安沼夢月の青春譚【同題異話SR大感謝祭 参加作】

榎木扇海

桜花一片に願いを

「絶対に一緒の高校に通おうね」


 安沼やすぬま夢月むづき、15歳。

 名前とは対照的に、とくに将来の夢はない。


「夢月となら、あたし頑張れると思う」


 そういって明るく笑うのは親友、美璃みり

 将来の夢は多すぎてまだ決まっていない。とりあえずは夢月と同じ高校に通うことと、セーラー服を着ること。


 夢月と美璃は小学校からずっと仲のいい幼馴染。

 基本冷静で何にもあまり関心がない夢月と、常に明るく好奇心旺盛な美璃は一見合わないようで、自分の足りないピースを埋めてくれる唯一無二の相手だ。

「夢月と美璃ってさ、めっちゃ仲いいよね」

時折、呆れ口調で言われる定型文を否定することはどちらも一度もなかった。


 義務教育も終わる年になり、どちらからともなく同じ高校に行こうと言いあうようになった。

 特に行きたい学校のなかった夢月は、進路希望調査に美璃が書いたものをまるまる写した。美璃はそれを咎めることなく、冒頭のセリフを口にした。

 夢月は黙って頷いた。


***


 それから数か月。受験までもうあと半年も残っていない。

 順調に成績を伸ばす美璃に、夢月は焦っていた。

「夢月~、実力テストどうだった?」

隣のクラスなのにわざわざ休み時間になるたび自分の教室を訪れる美璃を見ながら、夢月は気づかれないようにため息をついた。

「美璃は?」

先の時間に返されたテスト用紙を机の奥に突っ込んで、彼女のいる廊下へ向かう。

「ん~微妙。国語と英語はよかったんだけど、数学がなぁ…」

「数学は、私もダメだった」

「だよね!?今回むずかったわぁ」

数学だけじゃない。国語も英語も、悪かった。

「結構あそこレベル高いし、中学校の数学で平均ちょい上とかじゃまずいよね。ママには五教科全部で上から30番以内じゃないとダメだって」

「わ、厳しいな」

夢月の言葉に美璃が同調してうなだれる。

「はぁぁ…もうユーウツだよ、あたし」

「私、も、不安」

小さくこぼすと、美璃は微笑みを浮かべて頭をなでてきた。

「夢月、一緒に頑張ろうね。あたしら二人ならなんでもできるよ」

夢月の顔には曖昧な笑みが貼り付いていた。


「30番以内とか、無理に決まってるじゃん…」

自分の席に戻ってきた夢月は、さっきしまいこんだ数学のテストを引っ張り出した。

 赤い文字で書かれた『42』。先生が「今回の数学は平均が低くて、48点だった」と言っていたのを思い出す。

 くしゃっと握りしめ、カバンの中に突っ込んだ。


 初め、点数が高かったのは夢月のほうだった。

 暗い顔している美璃をなぐさめ、元気づけ、勉強を教えた。美璃は感謝しつつ、勉強のための尽力を惜しまなかった。

 そしてゆるりと彼女の努力が実を結び、美璃が見せてくるテストの点数は徐々に上がっていった。

 それに対し、夢月の点数はずっと平行線だった。それでも美璃より上だから、と安心していたことは否定できない。

 彼女の心境が変化したのは、夏休み明け一発目のテスト。

 突然点数ががくっと落ちた。それに伴って、順位も20以上落とした。

 戸惑っている夢月に、美璃は素点表を持って走ってきた。

「見て見て!過去最高だよ、こんな点数!」

100点近く差のついた総合点を見て、彼女は絶句した。

 そして絶望した。


 心のどこかで、自分は大丈夫だろうと思っていた。

 別に点数は悪くないし、成績もそこそこだし、きっと行けるだろうと。

 だから母親から勧められた塾には行かなかった。美璃は既に一年前から通っていた。

 その根拠のない余裕が、美璃に対する優越心のようなものが、やっと正体を出し始めた。


 夢月はその日から死に物狂いで勉強した。美璃には気づかれないように、いつも通りに振舞うよう努めながら、ひたすら手を動かした。


 しかし点数は思うように上がらなかった。焦燥感だけがつのっていった。


***


その日夢月が家に帰ると玄関に見知らぬ靴があり、リビングで若い男の人がソファに座っていた。

「夢月ちゃん、ひさしぶり」

彼は涙袋をぷっくり浮かべながら、夢月に手を振った。

うね兄ちゃん、どうしたの」

