第14話:麗しい彼女 二 上




 登った。



 登った。



 次の日も登った。



 その次の日も登った。



 さらにその次の日も、また登った。



 登って登って登って、登った。



 ひたすら登り続けた。

 


 毎日毎日毎日毎日、登って登って登って、また登った。


 

 登って探して歩き回って、見つからなくて降りてきた。


 

 次の日も同じように山に登って草木の中へ踏み入って歩き回って、祠を見つける事が出来ずに山を下りた。



 放課後になると家に帰らず木ヶ暮山に登って森の中を歩き続け、休日は朝から夜まで山に籠もっている。

 そんな生活をあの日から、学園祭の日の夜から繰り返している。


 最近は疲れのせいか登校は時間ギリギリになって授業中も基本的に寝るようになった。期末のテストは不味いかもしれない。でもそんな事はどうでもいい。

 学園祭でどの店を回ってどんな事をしたのか僕は覚えていない。きっと罪悪感と祠の事ばかりを考えていて楽しめなかったと思う。


 唯一覚えているのは一緒に過ごした漆茨さんがどんな顔をしていたのかだけだ。なにも映す事のない無表情がずっと僕の事を見ていた。僕は顔を背けたまま笑っていた。


 そんな空虚な一日から虚無な日々を過ごし続けて早二ヶ月、未だに祠は見つかっていない。

 登り始めた頃はまだ残暑が燻っていたのに、いつの間にか葉は紅く染まり、それも落ちて常緑樹に囲まれた冷たい世界になっていた。基本的に木ヶ暮市には雪は降らないけど、山ともなるとどうなるかは分からない。降らない事を祈りながら登り続けるしかない。


 今日もまた、やる事は変わらない。

 授業を全て終えた僕はリュックを背負って教室を出た。

 中にはエナジードリンクと水、軽食とタオル、紙の地図と懐中電灯、そして方位磁石と笛を入れている。


 地図を持っていくのは山の中じゃスマホのGPSを頼り切るのは怖いからだ。それに探した場所をその都度塗り潰していけば、少しずつでも探索が進んでいるのだという励みになる。といっても塗られた範囲はまだほとんどないのだけど。


 山での地図の使い方のちゃんとした知識はなかったから登る前に動画サイトで勉強した。どこまでそれが正しいのかも実用的なのかも分からなかった。ただ、少なくとも今の僕が遭難していないという事はちゃんとした内容だったんだろう。


