久々の社交界、やや不穏な空気

 ヘレーナがアーレンシュトルプ侯爵家の王都の屋敷タウンハウスで生活を始めて一ヶ月経過した。

「ヘレーナ、はい、あーん」

 エリオットはヘレーナにラズベリージャムクッキーを食べさせようとしている。もちろん、ヘレーナはエリオットの膝に乗せられている。

 ヘレーナはエリオットに身を委ね、口を開ける。

 サクサクとして、甘酸っぱい味が口の中に広がった。

「美味しいです」

 ヘレーナは表情を綻ばせた。

 するエリオットはヘレーナにそっとキスをするのである。

(少し過剰な部分はあるけれど、エリオット様はわたくしのことを大切にしてくださっているのよね)

 エリオットの重く激甘な愛情も、すっかり受け入れるようになったヘレーナである。

「そうだ、ヘレーナ。一週間後にアーレンシュトルプ侯爵家と繋がりがある侯爵家から夜会に招待されているのだけど、そこで君を僕の婚約者として紹介したいんだ。一緒に出席してくれるかい?」

 ムーンストーンの目は、甘く真っ直ぐである。

「クレイツ侯爵家主催の夜会でございますね。承知いたしました」

 ヘレーナはイェシカから教わったアーレンシュトルプ侯爵家と繋がりがある家を思い出し、頷いた。

「ありがとう、ヘレーナ」

 エリオットは優しくヘレーナを抱きしめた。

(そういえば、ここに来てから久々の外出になるわね)

 ヘレーナは改めてエリオットの婚約者になり、アーレンシュトルプ侯爵家の王都の屋敷タウンハウスに来てからのことを思い出した。

 朝は当たり前のようにエリオットが側にいて、次期侯爵夫人としての教育を受ける時もエリオットが隣にいた。そして書斎で本を読んでいる時も、必ず側にエリオットがおり、時には彼の膝に乗せられて読書をすることもあった。ティータイムでも、エリオットは当たり前のように自分の膝にヘレーナを乗せてくるし、ヘレーナにお菓子を食べさせてくる。

 この一ヶ月、ずっとアーレンシュトルプ侯爵家の王都の屋敷タウンハウスでエリオットと共に過ごしていたのだ。

 外とのやり取りは家族との手紙のみ。外出も一切していなかった。

 しかし、アーレンシュトルプ侯爵家の王都の屋敷タウンハウスは広いので、退屈することはないヘレーナであった。

(夜会では、教わったことの実践、それとアーレンシュトルプ侯爵家に有益な新たな人脈も築きたいわね)

 ヘレーナは密かに意気込んだ。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 そして迎えた夜会の日。

「紹介します。僕の婚約者、ローゼン伯爵家のヘレーナ嬢です」

「ローゼン伯爵家長女、ヘレーナ・シェスティン・フォン・ローゼンでございます。どうぞよろしくお願いいたします」

 ヘレーナはエリオットに紹介され、関係各所にそう挨拶をした。

「おお、貴女がヘレーナ嬢ですか。この度は、おめでとうございます」

「これはこれは、素晴らしい女性ですね。エリオット様が羨ましい」

「エリオット様と末長くお幸せであることを祈っております」

 ヘレーナとエリオットの婚約は、概ね歓迎された。

 しかし、ヘレーナには少しだけ気になる点があった。

 祝いの言葉を述べる者達がどことなく大袈裟で、ほんの少し怯えているようにも感じたのだ。

(……気のせいかしら?)


