落第剣士と剣術学院【一】


 声が聞こえた。


「アレ……起……っ! 何時……と思っ…………早……起き……っ!」


 ゆっくり目を開けると、ぼんやりと青い空が見えた。

 どうやら俺は仰向けになっているらしい。


(あれ……? 俺は……何を……?)


 ぼやけた視界が徐々にクリアになっていき、それに伴って他の感覚もはっきりしていった。


 ひんやりした土。

 草葉の青いにおい。

 カラカラに乾いた口内。

 眩しい太陽の光。


 そして俺を呼ぶ声。


「アレン! おい、早く起きな! 全く、どこで寝てんだい!?」


 目の前には、上から覗き込むようにした寮母のポーラさんの姿があった。


「っ!?」


 慌てて跳ね起きた俺は、


「い、今、何年何月の何時何分だ……っ!?」


 すぐさま現在の時間を確認した。


 するとポーラさんは呆れたように肩をすくめた。


「はぁ……アレン? あんた、まだ夢を見てんのかい?」


「あっ、いや、そうか……終わったんだ」


 俺はあの地獄の一億年のループから脱出して、無事に現実の世界に帰って来れたんだ。


「そうだ、時の仙人は……っ!?」


 剣を抜き放ち、周囲を見回した。


 しかし……あいつの姿はどこにもなかった。


「時の仙人……? アレン……あんた、ほんとに大丈夫かい?」


 ポーラさんは少し真剣な表情で声を掛けてきた。


「あれ、いやその……す、すみません……」


「そういや、えらくうなされていたけど……悪い夢でも見たのかい?」


「そうかも……しれません……」


 もしかするとあれは夢だったのかもしれない。


 いや、きっと夢だったに違いない。

 常識的に考えて一億年ボタンなんてあるわけがない。


「悪い夢なら聞いてやるよ。そうすりゃ、現実にゃならないからね」


「……あまり詳しく覚えてないので、その……すみません」


 嘘だ。


 本当はこれ以上無いほどはっきりと覚えている。


 だけど、あんな荒唐無稽な話をしたってきっと笑われるだけだ。


「そうかい。それなら、さっさと寮へ戻んな! とっくの昔に朝ごはんはできてんだよ? 早く食べてくれないと、片付きゃしない!」


 そう言って彼女は踵を返し、寮の方へ歩いていった。


「す、すみません……っ」


 平謝りをしながら、彼女の後を追おうとしたそのとき。


 視界の端に――妖しく光る赤色のボタンが映った。


 見間違えるわけがない。


 あれは……そう。


「一億年、ボタン……っ!?」


 震えた。


 もしかしてアレは……夢じゃなかったのか……?


 生唾を飲み込んだ俺は、ゆっくりとそれを拾い上げた。


(これを押せば……またあの地獄のような世界に……?)


 いや……大丈夫だ。


 もしアレが現実ならば、また世界を斬って帰ってくればいい。

 もしアレが夢ならば、これを押しても何も起きない。


 どちらにしてもこのボタンを押すことで、俺が不利を被ることは何も無い。


「ふー……っ」


 二、三度深呼吸をして――押した。押してやった。


 しかし、何も起きなかった。


「……だよな」


 時の仙人も。

 一億年ボタンも。

 時の牢獄も。


 やっぱり全部夢だった。


 そりゃそうだ。


 あんなおとぎ話みたいなこと、現実にあるわけがない。

 そうしてポイっとボタンを雑に投げ捨てたそのとき、あることに気が付いた。


 一億年ボタンに、大きな太刀傷のようなものがついていたのだ。


(あれ……? こんな傷、あったっけ……?)


