Days7 ラブレター

 商店街にあった文房具屋が閉店を決めた。七月いっぱい閉店セールをして、七月末で閉めるらしい。


 この文房具屋はここらで最大級の店舗で、二階建てで、一階では文具、二階では画材を扱っていた。ここらの文化を支えてきたと言ってもいい、と母は言う。


 母は幼い頃からこの文房具屋で文具を買い集めてきたのだそうだ。そして、小学生の時分には、それは同級生たちの間で宝物として扱われ、シール兌換性だかんせいが通用していた、と。わたしは物心がついた時からコミュニケーションが下手で友達らしい友達がいなかったから、文房具ごときにそこまでの価値を見出している人々がいたとは、と驚いた。しかし学校という空間に持ち込めて個性を主張できるものといったら学用品しかないのかもしれない。もう高校生になってしまった今のわたしは想像するしかない。


 スマホやタブレットが普及し、大人も子供もみんなスマホのアプリでコミュニケーションを取るようになった現在、手書きで思いを伝えるための紙やペンは儲からないのだろう。母はそういうところにノスタルジーを感じているようだった。


 それで、今までのお礼に、ということで、閉店セールで高価な万年筆を買ってきたのだ。


 半額セールなのに五万円くらいの値段だったという万年筆をプレゼントされて、私は目を白黒させた。万年筆など使ったことがない。母にインクの使い方を教わってみたものの、さて、何に使おう。お小遣い帳も読書メモも全部スマホのアプリに入力していたから、学校関連のことしか思いつかない。でも、授業のノートを万年筆で書くのは気が引ける。消しゴムで消せないからである。


 手書きのほうがいいもの、手書きのほうがいいもの――と考えて、わたしはふと、年賀状のことを思い出した。父が几帳面に支援者一人一人にメッセージを添えていたのだ。


 そうだ、郵便物。


 今時手書きのほうが心を込めたように見えるなどという言説は少し気持ちが悪いけれど、そういう考え方があることは知っている。NHKだか何かで見た戦時中の暮らしにフォーカスを当てる番組でも手紙の特集があった。紙は念が残る気がした。


 くだんの文房具屋に寄って、閉店セールのレターセットを眺める。


 彼女に手紙を書こう、と思った。


 彼女に、わたしが今もまだ彼女のことを想っているということを、彼は彼女の代わりに過ぎずわたしは彼女とまた一緒に過ごせるのならば彼を捨ててもいいということを、万年筆でせつせつと語り聞かせたら。


 レターセットを買って、切手を買わなければ、と思ったところで、気がついた。


 住所。


 彼女は彼の家に住んでいる。

 つまり彼女宛てに手紙を書いたら彼の目にも入る?

 彼に「なんで俺じゃないの」と聞かれた時、わたしは何と答えれば……。


 いや、たまにはいいかも。


 万年筆で想いをしたためて、「あんたなんかよりあんたの妹のほうを愛しているの」と一言言ってやれれば、たまには嫉妬してくれるだろうか。





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