29.ドリンの秘策

「この国、ネクタリアの名産品とは言えば、何じゃ!」

「うーん……。こんなのでも一応、ネクタリアはお酒の国だから……やっぱりお酒、かなぁ?」

「ご名答じゃ! 儂が前に全神会議の宴会部長を務めたのは、ちょうど千年前のこと。当時は大盛況じゃったわい」

「そうなんだね。千年、前……!? 千年前っていえば、ドリンがネクタリア中のビールを取り上げた頃じゃない!」


 あるふぁか酒で満たされたココナツ椀を持ったまま、シズクが勢いよく立ち上がった。


「その通りじゃ。恥ずかしいことじゃが、まだ若かった儂は、どうしても全神会議でイキリ倒したかったのじゃ。この醸造所で造られ、国の隅々に散らばっておったびぃるを根こそぎ奪い取り、全量を全神会議へと持ち込んだ。それはもう、有頂天じゃったとも。かような惨劇を招くとは思いもせずにな」

「……ま、分かるぜ。何かに夢中な時ってのは、案外そんなもんさ」

「分かってくれるのか、兄殿! ――……兄殿ぉおお!!」


 ドリンは、ソダツの胸に飛び込んで泣きじゃくっている。どっしりと受け止めるソダツは、実に堂々としたものだ。もはや、どちらが神かも分からない。


「失ったもんは、これから取り返していくしかねぇってな。……で、シズクよ。惨劇ってのは一体?」

「ドリンの横暴にネクタリアの人達が怒って、ドリンを祀る神社とか、ビール造りの本や道具、畑なんかを焼き尽くしちゃったんだよ」

「……左様じゃ」

「はっは! そりゃあ、笑うしかねぇな!!」

「ドリン様の駄女神っぷりはよく分かったけど……。シズ姉が四年も待たされたことと、どうつながるんだろ?」


 顎に人差し指を添え、再びツクリは首を傾げた。


「それが、深ーくつながっておるのじゃよ。儂は途方に暮れておったと、先にそう申したじゃろう?」

「『単にいじけていたわけじゃない』っていう下りだね」

「うむ。儂なりに考えておったのじゃ。神々は皆、儂が全神会議にびぃるを持ち込むと思い、それを楽しみにしておるじゃろうと。……『渡り』への補償は激務じゃ。サポートは多岐にわたり、手が離れるまでは休みなどとても取れん」

「チュートリアル未受講のシズ姉のために補足! 二十四時間三百六十五日、『渡り』が助けを求めれば、神様がエーテリアルへの適応をサポートしてくれるんだよ。それも二年間、完全無料で!」

「うわわ、凄いね。『渡り』にとっては心強いけど……神様にとっては、ブラック企業並みの勤務体系だったわけだ」

「左様、左様。一通りが済めば旨いビールがたらふく飲める。その一心で皆、儂の尻拭いをしてくれたのじゃろう……。オリオンデ様も同様じゃ。仮に全神会議へ手ぶらで参れば、暴動は必至。儂は天界を追われ、どこかの次元に下野することとなるじゃろうな」