畝は夢月のいとこで今大学二年生だ。高校までは近所に住んでいたが、大学進学と一緒に一人暮らしを始めた。

「実は親父が倒れたって聞いてさ、それはもう焦って焦って、急いで帰ってきたの」

「え、でも伯父さんって…」

「そ。軽いぎっくり腰だったらしいわ。俺もう半泣きだったのに」

そういって畝は困り眉で笑った。

「だからついでにこっちにも顔覗かせたの」

「そうなんだ。泊まるの?」

「泊まんないよ。夜になったら実家に帰る」

「あら、泊まらないの?」

母は呑気な声を飛ばしながら、食卓に四人分のご飯を用意した。


 夕食を一緒に食べながら、畝は夢月に高校進学についての話を始めた。

「夢月ちゃんってもう中3だよね?どう、受験勉強大変?」

「大変っていうか、まぁ…あんまりいい感じじゃない、かな」

一瞬顔色を暗くした夢月を見かね、彼は自分自身の話へとシフトする。

「そっか、夢月ちゃんは俺よりずっと賢いとこ行こうとしてるからなぁ。俺のとこはバカばっかだったけど、皆いい奴だったよ。頭悪い分行事に力入れててさ」

「へ~、高校の文化祭とかってどんな感じなの?中学校とか、ほとんど音楽会だし」

畝は懐かし気に微笑みながら、「全然違うよ」と答えた。

「高校によってマチマチだけどさ、俺のところはすごかった。ほんと漫画にも見劣りしないよ。写真見る?」

尻ポケットから取り出したスマホの画面を何度かスクロールしてから、彼は夢月にスマホを手渡した。

 画面に映っていたのは、メイド服姿の畝とその隣でピースしている数名の男子。

「わ、畝兄ちゃんかわいい」

「だろ?」

得意げにふんと鼻を鳴らす。「かわいい」というワードにつられて、夢月の両親も夢月の手元のスマホを覗き込む。その後母はふき出し、父は顔を青くする多様な反応を見せた。

「なんだか、あれだな…あの兄さんに似た顔がメイド服着てると…変な気分になるな」

父が苦笑いを浮かべながら、畝を見る。

「そんな似てます?」

「似てるよ。大きくなったらほんと伯父さんそっくりになったよ」

「そうかな。俺からはあんまりわかんないんだけど」

からあげをもりもりしながら首を傾げる畝の後ろで、スマホを持ちながらツボに入っている母がひょんと言った。

「いいじゃない、こういう学校に行ったら楽しそうね」

そのとき、夢月のなかで何かが引っかかった。

 その引っかかったは夢月の張りつめていた気持ちに穴をあけ、ぷしゅーと空気をあふれさせた。

「そうだね」

母の言葉に相槌を打った夢月の顔には、ほんのり笑みが浮かんでいた。


***


 8時ごろに畝を見送り、自室に戻った夢月はそっと鞄から進路希望調査用紙を取り出した。

 志望校欄に前回書いたのと同じ―――美璃と同じ志望高校名を書いていく。

 空欄をすべて埋め終わり、母親に見せに行こうとして、はたと立ち止まった。

 夢月の頭の中に、こないだの三者面談の記憶が流れた。

『正直なところ言いますとね、今の安沼さんの成績だと、第二希望も結構厳しいと思うんです』

困り眉で曖昧に笑う担任教師の顔が思い浮かぶ。

『多分安沼さんは、お友達と同じ高校に行こうとすごく努力をしているんだと思うんです。それは私にもすごく伝わってきているんですけどね、ただね、お友達だけがすべてじゃないと思うんです。この選択って、今後の人生も決めるわけですから、安沼さん自身に合わせて決めていくことっていうのも大切になると思うんです』

しきりに自分と母の表情を気にしながら、言葉を選びつつ現実を伝えようとしてくれている彼女をひどく不憫に感じていた。―――まるで他人事かのように。


 ふと、先ほどの畝の話を思い出した。

 畝の出身校ならば、今のままの夢月の成績でも十分入れるだろう。……あんなに、苦しい思いをすることも、必死な努力をすることもなく。

 夢月の頭の中には、笑顔で畝のスマホを覗き込む母の顔も映っていた。


 夢月は開けかけた部屋のドアを閉め、勉強机に戻ってきた。

 半開きのペンケースから消しゴムを取り出し、【公立 第二希望校】の欄をゆっくり消した。

「…いいよね、べつに」

自分に言い聞かせるようなつぶやきが口からこぼれる。


(私は美璃を裏切っているんじゃない。身の程を知って、考え直すだけ)