 今日もその地図を頼りに重い身体を引きずって山を登る。

 筋肉痛はもうない。でも足の裏や膝、足首など関節が悲鳴を上げている。不安定な場所を歩いているから腰も痛くなってきている。


 でもそんな痛みも漆茨さんを前にするよりはマシだと思えた。

 僕はもう彼女の顔を見るのが、声を聞くのが辛い。漆茨さんが隣にいると罪悪感が押し寄せてきて潰されそうになる。


 全部自分が悪いのは分かっているけど、それでも僕は彼女といたくない。いちゃいけない。

 自分が引き起こした僕らの問題を解決するまでは、彼女と一緒にいる権利はない。

 だから。


「み、深青里君」


 腕を掴まれた。

 振り返らずに僕は聞く。


「どうしたの?」


「大丈夫」


 淡々とした問いがあった。


「何が?」


「もうずっと辛そう。深青里君は何をしているの」


「……辛くなんかないよ。最近山登りが趣味になったんだ。だから毎日楽しくて登っちゃってさ。それだけだから心配しないで」


 そんな事されても苦しくなるだけなんだから。


「嘘」


「嘘じゃないよ。登るのは楽しいよ」


「深青里君は私の事嫌いになった」


「そんなことない!」


 思わず振り返ってしまった。

 出会ってからずっと変わらない無表情をした漆茨さんが僕を見ていた。

 目が合うと苦みが胸にこみ上げてきて、僕はすぐに顔を背ける。


「そんなこと、ないけど……」


「じゃあどうして顔を合わせてくれないの。一緒に登校してくれないの。帰ってくれないの。私を避けるの。学園祭の時からずっとそう。何があったの」


「それは……」


「私、何かした。言った。それが分からなくて辛いの。だから教えてほしい。私が悪いならそう言ってほしい。お願い、深青里君。私、もう苦しいの」


「…………」


 言葉が返せない。

 こんな事を言う時でさえ漆茨さんは真顔で、口調も淡々とした棒調子だった。

 だからこそ余計に胸が締め付けられて苦しくなる。


「……違うよ。本当に違うんだ、漆茨さんは何も悪くないんだ。それだけは信じてほしい。悪いのは全部僕だから、漆茨さんは心配しないでほしい」


「どういうこと」


「…………」


 話そうか悩んだことは何度もあった。

 でもやっぱりそれはできない。これ以上漆茨さんを巻き込むわけにはいかない。

 祠が見つかったとして何が起こるか分からないからだ。

 僕一人なら何かあっても一人で抱えればいい。勝手に傷付いて苦しめばそれで済む。


 けど、もしまた厄介な事が起きた時に漆茨さんがいて、彼女がもっと辛い目に合う事になったら僕は耐えられない。今よりももっと苦しませるわけにはいかない。


 だから僕は一人で探すしかない。

 漆茨さんを連れて行くのは見つかった後でいい。


「とにかく、漆茨さんは何も悪くないから、待っていてほしいんだ。いつか多分、話せる日が来るから。その日まで信じて待っていてほしい」


 笑えていたかは分からない。

 それでも意識して口角を上げてそう告げた。


「……なら目を見て言って」


 その言葉に僕は息を呑んだ。

 逸らしたままの顔を、僕は持ち上げようとして、


「……ごめん」


「あっ……」


 出来ずに掴まれていた手を振り払った。

 やっぱり漆茨さんの顔は見たくない。見ることができない。

 正面から合わせる顔が、僕にはない。


「僕、行くね」


 堪らなくなって彼女に背中を向けて歩き出す。

「行かないで」と小さく聞えた気がした。


 でも止まれない。止まっちゃいけない。

 こうする事が正しいと、できるだけ早く漆茨さんの苦しみを消すためには必要な事だと言い聞かせて僕は木ヶ暮山に向かった。




   *  *  *




 昨日、僕は世界を移動した。



 起きてすぐに世界を移動していると分かった。

 日記を見ずとも身体が痛くないからそれだけで判断できる。

 そもそも僕はもう世界移動をしても日記を読まなくなっていた。


 この世界の漆茨さんに会って話をしなければ僕は三日間ここにいられる。その期間だけ疲労感が薄く痛むところもない身体で山の中を探す事が出来る。加えてこの世界の僕には悪いけど三日程度なら学校を休んだって支障はないから登校日でも関係なく朝から木ヶ暮山に行ける。


 学校をサボる前提だからわざわざこの世界で前日までに合った事を知る必要はないのだ。

 そして昨日も僕は学校には行かずに山に登っていた。

 収穫はゼロだった。

 今日も山に登らなきゃいけない。

 ベッドから起き上がろうとして、筋肉痛が全身を走った。


 こっちの世界の僕は健康体だけど、一つ問題があるとしたら山に登り慣れていないから二日目から凄まじい程の筋肉痛に襲われることだ。とはいえ節々が痛むよりはまだマシに思えた。筋肉痛なら冷たい嫌な汗はかかないから。


 あとは意識が移動している以上、精神的な疲労もそのまま着いてきてしまうのも問題といえば問題だ。

 漆茨さんに背中を向けてからもう一月ほどが過ぎてしまっていた。その間、気まずさに彼女とは顔も言葉も交わしていない。逃げているのは僕の方だけど、嫌われてしまっているかもしれない。


 だからこそ少しでも早く祠を見つけて漆茨さんの笑顔を取り戻したい。嫌われたのならそのままでいいから、とにかく彼女を元に戻してあげたい。なのに探し始めて三ヶ月経った今もまだ、大した範囲も探せておらず、見つける事も出来ていない。

