8.乾杯!
ぱちんぱちんと、心躍る軽快な音が目覚まし時計か。
シズクが目を開けると、森はすっかり夜の闇に沈んでいた。
目端には、柔らかく赤い光。夜風に乗って白い煙。仄かに甘い匂いには覚えがある。広葉樹の薪が燃える香りだ。
留学先のドイチでも、故郷の卜島でも、自然派のシズクは良くソロキャンプに出かけた。離れていても、じんわりと体の芯まで届く熱に優しさを感じる。幾度となく心を温めてくれた、たき火の熱に違いない。
「う……うーん……」
上手く声が出ない。体勢を立て直そうと寝返りを打つと、まるでダウンの海に飛び込んだかのような無抵抗。けれども頭の下には確かな支え。そんな、不思議な感覚に包まれた。
「ふわふわの……枕。それとも、雲? 変な女神に騙されちゃったのは全部夢で……私、今度こそ天国に来たのかな?」
ぼんやりした目をこすり、確かめるように手を突き上げるシズク。
手招きに見えたのか。すぐに見慣れた蒼の澄んだ瞳と、プラチナブロンドのコンブが降ってきた。
「またコンブ……しかも、銀色。……はぁ。やっぱり私、まだネクタリアにいるんだね」
「くっく。ご挨拶じゃのう、シズク。意識が戻ったようで何よりじゃ」
「きゅぅううううん」
聞き慣れない鳴き声とともに、頭の下が軽く膨らむ。
反対に寝返りを打てば、艶やかな金色の毛の海と、輝きを取り戻したまん丸な瞳がシズクの目に飛び込んできた。
「ごーるでんちゃん……! 無事だったんだね。よかった、よかったよぉ」
「きゅう!」
嬉しそうに目を細め、ごーるでん・あるふぁかは高い声を出した。喜びの叫びなのだろう。
「此奴、感謝を伝えておるわい。全てはシズク、お主の尽力のたまものじゃの」
「よかった……ほんとによかったよ」
「きゅ!」
「ほっほ、すっかり慣れておるのぉ。儂が手を伸ばそうとしても、うなり声を上げて、近づかせてもらえんかったというのに」
シズクの頬を舐めるごーるでん。その艶々の頭を、シズクは慈しむように何度も何度も撫でた。
▽
すっかり回復したシズクは、たき火を囲む丸太の椅子に腰掛けた。
夜風は冷たいが、ごーるでんがその暖かい毛皮で、首筋を温めてくれている。さながら発熱マフラーである。それも、極上の。
「おお! そうじゃ、シズク! こやつの吐き出した酒を回収しておいてやったぞ。どうじゃ? 起き抜けに一献」
ココナツの実を二つに割ったような、両手にすっぽり収まるサイズの椀は、甘く、酒精の香る液体で満たされていた。香りは良いが、やや白濁したそれには、「何か」の残渣がそれなりに浮かんでいる。
「え!? えぇ! これ、見た目完全にゲ●だよね!? いくら私でも、さすがにそれは……」
「きゅうぅうう……」
「な、なんと! 儂の酒に付き合ってくれんというのか!」
うるうるした目でごーるでんが、ドリンがジト目でシズクを見つめていた。
「うぅ……。二人とも、目力が強すぎるよぅ」
「まあ、病み上がりの其方に無理強いはできん。其方が眠っておった二日間、儂がとっておいた魚や木の実もある、まずはそれで腹ごしらえもするのもよいじゃろう」
「えぇ!? 二日も寝てたの、私!」
「左様。無理にスキルを使って二度と目覚めんかった『渡り』も多数おる。上出来じゃよ」
「怖いよ! そういうことは最初に言ってよ! 今は親切設計が主流だよ!」
「言ったところで、お主は行動を変えたかえ?」
「きゅ?」
「……変えないよ。変えないけどさ」
「お主の命が危なくなれば、儂が無理矢理にでも止めたわい。あー……それにしても肩が凝ったわい。三日三晩、寝ずに番をしておったからのぉ。のう、ごーるでんや?」
「きゅ! きゅ!」
これ見よがしに肩をくるくると回すドリン。ごーるでんは長い首を大きく上下させて頷く。
「増えてるし! うぅ、圧が、圧が凄いよぅ……」
「くっく。この国におれば、遅かれ早かれ、あるふぁかの吐瀉物を飲む必要には迫られるじゃろ」
「……ドリンのせいでね」
「今ここでこやつの酒を飲む方が、抵抗はないと思うが」
「わかった。わかったよ。せっかくこの子が私のために吐いてくれたゲ……――ねえ、ドリン? その吐瀉物っていうのやめない? 私もゲ●呼ばわりしないから」
「良いアイデアじゃな。して、何と呼ぶ?」
