千刃学院と大五聖祭【四】


 氷王学院が提出した出場リストにはこう書かれていた。


『先鋒登録者無し、中堅カイン=マテリアル、大将シドー=ユークリウス』


 先生が目くじらを立てたのは、もちろん「先鋒登録者無し」の部分だ。


 三対三の勝ち抜き方式において、一人欠けることのハンデは凄まじく、普通「登録者無し」なんてことはあり得ない。


(たとえどんな未熟な剣士でも選手として出場させ、絶対に不戦敗は無くそうとするのが普通の判断だ)


 情報収集の観点からも、それは間違いない。


 しかし氷王学院は、あえて不戦敗を作った。

 千刃学院に一勝を譲った。


 つまりこれは「千刃学院程度、二人いればどうとでもなる」という明らかな挑発だ。 


「む、むっかつくぅっ! 何これ、ふざけてるのっ!?」


「さすがに不愉快ね」


 これにはレイア先生だけでなく、リアとローズも苛立ちを見せた。


 当然だ。


 剣士の勝負は、いつだって真剣勝負でなくてはならない。

 たとえどれほど実力差のある相手であろうと、真剣勝負において手抜きは許されない。


 なぜならそれは、相手を最も侮辱する行為であるからだ。


(さすがの俺も……これはちょっと腹が立つな……)


 俺たちが怒りに打ち震えていると、レイア先生は運営委員の女性に詰め寄った。


「向こうがその気なら、こっちにだって考えがある! 出場選手変更だっ! 先鋒・中堅は登録者なし! 大将にアレン! たかが氷王学院を倒すのに、二人も三人もいらん! アレン一人いれば十分だっ!」


 凄まじい権力と社会的影響力を誇る五学院の理事長――レイア先生に睨まれた女性は、震えながらもしっかりと返答を返した。


「も、申し訳ございません……。出場選手の変更締め切りは、二日前に過ぎておりまして……」


「期日なんて別に構わないだろう!? 選手を増やすわけでも、変更するわけでもないのだから! これは氷王学院側にとって、何のデメリットも無いぞ!?」


「も、ももも申し訳ございません……っ! で、ですが、き、規則は規則ですので、その……っ」


 先生の凄まじい剣幕に押された運営委員の少女は、涙目になりながらもなんとか言葉を紡いでいた。


 仕方なく、俺が先生を落ち着かせようとしたそのとき。


「あらあら、いややわぁ。余裕の無い人はすぅぐ人に当たり散らす」


 一人の女性がレイア先生を見てクスクスと笑った。


「なにをぉ……っ!? お、お前は……フェリスっ!?」


「お久しぶりやねぇ、レイアちゃん」


 なんと彼女は、氷王学院の理事長フェリス=ドーラハインその人だった。


 白と青を基調とした雪のように美しい着物。長く青白い髪はサイドで上品にまとめられ、雪の結晶を模したかんざしが色を加える。透き通るような白い肌に、切れ長の――いわゆる狐目からは、思考を読み取ることが難しい。


(二十代後半ぐらいだろうか……レイア先生よりは少し老けて見えるな)


 そして彼女の後ろには二人の男子生徒がついていた。


 多分この人たちが今日の対戦相手だろう。


 フェリスさんを目にしたレイア先生は、額に青筋を浮かばせながら、氷王学院の出場リストを突きつけた。


「やってくれるじゃないか『女狐めぎつね』……っ。まさかこんな『姑息な』手に打って出るとは夢にも思わなかったぞ?」


「あらまぁ、姑息やなんてそんな大袈裟な……。私らはちゃんと『適切な』数の選手を送り込んだだけよ……『筋肉達磨だるま』ちゃん?」


 二人は表面上のみ笑顔のまま、その後も延々と嫌味の応酬を繰り広げた。


 そして最終的には、


「こんの厚化粧がっ!」


「うるさい、単細胞めっ!」


 初等部女子の口喧嘩レベルにまで落ち込んでいった。


(こんなのでも一応二人とも、この国の指導者的立場なんだよな……)


