黒白の王女と魂装【一】
ポーラさんと別れた後、俺はひとまず千刃学院の寮へ向かった。
寮の鍵は入学手続きの中で学院から郵送されてきたため、既に懐の中にしまっている。
「さてと――おじゃまします」
誰もいないのはわかっているけれど、家に入るときにはつい言ってしまう。
「おぉ、思っていたよりもけっこう広いな」
そこは六畳一間のワンルームだった。
一人で生活するにはなんの不便も無い、十分な広さの部屋だ。
トイレも洋式でとても綺麗だし、お風呂も足を伸ばせるだけの十分な広さがあった。
加えて、洗濯機に冷蔵庫など、基本的な家電設備もしっかりと備え付けられている。
それに立地も最高だ。
この寮は千刃学院内に設置されているため、授業にもすぐに行くことができる。
「まさに至れり尽くせりだな」
さすがは五学院の一つ、千刃学院。
これを学院の全生徒に普及させるのだから、本当に凄い財力だ。
「さてと、そろそろ着替えるか」
持って来た風呂敷の中から、千刃学院の制服を取り出して着替えた。
それから姿見の前に立って、身だしなみをチェックする。
「――よし、問題ないな」
千刃学院の制服は、黒と白がバランスよく使われたものだった。
なんでも黒色は
ちなみに女生徒用の制服は、動きやすさを重視した短いスカートになっている。
数百年間デザインを変更したことは無く、伝統と格式のあるものだ――っとパンフレットに書かれてあったのを覚えている。
個人的には両肩にある剣をクロスしたような紋様が気に入っている。
「さてと……少し早いけど、そろそろ行くか」
入学式の開始まで後十五分。
少し早い気もするが、校舎や周りの建物などを見ながらゆっくりと歩けば、いい頃合いに到着するだろう。
その後、入学式の開かれる体育館へと向かう道中。
俺の前を歩く二人の女生徒が、何のけなしに話している内容が耳に入った。
「ねぇ、聞いた? 今回の試験、推薦入学で合格した人が三人もいるんだって!」
「聞いたよ。それズルいよね。あのめちゃくちゃ難しいテスト受けなくても、面接だけでここに入れちゃうんだから」
「ほんとそうだよね! そういうのって、絶対汚いコネとかで入ってきてるよね!」
……今の話を聞く限り、どうやら自分が推薦入学者であることは明かさない方が良さそうだ。
俺はこの千刃学院では、普通の学生として平穏無事に――ただ静かに剣を振って過ごしたいのだ。
グラン剣術学院での三年間は本当に散々だった。
入学してから卒業するまでどこの流派にも所属できず、ずっといじめられていたので友達の一人もいない。
そんな暗黒時代をもう一度送るのだけは絶対に嫌だった。
よく学んで、よく修業して、人並に友達を作って、たまにはクラスのみんなと遊んで――そんなどこにでもある普通の学生生活を送りたいのだ。
(……大丈夫だ。うっかり口を滑らせなければ、俺が推薦入学だってことはバレることは絶対にない)
とにかく、これはラッキーだった。
もしこの話を聞いていなければ、会話の流れでポロリと推薦入学のことを喋っていたかもしれない。
それを回避できるようになったのは、正直かなりの儲けものだ。
(うん、今日はなんか流れが良い気がするぞ)
そうして俺は一人で気分よく、体育館へと向かった。
体育館の前には先生方が何人か立っていて「入学者は土足のまま体育館の中へどうぞ」と、誘導を行っていた。
俺は前の人たちの流れに乗って、そのまま体育館へと入場する。
床にはシートのようなものが敷いてあり、これなら確かに土足でも問題なさそうだ。
体育館の中には、たくさんの簡易式組み立て椅子がズラリと並んでいた。
どうやら座席指定はないようで、「前の方から順に詰めていくように」と先生方が整理を行っている。
俺はそのまま人の流れに沿って歩き、最前列の真ん中あたりの席に座った。
前に誰も人がいないので、体育館の舞台がよく見える。
悪くない席だ。
それから特に何をするでもなくボーッと入学式の開始を待った。
すると初老の先生が、体育館の舞台に登りマイクテストを始めた。
ようやく入学式が始まるようだ。
舞台に登っている初老の男性は教頭先生のようで、この式の進行をする旨と簡単な開式の言葉を述べた。
「えー……それでは続きまして理事長からの
すると舞台袖から女の先生が舞台中央へ歩き始めた。
「みなさま、おはようございます。私は当校で理事長を務めております、レイア=ラスノートでございます。以後、お見知りおきを」
そう言って綺麗な姿勢で頭を下げたレイア先生は、非常に若く綺麗な女性だった。
背中まで伸びた艶のある黒髪。大きく切れ長な目。背が高くてとてもスタイルがいい。
黒いスーツをしっかりと着こなし、胸元にはこれまた黒いネクタイが結ばれている。両手にぴっちりとした黒い手袋をはめている。
何だかとても仕事ができる人に見えた。