「わかりやすく、あるふぁか酒にしようよ! で、この子の名前はカイエン! それならもう紛らわしくない、でしょ?」
「カイエン、か。よい名ではないか。よかったのぅ、カイエン」
「きゅうぅうう!!!」
カイエンは嬉しそうに目を細め、大きな舌でシズクの頬を何度も舐めた。
「あはっ! もう、くすぐったいよぅ、カイエン!」
「きゅぅうう!」
「心の準備はできたかえ? シズクや」
「うん! もう大丈夫! あるふぁか酒、美味しそうに見えてきたよ!」
「くっく。さすがの適応力じゃ。それでは、我々の未来に――」
「「乾杯」」
「きゅうううぅうん」
「ココナツ」の椀が二つ、鼻一つが触れ、中の酒が波立った。
転がしただけの丸太に腰掛け、たき火で暖をとる。天然の杯を交わし、神と一緒に酒を飲る。
少し遠回りはしたが、憧れたファンタジー世界そのものだ。シズクの口元からは自然と笑みがこぼれていた。
「熟れた果実の豊かな香りが鼻から抜けてく……。美味しいっ! ほのかな甘みと深い苦味が口の中で絶妙に融合して、飲み込んだ後の余韻も最高だよ! 繊細なのに、複雑な後味がずっと体中に残ってる。……まさかこれ、果実を食べる順番とか種類。ううん、それだけじゃ無い。水の量とか熟成期間だって……全部計算してあるんじゃ――」
「きゅ!」
自慢げに顎を上げ、カイエンは鼻息をふんすと吐いて応えた。
「左様、左様。さすがはびぃるマイスター、一口で見抜くとは恐れ入るわい。通常のあるふぁかはそこまで頭が回らんが、ごーるでん・あるふぁかは実に利口な生き物での。あるふぁか酒を作る事への強いこだわりも持っておるそうじゃ」
「きゅ!」
「生息地や好物、季節や気分によってもまるで別物になるのじゃ。故、あるふぁか酒は一期一会と言われておる」
「うんうん。同じ種類のお酒でも、作り手によって全然違うもんね」
「智球は実に酒類が豊富なのじゃな。羨ましいわい」
「ドリンみたいな駄女神がいないからだよ! ドリンが独り占めしなければ、今頃はネクタリアだって――」
「うぅう……。反省しておると、何度も言っておるじゃろうに」
がっくりと肩を落としたドリンの目尻に、たき火の赤がキラリと光った。
「ご、ごめんねドリン……――って! 酔ってる? もう酔ってない? 一口だよ!? お酒の神様なのに……大丈夫!?」
「酔いたいときは、すぐに酔えるものじゃ。堅苦しい宴席では酒がちいとも回らんのと同じようにの」
「まあ、納得は出来るけどね」
「きゅ!」
「旨い酒に、新たな友! これが酔わずしていられるじゃろうか! 歌うぞ! 拍子をとれい!」
空間収納から取り出したリュートを爪弾き、ドリンが歌を歌う。
普段の、力任せの大声ではなく、風音と調和するような、優しい歌声だ。
「うわわ……上手。意外すぎるよ」
気がつけばシズクは手拍子を打ち、カイエンは四本の足と首とで、器用にダンスを踊っていた。
「……――じゃろう? 芸は身を助けるのじゃ。故、神は皆、芸達者というわけじゃな」
「神様、もはや人間的過ぎて親近感しか湧かないんだけど!?」
「くっく。生物など、寄り合ってしまえば似たようなものじゃの。……どぉれ、物のついでじゃ。噂の火吹き芸を見せてやろう」
魔法の力でどこかから火瓜を一つ手元に引き寄せ、そのまま口に含もうとするドリン――
「火瓜!? や、やめてよドリン!! 私たちにとってはまだそれ、トラウマなんだからね!」
「きゅ! きゅ! きゅうぅう!!」
身を乗り出し、ドリンを必死に制止するシズク。カイエンは長い首を激しく上下し、激しくシズクに同意していた。
「そうかえ……? 儂の十八番なのじゃがな。またいずれ、披露するとしよう。あるふぁか酒も木酒もまだまだある! 今宵は儂らの出会いを祝う会じゃ! 飲むぞい! 歌うぞい!」
「おー!!」
「きゅっ!!」
訓練で酒を飲んでいたシズクは、圧倒的に上戸だ。酒の(駄)女神であるドリンはもちろん、体内で酒を造ることが出来るカイエンだってきっと同じだろう。
『酔いたいときは、すぐに酔えるものじゃ』
けれど今宵は、ドリンのそんな言葉が、二人と一匹の中に酒精をぐるぐると回すのだ。
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