第136話 妙な噂話。
教皇パーシュ様の呼び出しに応じて案内されたのは、執務室のような場所だった。
あるのは机――おそらく執務机だろう――と、来客用と思しき木製の質素なテーブルに小振りなソファ。
俺が部屋を訪れた当初、部屋の主であるパーシュ様は机に向かって作業をしていたが、入室許可を出すと直ぐに席を立つ。
俺にソファへ座るよう手で促すと、自身はその対面へと腰掛けた。
「やあ……ルング君。
よく来たね。忙しくなかったかな?」
優しい顔立ちの老人は、こちらに微笑みかける。
「いえ、問題ありません。
聖騎士と聖女の撮影会。
俺の今後の
しかし、
彼らの撮影に関する
俺の言葉に、パーシュ様は笑顔のままだ。
しかし――
……なんだ?
パーシュ様やその魔力に感じる、わずかな違和感。
初対面の時には感じなかった、妙な圧力。
教皇の表情に、未だ変化はない。
しかし、俺の頬を冷や汗がタラリと伝い、師に鍛えられてきた危機察知能力が強く警鐘を鳴らしている。
……何か気に障ることでも、してしまっただろうか?
「ところでルング君、どうして呼び出されたか分かるかい?」
ゾッと背筋に走る寒気。
……怖い怖い怖い。
敢えて俺を泳がせるつもりなのだろう。
明らかに説教の前振りである。
……何だ? 俺は何をやらかした?
普段は優しい人が、これ程怖ろしい
今後は気を付けなければ。
「……もしかして、何か仕事の不備でもあったでしょうか?」
……主に師匠とか、師匠とか、師匠とか。
そうであれという願いを胸に、おずおずと切り出す。
「いや……君の働きはよく聞いているよ。
ウチの
君のお陰で無事だったという報告も、いくつも受けている。
少し、レーリン殿がやり過ぎというのはあるが……君には感謝しかないよ。
ありがとう」
パーシュ様の物腰は、相変わらず柔らかい。
たかが王宮魔術師の弟子を相手に、あっさりと高貴な頭を下げる。
……違ったか。
しかし大きな収穫があった。
先程感じたパーシュ様の圧が、弱まっているのだ。
「いえ、仕事なのでお気になさらず。
……では、俺が倒した魔物の魔石のみを先に回収したことでしょうか?
あるいは、魔道具を作ったことがダメでした?
ひょっとして、光属性魔術を魔道具にしてはいけない的な戒律でも?」
非となりそうな所業を、思いつく限り列挙していく。
先回りで怒りの原因となりそうなものを多数挙げることで、「わかってましたよ」感を出し、
しかしそんな俺の言葉に、教皇は大げさに肩をすくめる。
「まさか! 言っただろう?
君たちが倒した魔物は、君たちのものだ。
魔石を回収するのも構わないし、その魔石で魔道具を作ったことも問題ない。
それに、光属性魔術を魔道具に使ったこともね。
主――女神様も仰っていることだろう。
『便利な魔術は、気にせずバンバン使いなさい』とね」
……これも違ったか。
というか女神エンゲルディ、思っていたより軽い女神なのかもしれない。
……しかしそうなると――
パーシュ様の怒りについて、心当たりがない。
公明正大。
清廉潔白。
この人生における俺は、それをモットーに生きてきたつもりだ。
その上既に、教皇の怒りの原因となりそうな事例は語りつくしてしまった。
悩む俺を見かねたのか、パーシュ様は心なし呆れた顔をしている。
「ルング君、君ねえ……」
老人は頭を抱えると、気が乗らなさそうに切り出す。
「ウチの
……なんぱ――ナンパ?
「いや……まさか。そんなことしていませんよパーシュ様?
それも聖女様たちを?」
そんな国際問題になりかねないこと、した覚えはない。
俺が聖教国を訪れたのは、勿論光属性魔術目当てが大きい。
しかし、ちゃんと仕事としても請け負っているのだ。
私欲でナンパなど、するはずがない。
「……じゃあ君は、何も手を出していないと?
