超常現象 あるいは怪物 ③

 紀乃には幼稚園からの親友がいる。彼女の名前は石田佐月いしださつきという。付き合いの年数は刑部よりも長い。お互いの家に何度も行き来し、家族ぐるみの付き合いと言ってもいい関係になった。また、紀乃は佐月から、彼女の母親以外で唯一「さっちゃん」と呼ぶことを許されていた。


 佐月との思い出は数多いが、一番印象が強いのは、小学校五年生の時の出来事だ。

 クラスメイトの私物が無くなり、紀乃が盗んだ、と決めつけられた。当然覚えは無いので濡れ衣なのだが、その盗まれたと主張する子は紀乃が盗ったと譲らなかった。


 あいにくその子がクラスの中心だったために、担任すらその子の味方だった。針のむしろの中、唯一紀乃に味方したのが佐月だった。結局その子の勘違いで、表面上は元通りになった訳だが、当然うっすらとその影響は残った。微妙に気まずい中、佐月だけは変わらず接してくれた。だから紀乃は大事な友達だと思っている。しかしあの日以降、佐月のデフォルトは仏頂面になった。以前は割と笑ってた記憶があるが、あの日を境に、少なくとも紀乃の前で佐月が笑った記憶はない。表向きは今まで通り振舞ったが、内心遠慮があった。


 ただ、それも永遠に続く訳では無い。その時点で、紀乃と佐月は卒業を機に、離れ離れになるはずだったのだから。


 佐月は四年生の時点で有名進学校への受験が取り沙汰されていた。周りからあそこ受けるんだよね、と聞かれて一応、と答えているのを何度も見ている。一方の紀乃は、志望校を決めたのは五年生の冬休み前あたりだ。もともとは普通に公立中学に通う気だったのだが、今通っている夜明学園に見学会に行き、その明るい雰囲気にひかれて受験を決めた。紀乃はその決定を佐月に伝えなかった。伝えたところで通う学校が違うのだから無意味と思ったから。


 ちょうど夜明学園への受験を決めたあたり、佐月と受験はどうする、という話になった。タイミングがいいな、と思いつつ素直に「夜明を受験する」と話した。さっちゃんは、と聞いてみると恐るべき返事が返ってきた。


 「今志望校が変わった。わたしも夜明に行く」


 「……さっちゃん、今いつか知ってる?」


 「知ってるよ。別に今から志望校が変わるなんてよくある話だ」


 「だってずっと前から決まってたんじゃないの……?」


 「周りが勝手に言ってるだけだ」


 何故か佐月は妙に不機嫌だった。ばいばい、と別れたあと、刑部に渋い顔をされた。


 「紀乃は本当ににぶちんじゃ。大体なんであの子にさっさと行く学校言わんね」


 「……さっちゃんはもう、わたしと一緒にいるの嫌かなって」


 阿呆か、ほんまに鈍い、とため息をつかれた。


 「紀乃がそもそも気にしいじゃ。あの子がそんな気い遣って優しくするように見えるかね。そうじゃないのはお前が一番わかっとるじゃろ」


 そう言われてしまうと、そういうキャラでは無いのだ、佐月という女の子は。可哀想だから一緒にいてあげる、なんて絶対思わない、と確信がもてる。そういうなれ合いはむしろ嫌いな方だ。それでも気を使ってるのでは、と考えてしまうのはやはり自分に負い目があるからだろうか。本当は、そうじゃないと思ってる、思いたい。けれどもその棘があるから、佐月の手をとれないでいる。


 これは頬抓りかな、と考えていたところ、でも紀乃の気持ちもわかるよ、と続けた。


 「負い目を感じてる相手が、変わらず付き合ってくれるの、嬉しいけど申し訳ないと思うものな。わしも似たようなことがあった。わしは結局そいつに最後まで本心は聞けなんだ。紀乃よりずっと大人のわしが聞けんかったんじゃ、紀乃が聞けんのも仕方ないと思うよ」


 随分優しい言葉をかけられたことに拍子抜けした。無論、思ったより優しい、と言ったらお前わしをなんと思っとる、と凄まれたが。そのあとふっと笑って、「本当に嫌と思ったら、きっと紀乃が何も言わんでも離れてくよ。それまでは仲良くしとけばええんじゃないかえ」と紀乃の頭を撫でた。


