第168話 制服少女は何故かできる。
アオスビルドゥング公爵領――教育公爵領魔術特区内にて。
大気に漂う魔力は少しずつ密度を増し始め、瞬く間に束ねられていく。
魔力の
それによって生じた恒星の如き輝きは、空間を歪め始める。
そして――
魔力の過集中が臨界に達した瞬間、魔法円がその場に展開された。
魔力によって描かれた文様――術式は煌々と輝き、世界を歪める程の魔力が出力へと変換された結果、その場に居なかった筈の存在が出現する。
「なるほど……『転移』は、術者の移動経験が反映されるみたいだね!」
アンファング村から、魔術特区へ。
景色が変わると『転移魔術』の発動者――姉が自ら、先陣を切って足を踏み出す。
「……
「誤差無し!
転移先の世界魔力で術式出力を確保するの大成功!
アイディアの大勝利だね!」
「あなた方……もっと気を遣えませんの?
『えっ⁉ な、何が起きたんですか……?』
魔術に夢中な
1人は騎士リッチェン。
もう1人は、トラーシュ先生から「連れて来い」と指示された、制服姿の少女――
「
これは私の開発した『転移魔術』って言ってね!
色々な所に一瞬で移動できる魔術なんだよ!
どう? 凄いでしょ?」
姉は怯える制服少女との距離を詰めると、爽やかな笑顔を浮かべる。
少女はそんな姉の顔を見て、ポツリと呟く。
『は、はい……凄いです。日本ではこんな風に移動できませんから』
「やったあ! いっちゃんに褒められたあ!」
阿部さん――制服少女の話を聞くに、どうやら俺が生きていた時と、そこまで交通手段の変化はなさそうだ。
それにしても――
……阿部さんは、俺たちの言葉を聞き取れているから兎も角。
何故か制服少女の言葉の意を、姉は汲み取れている。
おそらく持ち前の観察力を駆使して、少女の表情から、彼女の言いたいことを察しているのだろう。
恐ろしい洞察力だ。
『あっ』
少女は恥ずかしがっているにも関わらず、姉に手を握られ、ブンブン振り回されている。
ふと周囲を見回すと、この騒ぎによって魔術師たち――学生・社会人問わず――が「なんだなんだ?」と集まって来ていた。
……おそらく原因は、阿部さんの魔力だ。
街中――それも基本的に魔術師しかいない魔術特区内に、急に出現した広大且つ膨大な魔力。
好奇心旺盛な生き物である魔術師が、それに惹かれるのは必然である。
故に興味や警戒心をこちらに向けるのは、理解できるのだが――
「ああ……なんだ。そういう事か」
「なるほどね」
「またか……」
彼らはこちらを一瞥すると、納得したような表情で去って行く。
……この謎対応は何だ?
「……皆、慣れちゃったんですのよ」
俺の視線から何かを察したのか、少女騎士が呆れたように告げる。
「慣れだと?」
「ええ。
『ああ、またあの姉弟が何かやってるよ』って思われているんですのよ」
……失礼な。
姉ならまだしも、俺にはそんな対応をされる謂れなどないというのに。
そんな不満を抱いていると、丁度
「アンス」
アンスカイト・フォン・アオスビルドゥング。
公爵家嫡男にして、俺の友人だ。
冬季休みだが、どうやら学校に来ていたらしい。
しかし俺に呼ばれた少年は、その美しい相貌を嫌そうに歪める。
「ルング、今の私と君は無関係だから話しかけないで欲しい。
君は今、私をこの騒ぎに巻き込もうとしているだろう?
だが、残念だったね。
いつも私が、君の策略に嵌ると思ったら大間違いだ」
言うや否や、燃える様な髪と瞳を持つ美少年は、
……速い。
アンスの背中が、あっという間に小さくなる。
少年の鍛錬の成果なのだろう。
見事な逃げ足だ。
……だが――
確かに見世物になっているこの状況に、アンスを巻き込んでやろうと思ってはいたが、こうもすげなく扱われると、少し寂しい。
「……これが思春期――反抗期ってやつか」
「自分の日頃の行いを、少しは反省すべきだと思いますの……」
少女騎士の責める様な声が、冬の空に虚しく響き渡ったのであった。
転移を終えた俺たち――姉と阿部さんと俺の
ちなみにリッチェンはいない。
到着早々、騎士団から呼び出されたのだ。
「ルング、絶対にイスズ様を守るんですのよ? アンファング村の騎士として!」
「……俺は魔術師――」
「四の五の言わず、頷くんですの!」
そんなやり取りをすると、少女騎士は輝く連絡用魔道具を手に、渋々去って行ったのだ。
『この――』
俺たちを案内する、
阿部さんはそれを見回して、
「この……きれいな、風は、何ですか?」
たどたどしい言葉だ。
幼子の様にゆったりとした語り口。
まだ言葉を覚えたてであるかのような、簡素な物言いである。
しかし、そんな素朴な言葉に、俺は
1つ目は言語――その種類だ。
これまでずっと、少女は日本語で話していた。
しかし彼女は今、日本語ではなく
……適応したのか?
聞き取りだけに働いていた翻訳機能の様なものが、今になって作用し始めたのか?
