42.熱戦
「お次はツクリだぁ! しっかり頼むぜぇ!」
「ボクのスキル『撹拌』の出番も無いとね!」
魔法を使うときのように目を閉じ、ブツブツと呟くツクリ。
ちなみに、スキルの発動に決まった動作や詠唱は必要無い。テンションがアガる思い思いの予備動作をとっている、というわけだ。
ツクリのエーテリアルでの故郷、ウッドヴァルで彼女がコンクリートを普及する原動力となったスキル『混合』。規模やパワー、混ぜ方や速度の調整が可能で、物質の混合を自由自在に行う事が出来るスキルだ。
此度は、糖化槽に取り付けられているものの、これまた故障して動かない魔導ミキサーの代わりとなるべく使用されている。
直径20センチ。小さな円形の覗き窓の中を見ようと、醸造所メンバーがぞろぞろと集まってきた。
そこから見える糖化槽の中では、挽き割りにされた麦芽とお湯がひねりを加えながらゆっくりかき回されている。麦と湯の境目が、少しずつ曖昧になっていく。
撹拌されているうちにお湯は少し冷め、糖化槽の中はやがて、タンパクを分解する酵素、プロテアーゼの最適温度である50℃に落ち着いた。
麦芽は湯と良く混ざり、既にとろとろのおかゆ状に変化している。
「あれが、麦汁かの?」
場所取りを制したドリンが、頭上のソダツに問いかける。
「いーや。タンパク質を分解するのは下準備だぜ。まあ、大人しく見てなって」
湯の投入も撹拌も休止し、そのまま十分ほど静置。
スキルの使用には、大変な体力と精神力を要する。素材に余裕が無い一発勝負の状況となれば、なおのことだ。
プロテアーゼがタンパク質を分解する猶予を与えたところで、その場にへたり込んでいたシズクが、自らの両頬をパンと叩いて立ち上がった。
「……次が第二段階。エルミナさん。もうひと頑張りだよ」
ここからは、数回に分けて糖化槽へ熱湯を注いでいく。一歩間違えれば、せっかくの酵素を失活させてしまい、ここまでの積み上げ台無しにしてしまう恐れがある。
いつもぽにゃっとしているシズクの表情が、いつになく引き締まっていた。初めて見る彼女の瞳の色に、息を呑むメンバー達。醸造所の中を、並々ならぬ緊張感が支配していた。
「……」
エルミナは一言も発せずただ頷き、ポンプの操作を再開した。
ゆっくりと時間をかけて熱湯を流し入れることで、糖化槽内の温度を調整する。
デンプンを分解する酵素は主にαアミラーゼとβアミラーゼの二種類。その両方が活発に働く65℃を保持するのが第二段階だ。
▽
「よーし! 休憩だ!!」
緊張の第二段階も、無事に終了。
長めの休憩の後、二人は更に糖化槽へと熱湯を注ぎはじめた。
今度は、高温に弱いβアミラーゼだけが失活する72℃に昇温する。香りに複雑さをもたらす野生酵母の一種に食事を与えるため、麦汁に多糖類をあえて残すのだ。
適切な温度帯は狭くなり、1℃の狂いが成否を分ける。温度を上げすぎないよう、熱湯は少しずつ。もはやシズクとエルミナに周りの景色は見えず、音も聞こえてはいない。
72℃を二十分ほど保持した後、今度は目標を75℃に設定。この温度で、いずれの酵素も失活し、その仕事を終える。
温度を維持したまま、二十分ほど待てば頃合いだ。朧気な瞳でのシズクの目配せを即座に理解したソダツが、糖化槽に取り付けられたコックを開いた。
麦の殻と金属のフィルターで濾過しながら、隣の煮沸釜へ、できあがった麦の汁を移動ていく。
糖化槽の底に残る麦の殻に熱水を振りかけ、最後まで糖を絞り出せば、晴れて此度の麦汁は完成となる。
「完璧だぜ!!」
糖化槽から目を離し、拳を握りしめて叫ぶソダツの声は、興奮に満ちていた。
立ち上がったシズクとエルミナは、無言のまま覚束ない足を躾けて歩みを寄せ、力強く両手でハイタッチ。
爽快な音が高屋根と銅の槽で増幅されて広がると、すぐさま醸造所は歓声で溢れかえった。
「やったね! エルミナさん」
「成功して良かったです。……くすっ、シズクさん。汗、凄いですよ」
「あれれ……本当だ。だけど、エルミナさんもだよ」
「……ですね。目が滲みます」
二人は微笑み、健闘を称えるように互いの額の汗を手ぬぐいで拭った。
とてとてと駆け寄ってきたドリンが、二人をねぎらいながら竹の水筒を差し出す。水分補給も忘れて没頭していた二人は、掠れた声で感謝を述べ一気に飲み干した。
そして、今度はドリンを挟んだまま熱い抱擁を交わすのだった。
投入した湯の総量は、12,000Lにものぼる。
高効率な魔導具を使用しているとは言え、緊張感の中での魔力操作は言わずもがな重労働だ。バイメタルの温度計を睨みながら、スキルを用いて緻密に温度を管理し続けたシズクも然り。
疲労と解放感が重力を数倍にする。とても立ってはいられず、二人と巻き込まれた女神は、抱き合ったままその場にへなへなと頽れた。
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