 この国の先行きは暗いかもしれない……。


「宣言しよう! 今日この日をもって『あの時代』を復活させる! ――最強千刃学院のあの時代をなっ!」


「口だけなら何とでも言えましょうっ! すぐに吠え面かくことになるんよっ!」


 そう言って二人はともに「ふんっ!」とそっぽを向いた。


 どうやら長きに渡った子どもの口喧嘩は、一旦の収束を見せたようだ。


「行くわよ、シドー、カイン!」


「んー」


「はい」


 フェリスさんは二人の男子生徒を連れて、氷王学院の控室へと向かって行った。


「私たちも行くぞ、アレン、リア、ローズっ!」


 そうして俺たちも千刃学院の控室へと向かった。


 試合開始まで後わずか三十分、そろそろ最後の調整に入る頃だ。



 控室に入ってすぐ、レイア先生は険しい表情で口を開いた。


「フェリスがこんな馬鹿げた選手リストを提出したことには、いくつかの理由がある」


「どうせ、私たちを煽るためでしょ?」


「挑発する意味もあると思う」


 リアとローズの意見に、先生はコクリ頷いた。


「もちろんその二つの意味もあるだろう。しかし、本当の狙いはおそらく――『力の誇示』だ」


「力の誇示って……私たちに?」


 リアの質問に先生は首を横に振った。


「いや、恐らくうちではない。アレは五学院の他の連中――上位三学院への挑戦状だろう。『氷王学院はたったの二人で千刃学院を討てる。これまでとは一味違うぞ』というな」


「な、なにそれっ!? 私たちは眼中にすら無いってこと!?」


「不愉快な話ね」


 先生はさらに話を続けた。


「フェリスは陰険で狡猾、おまけに私に負けず劣らずの超負けず嫌いだ。そんなあいつが二人しか寄こさないということは――その二人だけで『絶対に勝てる』という確信があるからだ。あの疑り深い女狐がそこまでの信頼を置く剣士……決して一筋縄ではいかないだろう」


 そう言って先生は、苦虫を噛み潰したような顔をした。 


「……とにかく気を引き締めて行けよ、アレン。今日の相手は、これまでとは一味も二味も違う凄腕の剣士だ」


「はい、わかりました」


 そしてちょうど話が終わったタイミングで、実況者によるアナウンスが流れた。


「みなさま、大変長らくお待たせいたしました。これより千刃学院対氷王学院の第一試合を開始いたします!」


 いよいよ大五聖祭が始まる。


「ふー……っ」


 俺は一度大きく深呼吸をした。 


(……これは決して俺一人の戦いじゃない)


 千刃学院の全生徒を代表しての戦いだ。


 そう思うと心臓は高鳴り、手のひらにじんわりと汗がにじんできた。


(……ほどよい緊張感だ。それにコンディションも悪くない)


 そうして気持ちを高ぶらせた俺が目を開けると、


「頑張ってね! アレンなら絶対に勝てるよっ!」


 リアが俺の手をギュッと握ってくれた。


「ありがとう、リア。全力でぶつかってくる」


 彼女の手を優しく握り返し、舞台の方へ足を向ける。


 すると今度は、


「アレン、勝ってね」


 ローズがその真紅の瞳で熱い視線を送ってくれた。


「あぁ、頑張ってくるよ」


 そうして最後に先生が俺の背中をバシンと叩く。


「よしっ! いっちょ、ぶちかましてこい、アレンっ!」


「はいっ!」


 その直後、選手入場のアナウンスが鳴った。


「それでは西門――千刃学院が先鋒、アレン=ロードル選手の入場です!」


 みんなの思いを受け取った俺は、必勝の思いを胸に戦いの舞台へと足を踏み入れた。


 そして次の瞬間――圧倒された。


「うぅおおおおおおっ! やったれ、アレンーっ!」


「氷王学院なんか倒しちゃえーっ!」


「負けたら許さねぇかんなぁーっ!」


 西側――千刃学院側の観客席は、溢れんばかりの人々で埋まっていた。


 一年A組のみんなをはじめ、他のクラスの人たちや、さらには二年生・三年生の先輩方もこの場に駆け付けてくれていた。


(そうだ……もう、違う・・んだ)


 グラン剣術学院でドドリエルと決闘した時とは違う。


 あのときは全員が全員、俺の無様な敗北を願っていた。


(でも……今は違う!)


 みんなが俺のことを応援してくれている。


 みんなが俺のことを支えてくれている。


 みんなが俺の勝利を願っている。


(俺はもう……一人じゃないっ!)