 もう一度じっくり見ようと、投げ捨てたボタンの方へ近づくと。


「こらっ、アレン! なに道草食ってんだい! 早く来な!」


 前方から、通りのいいポーラさんの声が聞こえた。


「は、はいっ!」


 それから俺は、ポーラさんの後を追って寮に戻ったのだった。



 ポーラ=ガレッドザール。


 俺が住んでいる寮の寮母さんだ。


 身長二メートルを越える巨躯。迫力のある顔立ち。

 黒いシャツの上に真っ白のエプロンをしている。

 常に腕まくりをしており、そこから見える二の腕はどう見ても俺の三倍はある。


 一見するととても怖くて近寄り難いが、実際はとても優しい人だ。


 ポーラさんが作ってくれた朝食を平らげた俺は、両手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


「あいよ! 今日も良く食ったね! いいこったっ!」


 ポーラさんは俺の背中をバシンと叩き、豪快に笑った。 


「おっと、そういえばあんた学校は大丈夫なのかい?」


「っ!?」


 その瞬間、心臓がドクンと跳ねた。

 そう言えば、今日の朝九時からドドリエルと決闘をする約束をしていた。


「い、今何時ですか!?」


「んー、七時五十分だね」


 そう言ってポーラさんは、壁掛け時計を指差した。


「そん、な……っ」


 ここからグラン剣術学院までは、どれだけ急いでも三時間はかかる。

 後一時間ちょっとでは、到底間に合うわけがない。


 だけど、行かないという選択肢は無かった。


 逃げたと思われるのだけは絶対に嫌だった。


「い、行ってきます……っ!」


「気を付けてね! 怪我すんじゃないよっ!」


「はい……!」


 そうして俺は寮を飛び出した。


 走った。

 走って走って――ひたすらに走った。


『決闘』は何も口約束ではない。剣術学院で定められた制度の一つだ。


 試合開始から一秒でも遅れたらその瞬間に不戦敗になる。


(多分……いや、確実に間に合わない)


 でも、だからと言って部屋で不貞腐れてはいられなかった。


 その後、何とか学院に到着した俺は、すぐさま第二校舎の決闘受領所に向かった。


「お、遅れてすみませんっ! 今日の朝九時から決闘を申し込んだアレン=ロードルです! まだ受付はやっていますかっ!?」


 すると眼鏡を掛けた受付の男性は、手元の紙に目を通すと「おや?」と声を挙げた。


「随分と早く来ましたねぇ。まだ試合開始の一時間前ですよ」


「……え?」


 そんな馬鹿なことあるわけがない。


 俺が家を出たのは、七時五十分。


 たったの十分で学院に着くわけがない。


 しかし、そこにあった小さな置き時計は――確かに八時を指していた。


(本当に、十分しか経っていない……。もしかして家の時計が壊れていたのか……?)


 とにかく……よかった。


「はぁー……助かった」


 不戦敗は免れた。

 後は、俺の持てる力の全てを――これまでの努力をドドリエルにぶつけるだけだ。



 予想外に早く着き過ぎたため、俺は売店で適当に小腹を満たしたりして時間を潰した。

 ついさっき朝食を食べたばかりなのに、不思議とかなりお腹が空いていたのだ。


 そうして予定時間の五分前に、決闘の場である体育館に向かった。


 そこで俺は圧倒された。


「な、なんだよ……これ……っ」


 早朝だというのに、体育館には溢れんばかりの生徒が詰めかけていた。


「うわっ、落第剣士様の登場だぞ!」


「やっといなくなるのね! 毎日毎日馬鹿みたいに剣を振って、見苦しかったのよね!」


「ドドリエルには感謝しないとな! 学院の厄介者を追い払ってくれるんだから!」


 同級生から耳を塞ぎたくなるようなヤジが雨のように降り注いだ。


「ど、どうして……?」


 そんな風に俺が困惑していると、クスクスとわざとらしい笑い声が聞こえた。


 笑い声のする方――体育館の中央にはドドリエルとその取り巻きがいた。動揺を隠せない俺を横目に、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。


「あはっ。逃げずに出てきたことだけは褒めてやるよ、アレン?」


「ど、ドドリエル! なんだよ、これ……っ! こんなの聞いてないぞ!」


 体育館に押し寄せた生徒を指差して、ドドリエルを問い詰めた。


「いやぁ、僕もびっくりしてるんだよ。どこかから、僕とアレンが決闘するという情報が漏れたみたいでねぇ……。全く悪趣味な奴もいたもんだよ」


 そう言ってわざとらしく肩を竦めた。


「お前……っ」


 間違いない。俺との決闘を触れ回り、学院の生徒たちをここに集めたのはこいつだ。衆人環視の中、俺に大恥をかかせるつもりらしい。


 本当に……どこまでも性格の悪い奴だ。


「落第剣士をぶっ飛ばせーっ!」


「きゃーっ! ドドリエル様ぁ! 頑張ってーっ!」


 ドドリエルの勝利と俺の無様な敗北を望む生徒たちの声が飛び交う中、一人の男性教師が体育館に入ってきた。彼は一瞬その生徒たちの数とその声に驚いたものの、その後は特に何を言うでもなく、こちらに向かって歩いてきた。