一切聖女たちと関わりはないと?」
「手は出していない自信がありますが、関わりがないというのは言い切れません」
先刻のハイリン様や、魔物退治のフォローで仲良くなった人もいるし、姉のことを聞きたいと話しかけてくれた人も多い。
そういう意味で、ゲルディ内において聖女との関わりを無にするのは、無理な話だろう。
教皇は
……いや、こんなことに
「むむむ……動揺の色はないようだね」
「それはそうですよ。思い当たることありませんから」
……なるほど。
教皇のツーカ『
ひょっとすると、まだ俺の知らない能力が隠されているのかも。
胸を張って言い切った俺に、パーシュ様は申し訳なさそうな顔をする。
「そうか……。
じゃあ、私の勘違いだったのかもしれないね……申し訳ない。
妙な噂を聞いたものだから」
「妙な噂……ですか?」
……どんな噂なのだろう。
そしてそれが、俺を怪しんだ理由なのだろうか。
……なんて迷惑な!
不満が膨らむ。
品行方正な俺にかけられた濡れ衣。
それも
良くても説教、下手すれば処刑ものだ。
……故にそんな噂を流した者には、地獄を見てもらわねばなるまい。
そのためにも、噂の内容と出所を聞いておいた方が良いだろう。
「まあ、根も葉もない噂だとは思いますが、一応聞いておきましょうか。
どんな噂なんですか? それとパーシュ様は誰からお聞きに?」
「うん? 私は
ルング君から、話しかけられたと」
……ふむふむ。
それはここにいる以上、当然あり得ることだろう。
「かなり娘たちを褒めてくれて、嬉しかったと」
……まあまあ。
聖女たちの光属性魔術は面白いし、
「それで、
……なるほど。
交際相手を探すとはおそらく――
「正確には少し違いますね。
いずれ交際には至るかもしれませんが、肝心なのはそこではないです。
俺が伝えた文言はこうです。
『世間を見てみたい聖女様にこそオススメ! アーバイツ王国の人と仲良くなれますよ!』
それで話に興味のある方からは参加料をいただき、個人プロフィールを記入をしていただきました。
まだ
「……」
……うんうん、なるほど。
ようやく噂話に合点がいく。
「パーシュ様、安心してください。
それはナンパしているわけでは、ないのです。
ただ俺は、
決して問題はありません」
俺の築いた婚約・結婚相手紹介サービス。
それを教皇様は、ナンパと勘違いし、警戒していたらしい。
……しかし、安心して欲しい。
俺の人脈は貴族の子息令嬢が多い。
故にどこぞの質の悪い馬の骨に引っかかる可能性は、全くないのだ。
そういう意味で、安心安全の超優良サービスなのである。
「……そうなのかい?」
「はい、決してナンパの様な軽々しいものではありません。
これは俺の商売ですから。
真剣に聖女様たちに合う相手を、見繕う予定です。
だから安心してください!」
パーシュ様の不安を取り払うために、力強く断言する。
……やれやれ、誤解が解けて良かった。
これで一安心。
聖女たちを娘の様に思っている教皇だからこそ、そんな噂を聞いて心配だったのかもしれない。
「ではこれでもう、俺の疑いは晴れましたね。
そろそろ失礼します」
ガタ
ゆっくりと席を立ち、退出しようとしたところで、パーシュ様に問われる。
「……ちなみに、ルング君。これからどこに?」
「これから……ですか?」
故に今日これからの予定は――
「まだ声かけを出来ていない聖騎士と聖女様たちの元に、行こうと思っています。
今の話を、もっと広める必要がありますから」
現在、俺の婚約・結婚サービス業は、規模の拡大を続けている。
そして、この聖教国に来たことによって、聖女・聖騎士といった新たなラインナップを増やすことができた。
言ってしまえばこれは、遂に始まった海外進出への大きな好機。
逃すわけにはいかない。
その地盤を完全なものにするためにも、企業努力は欠かせないのである。
ガシリ
立ち去ろうとした俺の腕が、
「ルング君……その話、詳しく聞かせてくれるね?」
そう言った教皇様の顔には、こちらを圧し潰す様な満面の笑みが浮かべられており――
「は、はい……」
そう答えることしかできなかった。
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