32.約束
「ふむ、ワシか? ワシは、ソダツ殿に賛成じゃの。三人もの『渡り』に、ごーるでん・あるふぁか、さらにネクタリアの女神と来た。されば、村の発展に寄与する話に違いあるまい? 首長としては、見過ごすわけにはいかぬ」
「なっ……!?」
「はっは! ルーカスのおっさんよ! じいさんの方がよっぽど頭が柔らかいみてぇだな!」
「ぐぐ……。こうなれば仕方あるまい。話すことを許可する、悪神! ……ただし、内容如何では容赦はせん!」
踵を返したルーカスは、ウェルテの民が作る輪に戻り、大地にどかっと腰を下ろしてドリンを睨み付けた。
その姿を見届けたシズクは、ドリンの傍で膝を折り、小刻みに震えるその小さな肩を優しく抱き寄せて声をかけた。
「よく頑張ったね、ドリン。立てる? ウェルテの人達、お話聞いてくれるって」
「うむ……。感謝するぞ、兄妹」
シズクの肩を借りて、よろめきながら立ち上がるドリン。ドレスの裾に付いた泥を払い、彼女がゆっくりと顔を上げると、ウェルテの人々から感嘆の声やため息が漏れた。
月白の大河に星々の船を浮かべたように煌めく、艶やかな銀の髪。世の果てが見通せそうな程に深く澄んだアクアマリンの瞳。シンプルな桜色のドレスが引き立てる美しさは、彼女が紛れもなく女神であるということを、一目で理解させる力を持っていた。
「皆の者……儂にこのような機会を与えてくれたこと、本当に感謝している」
小さく頭を下げ、重々しくドリンが口を開くと、ぽつりぽつりとその場に跪く者が現れ始めた。
「儂は、自らのかつての行いを、心の底より悔いておる。其方らの至上の喜びを奪い、守り繋いだ歴史を破壊し、誇りであった文化を焼き尽くしてしもうた事を。決して消えぬ恨みがあるじゃろう――」
ウェルテの民は皆、真剣に耳を傾けている。鳥のさえずりや、風が招く葉擦れの声すらどこかへ去った。隣人の鼓動さえ聞こえてきそうだ。
そんな静寂を割るように大きく息を吸い込み、ドリンは続ける。
「故、頭を下げたくらいで許してもらえるなど、甘いことは考えてはおらん。たが、一度だけ、一度だけやり直すチャンスを与えてはもらえないだろうか! ……この儂に、どうしようもない駄女神ドリンにもう一度、其方らと手を取り合い、ネクタリアが誇る文化を再興する機会を与えて欲しいのじゃ!」
姿勢を正し、今度は立ったまま深々とドリンは頭を下げた。
ドリンの言葉に、所作に、再びざわめき始める場。ツクリの尖った耳には確かに、若者を中心にした、賛同の声が届き始めた。
そんな雰囲気に水を差す怒声の主は、やはり衛兵長ルーカス――
「馬鹿げている! やり直すチャンスだと? よくもヌケヌケとそのような事が言えたものだ! 確かに貴様は長生きするだろう。しかし、奪われ、苦しみの中で果てた我らの先祖は蘇らん! 償う事など決してできんのだ!」
腰に佩いた剣の柄に手を添え、ルーカスは殺気を漲らせてドリンににじり寄る。が、丸腰のソダツがルーカスの前に、両手を広げて立ちはだかった。
「駄目だ。それ以上は俺が許せねぇ。俺は妹達を、死んでも守るって誓ったんでな。神さんを傷つけるってんなら、たとえ咎人になろうとも、俺はあんたを殺すぜ」
「……――ッ!!」
A+ランク剣士の強烈な睨みに気圧され、ルーカスは一歩、二歩と後退りする。
「暴力は駄目。駄目だよ、兄さん」
「だが、シズク……」
さらにシズクが、二人の間に割って入る。
「確かにそうだね、ルーカスさん。過ぎた時間は戻らないよ……」
シズクは、諦念を湛えたような眼差しで、ルーカスの瞳を見つめながら続ける。
「だけど! 今を生きている人、これから生まれてくる人の喜びを奪う権利だって、誰にもないんだよ! 違う!?」
「……否ぁあ!! これは重りなのだ! 縛りなのだ! 罰なのだ!! 先人の苦しみを忘れ、我らだけが甘露を得るなど許されん! 我ら、文化を持たざるネクタリアの民はそうやって! 他国からの侮蔑を耐え抜いてきたのだ!」
高ランクの二人の睨みをはね除け、負けじと詰め寄るルーカスの灼熱の砂漠のように嗄れた声。その必死さと迫力に、ウェルテの民の中には頷き、共感する者も現れ始めた。
「ふぅ……。こいつぁ筋金入りだぜ。どうするよ、神さん?」
威圧感を消し、ソダツは小さく肩をすくめた。
しばらく瞼を閉じていたドリンだが、やがて、覚悟を決めたようにかっと目を見開く――
「ルーカス殿。其方の想い、誇り、そして哀しみ……。全て受け容れよう」
「はっ! 言葉だけなら誰でも言える」
「もちろん、行動もじゃ。慰めにほど遠いじゃろうが……。ネクタリアの地にびぃるが復活した暁には、天界におるウェルテの先人達に届けることを約束しようとも」
「……なっ!?」
「マジかよ! そんなことできんの?」「それなら、万事解決じゃね?」
「神さん、かっけー!」「ルーカスさんも、さすがだぜ!!」
「もう、ドリンったら。まーた風呂敷広げちゃって……」
ため息を吐くシズクと、凜々しく光るドリンの目線が合わさった。
ドリンは手刀を切って「すまぬ」と謝っている。口端を緩めてシズクは、ぱちりと片目を閉じて返した。
「わ、笑わせるな! 言うに事欠いてびぃるの復活だと!? たとえ我らが貴様を許したとて、そんなことが可能なものか! ……忘れたとは言わせんぞ! 貴様の行動が先人達の怒りを買い、全ての書物が、道具が、原料が地獄の業火に焼かれた事を――」
「そのことじゃがの……。ふむ、儂では力不足じゃわい。シズクや、頼めるかえ?」
「えっ!? ええっー!! そこは丸投げなの? ……もう、無茶ぶりだなぁ」
ぼやきながらも、シズクはウェルテの人達が作る輪の中央で、カイエンの背中の上にうんしょと登って立ち上がる。
そして、自分たちの来歴、ヴァルハ丘陵の奥で醸造所遺跡を発見したこと、畑の状態や設備、問題点などを説明し始めた。
ドリンの熱意とシズクの提案が、ウェルテの民の心を少しずつ動かしていく。
過去の傷を乗り越え、新しい未来を築くことができるいう期待感が、少しずつ広がりを見せていた。
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