いや、若くして五学院の理事長を務めているんだから、実際とても優秀な人なんだろう。
実年齢は不明だけれど、見た目だけでいくならば二十代半ばぐらいだ。
それから、ゆっくりと顔をあげた理事長は再び口を開いた。
「新入生のみなさま、御入学おめでとうございます」
それから少し長い式辞を読み上げた理事長は、次にこの学院の現在の状況を語り始めた。
「みなさま既にご存知の通り、本校は近年苦しい状況に立たされております。他の五学院に水を開けられ、このままでは五学院が四学院になってしまうのではないか、と危ぶむ声も聞こえてきております」
彼女はさらに続けた。
「そこで我々は今年度、大きな改革を実施しました。前理事長をはじめとした問題のあった教師陣を一新し、さらには今年度から優秀な人材を確保するための推薦入学制度を導入しました。そして今回――大変ありがたいことに三名の推薦入学者を確保することに成功しました。これらの生徒はみな、私がこの目で見て『卓越している』と判断した剣士たちです」
何だか嫌な予感を覚えつつも、黙ってその話を聞いていると。
やはりというかなんというか……理事長はとんでもないことを口にした。
「それでは推薦入学を果たした三名の生徒――リア=ヴェステリア、ローズ=バレンシア、アレン=ロードルは舞台まで上がってきてください」
……………終わった。
俺の求めた平穏無事な学生生活は、理事長のたった一言で霧となって消えてしまった。
周囲の生徒がキョロキョロと周囲を見渡し、一瞬にして体育館全体がざわめき始める。
(……このまま座っていたらバレないんじゃないだろうか?)
そんな
そうして渋々舞台に移動すると、目の前に見知った顔が一つあった。
赤い瞳が特徴的な凛とした顔立ち、背中まで伸びる美しいピンクがかった銀髪。
「ろ、ローズさん……っ!?」
ローズ=バレンシア――剣武祭の決勝で戦った桜華一刀流の使い手だ。
こちらに気付いた彼女は、右手をあげて挨拶をしてきた。
「久しぶりだな、アレン」
「ど、どうしてここにいるんですか!?」
「ん? 貴様を追いかけてきたに決まって……っと、今はまだ式中だ。話は後にしよう」
そう言って彼女は口をつぐみ、俺もそれにならった。
「では一番右端のリアから、一人ずつ順番に簡単な自己紹介をお願いします。名前、流派、それから最後に簡単な一言をお願いします」
そう言って理事長は、リアさんにマイクを手渡した。
彼女は一歩前に出ると微塵も動じることなく、堂々とした姿勢で口を開いた。
「みなさま初めまして。私の名はリア=ヴェステリア。隣国のヴェステリア王国から留学してきました。所属流派は、母国の覇王流。一応王族ではございますが、ここではみなさまと同じ一学生です。どうか仲良くしてください」
そう言って彼女はフワリと笑った。
リア=ヴェステリア。長く美しい金色の髪をワインレッドのリボンでツインテールに結んだ、人当たりのいい優しそうな人だ。大きく澄んだ瞳に、雪のように白い肌――まるで物語の中から飛び出してきたお姫様のようだった。
隣国の王女ということには少し驚いたけれど、そう言われれば納得してしまうような品格が彼女にはあった。
するとリアさんの自己紹介を聞いた新入生が、にわかにざわつき始めた。
「リア様って……五歳のときに剣武祭で優勝してたあのっ!?」
「こ、こいつは凄ぇ奴が同級生になったな……っ」
「ま、まぁ……推薦入学だからね。このぐらいの人じゃないと許されないでしょ」
それからリアさんがペコリと頭を下げると、体育館中から大きな拍手が送られた。
「ありがとうございました。それでは次――ローズ、お願いできますか?」
「はい」
そうして彼女も一歩前に出ると、ゴホンと咳払いをした。
(……というか、何故ローズさんが千刃学院へ入学しているんだろう)
彼女はそもそも中等部の剣術学院にすら通っていなかったはずなんだけど……。
俺がそんなことを考えていると、彼女が自己紹介を始めた。
「ローズ=バレンシアです。流派は桜華一刀流。よろしくお願いします」
残念なぐらいに愛想が無く、また非常に簡潔過ぎる自己紹介だったが、新入生に与えた衝撃は大きかった。
「ろ、ローズ=バレンシアって、あの『賞金稼ぎ』かっ!?」
「これまたとんでもねぇのが来たな……。ちょっと今年の千刃学院は本気出し過ぎじゃねぇか……っ!?」
「一子相伝と言われる伝説の桜華一刀流。一度でいいから、この目で見てみたいわっ!」
それからローズさんが小さく頭を下げると、先ほどと同じだけの拍手が送られた。
「ありがとうございました。それでは最後にアレン、よろしくお願いします」
理事長からマイクを手渡された俺は――正直途方に暮れていた。
(前二人の超ビッグネームの後に、このバトンを渡された俺は……いったいどうすればいいんだろうか?)
