Days5 琥珀糖

 彼が我が家のキッチンにスーパーで食材を買い込んで膨らんだ買い物袋を置いた。


「というわけで、今日は寒天を作ります」

「というわけで、今日は寒天を作ります……?」


 我が家では突発的に彼による彼のための彼の料理教室が始まる。彼の家は家族が多くて落ち着いて菓子作りができないというのである。大家族ならば逆に安くて大容量の菓子を作って分け与えるほうがいいのではないか、と思うのだが、小さな甥っ子姪っ子がいるので悠長に生地を寝かせておくことができない、と言われれば、そんな気もする。一人っ子で高齢の親しかいないわたしにはいまいちぴんと来ない。


 彼はわたしの家を自分の家だと思っている節がある。わたしがいなくても上がって母としゃべるし、キッチンを使うし、何度かシャワーを浴びて帰ったこともある。縄張りを侵されている気がして嫌で叩き出そうと試みたこともあったが、母が、そんな意地悪をしなくてもいいじゃない、と言うので、仕方なく受け入れている。


「本当は琥珀糖を作りたいんだけど、あれって何日も干さないといけないらしいので。さすがに雪ちゃんの家に何日も俺の私物を置いておくのはちょっと」

「もういまさらじゃない?」

「そんなこと言われるとそんな気がしてくる。じゃ、ベランダか縁側に並べて帰るか。雪ちゃんの家なら誰もいたずらしないもんな」


 やってしまった気がする。


「では、お湯を沸かします」

「はい」


 IHのコンロのスイッチを入れた、その時だった。


 玄関のドアが開く音がした。


「あらっ、天くんいるの?」


 母の声だ。どうやらジムでのスイミングが終わってしまったようである。もっとジムにいてほしかった。母に彼と一緒にいるところを見られるのは嫌だ。


「やだ、言ってくれれば何か買って帰ったのに」


 母がキッチンに入ってきて、わたしたちの様子を見る。


「お邪魔してます」

「いらっしゃい。今日は何をしているの?」

「寒天を煮詰めようかと思って。雪ちゃんがうちで干していったらって言ってくれたので、そのうち立派な琥珀糖に成長する予定です」

「あら、そんなことも知ってるの。天くんはお料理が得意なのね」

「凝り性なんで」


 そこで母がひとつ溜息をついた。


「それにしても、天くん、あのスニーカー、ちょっとぼろぼろすぎない? 天くんの親御さん、靴も買ってくれないの?」


 彼が何でもない顔で応える。


「二、三ヵ月で履き潰しちゃうんですよね。そのうち兄貴に金送れって言っときます」

「私が買ってあげようかしら。お婿さんにあんな靴履かせてるなんてご近所さんに知られたら恥ずかしいわ」


 我が親ながらすごいことを言う、と思ったが、彼はぜんぜん平気なのである。


「買ってくれるなら貰います」

「えっ」

「えっ?」


 母が「じゃあ荷物を片したら買いに行きましょう」と言ってキッチンを出ていった。彼が「とりあえず寒天煮詰めたら粗熱冷ましがてら行きます」と言ったので、わたしはびっくりして何も言えなかった。




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