飯をつくる女子高生と小学生女児じゃない私

最宮みはや

前編 餓えと徘徊

 餓えというものは、人間からすべてを奪う。

 タブレットペンを持つ手が震えて、お腹がくぅと脅えた子犬みたいな声で鳴いた。


「……なにか、あったかな」


 一人暮らしが数年。加えてフリーランスでデザイナーをやっている私には、毎日出社する必要もないし、会話する相手というのもほぼいないに等しい。

 家で一人、ぼそぼそと生きている。

 そのせいか、ついつい口からこぼれる独り言も増えた。

 いろいろと考えて、在宅で働ける環境というのは私にベストな選択だと思っていたが、こうも家にこもってしまっている現状を考えると問題があったのかもしれない。


「……あー、なんもない。紅生姜しかない。これつまみながらエナドリでも飲むか」


 最後に取ったまともな食事――チェーンの牛丼屋でテイクアウトしたときにもらった小袋入りの紅生姜を見つけた。数日前の牛丼を思い出すと、空腹をごまかしで済まそうとしている自分が惨めで仕方ない。

 カロリーが、栄養が、人間の暮らしがほしい。


 窓の外は既に暗かった。しかし時計を確認すれば、まだ二十時前。

 遅い時間ではあるが、二十五歳の私が外出するには本来なんの問題もないはずである。スーパーでも、飲食店にでも駆け込めば良い。仕事も一段落したのだから、少し奮発して出前だって頼む選択肢もあった。


「……でも、なぁ。いやでも、紅生姜」


 紅生姜と玄関を交互に見つめ、私は決心した。

 だいぶ前に買ったスタジャンを羽織る。まだ何度かしか着ていないが、これは比較的にだ。


「よし、いってきます」


 電源の入っていないルンバに声をかけて、私は家を出た。

 駅から徒歩数分、築年数の浅いオートロックのマンション。私の財政事情からするとやや家賃がかさんでいるけれど、セキュリティのことも考えると必要な投資だろう。


「あっ、こんばんはー」


 マンションの廊下に出て直ぐ、誰かが私に親しげな挨拶を向けてきた。

 隣室の住民は顔もうっすらとしか覚えていないが、少なくともすれ違ったからと挨拶を交わす関係ではない。

 とはいえ、こんなにはっきりとした挨拶を無視もしづらい。私はうつむいていた顔をあげ、相手を確認すると、


「あはっ、こんばんは」


 目が合ってもう一度挨拶してきたのは、女子高生だった。

 髪色は染めているのか明るく、化粧も薄らしている。少し大人びて見えたが、近隣にある女子校の制服を着ていた。


「こ、こんばんは」

「あたし、織園おりそのミトンです。この前あっちの部屋に越してきて」

「ど、どうも……芹沢佳穗あしざわ かほです」


 記憶に薄れていた隣人は引っ越していたらしい。

 新しい住人が彼女――女子高生がこのマンションで一人暮らししているとも考えにくいので、家族で住んでいるのだろうか。1LDKであれば、手狭ではあるが二人くらいは住めるだろう。まさか彼氏と同棲? いや、女子高生がそれはないか。


「カホちゃんかー。カホちゃんはおでかけかな?」

「え? ……まあ」

「一人?」

「……すみません、急いでるんで」


 女子高生――織園ミトンも私がしていたようにこちらをあれこれ推察していたのだろうか。興味深げにいろいろと聞いてくるが、面倒だったし、何よりお腹が空いていたので失礼して切り上げさせてもらう。

 生活が不規則で、滅多に家から出ない私が隣人とは言え彼女と顔を合わせることはあまりないだろう。ご近所付き合いなんてものもやるつもりはない。


 詮索なし、関わりなし。

 私はそう心に念じながら、軽く頭を下げてそそくさとスーパーに向かった。

 しかし、この時間なら半額のお弁当や惣菜でもあるだろうという予測は外れていた。どれも売り切れており、食材はあるが今から買って帰り調理する気にはなれない。

 そもそも、私は料理なんてほとんどしない。


「うっ」


 外だというのに、お腹が鳴りそうになった。もう限界である。私は近くのファミレスへ行った。牛丼を持ち帰る選択肢もあったけれど、大丈夫、今はしっかりとした服装だ。ファミレスで食事をするくらい、なんとかなるはずだ。


