5 彼のおかげ、彼女のせい
一也が瑞希たちを連れて行ったのは、隠れ家のようにひっそりと建つ料亭だった。
瑞希は小さな茉優には向かないのではと思ったけど、店に入るなり出迎えてくれた女将は、茉優に合わせるように屈みこんで優しく言ってくれた。
「いらっしゃいませ。奥のお座敷を用意しております」
瑞希はふと自分の格好と店の様子を見比べて、一也に言う。
「一也、ここは浴衣で来てよかった?」
「お前はそういうとこ気にするよな」
「いや、一也はスーツだからいいけど」
「そうなのか?」
一也が女将に何気なく問いかけると、彼女は慌てて首を横に振って答える。
「今日は花火大会ですし、浴衣でいらっしゃるお客様もおいでです。ご心配なく」
「そうですか? ……茉優ちゃん、大丈夫だって。ありがとうございます」
瑞希は女将にぺこりと頭を下げると、茉優の手を引いて笑った。きょとんとしていた茉優も、瑞希が笑っているのを見てまた元気になった。
でも瑞希は子どもの頃から、一也に連れられて結構高級な店の格式を知っていた。奥の座敷へ案内される中で、その内装といい設備といい、ここも相当だと気づいた。
瑞希は一也にまた訊ねる。
「よくこんな急に予約できたね」
「予約はしてない」
「え?」
「いつでも来ていいと言われてるだけだ」
あっさりと答えた一也に、瑞希はそういうとこが傲慢なんだからと呆れる。
瑞希は気にしすぎるくらいにいろんなことが気になって、一也は傲慢なくらいに細かいことを気にしない。だから二人でいると、ある意味バランスが取れていた。
案内された部屋につくと、一也は茉優を抱き上げて座敷に上げてやる。
席についてしばらくすると、涼しげな夏らしい前菜が出てきた。以前一也に京都へ連れて行ってもらった時のような、細工物みたいに綺麗な野菜や豆の料理だ。
瑞希は茉優の様子を見ながら声をかける。
「茉優ちゃん、箸が上手になったね。もう大人だね」
「やったぁ」
ゆっくりとしたペースで出される料理は、あっさりとしていて量も程よかった。これなら体調を崩していた由奈や、まだ小さな茉優も大丈夫だと、瑞希はほっとしていた。
一也は用意されていたアレルギー表を確認しながら、瑞希に言う。
「ここはいろんなものを食べられるところが気に入ってる。瑞希、好きなだけ頼めよ」
子どもの頃から、瑞希は必ずアレルギー表が必要な自分の体質がもどかしかった。
一也は細かいことを気にしないわりに、瑞希のアレルギーには過敏なくらいに気を遣っていて、アレルギー表を出さない店には連れて行かない。
由奈もそれを知っていて、瑞希の向かいの席から優しく言う。
「瑞希ちゃん、ずいぶんいろんなものが食べられるようになったものね」
瑞希はむずかゆくなってうつむく。
小さい頃、瑞希が食べられるものはとても少なかった。そのせいで泣いてしまったこともあって、一也に励まされた。
――瑞希、心配すんな。お前が大きくなる頃には、いろんなものが食べられるようにしてやる。
一也は瑞希を医者に診せて、たくさんの珍しい食材も取り寄せてくれた。瑞希の食事に付き合って好きなものを食べられないときもあったと思うのに、文句一つ言わなかった。
だから瑞希は本心では、一也に感謝している。素直に言葉にできないだけだ。
ちょっと黙ってしまった三人を見て、茉優が声を上げる。
「うー……ずるいの」
やんちゃな茉優はもぞもぞと一也の膝の上によじ登る。
「まゆも!」
茉優に不意を衝かれて、一也は苦笑して言う。
「ああ、悪い悪い。ほら、茉優。面白いのが来たぞ」
一也は茉優に、運ばれてきたセットを指差す。
火を使わないタイプの薄い電気コンロと、何本かの串、野菜や肉が綺麗に並んだ皿がいくつかテーブルに置かれて、茉優はきょとんとした顔をした。
「なぁに?」
「自分で揚げて食べるんだよ。茉優もやるか?」
「うん!」
「一也さん、ごめんなさい。……茉優、こっち」
由奈は慌てて茉優を取り返して、自分の隣に戻した。
瑞希も出てきたセットを見ながら、料亭にこんなサービスがあったんだと驚いていた。
油が良さそうだし肉も綺麗な赤なので、脂っこいものが苦手な瑞希も大丈夫そうだ。
瑞希が目を輝かせているのを見て、一也が声をかける。
「作ってやろうか?」
「自分でできるよ。そんな年じゃないんだから」
瑞希はむすっとして、黙々と串を作り始めた。それを見て、一也が危なっかしそうに言う。
「火傷すんなよ」
「しないって」
茉優も由奈に作ってもらって、はしゃぎながら串を見ていた。ママまだかなぁ、と繰り返しながらじっと油が踊るのをみつめている。
なんだか由奈と茉優の家で鍋に呼ばれた時のような雰囲気で、瑞希は茉優の串を作ってやりながら笑った。
茉優は上機嫌で瑞希に言う。
「みずきちゃん、これおいしかったよ」
「じゃあ私も食べようかな」
茉優は自分のことだけに集中しているように見えるけど、おいしいとこうして瑞希にも食べさせたがる。
茉優はもう一本由奈に作ってもらった串を持って、笑顔で差し出す。
「はい、みずきちゃん」
瑞希は茉優から串を受け取って、それを口に運ぼうとした時だった。
「……あ」
突然一也が手を伸ばして瑞希の手首を掴んだので、瑞希は思わず串を落としそうになる。
「か、一也?」
瑞希がそっと一也の顔を窺うと、そこにあったのは青ざめた一也の顔だった。つかまれた手の力も強くて、瑞希は柄でもなく緊張してしまった。
「一也さん」
横から手を差し出して一也の手を外したのは、由奈だった。一也が手を引っ込めると、由奈は瑞希の手に元のように串を握らせてくれる。
由奈はそっと一也に告げる。
「瑞希ちゃんはもう、卵は大丈夫なんです」
「……知ってる」
一也は大きく息をついて、もう一度言う。
「知ってるんだ」
瑞希は一也の手が震えているのを見て、胸が痛んだ。
子どもの頃、瑞希は卵で急性アレルギー反応を起こして、病院に運ばれたことがある。
――瑞希! 瑞希、みずき!
一也は救急車の中でも、病院に運ばれてからも、たぶん瑞希の意識がないときも、震えながら瑞希の名前を呼んでいた。看護師たちに無理やり瑞希から離されても、治療が終わるなり瑞希の手を握って離さなかった。
――ごめんな、ごめん……瑞希。二度と食べさせないようにするから、絶対に俺が気を付けて見てるから……二度と、離れていこうと、するなよ……!
そのときの悲痛な一也の声音が耳に蘇って、瑞希はずきりと胸が痛んだ。
顔を上げて一也を見ると、彼はもう涼しげな顔をして自分の食事をしていた。
「なんだよ。さ、食え」
でも瑞希と目が合うと、どこか心配そうな目で、一言告げた。
……彼のおかげで自分は元気になったけど、自分のせいで今も彼は心配している。
瑞希は始終、一也が掴んだ手首の辺りを気にしながら、食事を進めていった。
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