「えー……それでは既定の時間となりましたので、ドドリエル=バートンとアレン=ロードルの決闘を開始したいと思います」


 ……なるほど、この状況を咎めもしないのか。


 決闘は基本的に互いの条件が同等でなければならない。


 当然、こんなアウェーな環境での決闘なんて公平でもなんでもない。


(中立であるはずの学院側が、この状況になんの口出しもしないということは……)


 きっと学院側も俺をここから追い出したがっているのだろう。


(くそ……っ)


 四面楚歌しめんそかの状況に、俺は歯噛みすることしかできなかった。


「ゴホン。両者、準備はよろしいですね? それでは――始め!」


 そうしてこれ以上ないほどのアウェーの中、決闘の開始が告げられた。


「一瞬では終わらせないよ、アレン? ジワジワと痛ぶってやる……お前が泣いて許しを請うまでなぁ!」


 ドドリエルは腰に差した剣を引き抜き、嗜虐的な笑みを浮かべた。


「……舐めてかかると、痛い目を見ることになるぞっ!」


 それに応じて俺も剣を抜き、へその前に置く。剣術における基本中の基本の型――正眼せいがんの構えだ。


 決闘のとき特有の何とも言えない重たい空気が場を流れる。


 そんな中、俺はジッと奴の剣を注視した。


 刀身にある美しい刃文はもんが遠目にも見て取れた。

 確か、どこぞの名匠が打った業物だとあいつが自慢していたのを覚えている。


 一方、俺の剣は一振り千ゴルド――どこにでも売ってある最低ランクの一振りだ。


(多分……いや確実に、俺はこの勝負に負けるだろう)


 剣・技量・才能――どれを取っても俺があいつに太刀打ちできるものはない。


(だけど、ここで退くわけにはいかない……っ)


 こんな俺にだって、プライドもあれば誇りもある。


(母さんを馬鹿にされて、おめおめと引き下がれるものか……っ)


 心の中で闘志を燃やしながら、ドドリエルの目をジッと見つめた。


 あいつの剣は攻めの剣。まるで雨のような怒涛の連撃で、相手に反撃すら許さない剛の剣。


 奴の得意とする正面からの切り合いを挑んでも到底勝ちの目はない。


(狙うはカウンター……一撃必殺だ……っ!)


 あの天才だって人間だ。


 失敗もすれば、ミスもする。


(だから、この戦いはただひたすらに奴の猛攻を凌ぐ!)


 激しい剣戟の中でほんの一瞬の隙を見出し、そこへ全力の一撃をぶち当てる。


 勝つことはできなくとも、最低でも手傷は負わせてやる。


 これが俺の戦略だった。


(さぁ、こい……っ)


 精神を集中させ、ドドリエルの踏み込みを待った。


 だが、俺の予想に反してあいつは一向に攻めてこなかった。


 それどころか何故か一定以上の距離を取ったまま、近寄ろうとはしなかった。


(……何だ? いったい何を企んでいるんだ?)


 ドドリエルの『らしくない行動』を訝しがっていると、


「アレン……っ。お前、何をした・・・・……っ!?」


 奴は先ほどまでの不敵な笑みを捨て、厳しい形相でこちらを睨み付けてきた。


「……何を言っているんだ? 質問の意味がわからないぞ?」


「とぼけるつもりか……落第剣士の分際で……っ!」


 するとあいつは強く歯噛みしながら、かなりの距離を維持したまま、すり足で俺の周りを移動し始めた。


 俺は視界の中心に奴を捉えたまま、正眼の構えを堅持する。


(……ドドリエルの気はそう長くない)


 あいつが俺のことを知っているように、俺もあいつのことを知っている。


 短気で飽き性――生粋の天才肌であるあいつが、この窮屈で退屈な睨み合いを続けられるわけがない。きっと今に襲い掛かって来るだろう。


 そうして一分、二分と時間が経過したあるとき――ドドリエルが構えを変えた。


(……来るっ!)


