王の名を継ぐ者~アレクサンダー大王と後継者戦争~

高見 梁川

第1話 プロローグ

 見たことのない巨大な精密機械たち。

 そして慌ただしく行きかうスタッフ。

 思っていたよりはるかにものものしい雰囲気にオレはすっかりとまどっていた。

 なにせこの身はブカレスト国立大学の史学科四年生………どこにでもいる一大学生にすぎないのだ。

 それがなぜこうも大事になっているかというと…………。

 実は五年前、過去を遡るという夢の機械が誕生したせいであるのであった。



 ウルバンというハンガリー人が生み出したそれは、SF的な意味でいうタイムマシンにほかならなかった。

 その理論はとうていオレが理解することなどできないものであるが、要約するとこうである。

 すべての個々人には遺伝子的共時性というものがある。

 この共時性の適合率が八割を超えていれば、過去の人物に憑依することができる。

 ただし、あくまでも観測するだけで主体的に過去の人物を自らが動かすことはできない。

 なんだ、結局過去に干渉することはできないんじゃないか。

 ということなかれ、この発明により歴史学は千年は進んだと言われているのである。

 様々な仮説の答え合わせができるからだ。

 だが、逆に言うと歴史学くらいにしか使い道がなかったとも言える。

 なぜなら適合率が八割を超えるというのは実のところ奇蹟のような確率であって、しかも自分の好きな時代の好きな人物に乗り移れるようなものではなかったからだ。

 体験するだけなら、現代のVR技術はより好みを押さえたダイナミックなものを娯楽として提供することができる。

 極端なことを言えば、VRの世界では世界征服もハーレムも思いのままだ。

 わざわざ過去に飛んで日常の苦労をともにする理由がなかった。

 もちろん過去から得るべき技術的発見などあるわけもない。

 はっきりいって学術的興味を満たす以外に使い道がなかったのである。

 もっともこれで歴史を操作できるかもしれない、ということになれば世界中に今なおはびこる国粋主義者や原理主義者が黙っていなかっただろうが、そうはどっこい問屋がおろさなかった。

 憑依した人物を自らが主体的に動かすことは99.999999%の適合率があれば可能であることは理論的に立証されているのだが、狙った時代にたまたま99.999999%の適合率を持つ人間のいる確率はおよそ4500億分の1………彗星がこともあろうに三連発で地球に激突する確率より低いとされたのである。

 統計学的にいえば30万分の1より低い数字はないものとして扱ってもかまわないと言われているのにだ。

 この四年間、各国の研究機関はウルバンのタイムマシンを能動的に動かす可能性を探っていたのだが、昨年遂にその見込みがないことを認め、政治的配慮から十八世紀以前にかぎりその普及を許可したのであった。



 そうしてうちの大学にマシンが運び込まれたのが先月のことだ。

 すぐさま史学科の生徒全員に適合検査が行われた。

 オレは専攻するルーマニアの歴史とヴラド三世の時代について適合検査を受けたのだがあえなく撃墜。

 やはり自分の好きな時代に飛べる確率の低さを身をもって体験するはめとなった。

 ところが、ある日学部長の突然の呼び出しを受けておっかなびっくり駆けつけてみると、どうも古代ギリシャ・ローマ時代に適性があるらしい。

 もともとヘレニズム文化を専攻している学部長はそれこそ涙を流さんばかりになってオレにタイムマシンへの搭乗を依頼した。

 当時に飛んでもらうだけで大学院の特待生枠を確保し、有益な発見がなされた場合には研究者としての将来が開けるとあっては小市民のオレに断る選択肢など存在しない。

 嬉々として学部長の手をとり万事お任せくださいと言ったのが昨日のことである。

「これ………本当に安全なんでしょうね………なんだか不安になってきたわ」

 そういって腰まで届こうかという見事な金髪を揺らして見せるのはオレの幼馴染………にして去年から恋人に昇格したシャーロッテ・クベドリアスだった。

 とりわけ脳に直接打ち込まれる数十に及ぶナノセンサーがなんとも言えぬ深刻さを浮き彫りにしてくれていた。

 さすがにここまで大掛かりな代物だとはオレも予想していなかったのだ。

「大丈夫だろ………いくらなんでも………」

 といいつつも冷や汗が流れるのはご愛嬌だ。

 安全だと言われても怖いものは怖いのである。理屈ではないのだ。

「おお、準備は万端だね。全く君がうらやましいよ。私がどれほど行きたくとも行けない古代ギリシャ世界をその目で見れるのだからね」

 ほがらかに笑いつつも内心の嫉妬の色を隠そうともしない学部長が、セッティングを続ける技師にまぎれてオレの到着を待っていたらしかった。

 変われるものなら変わりたいよまったく。

「こんな機会を与えて下すった学部長には感謝しております」

 そう内心では思いつつも口ではゴマをするオレ。

 研究を続けるためには手段を選んではいられないのだ。

 大学は残念ながら今も昔も実力以上にコネがものをいうのである。

「……………………」

 そこ!呆れた目でオレを見ないように!だって綺麗ごとではないのだよ、現実は!

