第20話 小田美貴が知らない事。
元旦の夜。
小田美貴は母と会話をしなかった。
父がヘトヘトの顔で調停者のように、仲介人のように間に立つ。
あえて悪役に徹すると決めたはずの母は、朝の小田美貴の態度と「うるさいんだよ!アンタはずっと勉強勉強って!それしか言えないのかよ!」と言ってきた言葉が許せなかった。
悪役に徹する事も二の次にしてしまうくらい冷静ではいられなかった。
小田美貴が眠ってしまっている間にあった、小田父の仲裁には「女同士の、男にはわからないポイントを自分はわかっているという」という自負がある事で無視を選んでいた。
小田父からすれば明日は小田母の実家に行くのに、コレでは義母に申しわけも立たない。
申しわけない中、義母から残念そうな顔で「娘の事は女親ですけど、こういう時には男親にも頑張ってもらわないと」と言われるのも見えている。
見えているのは、中学に入ってすぐの時も同様の出来事があった。
小田美貴は小学生とは違う中学生という特別感から反抗期が始まり、小田母と3ヶ月くらい冷戦を迎えた。
あの時もお盆に顔を出して、小田父は義母…小田美貴からすれば、祖母からチクリと言われていた。
それこそ、その時の体験があるから、小田母は万事を甘く考えていた。
急な子離れを受け入れられない心は間違った方に暴走し、小田美貴をあらゆる力で押さえつけ、どちらが上かを思い知らせた経験。
頭を下げてくるまで小遣いを渡さない、不満を言えば主婦の仕事をやらせてみる。
中学生という名ばかりの肩書と、小田美貴の矮小さの現実を思い知らせた。
そこまでして事態を収束させた成功体験が小田母をより意固地にさせていた。
そこに関しては小田父の方が娘の変化を理解していた。
怒り任せに怒鳴った小田美貴は、一度目覚めた後、篤川優一がこれ以上小田家で不利にならない為に、母の事を無視したが、キチンと食事をすると部屋にこもって泣いていた。
そこに聞こえてくるノックと、「なあ、少しだけいいか?」という父の声。
まるで日本神話にある天岩戸のように開かれない扉。
だが、小田父には知恵を授けてくれる思兼神様がいない。
途方にくれる中、扉の向こうにいる、小田家の
小田父はひとまずホッとした。
「いや、少し話が聞きたくなったんだ。お前の彼氏の事なんだ。いいか?」
「やだよ。悪く言われたくない」
冷たく抑揚のない声に、小田父は「〜…っ」と声が出てしまう。
だが諦めずに「違う、どんな奴なのか俺は聞いてない。母さんは聞いていたみたいだが、俺は聞いてないから、美貴の口から聞きたいんだ」と続ける。
扉の向こうからは、ため息の後で「バイト先の先輩」と聞こえてきた。
今度の声には感情が感じ取れたので、小田父は嬉しそうに「それは聞いたな、どこに住んでるんだ?」と改めて聞くと、一瞬の後で、「隣町、住宅街で大きな郵便局のそば」と返ってくる。
土地勘のある小田父が「あの辺りか。間に幹線道路もあるから、信号に捕まったりしたら、うちからのんびり歩いたら1時間はあるだろ?」と意見すると、小田美貴は「それなのにお父さんは送ってくれた優一さんを怒鳴った」と不満を漏らす。
「そりゃ、何も知らなくて、大切な娘を夜中まで連れ回す男だとしたら怒鳴るだろ」
「優一さんは優しくていい人だもん」
今度は小田父がため息の後で、「俺はそれを知らねぇよ」と言うと、すぐに小田美貴は「…なんで?お母さんは?」と聞いてきた。
「あの日、保護者会から帰ってきて、成績が急落したって怒ってる時に『彼氏が出来て浮かれている』って聞いて初めて知ったよ。てかお前、話さなきゃ知らないからな?お前は俺の事キチンと知ってるのか?」
「知ってるよ」
呆れ声の小田父は「なら秋の健康診断で要検査の項目は?」と聞いてみる。
小田美貴はそれこそ何も知らずにいて、父は健康、ずっと元気と思っていて、寝耳に水で怒っていた事すら忘れて、「え!?なにそれ!?聞いてないよ!」と聞き返してしまう。
小田父はアルコール好きが原因で、今年初めて肝機能の数値で要検査の結果が出てしまっていた。
「ほらな、他人が自分の事を知っているなんて言うのは、ダメな思い込みなんだよ」
呆れ笑いする父親はくしゃみをしてしまい、小田美貴が心配して扉を開けると、父親は元旦の夜に薄着で廊下に座っていた。
「入っていいよ。あったかいよ」
「いいのか?助かる」
父親は丁寧に篤川優一の事を聞いていく。
聞かれる度に小田美貴は知らない事が多すぎて、困惑と恥ずかしさで顔が曇ってしまう。
だが、父親は「知らない」と聞かされても責めることもなく、慰めることもなく、淡々と「そうか」と言っていく。