「いらっしゃいませー」


 入店した私に、店員は直ぐに気づいて近づいて来た。男性店員は柔らかな笑みを浮かべながら、


「ご家族の人はあとからいらっしゃるのかな? 何人かな?」


 と言った。


「……一人です」

「え? 一人? お母さんかお父さんが、あとから一人来るのかな?」

「じゃなくて」

「大丈夫だよ。テーブル席が空いているから、座って待っていようねー」

「……っ」


 こいつ。

 にこにこと笑顔の彼は、接客にも《子供》にも慣れているのだろう。

 けれど――。


「わっ、私は子供じゃないっ!!」


 私は二十五歳、立派な成人女性である。

 ただし――背は低く、顔も幼い。


「どうした?」


 私がついかっとなって大きな声を出したから、もう一人別の店員がこちらに来てしまった。先ほどの男性店員と私を見比べて、心配そうにしている。


「あー、この子がちょっと」

「親御さんは?」

「一人みたいで」

「迷子? 店長呼んで……警察かな?」

「あっ、えっ」


 二人はそのまま困った顔で、とんとんと話を進めていく。待ってほしい。話を聞いてほしい。


「違っ、警察はやめて」


 けれど十五分も経たずして、近くの交番から呼ばれた警察官が来てしまった。顔なじみの。


「またですかー? やー、この人、こう見えて本当にちゃんと成人されてまして」


 へらへらとした警察官――八倉桜子は、「ねー織園さん」と私の頭をなれなれしくポンポンとしてくる。それが成人相手にする態度か、不真面目お巡りめ。


「やめてくださいよ」

「もー、芹沢さんもちゃんと自分で説明して下さいよー。もう何度目ですか? 迷子と間違えられて、わたしが呼び出されるの」

「……言おうとしても、聞いてもらえないんですよ」


 自分のコミュニケーション能力が低いのも事実だが、私だけの問題ではないと思う。

 私の外見が子供に見えるからと、何を言っても取り合わない人間が多すぎるのだ。

 店員二人は謝罪してくれたが、その目には戸惑いと不信感が募っていた。「本当に成人?」と疑っている。

 八倉さんの説明を聞いてこの態度だ。私がどれだけ必死に訴えかけても、聞いてもらえたとは思えなかった。せめて顔写真付きの身分証でもあれば。しかし免許証はないし、マイナンバーカードを普段から持ち歩くのは抵抗がある。


 ――いや、保険証になるわけだし、持ち歩くのが普通のものなのかな?


 社会との関わりが薄いせいで、私の中では未だにマイナンバーは万が一にも他人に知られてはいけない個人情報の筆頭である。

 仕事相手からマイナンバーの提出を求められるのだって、まだ躊躇うくらいだ。


 それでも――。


「で、芹沢さんここで食べてくんです? いいなー、わたしも仕事中じゃなかったらなー」

「あ、いや……帰ります」


 警察まで来て、完全に店内からの注目を集めてしまっていた。

 こんな状況でこのまま食事をするというのは、さすがに辛い。空腹のことを考えれば、そんなことくらい無視してしまえばよいとも思う。しかしこれ以上目立って、顔を覚えられたくない。小学生に見える二十五歳として変なあだ名でも付けられようものなら、今後この付近を出歩けなくなる。


 ――いっそ、恥を忘れて成人であることが知れまわったほうが楽に生きられるだろうけれど。


 スーパーでも「一人でお使い偉いね」と毎度のように褒められて、出前をすれば「お留守番かな? お金もちゃんと払えてすごいねー」と驚かれる。

 散々だ。

 私はただお腹いっぱい食べたいだけなのに。

 そうだよ、私は小さい。だからこそ、たくさん食べてもっと大きくなりたい。もう二十五歳、成長期なんてとっくに終わっている。それでも毎日お腹を空かせるよりは、いくらか可能性も出てくるはずだ。


