どうして異世界に来ることになったのか。

@sponge-boku

前世

第1話 走り出してしまった。

 ……いつからこうなったのだろう。


 くたくたになりながら、駅から出る。

 最後の電車が遠ざかっていく音は、どこか物悲しい。


 辺りはもうすっかり夜だ。


 ……寒いな。


 かじかむ手に息を吹きかける。

 吐く息は、夜闇の中で目に見えて白い。


「はあ……」

 

 手を温めるはずの息が、ため息へと変わる。


 自身の家路も、既に闇に包まれていた。


 ぽつりぽつりと合間に存在する街灯が、寂しさを一層際立たせている。


 ズキリ


 頭が割れるように痛む。


 寒さによって、すっかり忘れていた痛み――寝不足の痛みだ。


 思い出してしまった頭痛は収まらない。

 こみ上げてくる吐き気。

 全身を包む疲労感。

 

「もう少しだ」


 何週間も働きづめの身体に、鞭を打つ。


 鉛の様に身体が重い。

 止まりそうになる足を、引きずる様に歩く。


「後は帰るだけだ……」


 家族も、もういない家。

 灯も何もない家に。


 ……何故だ。


 自身の唯一の居場所であるはずなのに……帰らなくてもいいんじゃないかと感じてしまうのは。

 

 足の動きが更に鈍る。

 頭に過ぎるのは、自身の人生。

 無味無臭の人生だ。


 ……生きるために、生きてきた。


 何をしたいでもなく。

 何になりたいわけでもなく。

 がむしゃらになるわけでもない。


 だってそうしたところで、人生は何も変わらないのだ。

 

 ……俺みたいな奴が、何をしたところで。


 何も意味はないのだ。

 そう考えて、生きてきた。

 

 いや、考えてすらなかったかもしれない。


 ひたすらに日常を回すだけの毎日。


 嬉しいことなどない。

 怒ることなどない。

 哀しいことなどない。

 楽しいことなどない。


 ただ無機質に過ぎていく消費していくだけの人生。


 足を引きずりながら、ふと考えてしまう。


 ……いつまで、こうして生きなければならないのか。


 来週か。

 来月か。

 来年か。


 過去にも現在にも未来にも。

 希望なんてなく、夢なんてない。


 ……ただ生きているだけなら、死んでいるのと何が違うのだろう。


 恥ずかしい自問だ。

 そんなのは、思春期に終わらせておけと言われてもおかしくない自問だ。

 けれど、そんな羞恥心が気にならないくらい、疲れきっていた。


 ……ひょっとするともう、終わっても良い・・・・・・・のかもしれない・・・・・・・

 

 今、歩いている場所。

 ここに倒れ込んで、寝てしまえば。

 すぐに終わることができるんじゃないか。


 止まりそうになる足を必死で動かしながら、とりとめもなく考える。

 

 だから、やってしまった・・・・・・・のだろう。


 少し頭痛が収まり始めたタイミングで。


 こんな真夜中に、肩を落としたように歩くセーラー服の後ろ姿を、見つけてしまったのだ。


 雪こそ降っていないが、寒空の下でコートも着ず。

 俺と同じか――それ以上に煤けて見える背中。


 足元はふらついていて、今にも倒れてしまいそうなくらい華奢な背中だ。


 ……まるで自分の帰る場所を見失っているかのような。

 

 そんな弱々しい歩み。

 今の俺と、嫌になる程その後ろ姿が重なって見える。

 

 同じ方向に同じ間隔で歩いていると、俺たちの正面から車がやってきた。


 輝くライトが遠くからセーラー服を照らし、俺から見える背中には、更に暗い影が差す。


「はっ⁉」


 冷え切った肺から、音にもならない声が絞り出される。


 歩道と車道が分けられていない道。


 そして――車の灯に誘われるかのように・・・・・・・・・、ゆらゆらと歩く少女。


 ……そんな気がするだけだ。


 きっと気のせいだったで、済むはずだ。


 そんなまるで……少女が車に轢かれようとしているだなんて。

 そんなのは、俺のネガティブな思い込みのはずだ。


 ……我ながら疲れてるんだ。


 自分の生きている意味なんて考えていたから、そんな妄想をしてしまっただけだ。


 自身のバカさ加減に嗤えてくる。


 でも……もし。


 その妄想に意味があったのなら?


「くっ!」


 まとまりのない思考の中、もしものために走り出す。

 固く冷たい地面を蹴る感覚。


 動き出すだけで、全身が鈍く痛む。


 足が重い。

 息が苦しい。

 もう若くないのだから当然だ。


 胸を強く叩く鼓動は、急に走り出したせいか。

 それとも勝手な想像のせいか。


 バカみたいな妄想に。

 バカみたいな行動だ。


 これで何もなかったら、ただの不審者だ。

 訴えられるかもしれない。


 それでも念のためだと、駆けるのをやめられなかった。


 だから、この結果は偶然の産物でしかない。

 

 結果的にその子が車に轢かれそうになって、咄嗟に俺が押し出したのは。

 代わりに俺が轢かれたのは。


 本当に偶然だったのだ。

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