 焦りと嫌な感情を諸々溜め息に乗せて吐き出す。


 ともかく、一度起き上がる事は諦めてふくらはぎや太腿を揉みほぐすことにした。

 ベッドの上でモゾモゾしていると、スマホにラインの通知が入っている事に気が付いた。どうやら昨日のうちに来ていたらしい。山を登っている時だったから分からなかった。


 ひとしきりマッサージを終えて内容を確認すると、それは。


「……漆茨さん?」


 名前の表示は漆茨だった。開いて表示されたメッセージは「お身体大丈夫ですか?」という絵文字もスタンプもないシンプルなものだった。


 もしかしてこの世界は一度訪れて彼女と関係を持った世界だということなのだろうか。日記を読んでいなかったからどの漆茨さんなのかは分からない。


 でも、いいか別に確認しなくても。

 どうせ学校に行くつもりはないし、僕は祠を探さなきゃいけない。


 下手に会って話すことになれば、オタク茨さんの時みたいに罪悪感と忌避感に襲われるかもしれない。自分のせいとはいえ進んで味わいたいものじゃない。


 それも学校に行かなければ漆茨さんと会う事はないから問題はないだろう。

 スマホの画面を消して見なかった事にして、僕は立ち上がった。

 朝食を摂ったら湿布を変えて出発しよう。



 そう思いながら準備を終えて家を出た時だった。


「あっ、深青里君。おはようございます。今日は学校来られそうなのですね」


「……嘘、でしょ」


 漆茨さんがいた。

 その顔を見て思いだした。学校に行かなくても会う可能性のある漆茨さんがいた事を。


「深青里君? どうかしましたか、ボーッとして。それに疲れた顔していませんか? もしかしてまだ体調悪いのですか?」


「あぁ、いや、そういうわけじゃないけど……」


 僕と同じくらいの身長、後頭部の高い位置でお団子を結った麗しい顔の漆茨さんが心配そうな表情を浮かべていた。

 完全に麗し茨さんの事を忘れていた。

 そういえば最寄り駅が同じで、しかも彼女の通学路の途中に僕の家があったんだ。


「それより、どうして漆茨さんがわざわざ僕の家に?」


 動揺を隠しながら笑って聞くと、漆茨さんは困ったような顔で言った。


「どうしても何も、昨日何も言わずに休んだのは深青里君じゃありませんか。送ったラインも全然既読になりませんでしたし、今朝なったと思ったら返信もないし……。心配になって来た以外にないでしょう?」