 その後、ヘレーナはエリオットと共にダンスをする。エリオットのリードに身を委ね、守られるように舞うヘレーナである。


「ヘレーナ、喉が渇いただろう? 僕が飲み物を取って来るから、そこで待っていて欲しい」

「承知いたしましたわ。ありがとうございます、エリオット様」

 ヘレーナはふわりと微笑み、壁際に用意された椅子に座るのであった。

 しばらくすると、ヘレーナの方に複数人の令嬢達が近付いて来た。

 彼女達を率いているのは、ふわふわとボリュームのあるダークブロンドの髪にヘーゼルの目の令嬢だ。

(あのお方は……)

 ヘレーナはその令嬢に関する情報を思い出し、ゆっくりとカーテシーで礼をる。

「そこまで畏まらなくても良いですわ」

 穏やかな声が頭上から降ってきた。

 ヘレーナは体勢を戻す。

「ありがとうございます。ローゼン伯爵家長女、ヘレーナ・シェスティン・フォン・ローゼンでございます」

「初めまして、ヘレーナ様。わたくしはダーナラ公爵家長女、リネーア・シーヴ・フォン・ダーナラですわ。この度はエリオット様とのご婚約、おめでとうございます」

 穏やかではあるが、やはりヘーゼルの目はほんの少し怯えを含んでいた。

「ありがとうございます、リネーア様。あの……確か、リネーア様はエリオット様と幼い頃から交流があるとアーレンシュトルプ侯爵夫人からお聞きしましたわ」

 ヘレーナはイェシカから言われたことを思い出した。

「ええ、そうですわ」

 リネーアは頷き、ヘレーナの手を握った。

「ヘレーナ様、どうかエリオット様のことをよろしくお願いします。全てはヘレーナ様次第なのでございます」

 ヘーゼルの目は、まるで必死に懇願するかのようである。

「えっと……それはどういった意味でしょうか?」

 ヘレーナは少し困惑しながらきょとんとしていた。

 よく見ると、リネーア達はほんのりと怯えを含んだ表情なのである。

 その時、ヘレーナにとって聞き覚えのある声がした。

「ヘレーナ、お待たせ」

 エリオットである。

 リネーア達はエリオットを見ると、一瞬だけ大きな怯えを露わにした。

「はい、ヘレーナ。クラウドベリーのソーダだよ」

 エリオットはヘレーナに琥珀色の液体が入ったグラスを渡す。甘い香りがし、表面で炭酸が弾けていた。

「ありがとうございます、エリオット様」

 ヘレーナはソーダを一口飲んだ。

 シュワシュワと癖のない甘さが口の中に広がった。

「あれ? リネーア嬢達もいたのか」

 まるで今気付いたかのようなエリオット。

「ええ、まあね」

 リネーアはほんの少し怯えたように苦笑する。

「では、わたくし達は失礼いたしますわ、ヘレーナ様。お二人でゆっくりお過ごしください」

 リネーアはそう言い、令嬢達を引き連れてその場を離れる。穏やかだが、やはりどこが怯えを含んだ表情であった。

「ヘレーナ、リネーア嬢達とは何を話していたのかな?」

 ムーンストーンの目は甘く真っ直ぐヘレーナを見つめている。

「いえ、ただ挨拶をしただけですわ。エリオット様の幼馴染なのですよね?」

 ヘレーナはきょとんとしている。

「まあ、幼い頃から交流はあるよ。本当にただそれだけなんだけどね」

 エリオットは苦笑した。

(リネーア様達もだけど、何となく今回の夜会に参加している方々はどこが怯えているような雰囲気があるわ。どうしてかしら? それともわたくしがそう見えているだけかしら?)

 ヘレーナはリネーア達や今までの夜会のことを思い出し、疑問を感じていた。

「それよりヘレーナ、主催者のクレイツ侯爵閣下が庭園を開放しているみたいなんだ。せっかくだし行ってみよう」

 優しく微笑むエリオット。

「そうですわね。それと、わたくし、他の方々とも交流してみたいですわ。アーレンシュトルプ侯爵家の為にも人脈は広げておきたいですし」

 エリオットに話しかけられたことで、ヘレーナは疑問を一旦置いておくことにした。

「そうだね……。だったら、庭園を見た後、僕と一緒に行こうか」

 エリオットは少し考えてからそう答えた。

「ありがとうございます」

 ヘレーナはホッとしたように微笑んだ。

 その後、ヘレーナはエリオットと庭園を見に行くのであった。

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