「君の専攻は中世東欧だったと思うが………古代ギリシャ・ローマについては大丈夫かね?」

「門外漢ではありますが、さすがに基礎的なことぐらいは………」

 実際のところ論文レベルでもないかぎりはひととおりの知識はある。

 史学部の名は伊達ではないのだ。

「ならばわかっているとは思うが、君が憑依する人物はレオンナトスというマケドニアの武官になる。推定適合率は九割以上というからかなり鮮明な記憶を得られるはずだ。私が最も知りたいのはアレクサンドロス三世の死因が本当に病死なのか、それとも青年将校たちによる毒殺なのか、ということだ。レオンナトスがそれを知りえたかは微妙だが、大王の友人のひとりである以上病中見舞いをする機会ぐらいはあったはずだ。大王の事跡は後代にあまりに脚色されすぎておるし、そのあたりの等身大の大王の人となりについても、ぜひ細大漏らさず注意を払って記憶を持ち帰ってほしい」

 適合率が九割以上と聞いて思わずオレは唸ってしまう。

 それは現在の世界記録に迫るのではないか?

 普通は数千万人にひとりがようやく八割そこそこで、いまだに九割を超えたという話は聞いたことがなかったはずだが………。

「これまでの事例ではまるで映画の中にいるようなものだったらしいが、あるいは君なら触感や嗅覚まで味わえるのかもしれないな。なにせ世界初の九割適合者だ。私はうらやましくてしかたがないよ」

 そんな世界初はいりません。

「準備完了しました」

 スタッフのひとりが学部長に声をかけるのを合図に巨大な機械が一斉にランプを明滅させ始める。

 その圧迫感は小心者のオレを萎縮させるには十分なものだった。

 とはいえ不安は隠せないがこれも出世のためだ。

「断っとくけど戻ってこなかったら別の男探すから」

 不安そうなオレを慰めてくれないばかりか極上の笑みを浮かべて断言するシャーロッテがいた。

 …………それはあんまりな言葉ではないだろうか、マイハニーよ。

「本当に危険はありませんよね?学部長」

「まあ、99.9999999%の適合率があれば憑依者が本人の意識を乗っ取ることが可能らしいから、それで大きく史実を変えてしまうと戻れなくなる可能性があるらしい。こればかりは前例がないのでなんともいえないがね。理論的にはほぼ99%以上の確率で帰還はできなくなるそうだ。もっとも、そんな事態になるなどこの地球に彗星が激突して人類が滅亡する確率よりさらに低い確率だがね。ウルバン教授に聞いた話では歴史にはある程度修正力があるので小さな違いくらいは問題にはならぬそうだよ。ただし歴史に記されるような大事件を変えてしまったりした場合、世界は平行世界に移行してしまって帰還できなくなるから注意して欲しいそうだ。まあ、そんな事態になることは実際ありえないのだが」

 そう話している間にも、着々と実験動物のようにセンサーを埋め込まれていくオレ。

 現地時間で何年過ごそうと、戻ってしまえばわずか数時間にすぎないのだから好きなだけ古代のロマンを満喫してきたまえ、などと学部長はのたまっているがとてもそんな気分にはなれない。

 そんなオレを慰めてくれるのは、悪態をつきながらも心配気な視線を送ってくれるツンデレなシャーロッテの存在………。

「ちっ……保険をかけておくのを忘れたわね………」

 お前、戻ったら絶対に付き合いを考えさせてもらうからな!

「これは最後の忠告なのだが………もし万が一緊急事態によって帰還できなくなったならば……おとなしく天寿の全うを待ちたまえ。死者には憑依ができないからね……あせらず史実どおりの死を迎えるのが一番安全な帰還方法だそうだよ。もちろん、これは万が一、万が一の話だがね」

 学部長がメフィストフェレスに見えてきたのは気のせいだろうか?いや、気のせいだと思いたい。

「本当に大丈夫なんでしょうね?メムノン学部長!!」

 不安に耐えかねるオレをなだめるように手を振りながら実に楽しそうに学部長は言った。

「この世に絶対などというものはありはしないよ、ヴラド君」


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