異世界転生予備校
ずんだらもち子
プロローグ
オリエンテーション
「そもそもの疑問なんですけど、予備校ってことは、一度落ちたってことですか?」
控えめに手を挙げてそう尋ねた少年は、そろりとした言葉に合わせるように座っていた席から声に遅れて立ち上がった。
教室のど真ん中の席が少年の指定席だ。
と言っても、他にはあと二席しかない。横並びに三つの机が並んでいるだけで、一般的な大きさと言って差し支えない教室は空間を完全に持て余していた。
ばん!!
教卓に立つ女教師は、左手を腰に当てながら、右手で教卓の板面を平手で叩いた。
「だから、何度も言ってます!」
真っすぐ切り揃えられた前髪の下に並ぶ二つの眼が、苛立ちを隠さず座る。
「あなたたちの魂は異世界に転生するにはあと少し準備が必要だったからこの予備校で次の合格を目指す為に一から学び直すのですと喉が枯れるほど言いました! イサミくん、聞いていなかったのですね!」
どこかのやり手の弁護士のように何度も机をたたきながら教師である
イサミと呼ばれたのは先程質問した男子生徒で、遊び心のない藍色の詰襟姿だったた。
イサミは目を瞬かせると、
「いや、今さっき初めて聞いたんですけど!?」
そう返すが、今にも噛みついてきそうな速水の目つきに、彼は左右の席に座っている女子生徒たちに助けを求めるように慌てて顔を向ける。
右隣の小柄な少女は、イサミと目が合うと、ビクと体を弾ませて肩をすぼませながら、
「い、いきなりで何が何やら……」
丸くて大きな瞳がふよふよと揺れ動き、急激に潤む。「ここがどこかもわかってないです……うぅ」
左手首に通している、くたびれたヘアゴムが彼女の動揺を具現化するように揺れていた。
肩より少し上で切り揃えられたボブカットは、毛先がふわふわと広がっておりコアラのよう。
「ここはあなたたちの教室です。セイマさん、話を聞いてましたか?」
セイマと呼ばれた少女はその気迫に押されてしまい、答えることができず「ひいっ」と短い悲鳴を上げるだけだった。
「む、無茶言わないでくださいよ」
イサミはセイマの怯える姿を見ているうちに、胸の奥から痛みを伴いながら正義感が沸き上がり、まだ出会って間もないのに庇ってしまった。
「なんか気づいたら変な部屋に居て、白衣着たおばさんに何個か質問されて、ここに来るように言われたんですよ」
しかし、そう言い終わる頃には、速水の視線から逃れるように、今度は左手の席に座る女子へと顔を向けしまっていた。
一人堂々としていた女子は、その長い脚を組むのに机の下では狭かったようで、タイル三枚分ほど椅子を引いていた。
長い髪を揚羽蝶型のヘアクリップで簡単にまとめて、その毛先は右肩の前に流している。彼女は鼻息の荒い速水とは対極に冷めた視線を前に向けていた。
イサミの方へ顔や目線を向けることはなかったが、それでも彼のすがる気配を察して、
「魂は、ってことは、やっぱり私、」
そこで彼女の瞳がその垂れ下がった目尻に沿って滑るように、ようやくイサミの方へと向けられて、視線がぶつかる。動揺に背筋を伸ばした彼を見て満足したのか、すぐに彼女は視線を速水へと戻した。
「……私たちは死んだってこと?」
「なっ……」
イサミは言葉を失った。体の力を失ってしまい、壊れた機械人形の如くゆっくりと首を正面に戻すのが精一杯だった。
「だからそうだと昨日もお伝えしましたよ、アイサさん!」
未だに速水は苛立ったままだ。人の命が失われたという事実に対してあまりにあっさりとし過ぎている。
「ついさっき会ったばかりなんだけど」
アイサと呼ばれた彼女は足を組み替えた。
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
半べそをかきながら、セイマが立ち上がる。「そ、それってやっぱり本当なんですか?」
「私が嘘を言ってるとでも?」
速水は慰めの言葉をかけるどころか、いよいよ怒りがピークに達したのか、ドスの効いた声を放ちだす。
「先生、落ち着いてくださいって」
どんだけ短気なんだよ……。イサミは心で呟いた。
「そう、でしたか……」
セイマは悟るように細い吐息を漏らすと、落ちるように椅子に座り、俯いてしまった。髪が彼女の横顔を隠し、イサミからはその表情は伺えなかったが、セイマがそれ以上速水に詰め寄ることもなかった。
「貴方は驚かないのね?」
アイサが言った。
「……。あ、俺?」
自分に訊ねられていることに遅れて気づき、アイサを見返すが、特に愛想を彼に向けることはなかった。
「まぁね。さっき白衣のおばさんと色々話してた時になんとなくわかってたことだし……。ていうか、その、君も……」
「アイサでいいわよ」
「そ、そう?」
イサミは顔を赤くしながら、「あの、ああ、あい、あい、アイアイサも」
「海軍の返事みたいに呼ぶのやめて」
「い、いやだってその……」
出会って間もない女子のことを下の名前で呼ぶなんて慣れてなくて緊張する――と赤裸々に己を語ることはできず、「ちょっとあの、あれ、扁桃腺が赤くなってるから」
風邪の初期症状のような理由にならない理由を、勢いという武装で強引に押し通した。
「と、とにかく、アイサは受け入れられるの?」
「ええ。私も貴方と同じで事前に聞いていたし」
アイサは左手で、肩の前に流しているポニテの毛先をいじりながら、
「それよりも――、速水先生、だったわよね? とりあえず私たちは次にいつあるかはわからない試験に合格しなければならないってこと?」
「アイサさん……」
速水の、常に捲し立てる様な早口が、ふっと静かになった。
と、同時に、速水は笑顔を向けてきた。
「あなた、察しが良いわね。察しがいい人は先生大好きです!」
「……」
アイサは冷めた視線を向け続ける。いいからさっさと続きを話せと無言のプレッシャーを放っているようにイサミには思えた。
「その通りです。明日からの各教科の講義を受けて、各々適正能力を見極め、高めて、転生試験に備えるのです」
能力を……。
イサミは自分の左右両方の腕を眺めた。白い肌には血が流れているように感じる。この肉体がたとえ仮初めのものだとしても、異世界に転生する、自分の能力を顕現させて……。
その未来に、わずかだが口元を緩ませないわけにはいかなかった。
「今日の所は各自部屋に戻って体をゆっくり休めて明日からの講義に備えてください。分からないことがあれば職員室に誰かいますから尋ねてくれてもかまいませんただし学園の敷地から外に出ることは禁止してますと伝えたと思いますけどもう一度伝えておきます一歩間違えれば二度と魂が戻ってくることはないですからねちなみに私はもう帰りたくて仕方ないので職員室にはいないと思いますから他の教員を――」
と結局怒っても喜んでも興奮して早口になるのは同じのようだ。矢継ぎ早に、息の続く限り言葉を並べつつ、速水は教室の戸を乱雑にがたがたと開けて出て行ってしまっていた。
ばしゃん――と戸が閉まる音が教室に刹那に響いた。
「どんだけせっかちなんだよ……」
イサミはただただ見送るしかなかった。自分を慰めるように、彼は前髪を頭頂部付近で留めている大きめの赤いヘアピンに触れるのだった。
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