30.逆転は直球で
「あ、ああ。かなりの面積だからな。農薬も化成肥料も、農機だって無いエーテリアルじゃ手が足りねぇ。欲張っちまえば、草引きだけで終わっちまう可能性もある」
「うん、うん! ツクリは?」
「この辺り、立派な針葉樹が沢山生えてるでしょ? 床とか壁の下地は直せるし、石灰岩も採れるから、漆喰の素材だって十分。建物は専門だけど、金属の釜に魔導具……水車とか、樽、道具の修繕は見通せないんだ。人手もだけど、知識と技術も欲しいっていうのが本音」
指折り数えて見せるツクリ。いかに器用なツクリとはいえ、専門外のことに不安は多いようだ。
「ビール造りには、どれ一つ欠かせないもんね」
「……それで、シズクはどう動くんだ?」
「醸造家としての本格的な仕事は、素材が揃ってから。それまでに、醸造所を徹底的に探索して、生きてるビール酵母を見つけないと。待つ時間も多いから、二人を手伝いながら、いろいろと当たってみるつもりだよ」
「なるほどな。シズクと神さんの手を借りるとして……――」
「きゅ!!」
「はっは! 忘れちゃいねぇさ、カイエンの手もあるな! ……が、それでも足りねぇ、到底足りねぇぜ!」
あれこれ思惑を巡らせるが、どうしても行き詰まってしまう。ソダツは、大きな両手で頭を抱えて頽れた。
「……そこで、私にいいアイデアがあります!」
そう言ってビシッと手を上げたツクリは、ソダツとツクリにそっと耳打ちをする。
「もにょもにょもにょ……――」
「かっか! なるほど、さすがはシズク、妙案だぜ」
「うんうん。ボクも大賛成だよ。今後のためにもね」
嫌らしく口元をつり上げた三兄弟の、完璧な悪戯を思いついた子どものような不気味な視線が、ドリンへと注がれた。
「な、なんじゃその目は! お主ら一体、何を企んでおる――」
「私達のお話、聞いてたでしょ、ドリン?」
「承知しておるとも。じゃからこうして、知恵を寄せ合っておるのではないか」
「ううん。もう知恵じゃないの。物理こそが大正義……。ウェルテ醸造所を復興して、いっぱいビールを造るには、ネクタリアの人達の知識と、技術が必要なんだよ!」
「何が言いたいのじゃ? シズクよ」
「ドリン。ウェルテの人たちに謝って。昔の事、全部」
「な、なななな、なんじゃとぉおおお!!!!」
ドリンの叫声が山肌に幾重にもこだまし、闇に潜んでいた鳥や獣が動き出したようだ。葉擦れのざわめきが、あちこちから聞こえてくる。
「奴らはこの儂を、神たる儂を侮辱したのじゃぞ! 『悪神』に『駄女神』……果ては『超馬鹿者』とまで呼びおった! そればかりか、生卵を投げつけてくる無礼者どもで――」
「ドリン!! いい加減にして!!」
わざとらしく大きな音を立てて膝を叩き、シズクは人生で最大限に声を荒らげる。
「外面ばっかり取り繕って、少しも反省なんてしてない! ドリンの事、よーく分かったよ。そんな見栄っ張りなんかの為に、私は絶対に力を貸さないから。神ポイントの事だって……信用できないよ!」
腕を組み、口を結んでシズクはぷいっとそっぽを向いた。
「あーあ……。シズ姉、へそ曲げちゃったよ」
「神さんも分かってんだろ? 本心じゃねぇんだぜ。……だが、あいつがああなったら、どこまでも意固地だ。放っておいたら、死んでも機嫌は戻らねぇな。なあ、神さん。そろそろ腹くくろうぜ」
「じゃが……じゃが! こんな儂にも、一縷の自尊心くらいは残っておるのじゃ」
胸に手を当て、一歩前に出るドリン。うるうるした瞳には、しっかりと力が込められている。
「ドリンは神様だもんね。尊厳とか威厳とかが大切だって事くらい、私にだってわかるよ」
「ならば! なにゆえ儂を侮辱した者への謝罪などと――」
「捨てなきゃ! ドリンも分かってるんでしょ? 心の底からウェルテの人々に謝らないと、この国で未来を描けないって!」
「ぐ、ぐぬぬ……」
「ウェルテの人たちだって、千年も昔のことなんて、早く水に流したいと思ってるはずだよ。人を恨み続けるのって、とっても、とっても大変だから……」