 ソダツに手渡されたハンカチで涙を拭い、ドリンはがっくりと肩を落とした。


「嘘!? いやだよ、そんなの! 私、ドリンとお別れしたくない! せっかく出会えて、こんなに仲良くなれたのに……」


 シズクの大きな瞳は、竈の炎を映して煌めく朱色の海の中で溺れているようだ。それを見たドリンのアクアマリンにも、再び雨雲がかかり始める。


「シズク、シズクぅ……」

「駄女神だろうが悪神だろうが、目の前で困ってるヤツがいたら見捨てねぇ! シズクなら、そう言うと思ったぜ! それでこそ、俺の自慢の妹だ!」


 ソダツはシズクの肩を抱き寄せ、空いた左手でその艶やかな黒髪をわしゃわしゃとかき交ぜた。


「も、もう! 兄さん、やめてって。恥ずかしいよぅ……」

「ボクも! ボクもそう思うよ! ドリン様、ほんとはいい子だって分かったし……神様と友達なんて最高! きっとこの先、もっと楽しい冒険ができそうだもん!」

「すまぬ……。本当に、すまぬ」


 歯を食いしばり、これまで以上に深々とドリンは頭を下げている。瞳からは雫がこぼれ、炎の熱波で乾ききった大地に、すっと吸い込まれていった。


「いーのいーの。困ったときはお互い様なんだから!」

「コガネ家の家訓だね!」

「もう分かったろ、神さん? こういうヤツらなんだ。だからよ、謝るんじゃなく、他の言葉で答えてやっちゃあくれねぇか?」

「……ありがとう、ありがとう。シズク、兄殿、妹君! 心の底より感謝する」


 感極まって膝を折り、土下座をしようとするドリン。

 しかし、シズクはすかさずドリンの正面に回り込み、小さな体を抱きしめて、決してそれをさせない。


「それはだーめ。私達を、謝ってる人を責めるような悪い人にしないで、ね?」

「……心に刻もう。其方らの慈悲、決して忘れはせん」

「ドリン、堅いよぅ。今日からはドリンも私達の兄妹。だから、どんどん甘えてよ! ……いいでしょ? 兄さん、ツクリ」


「ったりめぇだ」「喜んで!」


 シズクの問いかけに、兄妹は満面の笑みで答えた。嬉しくて、安心して、ドリンは泣き笑いだ。


  ▽


「……やっと分かったよ。全神会議が、ドリンが前に言ってた神ポイント集めの秘策なんだね」


 鼻をすする音と暖かい笑声、薪が爆ぜる音だけが作るひとときの静寂の中、シズクがゆっくりと口を開いた。


「いきなりどうしたってんだ、シズク。秘策……だぁ?」

「前に、ドリンが約束してくれたんだよ。ネクタリアにビールが復活したら、卜島のお父さんのところに、私達が造ったビールを一樽、届けてくれるって」

「おいおい、そいつぁ……!」

「凄い……ボクはその夢、もう諦めかけてたよ」


 ソダツとツクリは顔を見合わせ、大きく頷いた。


「大量の神ポイントがあれば、時空を超える奇跡すら起こせるってか!」

「左様、左様。正直、当初は雲を掴むような話ではあったがのぅ。兄殿、妹君とも出会い、醸造所にたどり着いた今、現実味は増しておる」

「神さんの立場も守れる、俺たちの夢も叶う……一石二鳥、最高じゃねぇか!」

「うんうん! ボクも乗ったよ! やるしかないよね!」


 最高潮となった四人は固く肩を組んで円環を作り、飛び跳ねながらその場でくるくる回って踊り出した。


「夢見れるってのは、最高の心地だぜ。……で、神さんが宴会部長を務める次の全神会議ってのは、具体的にはいつなんだ?」

「……秋じゃな」

「ふーん。それならまだまだ時間が……――ってまさか! 今年の!?」

「いかにも。故に、儂も焦っておる」


 ドリンは顔を伏せ、首を左右に振った。


 最高潮からあっさり転落し、弔いの場のような深閑が訪れる。テンションの移り変わりが実に忙しい。


「半年しかねぇじゃねぇか! そいつぁ、さすがに……」

「でもでも兄さん、夢を叶えるチャンスはこれが最後だよ! 考えたくもないけど、ドリンが追放されちゃったら、次はどんな神様になるか分からない。大事な神ポイントの使い方を私達に選ばしてくれるなんて、とても思えないよ」

「分かるが……シズク。気合いじゃどうにもならねぇのが、現実ってヤツだぜ」


 険しい表情を浮かべたソダツは、落ち着きなく顎髭を撫でている。


「達成できるって考えてみようよ! 兄さんの方はどうだった? ほら、畑の様子――」

「……あ、ああ。よほど腕のいい農家が作ってたみたいだな。土壌の質、水はけ、日当たりの調整も何もかもが最高だ。ホップも大麦も、大量に生産可能な圃場だってことは間違いねぇ。が、いかんせん広大だ。少しだけあった小麦畑を諦めたとしても、担い手が俺一人だとよ、ウェルテで飲みきるくらいの原料を作るのが精々だぜ」

「右に同じ。原料が揃う夏までに、醸造所をフル稼働に持って行くなんて一人じゃ絶対に無理。施設が穴だらけじゃ、いいビールは造れないでしょ? ……建物だけじゃなく、釜や魔導具の修繕だって必要」

「うん。安定した環境は大切だし、雑菌や汚れはビールの大敵。水、畑、施設……ウェルテ醸造所は高品質のビールを造ってたって、分かるから。その味を知ってて、楽しみにしてるオリオンデ様達に、いい加減なものは出せないよ」

「当然さ。品質に妥協しちまったら、職人失格だぜ。……ちっ! にっちもさっちもいかねぇってか! 俺たちにとっても、諦めかけてた夢を叶える最大のチャンスだってのによぉ!」


 歯を食いしばり、ソダツは大地に拳を突き立てた。


「兄さん! ツクリ!? ……さっき、『一人じゃ』無理って言ったよね?」


 シズクはにやりと口端を上げた。

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