俺の心はもう完全に泣いていた。
しかし、ここで逃げるわけにはいかない。
もしこんなところで尻尾を巻いて逃げたら、明日以降本当に学院に行けなくなってしまう。
ありったけの勇気を振り絞り、一歩前へと踏み出した。
その瞬間、新入生の期待に満ちた視線が矢となって胸に突き刺さる。
俺はそれを鋼鉄の意志で払いのけ、自己紹介を開始した。
「え、えーっと……グラン剣術学院から来ました、アレン=ロードルです。所属流派は、その……我流です。今年一年頑張りたいと思います」
そうして俺が口を閉ざした瞬間、体育館は水を打ったかのように静まり返った。
それからおよそ十秒後、新入生は一斉にざわめき始めた。
「……なぁおい。今あいつ……我流って言わなかったか?」
「よくもまぁ、恥ずかしげもなく言えたもんだな……。どれだけ分厚い面の皮してんだよ」
「ていうか、グラン剣術学院てどこよ? そんな名前の学院聞いたことないんだけど?」
「覇気のねぇ面構えだな……。まともに剣を握ったことも無いんじゃないか?」
「前の二人はそりゃ推薦入学でも仕方ないけど……この人はちょっと……ねぇ?」
「これが裏口入学って奴なのね……最低っ」
たった一度の自己紹介で、俺の好感度は地の底まで落ちたようだ。
俺がペコリと頭を下げると、レイア先生の拍手だけが広い体育館にむなしく響いた。
さらば普通の学生生活。
こんにちは地獄の学生生活。
俺は涙がこぼれないように、グッと歯を強く噛み締めた。
正直、このまま回れ右してポーラさんのいる寮か、母さんのいるゴザ村に帰りたかった。
「それでは本日の入学式はこれにて終了させていただきます。生徒のみなさまは、これ以降は自由に活動していただいて構いません。長らくのご清聴ありがとうございました」
こうして地獄と化した入学式は、ようやく終わりを迎えた。
■
入学式が終わると同時に、俺は早足でその場を離れた。
一瞬、俺を呼ぶ声が聞こえたような気もしたけれど……多分気のせいだ。
「それにしても、なんて理事長だ……っ」
あれはひどい――やり過ぎだ。
完全に俺一人が晒し者になった。
あんなの……人間のする行いじゃない。
(というかそもそも何故俺なんかを推薦入学に選んだのか……)
俺は大きくため息をつきながら、学院の敷地内にある林の中を一人歩いていた。
ここから少しズレたところにある舗装された道では、新入生たちが楽しそうに友達作りに励んでいる声が聞こえた。
(……いいな)
きっと彼らはこれから三年間、楽しい学生生活を満喫するんだろうな。
そんなことを思いながら、俺は
林の中をしばらく進むと、ポッカリと空けた空間に出た。
「……やるか」
結局俺は、修練場から離れた林の中で一人剣を振ることにした。
(……寂しい)
いつもは楽しいはずの素振りが、何故か今日に限ってはとてもつらい作業だった。
剣が、心が、魂が――泣いていた。
こんなつらい状況でも俺は絶対に素振りをやめない。
『努力は必ず実を結ぶ』――母さんがずっとそう言ってくれていたからだ。
それからたっぷり数時間、ただひたすらに剣を振り続けた。
陽は既に西の空に沈んでおり、月明かりが周囲をぼんやりと照らしていた。
「――よし、そろそろ帰るか」
明日からは授業が開始することだし、今日はこのあたりで切り上げるのがいいだろう。
「っと、そうだ。せっかくだし、大浴場に行ってみるかな」
素振りによって精神が少し安定した俺は、少しだけ大胆な行動に出てみることにした。
「えーっと大浴場は……こっちだな」
胸ポケットに入れてあった学院内の地図を頼りに大浴場を目指した。
それからしばらく歩くと、
「……っと、ここだな」
『大浴場』と書かれた立て看板のある大きな建物を見つけた。
風情のある
「……っ!?」