「俺なら、一時間も保たねぇな」
「お兄は黙ってて!」
からからと笑うソダツだが、迅雷のごとき素早さでツクリがそれを窘めた。
「……ギルドのエルミナさん、覚えてる? ドリンの事に気づいても、未来を守るために見なかったことにしてくれたよね。ドリンは最高に美味しいビール、飲んでみたくない? 一人より二人、二人より三人……大勢でおしゃべりして、歌って、踊って飲むと、ビールはどこまでも美味しくなるんだよ!」
ドリンの両肩に優しく手を添えるシズクは、「楽園」と呼ばれるドイチのビールフェスティバルの様子を思い描いていた。
「確かに……そうじゃ。お主らと笑い合って飲む酒は、たとえ木酒とて極上じゃのぅ。前回の全神会議が終わってから、残ったびぃるを飲んでおったが、美味いと思えたのははじめだけじゃった。最後の方など、ただ酸いだけじゃったわい……」
「酸い……? とにかく、私はウェルテの人、ネクタリアの人……ううん、エーテリアル中の人とビールで乾杯したいの。だから、お願いだよドリン!」
姿勢を整え、神妙な面持ちで、シズクは深々と頭を下げた。
「俺たち兄妹が共有する、唯一にして最大の夢のためでもある。神さん、このとおりだ! 俺からも頼む」
「ボクからもお願いだよ、ドリン様! 年下だからボク、シズ姉達と一緒にビールを飲んだことがないんだ」
シズクを中央に、両端に立つソダツとツクリも同じ角度で頭を下げる。
「や、やめいやめい! やめてくれい!」
「……やだ。ドリンが『謝る』って言うまでやめてあげなーい」
「儂が蒔いた種なのじゃ! 儂が刈らねばならぬと分かっておる! 儂だって……もしも叶うのであれば、もっと、もっと早くに――」
「素直になるタイミングがなかったんだよね。大丈夫、私たちも一緒に行くから。生卵だって、罵声だってどんどこいだよ!」
「――……承知した。謝ろう。ウェルテの民に誠心誠意謝ると誓う! お主達と一緒であれば、恐れることはない。一蓮托生じゃぞ!」
「ハナからそのつもりだぜ。なんたって、俺たちは兄妹だからな」
「そうそう。生卵、体中にあびちゃお!」
「悪くねぇ。なかなか出来ない体験だぜ」
「えー! ボクはそんなの浴びたくないけどなぁ」
きれい好きのツクリは一人、頭の後ろで手を組んで唇を尖らせていた。
「……ねえ、ツクリ知ってる? ヴァルハ丘陵の中には、秘湯があるんだって。エルミナさんが知ってるみたい。仲良くなれたらきっと、教えてもらえるよ」
「お、お風呂! それも、温泉!? ……はいっ! 不肖コガネ・ツクリ! 喜んで生卵まみれになるであります!!」
くるりと反転、ツクリはビシッと敬礼のポーズを取った。
「……聞いたろ? こうなったら俺たち三人、とことん付き合うぜ」
「お主ら……本当に固い絆で結ばれておるのじゃな」
「水くせぇなぁ。言っただろ? 今日からは神さんも一緒だってな」
ドリンの肩に腕を回し、ソダツはげらげらと笑った。
「よーし! それじゃあ明日の早朝、ウェルテに向かうよ!」
「あ、明日じゃとぉお!? 儂にも、心の準備というものが――」
「……ねえ、ドリン? 『善は急げ』って言葉、知ってるよね?」
「ぐぬぬ……。意趣返しのつもりか、シズク! ならば、『急いては事をし損じる』とも言うはずじゃろう!」
「あー……あれね。あれは撤回。実は私、断然『急げ』派なんだよ。せっかちなんだよ、コガネ家って。……ねー?」
「はっは! 違いねぇ!」
「ボクも、ボクもそっち派!」
再び賑やかになる、家族の宴。カイエンの口から直接注がれるあるふぁか酒のビジュアルにも、もう慣れた。
予行演習でもしているのだろうか、茂みに入ってぶつぶつ呟くドリン。
そんな女神を指さし笑いながら、優しいたき火の熱に抱かれる三人は、それぞれの身語りを始めるのだ――
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