「……っ」


 でも今さすがにUターンして、ファミレスに戻るのは、さすがに違うか。

 こうなれば牛丼屋に寄ってテイクアウトしよう。

 あそこの外国人のアルバイトは接客中いつも虚空を眺めていて、客がどんな人間かも気にしていないことが多い。ただし、他の客は別だ。牛丼屋に一人で小学生に見える女子がいれば、不審に思う。じろじろと見られながら食事をするのは気が休まらない。

 時間を選べば――と思ったこともあったが、昼間は「学校に行かずサボっている子供がうろついている」と警察や近隣の小学校にまで連絡されることがあるし、もっと遅い時間ではすぐに補導されてしまう。

 そうでなくても、女性としてあまり夜中に出歩くのは避けたいけれど。


「はぁ、これ、けっこう大人に見えると思ったんだけどな」


 着てきたスタジャンは、大人っぽく、かっこいいと思って選んだものだ。こんな私でも服装を選べば、少しはマシになると思っていたが、効果はまるでなかった。

 悲しいが、今日は牛丼と後はサラダでも持ち帰って――。


「え」


 ――店舗機材故障のため臨時でお休みさせていただいております。


 終わった。

 牛丼屋のドアに貼られた貼り紙に、私は絶望した。

 結局、最終手段であり私の絶対防衛線、生活の九割を預けているコンビニへ行くことになった。飽きたと言う言葉を言い飽きるくらいには食べているコンビニのお弁当やおにぎり、パン。

 美味しい。味は申し分ないし、近年騒がれている量の問題も、幸か不幸か小柄な私には気にならない。

 でもやはり、コンビニはどこか人生の一部を補うものな気がする。

 あるべき生活があって、そこに足りないものを急場でしのぐ。そういうときにコンビニを使うのが本来の姿であり、生活のほとんどがコンビニでかった食事というのは、危機感を抱いてしまう。


 ――今更、か。


 ここ数年、ずっとこの調子だ。

 コンビニが悪いわけではない。ただこうやって生活の選択肢がないことに、自信を失っていき、自暴的な精神状態が悪循環となっていることが問題なのだ。

 美味しい食事を満足に食べたい。

 私の望みは、ただそれだけなのに。

 背の低い私には、それすら手が届かないのか。


 おにぎりを二つ。上の段に残っていたものをつかんできたが、これすらかかとを上げて、背を伸ばしてやっと取れた。

 エナジードリンクもいくつかまとめ買いして、とぼとぼと家に帰る。


「……はぁ」


 憂鬱な足取りで、玄関のドアノブに手を触れたときだった。


「あーっ、カホちゃん帰ってきたー! おかえりー」

「……え?」


 隣の部屋の前で、先ほどの女子高生――織園さんがドアを背にもたれるようにして立っていたのだ。


「やっぱり一人だ」

「あ、あの」

「カホちゃんが心配で、お姉さん待ってたんだよー」

「え、心配って、……お、お姉さん?」


 にこにこと微笑む織園さんは、趣味で制服を着ているわけでない限り私より年下である。


「うん、だってもう夜なのに一人でお出かけしちゃって……それでわかったんだ。お腹空いてるんでしょ。さっきもちょっとお腹の音したし」

「えええぇっ!?」

「だからほらっ、お姉さんがご飯つくって上げる! ほら、だから入って入って」

「ご飯って、え、入ってって」


 そうして女子高生は隣室――彼女の部屋のドアを開いて、私を手招きする。

 私はコンビニの袋を片手に、さっき会ったばかりの女子高生の手料理をごちそうになっていいのかと悩んだ。

 けれど、コンビニのおにぎりでは満たされないなにかを求めて、私はその誘いに乗ってしまった。

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