 辛くて苦しくて孤独な戦いは終わった。


 これからはみんなと一緒に、みんなのために剣を振るうんだ。


(……絶対に勝つぞ)


 内に秘めた闘志を燃やしながら、俺は静かに相手の登場を待った。


「続きまして東門――氷王学院が中堅カイン=マテリアル選手の入場ですっ!」


 その瞬間、東側――氷王学院側の観客席から割れんばかりの声援が送られた。


「きゃーっ! カイン様ーっ! こっち向いてーっ!」


「きょ、今日もかっこいいですっ! 頑張ってくださいっ!」


「千刃学院なんて、一人でやっつけちゃえーっ!」


 凄まじい声援を背に受けながら、カイン=マテリアルさんが姿を現した。


 カイン=マテリアル。氷王学院の真っ白い制服に身を包んだ、端正な顔立ちの男だ。黒縁眼鏡をかけて、胸には十字架を模した銀製のペンダントをしている。


(この人、かなり場慣れしているな……)


 カインさんは右手をあげて、黄色い声援に応えていた。


 こんな大舞台だというのに浮ついた様子が微塵も無い。

 しっかりと地に足がついている。


 決して油断ならない強敵であることは一目でわかった。


 お互いが舞台の中央に立ったところで、


「両者、準備はよろしいでしょうか!? それでは――試合開始っ!」


 実況者が試合の開始を宣言した。


 俺は素早く剣を引き抜き、へその前に置いた。


 攻防一体の正眼せいがんの構え――相手がどのような動きを見せても即座に防御・回避・反撃可能なこれが俺の基本姿勢だ。


 一方のカインさんは――突然両の手をギュッと握り締め、神に祈るような仕草でひざまずいた。


 それを見たとき、猛烈に嫌な予感が全身を駆け巡った。


(こ、これはまさか……っ!?)


敬虔けいけんなる信徒に時の鞭を――<百年の地獄ヘル・ハンドレッド>ッ!」


 次の瞬間、何も無い空間に大きな亀裂が走り、そこから一振りの剣が現れた。


 時計の針のようないびつな刀身をしたそれは、本能的に嫌悪感を引き起こすような『何か』を発している。


「こ、魂装こんそう……っ!?」


 予想外の事態に俺は目を白黒とさせた。


『大将』ならまだしもまさか『中堅』が魂装を使ってくるとは、夢にも思っていなかった。


 カインさんは愛おしそうに刀身を撫で、こちらに鋭い眼光を向けた。


「さぁ、審判のときはきました! 行きますよ――いえ、終わらせますよっ!」


 彼はこちらの動揺が収まるのを待たず、即座に距離を詰めてきた。


(くっ、速いっ!?)


 さすがは五学院が一つ、氷王学院の代表選手だ。


 魂装を発現しているだけでなく、身体能力もかなりの高水準。

 純粋な速度はリア以上、ローズ未満といったところだ。


「神の裁きを食らいなさいっ!」


 彼は真っすぐに剣を突き出し、ひたすらに接近してきた。


(確かに早い……が、隙も多い……っ!)


 このコースならば、向こうの一撃は俺の肩をかすめるだけ。


 その一方で、俺の一撃は相手の胸部をしっかりと抉ることができる。


(リスクに倍するリターンがある……っ!)


 ならば俺の選択は、肉を斬らせて――否、『皮』を斬らせて、骨を断つ……っ!


 ある程度のダメージを覚悟に、俺が一歩前へと踏み込んだそのとき、


「いかんっ! 避けろ、アレンッ!」


 レイア先生の怒号が響いた。


「え?」


「――遅いっ!」


 そうして彼の剣先が俺の薄皮を斬った次の瞬間。


「ふふっ、さらばだ――愚かな剣士よ」


 俺の意識は暗闇に沈んでいった。



 気付けば俺は、見慣れない場所に立っていた。


「あれ……? どこだ、ここ……?」


 確か俺は、大五聖祭でカインさんと戦って……それで……。


「……そうだ。彼の魂装に斬られた瞬間、意識を失ったんだ」


 グルリと周囲を見回せば、小さく薄汚れた一軒の家が目に入った。


 そしてもう一つ――空中に数字が羅列されている。


 99年12月31日23時間59分42秒。


 一秒一秒と数字が減っていく・・・・・それは、多分この世界における制限時間のようなものだろう。


「まさかここは……時の牢獄、なのか?」


 空気や雰囲気が、あの異界に少しだけ似ているような気がする。


(これは……彼の魂装<百年の地獄ヘル・ハンドレッド>の能力と考えるべきだな)


 今のこの状況から察するに――斬り付けた対象をあの時計が00年01月01日00分00秒になるまで――つまりは百年もの間この世界に封印する能力、といったところだろう。


「とりあえず……軽くやって・・・みるか・・・


 もしここがあの異界と同じ、もしくは似たような構造の世界ならば……斬れる・・・はずだ。


 俺はほどほどに集中し、


「――ハッ!」


 かなり手加減をして剣を振り下ろした。


 すると剣先の通った空間が大きく揺れた。


(よし……手応えありだ)


 これならば、その気になればいつでもここから脱出することができるだろう。


(でも、さすがにそれはもったいないよな……?)


