第45話 勉強への意識。

「これが『ヴァイ』って単語で、これが『収穫』」


「なるほど、こう?」


 村長たちと別れた後の黄昏時。


 教導園から帰ってきた姉の復習と、俺の勉強も兼ねて文字を書き合う。


 日本語とは明らかに別物である文字にルール。

 前世で語学は決して得意ではなかったのだが――


「もう少し、右下はぴょんって感じかな!」


「こんな感じか?」


「そうそう!」


 ……楽しい・・・


 不思議だ。


 語学以前に……前世で勉強を楽しんだことなどなかったはずなのに。


 どうしてこんなことをやらされるんだろう。

 どうせ使わないのに。


 そんな思いが強かったのだ。


 実際に、社会に出ると使わない様な事も多かったし。


 文字を学ぶ重要性は別であるにしても、勉強という点では前世でしていたことと、何ら変わりないはずなのに。

 

 ……どうして。

 

 こんなにも楽しいのだろう。


 風の魔術が暗くなり始めた宙に文字を描き、それを模倣するかのようにもう1つの風の魔術が追う。


 ……魔術で遊びながらしているから、楽しいのか。


 姉と一緒だから楽しいのか。


 それとも――


 徒然と考えて、自嘲気味に首を振る。


 ……言い訳だ。


「前世だったから楽しくなかった」なんてことは、きっとないのだ。


 結局は、俺の心持ちの問題だったのだ。


 小中高大とずっと勉強は、無理矢理させられるもの――強制されるものだった。

 漫然と、どうやり過ごすかを考えて。


 ……自身にとって楽を――苦労しないようにするにはどうしたらいいか。


 何事もそんな事ばかりを考えていた気がする。

 

 そんな状態で、何かを楽しめるわけがなかったのだ。

 ましてや勉強など楽しめるはずもない。


 結局の所。

 俺が「自ら学ぶ」のではなく「やらされている」とそう考えていたのが、楽しめなかった大きな理由だったのだ。


「じゃあ、ルンちゃん。これは書ける? 『魔力を宿すヴァイ』!」


「姉さん、弟をあまり舐めない方が良いぞ?」


 そして裏を返せば。


 ……俺は今、楽しんでいる。


 楽しめている。

 

 勉強も、魔術も、生活も。

 自身が感じることのできる、この世界の総てを。


 だから、この世界が前世より不便であろうと、輝いて見えるのだろう。


「どう、ルンちゃん! お姉ちゃんの勉強の成果は!」


 風の魔術で「お姉ちゃん!」と書き綴った姉が、俺を抱きとめる。


「姉さんは、本当に賢いな」


「でしょでしょ! お姉ちゃんは賢いから、ルンちゃんがさっき私を村長に売り渡したことも覚えてるんだよ!」


 姉の腕に力が入る。


 ……怖い怖い。

 

 どうやら姉は、俺に裏切られたことを未だに覚えていたようだ。

 やはり記憶力が良い。


「姉さん、弟のしたことを許すのが良い姉だぞ」


 俺の言葉に、あっさり込められていた力が緩む。


「そっかあ! じゃあ、許してあげるね!」


 ……勿論、俺がこの世界を楽しめているのは。


 この愉快な姉がいることもきっと、大部分を占めているのだろうが。


「それでルンちゃんは、今日何をしてたの?」


 姉は、話す言葉を文字で空中に描きながら、自身が拘束されていた教導園にいた時のことを尋ねる。


「村長の娘と一緒に、洗濯バイトしてた」


 同じように、声と文字で返すと、


「ええっ⁉」


 ヒュッ


 姉の描いていた文字風の魔術が、空の彼方へと消えていく。


 ……姉さんが、制御を乱すなんて珍しいな。


 バイトのことは、勿論姉も知っている。

 それどころか、手が空いている時は姉も一緒にしている。


 故に動揺した理由は「バイト」の部分ではなく、「村長の娘と一緒」の部分にあるはずだが。


「どうした、姉さん? 村長の娘と何かあったか?」


「い、いやあ? なんにも?」


 抱きとめられているせいで、姉の顔は見えない。


 だがその声は、明らかに動揺している。

 

 ……本当に何かあったのだろうか。


「ちゃんとリッチェンと……仲良くできた?」


「もちろん」


「ああ、それなら良かったあ!」


 俺の言葉に、ほっと安堵のため息を吐く姉。

 ひょっとすると俺が少しの間、村長の娘の存在をスルーしていたことを母から聞いて、心配していたのかもしれない。


 最初にあった赤毛の少女への苦手意識は、一緒に村を回ったことでかなり減っている。


 むしろ、村を守りたいという気持ちには共感もあり、好感を抱いたくらいだ。


 ……1回話したくらいで、簡単に好感度が上がるのだから、我ながらチョロい。

 

 それにしても――


「なぜ、そんなことを気にする?」


「いや、何でもないよ?

 私はお姉さんとして、年下の二人を仲良くさせたいと思ってただけだよ!」


 ……歯切れが良すぎて、逆に怪しい気もするが。


 まあ今回は、その言い分を素直に受け取っておこう。


「さ、さあ、ルンちゃん! 暗くなるしそろそろ帰ろう!」


「それなら放してくれ。歩きづらい」


「ええぇぇ⁉ いやだ!」



 日が暮れていく。

 俺の5歳の1日は、本来ならこうして過ぎていくのだが――この日は、それで終わらなかった。

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