第2話 オダジマの疑問 君はバナナで転んでいる人を見たことはあるか? ほか

 今回は、わたくしがこれまでずっと思ってきた疑問の数々を紹介したいと思います。中にはネットで調べればすぐに分かるようなものもありますが、あえてほってあるものです。

「秘密は秘密のままに」とか言うとなんだかシャレた感じですが、もうずっと疑問のままなので、このまま解けずにいても一向構わないというか、むしろ解けないで欲しい、というような気持ちなんです。


その1 旅館の浴衣は、なぜ寝ている間にほぼ全裸になってしまうのか?


 これは大学の合宿で体験して以来のことですから、もうずいぶん長く疑問のままです。もちろん、パンツは履いているので、「ほぼ全裸」というのは少々大げさですが、要は「ほぼ全裸みたいな気分になるのか」ということです。これは誰しも疑問に思ったことがあるでしょう?

「そんなのオマエだけだ」という意見もありましょうが、そんなのは無視して先に進みます。


 これをまじめに考察しますと、一応、普段は直接布団に触れない腰から下が全部はだけてしまい、それがパリッと糊の利いたシーツにスレスレするため、なんかいつもと違って変だな、という気持ちになるからとも考えられます。しかし、それですと夏場パンツ一丁で寝ているわたくしとしては説明に窮するのです。

 思うにヒントは、浴衣という着衣の形状とシチュエーションにあると考えられます。すなわち、浴衣を体全体に巻きつけてプロテクトをし、帯までギュッと締めて「さあもう大丈夫だ」と思ったのに、寝てる間にアッサリと腰紐一本になってしまってスレスレする、という「極端な落差」が「ほぼ全裸感」の原因ではないでしょうか。初めからパンツ一丁だと落差もへったくれもないので、むしろ浴衣より全裸度が高いにも関わらず、そうと認識しないのだと考えられます。


 さっきシチュエーションと言いましたが、この「緊縛と解放」という浴衣の落差機能は、大衆文学においても活用されています。すなわち、浴衣とは、外部からはプロテクト感が極めて強固に見えるものの、意に反さない要求と行動があると、実にアッサリと内容開示されてしまうという性質を有しています。

 要するに、女性がいざ「その気」になるとすぐに脱げてしまう、というだけなのですが、このあたりが渡〇淳一氏(大衆官能小説の大家。代表作「失楽園」)の小説で愛用される所以でないかと考えられます。もっとも、読んだことないので愛用されているかは確認できないものの(無責任ですんません)、「五〇男が三〇位の艶っぽいが理知的なおねえさんと京都でハモ食って旅館で浴衣着て差し向かって無言だが情念ほとばしる」というのが、氏に対するわたくしのイメージですね。「男のハーレクインロマンス」といった感じではないでしょうか。

 

 そこでは、浴衣とは世間と禁忌との境目を形成する薄布であり、強固に見えつつ解放の欲求を内包し、かつ深層では受容許諾しているという、実にもうややこしい日本的なバランスが成立しているのです。

 同じ自己解放でも、金髪ビキニとは重さも深さも自ずと全く違う性質のものですね。


その2 「対馬」はなぜ「つしま」なのか?


 暖流の黒潮の支流が日本海に入ると細い対馬海流となります。日本海海戦のときは、バルチック艦隊がこれに乗って勇躍北上したものの、待ち受けた乃木将軍の日本艦隊に迎撃され全滅の憂き目にあっています。


 が、中学の頃から「対馬」を見るたび、なんで「つしま」なんだ、と思っていました。「対」は「つい」だから、「つ」は許せますが、「馬」はどうひねくっても「うま」としか読めないじゃないかッ! ていうか「しま」と「うま」じゃ意味が違いすぎて取替え不可能じゃないかッ! 「いや、岩かなんかがヨ、二頭の馬が並んでるように見えたんでヨ、そういう名前にしたんじゃねえカナ?」っていうんなら「対馬島」でしょうが! 本当は「島」と「馬」の字が似てるから、名前付ける役人が間違えたんじゃないのか、それが正式に登録されたんじゃないのか? と、疑っております。

 ちなみに、鹿児島の「指宿(いぶすき)」にも同じ疑問を持っておりましたが、よくよく考えると、こちらは「ゆび」「しゅく」で音が近いうえ、特に強引な当て字もないので、また理解の範囲内でした。