「そっか……」


 日記を読まなかった事、ラインに返事をしなかった事、その両方が重なったことでこの事態を招いた。どちらかをしていれば防げたかもしれない。

 つまらないミスに頭を抱えたくなる。


「僕は大丈夫だから安心してよ」


「本当ですか? 調子が悪いなら無理しないでくださいね。途中でダメそうになったら保健室に連れて行きますからね」


「……学校に行くつもりはないんだけど」


「えっ……」


 漆茨さんはポカンとした。


「制服を着ているからてっきり……というかサボるつもりなのですか?」


「そうなるね」


「ま、まさか昨日も学校をサボってどこかに行っていたのですか?」


「そうだね」


「どこに行っていたのですか? 場合によっては風紀委員として許しませんよ」


「……木ヶ暮山だよ。登ってたんだ」


 言い訳を考えるのが面倒臭くて正直に答えると漆茨さんはなんとも言えない表情を浮かべた。眉根を寄せながらも訝しむというよりは不思議そうな顔をしている。


「どうして急に木ヶ暮山に? 学校をサボってまで行くようなところとは思えないのですが……」


「見つけなきゃいけないものがあるから。それだけだよ」


「一体なんなのですか、それは?」


「……漆茨さんには関係ないことだよ。とにかく僕は探さなきゃいけないものがあるから学校には行かない。悪いけど今日も一人で行って」


 半分嘘の返答は、ちょっと口調が荒くなった。

 相手をするのが煩わしくなってきた。


 たった数分とはいえ時間を無駄にしたくないし、漆茨さんとは言葉を交わしたくないのに。


「そうかもしれませんけど、学校をサボってまで見つけなきゃいけないものなのですよね?」


「だったら何? 一人で探せるからいいって言ってるでしょ」


「…………」


 しつこく食いつかれて突き放すように告げると、漆茨さんは何を言われたのか分からないような顔で黙った。

 そして渋面を作ると探るように口を開いた。


「……なんだか今日の深青里君はおかしいです。深青里君らしくありません。どうしちゃったのですか? やっぱり体調が悪いのではないですか?」


「……僕らしくない?」


 その言葉がどうしようもなく癇にさわった。


「漆茨さんが僕の何を知っているの? 普段の僕じゃ言いそうにない事を言ったから? たったそれだけで僕らしくないなんて言いたいの?」


 八つ当たりだと分かっていても口は止まらなくなった。

 自分に向けるべき苛立ちや怒りを目の前で固まっている漆茨さんにぶつけてしまう。


「まぁ確かにそうだよだって僕は一昨日までの僕とは違うんだから、今の僕は漆茨さんが知っている僕らしくないに決まっているよ。でも、だったらそれこそ漆茨さんには関係ない話だよね。僕はさ、嫌なんだよ。本来この世界にいる深青里柊一郎に向けなきゃいけない言葉とか気持ちが僕にぶつけられるのは。気持ち悪くて……苦しくて辛いんだ。漆茨さんが心配したいのは一昨日までの僕なんだよ。今ここにいる僕じゃない。だからもう関わらないでよ、迷惑なんだよそういうの」


「深青里、君……」


 漆茨さんは信じられないものを見たように目を剥いた。その瞳が潤み、揺らいでいるのがハッキリ見えるくらい、大きく見開いている。


 その目からは不安、怯え、困惑、悲痛。様々な感情が痛い程伝わってきた。

 わずかに空いた顎は細かく震えている。

 僕はその顔を直視できない。

 明らかに言い過ぎだ。最低だ。

 自分で言った通り何も関係ない、それも本来被害者である漆茨さんに当たるだなんて僕はクズだ。


 でももう取り消せない。口にして相手に届いてしまった以上はそれが全てだ。

 それでも何か言わなきゃいけない。

 ここにいる僕にまで迷惑をかけてしまう。


「……また明後日。明後日になれば漆茨さんの知っている僕が戻ってくるから、それまでは放っておいて」


 遅いなんて事は分かっているけど、それでもなけなしのフォローを残して、僕は漆茨さんの横を通り過ぎようとした。


「確かに」


 その時、ボソッと漆茨さんが呟いたのが聞えて、足を止めてしまった。


「確かに私には関係のない話なのかもしれません。実際私には深青里君の言った言葉の意味がよく分かりませんでした」


 目を潤ませて情けなく眉をハの字に垂れ下げて、震える口で言葉を紡ぎながら真っ直ぐ見つめてきた。


「それでも、深青里君が困っているなら私は少しでも力になりたいのです。関わらせてほしいのです、深青里君の事に。深青里君の抱える辛さや苦しさ、そういうものを少しでも感じさせてほしいのです」


「…………」


 縋り付きたくなるような温かさと甘さが押し寄せてくる。

 でも、だからこそ素直に受け取る事は出来ない。

 漆茨さんが知っている、その言葉を向けたい相手は間違っても僕なんかじゃないのだから。

 こっちの世界の僕がもらわなきゃいけないものだから。


「……漆茨さんは優しいね。本当に、凄く優しい」


 突き放した僕をそれでも心配をしてくれる。

 その気持ちは、そんなに温かい気持ちはやっぱり僕は受け取っちゃいけない。

 僕じゃない深青里柊一郎がその全てを享受するべきなんだ。


「でも僕は大丈夫だから、気持ちだけありがたくもらうよ。本当にありがとう」


 止まった足をもう一度踏み出す。

 この子の優しさは疲れている僕には効きすぎる。

 これ以上触れてしまったら溺れてしまいかねない。

 今度こそ彼女の脇を通り過ぎて歩き出した。


 なのに。


「待ってください!」


 まだ彼女は僕を追ってきて手首を掴んだ。

 そして。


「今はそういうのいいですから! 助けてほしいならそう言ってくださいよ!」


「…………」


 手首を掴む力は大したことなかった。

 それでも僕は振りほどけずにいた。歩き出せもしなかった。

 どうしようもないほど漆茨さんの叫びが僕の胸に響いたから。

 この世界の深青里柊一郎じゃなく、今の僕に届いてしまったから。

 なぜならこの言葉は――


「あの日、私にそう言ったのは深青里君じゃありませんか!」


 雨の中、パスケースを探していた漆茨さんに向かって僕が言ったものだった。

 無理に取り繕おうとした漆茨さんに僕が突きつけたものだった。


「おかげで私は救われたんです! なのにどうしてそのあなたが一人で苦しもうとするのですか! 頼ってくれないんですか! バカみたいに辛そうな顔をして、大丈夫なんて言うのですか!」


