17.圧倒する紫煙

「……――兄さんっ!!」


 オーガに馬乗りにされ、何発か殴られるうちに、苦楽をともにした剣も手を離れた。

 抵抗する意志さえ失い、呆然と死神の鎌を待つだけのソダツの耳に届いたのは、ずっと追い続けたあの、声。


「シズ……ク?」


 死地という場に似合わない、あまりに瑞々しい声色が、ソダツの意識を呼び戻した。


 側にいたミノタウロスがまさに今、ソダツの首元へと斧を振り下ろす。

 上半身を捻ってオーガの拘束を振りほどき、間一髪その一撃を回避。すぐにソダツは、状況を打開する策を考え始め――


 その時間はなかった。


 なんとミノタウロスが、大地に突き刺さった斧の柄から両手を離し、白目を剥いて力なく背中からばたりと倒れ伏したのだ。


「ソダツ兄さん、手を――」


 ソダツの虚ろな瞳に映るのは、手を差し伸べる女性の顔。見覚えは、間違いなくある。


 しかし、その首に下がっているのは玉虫鋼のプレートだ。さらに謎を深めるのは、彼女を守るように紫の煙を撒き散らし、鋭い爪で強力な魔物を次々と倒していく金色の生物。

 ソダツの頭の中では、それらと彼女とが、どうしても結びついてくれない。


「SSランクの……プレート? 実在するなんて、聞いたことはねぇ、ぞ。……そこで戦ってんのはまさか、ごーるでん・あるふぁか? ……ちっ、伝説ばかりじゃねぇか。おまけに、目の前にいんのが最愛の妹とくりゃあ……決まりだ。俺は死んじまったんだな。ここは、天国ってワケか」

「もう、勝手に天国にいかないでよぅ……。兄さんは生きてるし、このプレートも、ごーるでん・あるふぁか――カイエンだって本物!」

「本物……? じゃあお前、本当にシズク……なのか?」

「そうだよ! シズクだよ! 兄さんっ!!」


 シズクは、上半身を起こしたばかりのソダツの胸に飛び込んだ。


「痛ぇ、いてぇよ、シズク……」

「よかった……間に合ってよかったよぅ……!」

「まだとても理解が追いつかねぇが……。間違いなくここはエーテリアルなんだな……?」

「そうだよ。エーテリアルのお酒の国、ネクタリア」

「なら、夢じゃねぇ。助かったぜ、シズク……――そうだ! ツクリだ! ツクリは無事か!? あいつも近くで戦ってる!」

「安心して、兄さん。ツクリのことも、頼もしい味方が守ってくれてるから」

「頼もしい味方……だとぉ? ごーるでん・あるふぁか以上のヤツがいやがるってのか!?」

「……う、うん。色々あってね」


 片目を閉じ、恥ずかしそうにシズクは頬を掻く。


「はっは! そうかそうか。こっちの世界でも強ぇんだな、お前は!」


 息づかいも聞こえるほど近くにいるシズクの黒髪を、ソダツはわしゃわしゃとかき交ぜた。


 周囲を埋め尽くしていた魔物は、カイエンが放った毒の煙の影響で、息も絶え絶えと言った様子だ。


 カイエンはさらに、何とか毒に抵抗し、かろうじて立っているAランク【猛威級】の魔物に、鋭利な爪や牙を次々突き立てていく。

 表情一つ変えずに止めを刺し続けるその姿はかなりシュールだが、味方であるなら心強い。


「シズクや! お主の妹、エルフの『ツクリ』はこっちにおるぞい! 意識を失ってはおるが、無事じゃぞー!」

「ありがとー、ドリン! 兄さん、バラバラだと危ないから……ツクリのとこに行こう! 肩、貸すから――」

「待て待て! そいつぁだめだぜ、シズク! あっちからは、バカみてぇに強ぇゴーレムが攻めてきてやがる。奴は無生物……ごーるでん・あるふぁかの毒だって通用しねぇ!」

「ゴーレムって、醸造所のガーディアン?」

「ああ、そうだ! 駄女神って悪名高いネクタリアの神ドリンが、遺跡を独占するために放ったって話でなぁ……ドリン、ドリ、ン……――?? なあ、シズク? お前さっき、もう一人の味方のこと、ドリンって呼んだよなぁ?」

「えへへ。実は私、その駄女神ドリンと一緒なんだ。だから、心配ないよ。ドリン、そのゴーレムの止め方、知ってるみたい」

「はっは! やっぱ規格外だぜ、おめぇはよぉ……――!!」


 ソダツの瞳には、高ランク冒険者二人でもまるで歯が立たなかった巨大ゴーレムの姿。

 しかし、それは溶けて泥となり、森の大地に戻っていく最中であった。

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