第124話 姉妹の未来は可能性に溢れている。
ガサリ
猫耳が頭上に付いている少女――次女ヴィッツンが、気怠そうに草むらから顔を出す。
「いや、ルング様……何でよりにもよって、アタシが
臭いヤバいって! 鼻がひん曲がりそうなんですけど⁉」
……やれやれ。
草むらに体を預けている割に、口はよく回るようだ。
「まだ社員としての自覚が薄いようだな、ヴィッツン。
敬語はどうでも良いが、社長と呼べ!」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないって!
おふざけなしで臭いんですけど⁉ どうしてくれるんですか⁉」
互いの視線がぶつかり合う。
しかし、三女ラーザにも呼ばせている以上、折れるつもりはない。
じっと見つめていると少女は、さっと目を逸らす。
……勝った。
「わ、わかった……アタシが悪かったよ、
これでアタシを
つーか教えろ! 納得のいく理由じゃなければ、ストライキする!」
語気は荒いが、先程のやり取りの手応えから察するに――この少女は、押しに弱い気がする。
強気で押していけば、どんな仕事でも受けてくれそうだ。
「理由は単純だぞ? 君が姉妹の中で、最も鼻が良いからだ。
その鼻なら、たとえ遠距離に生えていても、探し出せるだろう?」
「別にこの臭いの強さなら、アタシじゃなくてもいけますよ……」と少女は途方に暮れた後に、ふと何かに気付く。
「……あれ? アタシ、姉妹の中で1番鼻が良いとか社長に言いましたっけ?」
少女の頭から疑問符が浮かぶ。
……言っていない。
ヴィッツンから、そんな話を聞いたことはない。
彼女の挙動と魔力の連動具合は、姉妹の中でも飛び抜けているのだ。
そこから身体能力が高いのだと判断したのだが、どうやら正しかったらしい。
「ふ……社長には、人を見抜く目が備わっているものなのだ。
適材適所を見極められる目がな。
加えて、リッチェンからも聞いているぞ?
足が速いのだろう?」
ガサッ!
少女はリッチェンの名に弾かれるように草むらから飛び出し、周囲を見回す。
「社長、止めてくれ! 今、アイツの名前を出さないでくれ!」
先程までのやり取りが嘘の様に、怯えの割合が増える。
「ひょっとして……リッチェンにやられたのが、トラウマにでもなったのか?」
……だとすると、仕事を振り分け直す必要があるが。
しかし少女は首を素早く左右に振り、否定する。
「いや……負けたのはショックだったけど、
じゃなくて、社長なら分かってると思うが、今はアイツと――」
ドンッ!
「あら……ルングの所に居ましたの?」
轟音が響いたかと思うと、ドレスの幼馴染が
物音を立てない着地。
重い鎧や剣を身に纏っているにも関わらず、その動きは軽やかだ。
そして――
「ぐあああああああ⁉」
幼馴染の出現を皮切りに、鼻を摘まみながら、悶え苦しむ獣人の少女。
……なるほど、そういうことか。
今、
「流石リッチェン。結構集められたな」
幼馴染は片手に持った
「ふふふ……もっと褒めてくれても良いですのよ?