 そう言われたら、あの刑部が聞けずじまいなら自分が聞けなくてもしょうがないな、と変な開き直りができた。嬉しいけど申し訳ない。似た経験があると言っていたが、それでも自分の気持ちをピタリと言い当てられて、この人には敵わないな、と痛感することにもなった。


 しかしその後、刑部から恐るべき通告がなされた。


 「不肖の弟子を持つと師匠は苦労する。紀乃が十二になっても今のまんまなら、あの子に姿見せて洗いざらい腹割って話させようかね」


 「えっ!?」


 「満じゃからたっぷり時間はあるが?正月じゃとさすがに二週間もないからなあ、今からじゃ」


 「さっちゃんお化けダメなのに!?だからずっと姿見せなかったのに!?」


 刑部のことは佐月にすら言っていない。理由は彼女がお化けの類がてんで苦手だからだ。多分ずっとわたしの近くに幽霊がいたの、などと言おうものなら失神物だろう。


 「そこはもう飲み込んでもらうしかないな。あのな、お前ほんまに今のまんまでええわけなかろうが。仲直りと言うと少し違うが、お互い腹割って話さにゃずーっとギクシャクしたまんまじゃぞ。わしは優しいから見守っとったが、そろそろ我慢の限界じゃい。紀乃は弁が立つくせに自分の気持ち伝えるのへったくそじゃもんね。もし期限切れた時はわしが隣で解説してやるけえ、安心せえ。その方がかえって気楽かもしれんぞ」


 おおよそごもっともなのだが、自分で優しいって言うな、とか、解説するって何、等気になるところはいくつかある。気楽どころか地獄絵図だ。


 鬼、と言ったら阿呆、と頬を抓られた。ちぎれるほどでは無いがそれなりに痛い。下手をすると生身の人間にやられるより痛いのはどういう理屈だろうか。


 「それが嫌ならさっさと自分で言えゆうとんじゃ。わしは野暮天ではないけえ、話するなら邪魔せんようにちょーっと離れたところにおってやる」


 「ええ……」


 要は来年の誕生日までに佐月と腹を割って話せ、という訳だ。それを過ぎても出来ないようなら、師匠立ち会いの元話し合い、と。日付だけなら確かに半年以上あるが、長期休みなどを差し引けば言うほど長くはない気もする。


 紀乃はしぶしぶながら、師匠の提案を受け入れた。刑部はさて、ちゃんと言えるかねえ、と完全に面白がってる素振りである。ちくしょう、とくすくす笑う刑部を恨めしく思いながら、でもいざ言うとなるとどうしようと考えてしまうのだった。


 結果紀乃は勇気を振り絞って、期限ぎりぎりに佐月に話をした。そうしたら号泣された。嫌われたかと思ってた、と言われ、紀乃がなんで、だった。ともかく二人は以前の関係を取り戻し、お互い夜明学園を受け、二人揃って合格した。


 そして振り分けられたクラスも一緒だった。学年が上がっても同じだったので、なにかの意図すら感じた。


 クラスが同じなら当然行動も同じくする。特にグループを決める時は、大変だった。仏頂面のまま佐月が絶対に紀乃を掴まえ、離れようとしないからだ。


 もう小学校の時の決まりは無いから自由でいいんだよ、と言ってみたが、無視された。逆に痛いくらいしがみつかれてしまった。そのくせ顔はちっとも笑ってない。ためしに佐月が来る前に別の誰かに話しかけてみたが、眉を吊り上げた佐月にみんな恐れをなしてか、だんだん断られてしまった。けれども別に紀乃と一緒になれて嬉しい、という感じはない。佐月の顔だけ見るなら、紀乃といるのは不本意と思っているようにすら見える。行動と表情の落差に、初めて親友が理解できない、と思った。元に戻ったと思ったのは自分だけだろうか、と紀乃は不安になった。