 

(それだけ。これは、逃げてるんじゃない)


なぜか鳴り響く鼓動と共に、頭の中で何度も何度も同じ言葉が繰り返された。


***


 次の日の朝、バターの匂いが香ばしいパンを手にしながら、母を見た。

「昨日言ってた、畝兄ちゃんの高校も、いいよね。私ちょっと気になるかも、しれない」

出来る限り――昨晩の母のように――かるーく笑って言った。

 三者面談のときに夢月の現状を知った母は、娘を刺激しないように、同じように軽く返した。

「そう?いいじゃない。楽しそうだったもんね」

夢月の顔にふわりと顔が明るくなるのを確認し、母親はバレないようにほっと安堵の息をついた。


***


 普段より少し遅くに家を出て、美璃との待ち合わせ場所まで向かいながら、夢月は口の中で言葉を整えていた。

『第一希望は変えてないから、第二だけさ、こういうのもアリかなって。昨日いとこが来てね?いとこの出身高校がさ、すごく面白そうで。美璃は自分の進路に向かっていってほしいんだけど、さ。大丈夫だよ、第一だったら一緒にいけるし。そんなに確率的には変わんないと思うの。あと、まぁ第一落ちちゃっても、面白い高校だと思うから、そんなに悲しむこともないし』

『なんだろ、むしろ行ってみたいまである?みたいな感じかも…いや美璃とは行きたいんだけど……これは、ね、言い訳じゃなくて、ほんとに、前向きな理由で決めたわけで』


『 逃げてるわけじゃなくて 』


 じゃり、と足元で音がした。

 気付けば立ち止まっていた。


 なんだか今日は、足が重い。


***


 待ち合わせ場所にはすでに美璃が立っており、英単語帳を眺めていた。

「…美璃」

少し遠くから小走りで声をかける。彼女はぱっと顔を上げ「おそいよー」と笑った。

「ごめん、寝坊」

「めずらしいね。さ、急ごー!」

元気で明るい声と共にぱたむっ、と勢いよく閉じられた英単語帳から、はらりと何かが落ちた。

「美璃、なにか落とした」

「えっ、ごめん」

見当違いなところをきょろきょろしている美璃のすぐ足元にしゃがみこんで、落としたそれを手に取る。細くて白い厚紙、どうやら栞のようだった。

 ぺろっとめくって裏を見ると、茶色く変色した何か葉っぱのようなものがセロハンテープで張り付けられていた。

「なにこれ」

夢月が若干引きつつ、美璃に手渡す。美璃は伏し目がちにそれを受け取り、「覚えてないかなー」と、―――すこし寂しげに、栞をなでた。

「夢月があたしにくれたんだけど」

「え、それ、栞を?」

「栞じゃなくて、これはあたしが作ったんだけど…この、花びら」

美璃の綺麗な形をした爪が指すセロハンテープの下を改めて眺め、そうか花びらか、と独り言ちた。

 確かによく見てみると、おそらく桜の花弁のようだった。たった一枚だけ、重ねてこうも真っ茶色に変色していると一見しただけではわからなかった。

「私、こんなの美璃にあげたっけ」

夢月の何気ない「こんなの」と言う言葉に一瞬表情を曇らせ、それからたははーっと誤魔化すように笑った。

「くれたよー。くれたときは超綺麗なピンクでさ。もう何年前だろ、まだ小学生のときだっけ」

美璃のほんのり赤い目元を見て、夢月は不意に思い出した。

「あ…わかった、かも」


 詳しくいつかは覚えていないが、小学生の頃のどこかの春。

 夢月たちの通う学校で「散っている桜の花びらをキャッチすると幸運が訪れる」的な噂が流行った時期があった。

 例にもれなく、幼気いたいけな少女だった夢月と美璃も、大きな桜の木の下で幸運を掴もうと必死だった。

 だがこれが意外と難しいもので、小さくて軽い花弁はすぐに風に流され、思うように手のひらに落ちてはこない。右へ行ったかと思えばすぐに左に流されたりして、底知れない体力と集中力のある子供でなければすぐに諦めてしまいがちだ。