葉っぱでも、沢山集めると重いですし、臭いも独特ですし」
そう言うと少女は視線を、布袋に向ける。
「……それにしても、本当にこんなのが
彼女の掲げた袋には、姉妹たちが発見した魔物除けの植物の葉が大量に入っている。
「それは調査してみないと分からないが……可能性はあると思う」
袋の周囲にある空気――そこに溶けた魔力。
その魔力の動きが異質だ。
魔力が、その袋――正確には中にある植物に吸収されているように見える。
こうして話している間にも、みるみる吸い込まれていくのだ。
……そもそもの話として。
この世界の
俺たちの魔力ヴァイもそうだし、目前に広がる畑で育てられている作物だってそうだ。
……しかしそれらとは、比べものにならない。
作物たちの吸収速度を徒歩とするなら、袋の中の葉はスーパーカー。
同じ土俵では比べられない程、魔力の吸収速度には差があった。
……面白い特性だ。
さて、どうしてそんな特性を持つ植物が、魔物除けになる可能性があるのかというと――
魔物の生態と魔力の関係性故である。
魔物の身体に存在する魔石は、魔力の塊。
そして魔物の身体には、魔石の魔力が満ちている。
……もしこの植物が、その魔物の魔力まで吸収できるのだとしたら。
魔物がそれを嫌がって、この植物を忌避する可能性は十分にあり得ると思うのだ。
……まあ、それは。
あくまで現時点での仮定に過ぎない。
実態は今後の実験と調査によって、明らかにしていくことになるだろう。
「……む? どうしたリッチェン?」
考え込んでいると、ツンとした臭いが鼻を刺激する。
顔を上げるとリッチェンが至近距離まで接近し、俺の顔を覗き込んでいた。
……一切の気配を感じさせない、達人の妙技。
こんな場面では、全く必要のない技巧である。
少女は俺の顔からどんな情報を得たのか、仕方なさそうに首を振る。
「
ルング、凄く楽しそうですし」
「……そんな顔してたか?」
「ええ、幸せそうですの。
……仕方ありませんわね、もっと集めてきます。
さてヴィッツンさん、そろそろ行きますの」
ガシリ
リッチェンはヴィッツンの首根っこを掴むと、こちらに背を向けて再び森に向けて歩み始める。
「……ありがとう、リッチェン」
感謝の言葉に少女はチラリと目を向け、袋ごと手を挙げる。
「任せておけ」と、その背中は語っていた。
……俺の幼馴染が、格好良すぎる。
それに対して――
「待て、分かった。
行く! 行くから首を掴むな! アタシに近寄るな!
……ごめん――ごめんなさい、生意気な口はききませんから!
お願いですから、その袋はアタシと離してくれませんかリッチェン様!」
あの夜の接敵以来、少女2人の格付けは済んでしまったらしい。
こうして憐れな獣人の少女は、再び
「……嵐のような2人だったな」
「そうですか? 先輩が
「誰が臆病だ! 俺だってやろうと思えば――」
「ルング社長、ザンフ様!」
タッタッタッ
少女たちを見送り、何も話せなかったザンフ先輩をからかっていると、軽やかな足取りがやって来る。
目を遣るとそこには、最後の猫耳少女――長女のアイランだ。
「すみません、挨拶が遅れてしまって」
律儀に俺たちの元までやってくる姿は、忠犬といった感じだが、実際は次女三女と同じく猫っぽい耳と尾の持ち主である。
「
臆病ザンフ先輩如きに挨拶するくらいなら、働いた方がずっと生産的だ」
「お前は先輩のことを、何だと思っているんだ⁉」
……正直に言っていいのだろうか?
涙腺崩壊ヘタレ無愛想魔道具バカと。
先輩は俺の顔を見ると、慌て始める。
「……いや、やっぱ言わなくていい。絶対に言うな! 嫌な予感がする」
……ちっ。
俺の暴言を、どうやら感じ取ったらしい。
無駄に勘が良い先輩だ。
「ふふふ――」
そんな俺たちのやり取りを、アイランは楽しそうに聞いている。
ニコニコと笑うその顔には、数日前までの切羽詰まった様子はない。
少女は穏やかな表情のまま、頭を下げる。
「お2人とも、改めて私たち3人を雇っていただき、ありがとうございました。
ご迷惑をおかけしてしまったのに、その上お給金と住まいまで」
故郷を失い、洞窟に居所を構えていた姉妹は「働かせるのなら、まずは衣食住の整備だ」という伯爵様の方針の下、伯爵家で用意した家に3人で暮らしている。
「俺の払う給料分働いてくれれば、感謝の必要はない。
なんなら、敬語も不要だ。俺も使わない。
先輩の畑の手伝いを
加えて魔物除けの葉っぱなんて面白植物まで、おまけで付いてきたわけだからな。
文句なしで最高だ。
他にも、
「はい! ご期待に添えるように、私も頑張ります!」と少女は最高の笑顔で拳を握ると、続いてザンフ先輩にも感謝を伝える。
「ザンフ様も、ありがとうございました! この御恩は一生忘れません」
「おお……おう。気にすんなよ」
先輩は何故か挙動不審な様子だ。
「先輩……
「おい、バカ! 確かにそうだが、言って良い事と悪いことがあるだろ⁉」
俺相手には無頼漢気取りの口調のくせに、アイランが相手だと口数が減るらしい。
……先程から思っていたのだが。
女子が苦手なのだろうか?