 せっかく百年という時間をもらえたんだ。

 これを有効活用しない手はない。


「さて、それじゃまずは周りの環境を確認するか……」


 この手の経験は二度目であり、しかも今回は脱出手段まであるため、非常に落ち着いて行動できた。


 それから俺はたっぷり一時間ほどかけて、この世界について調べあげた。


 結論から言うと、この世界も小さな球体だった。

 あのボロイ家を出て少し真っ直ぐ歩けば、すぐ家の裏口につく。


 そして嬉しいことにあの家には、質は悪いながらも生活に必要なものは全て揃っていた。


 必要最低限の食料。

 ギリギリ足を伸ばせる風呂場。

 ボロボロの敷布団と掛け布団。


「うん、十分だ」


 あの異界ほど豪華ではないが、必要最低限の物資はある。


 そうしてひとまず現状を把握した俺は、


「よし、素振りでもするか!」


 せっかくなのでこの世界を満喫することにした。


 あの地獄のループとは違って、いつでも出られるというのは本当に気楽なものだ。


 恐怖・焦燥・不安――そう言った負の感情に囚われることなく、ただ純粋に自分の剣術と向き合うことができる。



 それから十年。



 俺は毎日毎日ただひたすらに素振りをしていた。


 息を整え、剣を振り上げ――振り下ろす。

 何千何万何億何兆と繰り返してきたこの動作。


 一振り一振りごとに心が洗われていくようだ。


(あぁ、幸せだ……)


 誰にも邪魔されることなく、一人静かに剣を振る。


 それは何物にも代えがたく、俺の心は満ち足りていた。


 食べて。

 寝て。

 剣を振る。


 そんな素晴らしい生活を送る中で――ただ一つ俺の心を焼くものがあった。


(もう、たったの九十年しかない……っ!?)


 そう、残り時間だ。

 既に空中の時計は89年07月10日19時15分を指しており、残り時間は九十年を切っていた。


(や、やりたいことはまだまだあるんだぞ……!? と、とにかく急がないと……っ!)


 その後二十年、三十年、四十年と……時間は光の速さで進んでいった。


 そして五十年が過ぎた頃、修業の成果は少しずつ芽を出した。


「桜華一刀流――桜閃おうせんッ!」


「斬鉄流――錆び落とし!」


雲影うんえい流――うろこ雲!」


 以前、A組の友達に聞いた流派の基本理念・型・真髄を参考して、見事再現することに成功した。

 桜華一刀流だけは、見よう見まねだったが……意外とすぐに習得できた。


 しかし、魂装だけは発現できなかった。

 そもそも魂装を発現させる方法を――トレーニング方法を俺はまだ知らない。 


(早く、授業でやらないかなぁ……)


 そんなことを思いながら、俺は今日も剣を振り続けるのだった。


 そしてついに00年01月01日00時00分01秒となってしまった。


 その一秒後――白い世界は音を立てて崩壊していく。


「嘘、だろ……? もう、終わったのか……?」


 本当に、あっという間の出来事だった。


(ほどほどに修業を積んだところで、世界を斬って元の世界に帰ろうと思っていたのに……)


 ほどほどの修業をするだけの時間が無かった。


『一億年で一ループ』という時間感覚が骨の髄までみ込んだ俺には、百年という時間はあまりに短すぎた。


(まだやりたいことの一割もやれていないのに……っ)


 完全に消化不良を起こしてしまっている。


(『素振り欲』こそ満たされたものの……。くそ、もっともっと修業がしたい……っ)


 俺はどうにかこの世界の崩壊を止めるすべは無いか考えた。


 しかし……どれだけ考えても答えは見つからなかった。


 剣とは元来ものを『斬る』ものであり、決して何かを『紡ぐ』ものではない。


(これはもう……諦めるしかないか)


 音を立てて崩壊していく世界を横目に、ため息をついたその瞬間――俺の脳裏に電撃が走った。


(……いや、まだだ。まだこれで終わりと決まったわけじゃないぞ!)


 もしかすると、この世界は百年を永遠にループし続けるものかもしれない。


 そう、一億年ボタンが永遠に一億年を繰り返したように!