 こういった、漢字と読みの乖離というのは、特に固有名詞に多くみられます。

 若いとき、家裁裁判所の研修で、読みにくい名前の登録を認めてよいかどうか、どこまでが限界か、という勉強をしていて、「光星」ちゃんという名前を「すぴか」ちゃんと読ませてよいかという事例がありました。たしか認められなかった例だったと思います。ですが、もはやここまでくると、言わんとしていることは理解出来るものの、漢字と読みの関係はメタメタでしょう? 「小田島匠」と書いて「いいおとこ」とか「まっちょまん」とか読ませるようなもので、一生ルビ振りの人生を送ることになり、本人も大変なんじゃないかと思います。


 なお、いまお話しした漢字と読みの乖離とはちょっと違いますが、その研修の中で、「色魔」と書いて「しかま」さんという人が、家裁に苗字の変更を申し出たという事例がありました。確か認められたんじゃないかと思います。ご本人には大変にシリアスな問題でしょうが、申し訳ない、傍(はた)から見た第三者は「大変だな」と思いつつも笑ってしまうのも事実です。色魔さん、改名が認められてよかったですね。

 しかし、まあ、なんというか、色魔さんのご先祖様が、江戸から明治に変わる頃、どうしてそのような苗字を選択したのか、なんで「鹿間」ではダメだったんでしょうか? と聞いて見たい気は、すごくします。


その3 バナナに乗って転んでる人を見たことがあるか?


 わたくしは未だに見たことはありません。知人友人で転んだという人も聞いたことがありません。そもそも道路にバナナの皮が落ちているのを見たことも、多分二回くらいしかありません。

 もっと言うと、嬉しくて悲鳴を上げている人も見たことはありません。しょっちゅう競馬場に行き、何万人というファンの中で配当の発表を聞いていますが、何十万馬券を当てようと、ムンクの叫びみたいに両耳に手をあてて「キャー」と叫ぶ人などおりません。

 さらに言うと、朝、駅に向かう通勤路で、「わー、遅刻だー」と言いながら、食パンくわえて走っている人も見たことはありません。


 こういった、社会において典型例であると思われていることが、実は全然違うというものは、さぞ多いんじゃないでしょうか。

 世の中の人は、裁判のときには、原告と弁護士がゾロゾロ列を作って裁判所に入るものと思っておいででしょうが、そんな、住んでるところも、事務所も、駅も、地下鉄の出口も違うんですから、たまたま「アレ? 奇遇ですねえ」とか言って、一列で裁判所に入るわけないでしょう? 普段はバラバラに来て、法廷か一階ロビーに集合するんです。あれはテレビ用に、いっぺん裁判所前に集合して、カメラさんが「はい、じゃ地下鉄一番出口からお願いしまーす」と手を振って、「そんじゃ行くか」とみんなでゾロゾロ歩いて、門をくぐったところで「はいご苦労様」というものなのですよ。

 多分、地検特捜部のハコリレーも、一旦押収したものを玄関に積んで、「はい、じゃ、積み込みまーす!」ということでカメラが回っている中をワッセワッセとやるんだと思います。だって、そうじゃなかったら、箱に詰めたのから三々五々出て来るはずで、ポツポツとしか来ないでしょう? 清流の「やな場」が、いつもは滅多に鮎なんか上がらないのに、景気よくバシャバシャ流してCM撮影するようなもんじゃないでしょうか。

 こういったイメージと実態の相違というのは、きっとどの業界でもあることなのだと思います。


 そのほか、いろいろ疑問もあったような気がしますが、どうもうまく思い出せない上、随分書きましたので、また機会を改めてご紹介したいと思います。サヨナラー。


→ このエッセイは、たぶん一〇年位前に書いて、ブログに載せたものです。この間に、官能作家の渡〇淳一氏は亡くなりましたし、「失楽園」でヒロインを演じた川〇なお美さんも、若くして他界されました。時間というものは、静かに、確実に進むものです。

 なお、ついこないだ、新宿の大江戸線の地下通路で、バナナの皮が落ちているのを発見しました。人生三回目です。ホントに転ぶとすごく恥ずかしいので、「うわっ、あぶねー! 危うく転ぶとこだった!」って、必要以上に驚いて飛びのきました。大変貴重な体験でした。

 ですけど、あれ、実際は乗っても転ばないんじゃないかなー? っていう気もしますね。


 それではまた。










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