 次の瞬間、


「うぅおおおおおおおおっ!」


 奴は気迫の籠った凄まじい雄叫びを挙げ、一直線にこちらへ駆け出した。


「……っ」


 その凄まじい気迫に気圧されそうになりながらも、俺は心を強く持ってしっかりと目を見開いた。


 しかし、そこに広がっていたのはあまりにもおかしな・・・・光景だった。


(……は?)


 いつまで経ってもドドリエルが斬りかかって来ないのだ。


 いや、もっと正確に言えば、奴はまるで子どもがチャンバラごっこをやるときのような――わざとらしくゆっくりな走りでこちらに向かって来ているのだ。


(ドドリエルの奴は何を考えているんだ……?)


 そんな疑問の答えは、すぐに解消された。


(なるほど、そうか……。俺なんかとは真剣にやる価値もないってか……っ)


「お前には本気を出す価値すら無い」――奴は言外にそう言っているのだ。


 悔しかった。


 まさかここまで虚仮にされるとは、思ってもみなかった。


 せめて決闘ぐらいは、あいつも本気でやるものだとばかり思っていた。


(畜生……っ)


 強く拳を握り締め、歯噛みをした数秒後。


 ようやく俺との距離を詰めたドドリエルが攻撃を開始した。


時雨流しぐれりゅう――五月雨さみだれっ!」


 まるで「避けてくれ」と言わんばかりの大振りで雑な突きが何度も繰り出された。


(こんなもの……わざわざ剣で受け流す必要もない)


 欠伸あくびが出そうになるほどゆっくりな連撃を、最小の動作で回避する。


「なっ!?」


 突きを撃ち終えたドドリエルは、どういうわけか顔を青くしながら即座に後ろに跳び、俺との間合いをとった。


「あ、アレン……? ぼ、僕の剣を全てさばき切るとは、今日はツイてるみたいだね……っ」


「……え?」


「でも、今ので僕の体もようやく温まってきた。次の一撃は今の三倍は速い。さっきのようなラッキーはもう起こらないよ」


「いや、お前は何を言って――」


 俺が疑問を口にしたそのとき。


「時雨流奥義――叢雨むらさめっ!」


 ドドリエルは真っ直ぐに剣を突き出しながら、再びこちらへと突撃してきた。


 さっきのような連撃ではなく、一点集中型の突きだ。


 しかし、


(……少しだけ速くなった、のか?)


 それは依然として、子どもの遊びを抜けない範疇の一撃だ。


 何より気になったのが、突きを放っているドドリエルがあまりにも無防備だったこと。


 まるで「斬りかかってこい」と挑発しているかのようだ。


(くそっ……どこまでも人を馬鹿にしやがって……っ)


 たび重なる挑発に痺れを切らした俺は、剣を振りかぶった。


「この――真面目にやれっ!」


 威嚇のつもりで放った縦の一振りは――七つの斬撃に枝分かれし、ドドリエルの全身をしっかりと捉えた。


「か、はぁ……っ!?」


 同時に七つの斬撃を食らった奴はたまらず剣を手放し、体育館の壁まで吹き飛んだ。


 会場は水を打ったかのように静まり返る。唾をのむ音すら聞こえるほどに。


「……は?」


 予想だにしない事態に、間抜けな声が口から漏れ出た。


「ど、ドドリエル=バートン、戦闘不能! 勝者、アレン=ロードル!」


 審判を務める男性教師が結果を告げた後も、体育館は異様な静寂に包まれていた。


 このとき俺は確信した。


(夢じゃ、ない……っ!?)


 あの異界で過ごした地獄の十数億年が、夢や幻などではないということを。


(ドドリエルの動きが異様に遅く見えたのは、決してあいつが手を抜いていたからじゃなかった……っ)


 実際は俺があいつよりも遥かに強くなっていたんだ!

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