身内に女子がいるのなら、女性相手に慣れが生じると思うのだが。
「……
「身内とほぼ初対面じゃ、照れ臭さも全然違うだろ⁉」
小声での会話にも関わらず、その声色には必死さが溢れている。
……そんなものなのか。
先輩は、大真面目な顔だ。
そして真剣であればあるほど、凄く情けない。
「あの時……泣いてくれてたんですか?」
アイランはそんな無愛想臆病者に、無垢な瞳を向ける。
「いや、ぜんぜ――」
「大号泣だった。
おかげで俺が話す羽目になったんだ」
「おい! これじゃ俺の年上の威厳が、無くなっちゃうだろ⁉」
……そんなの今更だと思うのだが。
少女の輝く瞳に捉えられて、先輩は俺に詰め寄ることができない。
「そうだったんですか……優しいんですね」
「そ、そんなことはねえよ。
別に、お前たちの為にしたわけじゃないし」
先輩はそっぽを向く。
……無愛想男のツンデレ。
どこかに需要があるのだろうか。
いずれ俺のビジネスに参加してもらう際に、調査してみよう。
先輩のすげない言葉にも、アイランは微笑み続けている。
その言葉が照れ隠しだと、ちゃんと理解しているようだ。
「それでも……嬉しかったですから」
「……そうかよ」
言葉足らず男と、的確にその真意を汲み取れる少女。
この組み合わせは、存外合うのかもしれない。
そんな無愛想魔道具バカとニコニコ獣人少女に告げる。
「そうだ……先輩。アイランに畑の世話の仕方を、教えてあげてくれませんか?
暇なんですよね?」
「暇じゃ――」
ないと続けようとして、先輩は少女を盗み見る。
期待に輝く眼差しに、楽しそうに動き回る耳と尻尾。
「……まあ、少しくらいならいいぞ」
先輩は簡単に方針を変える。
こちらはこちらで、力関係が既に出来上がっているらしい。
「ザンフ様、ありがとうございます!
では、こちらに! お手をどうぞ!」
「いや、そんなことされなくても……ありがとう」
2人はこちらに背を向けて、ゆっくりと畑の中を歩み始める。
伸びた影は重なり合い、2人の相性の良さを表しているようだ。
あの2人はこれから、時間をかけて関係性を構築していくのだろう。
少し微笑ましい。
……さて――
知覚が広がり、世界を俯瞰で見る感覚が俺の意識を満たす。
今回の野菜盗難事件は、新たな収穫が多かった。
獣人の姉妹――畑の人手。
獣人に関する知識。
魔物除け(暫定)の植物。
それだけでも、十分な成果だ。
だが個人的には、三姉妹――
獣人は、魔術が苦手な種族。
それが
しかし
散り散りに行動している、姉妹の魔力を観測する。
魔力を宿した野菜を食したこともあってか、少女たちの魔力は非常に多い。
その上今後彼女たちは、常に魔力の満ちた畑の中で、水と土の魔道具を扱い続けることとなる。
……少女たちには可能性を伝えてあるが、もしもこの先――
「魔力が濃い場であれば、魔術に目覚めやすい」という俺の論を、更に補強することができる。
あるいは、獣人が魔術に目覚め難いとされている原因すら、特定できるかもしれない。
彼女たちが、どんな面白い魔術を扱うことになるのか。
少女たちの未来がどうなるのか。
「……楽しみだ」
……期待に胸を膨らませながら。
俺は少女たちの魔力を、観察し続けるのであった。
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