。ちょうど、オフィスを突っ切る形だ。

 パソコンが並べられ、人が座っている。ごくごく普通の会社に見える。ひとつ、丸眼鏡をした男性の隣が空いていた。あそこがわたしの席かな。いやいやまだ決まってはないけれど。

 面接会場となる部屋に入ると、とりあえずかけて待ってくださいと言われた。椅子はソファー。なかなかふかふかで、立ち上がるのに苦労しそうだ。イトウ所長は部屋を出て、一番応接室に近い席に座ってる女性に声をかけた。遠めだが、きれいな人だ。たぶん私と同世代くらい。

「フジタさん、お茶、用意してもらえるかな」

「わかりました」

 そんな声が聞こえる。おお、ドキドキしてきた。深呼吸、深呼吸。

 先ほどフジタさんと呼ばれた女性がお盆を持って入ってくる。近くで見るともっときれいだった。オフィスだから薄化粧だけど、それでも同性のわたしがうっかり見惚れてしまうほどだ。湯のみが3つ。おや、と思っていると、フジタさんと入れ替わりで、イトウ所長と、さっきの丸眼鏡の男性が一緒に入ってきた。

 立ち上がって一礼すると、まあまあ座ってと促される。二人が座ったのを見届けて、わたしは改めて腰掛ける。

「あらためて、私が所長のイトウです。彼はマキウチくん。指導係になってもらう予定だ」

 なるほど、だから一緒に来たわけだ。うまくやっていけそうかどうかを、マキウチさん自身も選考する、と。がちがちな状態で、とりあえず名前からかな、と考えていると、マキウチさんが口を開いた。

「キジョウさん、やめるなら今のうちだよ。うちは殺し屋だからね」

 マキウチさんの発言に、思わずはい? と聞き返したくなった。殺し屋、とは? 普通の会社ではないのですか? マキウチさん自身、普通の人に見える。眼鏡がちょっと、時代劇に出てきそうな本当の丸眼鏡なこと以外は。顔つきも鋭いとか特にないし。服装も普通のポロシャツにチノパンで、殺し屋っぽくはない。殺し屋ってどんな格好してるのか、いまいちわからないけど。

 ちょっと、とイトウ所長がとがめるような声を上げるが、マキウチさんは意にも介してないのか話をつづけた。

「僕から見て、君は人が殺せるような人に見えないな。まあ、最初は事務とかやってもらうけど、いずれは実働隊として殺し屋になってもらいたい。だけど人どころか虫も殺せなさそうな女の子雇うわけにはいかないんだよ」

 し、辛辣! だけど虫も殺せなさそうというのは当たってる。名前を言うのも忌まわしい黒いあの虫の退治は母任せだし。そんな私が殺し屋なんて。逆にどうやってこの会社を見つけたんだ、過去のわたし! ちょうどエントリーしたころは彼氏の六股発覚とアイドル解散で心がへし折れたうえ、職場がマッハでデッドヒートな状態だったせいで心がかなり病んでた時期なので、実をいうと記憶があんまりない。たぶん、ネットの求人広告か何かだとは思うんだけど。

「そんなこと言わないでよ。フジタさんだって、最初は殺しなんて無理なんて言ってたけど、今じゃ立派な戦力だよ。キジョウさんにもぜひそうなってほしいと思うよ」

「そんな人材、なかなかいませんよ」

 なんと、あの綺麗なフジタさんも殺し屋さんだったのか。まあ、当たり前といえば当たり前か。

 マキウチさんの言いたいこともわかる。向き不向きは人間あるもんだ。やっぱりうまい条件には罠があるんだな。謝ったら帰してくれるかしら、などと思っていたところ、イトウ所長がとにかく、と話し出す。

「まずは条件から話そう。給料は最初の3か月は30万、それを終えたら45万で、年間少しずつアップしていく。ボーナスは夏と冬で年2回、支給額は大体3か月分。交通費は全額、食堂がない代わりにお昼ご飯の手当ても出ます。土日祝休み、勤務時間は九時から五時半、休憩は一時間、残業はほぼなし。時短勤務やフレックスも希望していただければ調整します。福利厚生もおおよその会社でやってるようなことは完備してます。服装はオフィスカジュアル。マキウチ君も言っていたけど、最終的には実働隊として動いてもらうことになるけど、まずは事務作業を覚えてもらいたい。実働隊に入るのは、とりあえず一年を目標かな」

 広告の条件より魅力的だ。でも殺し屋……いや、最初は事務作業だけど。悩ましい。お母さんを心配させたくないし、でも一人娘が殺し屋になる方が嫌かなあ、とか。ぐるぐると逡巡して、わたしはやります、と宣言した。

「ありがとう! 早速だけど、明日から来てほしいんだが、構わないかね」

「はい、大丈夫です!」

「本当にいいの? 殺し屋だよ?」

 マキウチさんはすごく困惑した顔で聞いてきた。別に給料に釣られたわけではない。だけど、とても魅力的すぎますよ! 前職なんかボーナス入れても半分もなかったのに! そんなの頑張るしかないじゃないですか!

 とまあ、はしゃいだ気持ちを抑えつつ、頑張るのでよろしくお願いします、と人生で一番深いお辞儀をした。


 契約書に名前とハンコを押して、そのコピーを控えでもらい、とりあえず今日はそのまま帰宅した。マキウチさんは最後まで困った顔をしていたが、ほかの皆さんはよろしくねー、と温かい言葉をかけてくれた。

 こんなにやさしい人たちだらけなら殺し屋でもいいや、とさえ思った。なんせ前職はセクハラ親父にパワハラ糞野郎、揚げ足とってくるお局ババア、上司に媚びうるクソアマと、クソオブザクソの人材の集まりだった。逆によくも三年も働いたなわたし。マキウチさんだってわたしを心配してくれて行ってるのはわかるから、別に気にしない。むしろ気を使ってくださりありがとうございますだ。いい人たち! みんなに幸あれ! よくわかんないけど、そんなことを思いたくなる人たちだ。

 帰るついでにケーキ屋さんに寄った。名前は『poco a poco』。はちみつを使ったこの店一番の人気商品であるロールケーキと、母が大好きなプリンアラモード、そして私が大好きなチョコレートケーキを購入した。

 スキップしたい気持ちを頑張ってこらえて、でも満面の笑みがこらえきれない状態で電車に乗った。気持ちが明るいからか、靴音も軽やかだ。帰宅すると、母はまだパートから帰ってきていなかった。

 とりあえず買ったケーキを冷蔵庫にしまい、スーツを脱いで部屋着にしている高校のジャージに着替えた。そしてバレッタをはずし、ふう、と息をついた。

「やっっ……たぁあああああ!!」

 万歳してボリュームに気を付けて歓喜の声を上げた。行って面接ですぐ採用! めっちゃ好待遇! 殺し屋だけど! とにかくうれしくて、誰かに話したくて仕方なかった。

 とりあえず母に、プリンアラモード買ったよと送り、わたしは遅い昼食をとるべく、棚からカップラーメンを取り出した。

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