彼女はちょうどブラジャーのホックを外したところであり、絶対に見えてはいけないものが一瞬だけチラリと見えてしまった。
リアさんの顔と白い肌が、みるみるうちに赤みを帯びていく。
「ご、ごめん……っ!」
俺はとにかく平謝りをして、更衣室の扉を固く閉じた。
妙な胸の高鳴りと激しい罪悪感がないまぜになって、俺はもうどうしたらいいのかわからなかった。
扉の先からはスルスルと、
何だかそれは聞いてはいけない音のような気がして、咄嗟に耳を塞いだ。
そのまま石像になったようにただジッと立っていると、更衣室の扉がゆっくりと開いた。
女生徒用の制服に身を包んだリアさんは、こちらを見てポツリと呟いた。
「――決闘を申し込みます」
「……え?」
「あなたに決闘を申し込みます。受けていただけませんか?」
そこには有無を言わさぬ凄まじい圧があった。
これほど怖い笑顔は、生まれて初めて見た。
「え、えーっと……そのそれは構わないんですが……条件は?」
「そうですね。敗者は、勝者の奴隷になる――というのはいかがでしょうか?」
彼女はニッコリとした虫も殺さぬような笑顔のまま、とんでもない条件を提示してきた。
「ど、奴隷っ!? そ、それはさすがにペナルティが重過ぎじゃ――」
俺が異議を唱えた次の瞬間。
彼女は俺の右隣の壁を殴りつけ、その人形のような顔をグッと近づけた。
「――やるの、やらないの?」
彼女は俺の耳元で、底冷えするような冷たい声でそう言った。
股の間には彼女の膝が入っており、逃げるに逃げられない。
「ねぇ……どうするの?」
「……やります」
何故彼女が男子更衣室で着替えていたのかという大きな疑問は残るものの……とにかく、見てしまったのは俺が悪い。
仕方なくコクリと頷くと、
「そう、賢明ね」
彼女は嗜虐的な笑みを浮かべながら、拘束から解放してくれた。
(……入学式のときの優しそうなリアさんはどこへ行ったんだろう)
そんなことを考えていると、
「――話は聞いたぞ、
突然、レイア先生が暖簾を豪快に掻き分けて現れた。
「せ、先生っ!?」
「レイアっ!? どうしてここに!?」
「ふっふっふっ! 何やらおもしろそうなことが起こる予感がしたのでな。近くで張り込んでいたんだよ!」
彼女は心の底から楽しそうにクツクツと笑った。
「とにかく、話は聞かせてもらった! 二人で決闘をするんだろう? それなら、私が立ち合い人となってやろう!」
そうしてあれよあれよと言う間に、俺は地下大演習場という広い部屋に連れ込まれた。
「さて、それじゃ夜ももう遅いことだし、さっさと始めてしまおうか!」
レイア先生はそう言って手をパンパンと打ち鳴らした。
「リア、アレン――二人とも準備はいいか?」
「もちろん、オーケーよ」
「まぁ……大丈夫です」
俺たちが共に頷いたことを確認したレイア先生は、
「よし、それではリア=ヴェステリア対アレン=ロードル――開始っ!」
よく通る大きな声で決闘の開始を宣言した。
俺が剣を引き抜き、正眼の構えをとる。
その一方でリアさんは、何も無い空間に右手を突き出した。
「侵略せよ――<
その瞬間。
空間に巨大な亀裂が走り、そこから真紅の剣が姿を現した。
「ふふっ、いい子ね」
彼女が剣の柄を握ると、黒と白の美しい炎が刀身を踊った。
「こ、これは……っ」
何も無いところから突如として剣が出現し、不可思議な炎が吹き荒れた。
まやかしや幻覚とは違うこの力を――俺は知っている。
「まさか……
天賦の才を持つものが、厳しい修業の末に会得する自らの魂を具象化した装備――魂装。
俺が十数億年の修業でも会得できなかったものだ。
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