ある程度話した後で、小田父は「違うかもしれないが」と前置きをして、「母さんが言いたい事もこういう部分なのかもな」と言う。
母親の名前が出て、折角の空気が台無しになるのが分かるが、父親は「まあ俺の意見だと、そのよく知らない事が沢山の男の為に、お前がそんなに泣く必要があるのか?という心配がある」と言う。
「なにそれ?」
「だってそうだろ?好きな食べ物すら知らない、美貴が聞かないだけかも知れないが、自分の話が少ないんだろ?お前、もしあの篤川がパクチー好きで、パクチー食えない女はありえないって言い出したらどうすんだ?」
パクチーが嫌いな小田美貴は、「え!?」と悲鳴のような声をあげて反応をした後で、唸るように「えええぇぇぇぇ…」と言って父の顔を見る。
「もしもだよ」と呆れ笑いで返した父は、「だからよく知らないで、そんなに好きってなってると心配になるんだ」と説明をする。
小田美貴は自然とストンとハマるように父の言葉の意味がわかる。
「あー…、後な、謝りたかったんだが。酔ってとんでもない事を言ったと、あの後母さんから聞いたんだ」
それはあの「お前!娘の身体目当てだな!?」発言だろう。
あれは本気でドン引きした。
小田美貴はそれを思い出しながら、「なに?」と牽制する。
「何となくだがな、美貴を信じてないわけはないんだ。ごく普通に俺たちの頃は付き合ったら、すぐそういう事をしてたから、よくわからずに大切な娘を夜遅くまで連れ回す男ならって決めつけてたんだ。後は売り言葉に買い言葉だ」
父はキチンと言葉にした。
謝ってくれれば気分もいい、悪い気はしない。
だが、父は愚かにも「本当に何もしてないのか?」と聞いてきた。
前言撤回。
大切な娘だというのなら、その娘になんて事を聞くんだ?
どうして篤川優一はあんなに優しくて、紳士的なのに中年の父親はデリカシーがないのだろう?
小田美貴は敵に向かうように「は?」と聞き返すと、父は困り顔で、「いや、してなくて嬉しいような、ムカつくような、勿論、滅多矢鱈にそういう事して欲しいわけじゃないんだ」と言ってブツブツと悩んでいる。
纏まっていない父の言葉に本気を感じた小田美貴が、少し躊躇した後で、小さく「したもん」と言い、バツが悪そうに「キスはしてる」と言うと、父はほっとした顔で「なんだよあの野郎。する事してんじゃねえかよ」と言って安堵した。
怒られるかと思っていた小田美貴は不思議そうに聞き返すと、「何もしてないってあの野郎、手までしか繋いでないとか思うだろ?」と小さな憤りを見せてから、「なら、あの男も考えているのかもな」と言った。
篤川優一が考えていると聞いた小田美貴が「何を?」と聞き返す。
父は「キチンと美貴との付き合いをだ。好きになったのは働く姿、なら仕事が変わったら嫌われるかもとかを考えているのかもな」と言う。
「え!?そんな事ないよ!優一さんは優しくて厳しくて凄くて!だから好きなの!」
「それ、キチンと言ったか?」
キチンと言ったかと聞かれると自信がない。
いつも深い話をせずにいたし、好きとは言ったがどこがとは全部言えてない。
その事に気付いた小田美貴は「え……?」と聞き返した後で、「あ……」と青くなる。
「だから、アイツもそのうち嫌われるかもって思って、何もしなかったのかもな」
この言葉に小田美貴は愕然とした。
そんな気がしてくる中、父親は「キチンと沢山の話をしろ、アイツの好きなものや沢山のことを知って、本当に自分と合うか確認しろ」と言うなり、立ち上がると「寝る」と言って部屋を出て行こうとする。
小田美貴が慌てて「お父さん!」と声をかけると、父は面倒くさそうなそぶりで振り返り「なんだ?」と返す。
「ありがとう」
「いや、明日は群馬の婆ちゃんが楽しみにしてるんだから明るくしないとな」
本音か建前かわからない言葉、小田美貴はそこには触れない事にして、もう一度「ねぇ」と声をかける。
「なんだ?」
「私と優一さんの仲は認めてくれる?」
父を味方につけたかった。
だが父は「あ?…んー…?」と悩んでから「微妙」と言った。
この流れで微妙の答えが返ってくるとは思っていなかった小田美貴が、「なんで!?」と聞き返すと、父親は「やっぱり6つ上だからだな。離れすぎてる。だが、話はしてみろと言える。それだけだ」と言って小田美貴の部屋を後にした。
父親が階段を降りる音が聞こえた直後、甲高い金切り声で「もう!すぐに甘やかす!何がキチンと聞いてみたよ!あの子はまだ子供よ!」と聞こえてきて、小田美貴は少しだけ父には悪いと思ったが、母と仲直りは無理だと思った。
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