 ある日の放課後、家にも帰らず下校途中の公園で花びらキャッチチャレンジを決行していたふたりは、かなり長い間諦めることなく頭上に手を伸ばし続けていた。

 太陽が山にかかりかけたころ、やっと夢月が花弁を掴んだ。

「やった!見て!つかんだ!」

夢月が飛び跳ねながら喜ぶと、美璃は悔しそうに顔を歪めた。

「まって、みりもすぐにとるから!」

そしてギッと空を睨みつけ、花びらを飛ばす風が吹くのを待った。

 しかし、門限の時間になっても、美璃は花びらをつかめなかった。指先にあたったりすることはあったが、もみじのように小さな手のひらで包みこむことができなかった。

 顔を真っ赤にして半ベソかいている美璃を見かね、夢月はスカートのポケットからうすむらさき色のハンカチを取り出した。

「…みぃちゃん、これあげる」

涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしている美璃の目線の先で、夢月はハンカチを開く。

 丁寧に折りたたまれた一番真ん中のところに、小さなピンクの花びらがあった。数時間前、夢月が手にした幸運の花びらだった。

「わたしがつかんじゃったやつだし、意味はないかもしれないけど…」

相手が卑屈であれば嫌味とも感じかねない贈り物だったが、美璃はぱぁぁっと顔明るくして微笑んだ。

「ほんと!?みりがもらってもいいの?」

「うん、いいよ」

美璃のキラキラした瞳を見ていると、とてもいいことをしたような気分で夢月は頷いた。

 美璃は飛んで喜び、夢月の差し出したハンカチからそっと花びらをつまみ取った。

「えへへぇ、ありがとぉ!」

大事そうに胸元で花弁を持ち、ふにゃりと気が抜けた笑顔を浮かべる。

「だいじにする!」


 あの時の眩しいばかりの笑顔を思い出し、夢月はハッと美璃を見た。

「え、あれ、まだ持ってたの!?」

手元の栞と美璃の顔を繰り返し見比べる夢月を眺め、美璃は嬉しそうに笑った。

「あれからすぐに栞にして、ずっとお守りにしてたの。あたし、ことあるごとにこの栞にお願いごとしてるんだよ」

「え、それって意味あるの?」

「こういうのは心持ちなの!病は気からって言うじゃん!」

「ちょっと違くない…?」

美璃はえへへぇって幼く笑って、改めて栞を眺めた。その瞳がやけに柔らかく、夢月は少しだけどきっとした。

「…最近はね、夢月とあたしの受験が成功しますようにー!って毎日お祈りしてる!」

美璃の無邪気な声で、さっきまで脳味噌で吟味していた言葉がぐぐぐっと引きずり出された。すぅっと息を呑む。

 表情の抜け落ちた夢月に気づくことなく、美璃は鞄を持ち直し、栞を鞄の中にしまった。

「あたしら、めっちゃ頑張ってるし!神様も叶えてくれないと!」

夢月はポケットに突っ込んでいた手を、強く握りしめた。

 頭の中で声が痛いほど響く。


『 逃げてるわけじゃなくて ――― 』



 逃げてるじゃん!!!!!!!!!



 畝兄ちゃんをダシにして、自分の努力不足を無視して、お母さんや先生の優しさを言い訳にして、


 美璃を、裏切って、


「・・・っふ」

口端からこぼれる笑い声。美璃が首を傾げた。

「夢月?」

「…ん、いや…」

ちらっと美璃を見た。彼女はきょとんとした顔で夢月を見下ろしていた。

『もしも私が、美璃とは違う学校に行きたいって言ったら、応援してくれる?』

その返答はわからない。問うてみるつもりもすでになかった。―――ただ、

「なんだ、神頼りじゃーんって思っただけ」

「はわ!確かに…」


(ただ、私は私を応援できないだろうから)


「美璃」

「ん?どしたぁ?」


「絶対に一緒の学校に通おうね」


「美璃となら、私頑張るから」


*** *** ***


 それから数か月、また春がやってきた。


 見知らぬ服、見知らぬ道、見知らぬ学校。

 ただ、隣には、大好きな親友。


 安沼夢月、15歳。


 今日から高校一年生。

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