聞き取りの正確性と比較すると、未だ拙い言葉遣いではある。
だがそれでも彼女は、確かにこちらの言葉を話していた。
「ええっ⁉ いっちゃん、天才⁉
もう話せるようになったの⁉」
「ええ……そうみたいです」
「凄いですね。どうやったんですか?」
「何となく……思い浮かんできて?」
……しかし、首を傾げる少女の様子を見る限り。
本人も話せる理屈は、理解できていない様だ。
……
しかし
黒髪黒目の少女自身に、視線を移す。
少女が姉や俺と、1言1言交わす度に彼女の話し方は洗練されていく。
その姿は新たに言語を学習しているというよりも――
……
俺たちの使用言語を、この少女は
そんな印象を抱く。
加えて、もう1つの衝撃。
それは――
「
俺の問いに、少女は答える。
「漂っている金と銀の霧みたいなもの……で合っていますか?」
……やはり、見えている。
コクリと頷くと、更に少女は問いを重ねる。
「先程の『転移魔術』の時にあった、綺麗に輝く円も魔力ですか?」
「ああ! それはね、魔法円って言うんだよ!
詠唱っていうのがあってね――」
なんなら常に漂っている魔力どころか、一瞬で消失した魔法円すら、少女は捉えていたようだ。
……これも異世界転移者の特権――
姉の手助けによって、ようやく俺は魔力を把握することができたというのに。
そんな努力を異世界転移者は、あっさりと超越してしまうものなのだろうか。
分からない。
彼女以外に、異世界転移者を見たことがない以上、「阿部五十鈴さん」個人の特性なのか、異世界転移者全体の特性なのか、判断がつかない。
分からないことだらけだ。
しかし、この調子なら――
教える時間さえあれば、彼女はあっさり魔術も習得してしまうかもしれない。
異世界の――前世出身の人が、どのくらいの期間で魔術を扱えるようになるのかは、少し興味がある。
少女の魔力はそんな俺の考えも露知らず、黄金と白銀の魔力と混じり、豊かな輝きを帯びている。
まるで新たな出会いを祝福しているかのようだ。
魔力の持ち主の阿部さんに目を遣ると、彼女の強張った頬も、心なし緩んでいるように感じる。
彼女に関する疑問は、他にも多々残っていたが――
……まあ、とりあえずはいいか。
そう思い直して、問うのを止める。
なにせ
それを考えれば、彼女に抱くいくつか――あるいは全ての疑問に、解が得られるかもしれない。
魔力の導きに従って歩くと、
……懐かしい。
魔術学校の入学試験。
その面接の時に見た扉だ。
……素晴らしいな。
入学試験の時には気付けなかった。
しかし今は、はっきりと見える。
分かる。
理解できる。
この扉は境界。
扉の挙動を合図として、いくつもの魔法円が展開され、魔術が並列起動されるようになっている。
それも――
「姉さん……この魔術は――」
チラリと姉に視線を遣ると、コクリと彼女は黒の瞳を縦に揺らす。
「これは『転移魔術』だね。流石トラ先生」
「魔術の起動条件が気になるな。
ノブを握るのか、扉を動かすのか。
それに、魔法円と術式を描く魔力線が随分薄い。
これで魔術を発動できるのか?
魔石も見当たらないし」
「扉を開けた人から徴収しているとか?」
「そんなカツアゲみたいなことを、トラーシュ先生がするか?」
「でもトラ先生、結構雑だから」
姉弟でペタリとドアノブに触れたり、意味もなく回したりしてみる。
しかしまだ、魔術の発動する気配は無い。
制服少女はそんな俺たちに目を丸くしながら尋ねる。
「えっと……お2人共?
開けなくて良いんですか? 確か呼び出されたんですよね?」
「いっちゃん、中の人――トラ先生は長生きだから、少しくらい待たせても大丈夫なんだよ?」
「そうです。なにせ1000歳を超える人ですから」
「1000歳……? そんな人がいるんですか?」
少女はポカンと口を開ける。
「うん! 長命種――エルフって言うみたい!」
少女は姉の言葉に、キラリと瞳を輝かせる。
「エルフって存在するんですか⁉」
「知ってるの? いっちゃん」
姉が少女に尋ねると、彼女は心なし声を大きくして答える。
「はい。私たちの世界だと、物語の中に結構出てきますよ。
耳が尖ってて、綺麗な人として良く描かれていますね!
私、どうしてか、昔からそういうお話が好きなんです!」
少女は嬉しそうに、エルフについて話す。
……出会ってから、1番の笑顔だ。
そんな楽しそうな少女に、姉は申し訳なさそうに応える。
「確かに綺麗だけど、トラ先生はちんちくりんだよ? ちびっ子だよ?」
「後、耳も尖ってはいないです。魔術しか興味の無い、変人ですよ。
初対面でも面白そうだと思ったら、魔術戦を挑んでくる戦闘狂なので、阿部さんも注意した方が良いと思います」
俺たちの言葉に、少女は少し残念そうな表情を浮かべる。
「そうなんで――」
「
無愛想な声が、阿部さんの言葉を遮る様に、中から響く。
その声に俺たちが身構えると同時に――
ギイィィ
扉は音を立てて、ゆっくりと開いたかと思うと――
「む?」
「ありゃ?」
「えっ⁉」
強い吸引力によって、部屋が俺たちを呑み込んだのであった。
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