「ぼ、僕は……」


 声が震える。

 紛れもない僕に向かって突きつけられた致命的な言葉が胸に突き刺さって甘い優しさを注ぎ込んでくる。


 甘えるわけにはいかないと分かっていながら、縋ろうとしている自分がいる。

 だから振り払ってしまいたい。

 逃げ出してしまいたい。


 でも。


「……僕のせいでずっと苦しみ続けている人がいるんだ。迷惑をかけ続けている人達がいるんだ」


 なんのために喋り始めたのか分からない。

 諭して僕に関わるのを諦めさせるつもりなのか、それとも甘えようとしているのか、どっちの結論に行き着くのか自分でも分からないまま僕は続けた。


「迷惑をかけている人の中に漆茨さんが、目の前にいる君が含まれているんだよ。だからこれは僕がなんとかしなきゃいけないことなんだ。僕一人の罪だから、漆茨さんは被害者の一人なんだから、僕一人で清算しなきゃいけないんだ」


「そうだとしても、それを私も一緒に背負いたいと言っているのではありませんか」


「……でも、今の僕は漆茨さんが知っている僕じゃない。漆茨さんが心配しなきゃいけないのは今の僕じゃないんだよ」


 伝わらないと、伝えられないと分かっている言葉しか僕の口からは出てきてくれなかった。

 どこまでも卑怯で卑屈で浅ましい。


 そんな取り留めのない言葉はどう漆茨さんに届いたのだろうか。

 彼女は困ったような声で言った。


「やっぱり私には深青里君の言っている事がよく理解出来ません」


 でも、


「でも深青里君は深青里君です」


 すぐに声色は明るくなった。


「私が言葉を伝えたいと思う人は目の前にいる深青里柊一郎君以外の誰でもないんです。例え今のあなたが私の知らない深青里君だったとしても、それが深青里柊一郎君である事に変わりがないのなら私はそんなあなたも受け止めたい。一緒にいたいと思うのです」


「漆茨さん……」


 本当の事なんて何も知らないはずなのに、どうしてこんなにも怖いくらい、今の僕にとって致命的な事を言えるんだろう。優しい言葉をかけてくれるんだろう。


「……どうして」


 僕は振り向いて漆茨さんを見つめた。


「どうしてそんな事を言ってくれるの?」


「今度は私の番だからです」


 漆茨さんは微笑んだまま胸を張って言った。


「あの日、風邪をひいてまで探してくれたのではありませんか、パスケースを。だから、深青里君が何かを見つけなければいけないのなら、今度は私が手伝う番なのです。あの時のお返し、まだ出来ていませんでしたから」


 照れくさそうにはにかんだ表情すらどこまでも麗しくて、流れ込んできた感情に僕の心は溶かされていった。

 溶けた心が腹の底で蠢いていた罪悪感を押しつけて優しさで包んでいく。

 痛みが薄れて弱みが溢れだして、諦めという甘美な感情が身体に行き渡っていく。


 あぁ、ダメだ。

 この漆茨さんには抗えない。


「……手伝ってほしい。助けてほしい。どうしても僕は祠を見つけなきゃいけないんだ。見つけて、終わらせなきゃいけないんだ」


「……全く、最初からそう言っていればいいのです」


 気付けばこぼれてしまった情けない言葉に、漆茨さんは満足そうに笑った。

 その笑顔は意地だとか見栄だとか、そういうもの全てを取り払って心地良さを運んできた。


 かと思ったら、次の瞬間には漆茨さんはとぼけたように首を捻った。


「ところで祠ってなんですか? 本殿にあるのですか?」


 無表情の漆茨さんに聞いた時と同じ事を言われて、僕は苦笑してしまった。


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