 諦めるにはまだ早い。

 まだ希望は残っている。


(た、頼む、頼むぞ……っ)


 そうして俺がゆっくりと目を開けると――カインさんが魂装を収納したところだった。


(これはどう見ても現実世界……だよな)


 残念なことに百年のボーナスタイムは一度切り……ループは起こらなかった。


(はぁ……やっぱりそんなうまい話があるわけないよな……)


 ガックリと肩を落としていると、氷王学院側の観客席が突如盛り上がり始めた。


「やっぱりすっげぇよ! まさに一撃必殺だな!」


「カイン様ーっ! 次の相手もこの調子でお願いしますねっ!」


「へへっ、もしかしたら千刃学院の奴等、棄権するかもしれねぇぜ? 今の試合を見たらブルっちまうもんなぁっ!」


 どういうわけか、既にカインさんが勝利したかのような盛り上がり具合だ。


 俺がこの状況を不審に思っていると、審判が気の毒そうにこちらへ近付いてきた。


「<百年の地獄ヘル・ハンドレッド>……本当に恐ろしい魂装だな。アレン君とやら、まだまだ若い剣士だというのに不憫ふびんな子だ……。……試合続行は不可能ということでいいね?」


 彼は何故か可哀想な目で俺を見ながら、優しく試合を棄権するよう勧めてきた。


「い、いえいえ、やりますよっ! というか、これからじゃないですか!」


 まだ何もしていないのに棄権するなんて冗談じゃない。


 少し物足り無かったとはいえ、一応百年間の修業を積んできたんだ。


 これからその修業の成果を存分に試さなければならない。


 すると、


「……は?」


 審判の方は、何故かぎょっと大きく目を見開いた。


「こ、言葉が通じている……っ!? き、君、本当にやれるのかね!? というか、精神状態は大丈夫なのかね!?」


「……? よくわかりませんが、とりあえず試合は続けさせてもらいますよ?」


「わ、わかった……っ!」


 彼はそう言うと早足で舞台から降りた。


 舞台上に残されたのは一人やる気に満ちた俺と、何故かもう勝った気でいるカインさん。


 敵を前にしながら剣を収め、あろうことか背まで向ける――剣士失格と言わざるを得ない愚かな振る舞いだ。


(隙だらけの相手を攻めるのは忍びないが……これは真剣勝負だ)


 目に見えた隙を突かないことは、相手に対して失礼にあたる。


(今俺がすべきことはたった一つ――ただ全力を出し切るのみだっ!)


 俺はしっかりと剣を握り締め、早速修業の成果をぶつけた。


「桜華一刀流奥義――鏡桜斬きょうおうざんッ!」


 鏡合わせのように左右から四撃ずつ――目にも止まらぬ八つの斬撃が繰り出した。


 初めてローズさんと出会った剣武祭、その決勝の舞台で見せてくれた彼女の必殺技だ。


 しかもこれには独自の改造を加えている。

 従来の八連撃ではなく、八の太刀――八咫烏やたがらすのように一度の振りで『同時』に八つの斬撃を生み出すよう進化させたのだ。


「……は?」


 背後から迫る八つの斬撃に気付いたカインさんは、


「が、はぁ……っ!?」


 驚愕に目を見開きながら、その全てを全身で受けた。


「あっ、ぐ、が……っ!?」


 その後、彼は何とか立ち上がろうとしたが……ただいたずらに大地をもがくだけだった。


 おそらく軽度の脳震盪を起こしているのだろう。


 焦点の合っていない目のまま、彼は震える指をこちらに向けた。


「な、何故だっ!? お前は百年もの間、あの空っぽの――地獄のような世界に封印されていたはずだ……っ!? それなのになぜ意識がある!? なぜ心が壊れていないんだっ!?」


 そうして頓珍漢とんちんかんなことを言い出す彼に、俺は一つだけ注文をつけた。



「カインさん、百年はちょっと短すぎです……」



 もし次の機会があるならば、せめてループ機能の追加をお願いしたい。


 そう願いながら、彼の頭を軽く打った。


「馬鹿、な……っ!?」


 その後、彼の意識が失われたことを確認した審判が大きな声で結果を告げる。


「カイン=マテリアル戦闘不能! よって、アレン=ロードルの勝利!」


 その瞬間、千刃学院の観客席は歓喜に包まれた。


「ぃよぉっしゃぁーっ! 勝ったぁあああああっ!」


「やるじゃねぇか、アレン! やっぱお前はすげぇぜっ!」


「さすがはうちの先鋒だっ! この調子で大将もやっちまえっ!」


 みんなからの温かく優しい称賛を受けた俺は、右手を高く突き上げて応えたのだった。

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