 「さっちゃん、なんであんなに不機嫌なんだろう」


 「元々愛想がいいわけじゃなかったろ」


 帰宅途中、刑部に愚痴のように話しかけたところ、にべもない返事であった。それはそうなのだ。出会った時から、愛想という点では佐月は全くなかった。真面目な性格と意外と照れ屋な気性が嫌な形に混ざった結果、仏頂面がデフォルトである。美人なのにもったいない、と紀乃は密かに思っている。佐月は亜麻色に近い明るい茶髪が似合う、黙っていれば西洋人形のような容姿だった。喋れば小鬼なのだが。


 「だとしても限度ありますよー。なんかわたし、嫌われてるのかなあ、やっぱり」


 「それならとっくにあの子は紀乃のこと切り捨てとるよ。あんなべったり引っ付かれといて何を言うかね」


 「それは……そうですけど……」


 「紀乃は優しいけど本当に気にしいじゃ。本当の気持ちなんて話さなわからんよ。わしなんか二度と友だちとは話せんもの。お互い生きて口があるんじゃ、堂々と話し」


 「二度と話せないって、師匠が成仏できないからですか?」


 微妙に触れられたくないかな、と思いつつ聞いてみる。刑部の過去はこれまで聞いたことがなかった。現代から数えて約四百年前の人であることは、ある時話の流れで言われたが、詳しい素性は聞かなかった。容姿からかなり若くして亡くなったことは想像がつくため、具体的に聞くのがはばかられたのだ。ただ、紀乃が特に佐月との関係に悩むと、自身の経験を織り交ぜてアドバイスをしてくる。自分は生きてる時にできなかった、だからお前は同じ轍を踏むな、と。


 「うん……それよりきっと、向こうはわしのことなんか嫌いだもの。今更どの面下げてと、ますます話せんくなるだけじゃ……」


 みるみる気弱な顔と声になってしまったので、紀乃は大層な地雷を踏んだと思った。


 「あの、すみません……嫌なこと思い出させてしまって」


 「いや、わしが悪い。ずっと付き合ってくれとる紀乃に、ろくに話もしとらんのだもの。……あと成仏もなにも、わしはそもそも仏教徒でもないでな。寺育ちではあるが」


 「えっ!?違ったんですか!?ってことはそもそもお坊さんじゃない!?」


 出会った場所が寺だったので、てっきり僧侶の霊だとと思い込んでいた。修行中に亡くなったか何かだと考えていたのだが、そもそも違ったらしい。


 「大じじ様にも驚かれたけど、そんなにわしは坊主みたいかねえ?ちゃんとこんなに立派な髪があるのになあ」


 そう言って頭巾も布も外して素顔を晒した。その下からうらやましいほど綺麗な黒髪があらわになった。もともと猫毛なのか、霊体であるにもかかわらずふわふわとそよいでいるように見える。宗派によっては髪型は自由なのだが、刑部の時代は剃髪が基本だったのだろう、極めて不服そうである。美形は顔をゆがませても美形なのがずるい、と的はずれな感想を抱いた。


 「本職のひいじいちゃんがお坊さんだって間違えるなら、それっぽいんですよ。わたし本当に今の今までお坊さんだと思ってましたもん」


 「それもそうか、大じじ様が間違えたなら、紀乃が勘違いしとるのはしょうがないな」


 二人で笑いあって、不思議じゃねえ、と刑部は呟いた。


 「……本当に、なんでこうなったんじゃろう。未練がないと言えばうそになるが……」


 ずいぶん気になることを言ってくれたが、先ほど盛大な地雷を踏んだせいか聞くのにためらいがある。幽霊になってとどまるのは、たいていこの世に未練があるからだ、というのは創作物ではお約束だ。未練に限らず、何かしらの強い気持ちがあると幽霊になるのだ、と曽祖父は語っていた。昔の人間がやたら大仏だの社をばかすか立てるのは、そういう例がたたりをなすのを恐れているからだ、と。


 刑部は一体、何を抱えているのだろうか。気になるが、時折過去を思い出してい悲しそうな顔をされると、詳しく聞くのは申し訳ない気がして、聞くことはできなかった。


 そして佐月にも、本心をうまく聞けないまま、表向きは親友面で付き合った。月日は流れて、紀乃が中学三年生になった年、運命の時が訪れた。

 

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