我訳『マッチ売りの少女』

マッチ、麻薬、空

 灯して、尽きて、灯す。その繰り返し。

 籠のマッチはあといくつ? 震える指ではものを数えるのもままならない。寒いから? むき出しの肌はもう何も感じないけれど。マッチが売れなくて父さんにぶたれるから? そのくらいで痛む心はどこかに昇っていったけれど。籠のマッチの箱を撫でる。今のわたしにはそれしかない。


 猫がネズミにそうするように、箱から細い木片をまとめて掴み上げる。ポロポロと数本が足元に落ちて、すぐに雪がかき消した。マッチがなければわたしもすぐにそうなっていた。誰にも知られず星になる。春になってもわたしのことを覚えてくれる人はいない。見つけてすらもらえないのかも知れない。だからこれは運命的な巡り合わせマッチングだった。


 膝を曲げて、箱を固い雪に押し付けて、ひとたび火花が散ったらが目に浮かぶの。暖炉の火が、おいしそうなガチョウが、クリスマスツリーが、おばあさんが現れるの。目の前のクリスマスパーティーはきっと本物。だってこんなに暖かくって、泣きたくなるかがやきのだから。でも光に手を伸ばすと、きまってマッチは燃え尽きる。煙のように空の彼方に吸い込まれていくそれを見送った。


 暗い路地でもよく星が見える、一年のうちでいちばんおしまいの夜だった。おばあさんが星になって流れた年のおしまいの夜でもある。死んだ人は星になって、かみさまの元に向かうのよと言ったおばあさんも、すぐに流れ星になってしまった。

 流れて消えて、それっきり。

 新しい年はおばあさんを置いていく。あばあさんを知らない年が我が物顔でやってくる。これからわたしはそんな一年で生きていくみたい。何もかも足りないけれど、何よりもマッチが足りなかった。あとひと箱。それもなくなったら、わたしも光のように空に消えるのかしら。


 鈍い音がしたから振り返る。か細い男の人が倒れていた。笛のような、マッチよりはとても分厚い管を右手に持って、小刻みに震えている。きっとこれから死ぬだろうと分かって、それが寒さのためでないことも分かった。母さんも同じような管でなにかを吸い込んで、それが原因で死んだことを思い出した。


 わたしの手足も震えてくる。最後のひと箱を開け、火花を散らした――


「金ならあるよぅ、売ってくれよぉ」


 這いずったままわたしの足を掴む男の人。手には紙幣が握られていた。たぶん、この人が買いたいのはマッチではないのだけれど、たくさんマッチが買える額だったので売ろうとした。売りたかった。急に掴まれてびっくりして、マッチを落としてしまう直前のわたしに言って聞かせられたら良かったのだけれど。


 落ちた先は紙だった。小さな火はあっという間に包みこんで、次に男の人の腕を呑んだ。喉を巻いて胴を焦がし、すぐにかかとにまで及ぶ。わたしが驚いたのはそれよりも、そこに今までになく大きなが浮かんだことだった。いつ消えてもおかしくない光とは比べ物にならない、はっきりとしたおばあさんの家がわたしを覆った。ストーブもちゃんとある。ガチョウもツリーも、もちろんおばあさんも。マッチを擦るたびにイメージが薄まっていたことに、今になって気がづいた。


 今なら届くって、確信した。


「おばあさん! ねえ、わたし、どうすればいいの。どんなに大きくっても、ずっと燃えている火なんてないもの!」


 めいいっぱい声を張り上げても、おばあさんはずっとにこにこしている。どれだけ待ってもおばあさんは何も言ってくれないし、光はどんどんかき消されていく。雪が火をさらっていく。あなたはおばあさんを知らないくせに。

 ふと、さっきの火が紙を覆って大きくなったことを思い出す。わたしはすぐに箱から全てのマッチを取り出して擦り、まとめて火の中に放り込む。そうするとおばあさんの微笑みは輝きを取り戻した。勢いづいて、風に乗ってきた新聞、どこからか来たネズミを放り込む。通りを走っていた馬車も、賑わっていたパブも、みんな火を強めてくれた。ごめんね、ありがとう。でもみんなで暖かいね。


 マッチ、マッチ、もっと集めなきゃ。おばあさん、もうちょっと待っててね。馬車に乗っていた人が落としたマッチも拾う。後は何を燃やせばいい? 炎に包まれた街に小さな火を足したって意味がない。散々考えて、わたしはわたしを見下ろした。


「おばあさん! 今行くからね!」


 もう間に合わないなんてことはない。この手は絶対に届くと思った。おばあさんに触れると指先から暖かくなって、思わず熱く抱擁した。体が芯から燃えるような心地がした。ずっとこうしていたいな……。

 まぶたごと貫くような光に刺されて、ふと夜空を見上げる。すぅっと黄色い線を描いて流れ星が落ちていった。真下にぐんぐん伸びて消えていった。


「誰かが死ぬんだ……」


 おばあさんの口癖を思い出した。今この瞬間、誰かが亡くなってしまった。しかしあの方向は、かみさまがいる所とは全く逆のように思った。


 吹雪はぜんぜん寒くないのに、父さんにぶたれたって本当に痛くないのに、どうしてわたしにはこのを感じることができるのだろう。延々と褪せることのないかがやきに抱かれて最期に思ったのは、そんなとりとめのない感想だった。

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我訳『マッチ売りの少女』 @Ren0751

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